大ローマ展in名古屋
まさかこの時期にカメムシが現れるとは思っていませんでした。
思いっきりその悪臭の被害を受けました。
しかも、愛知県美術館のチケット購入時というタイミングで。
普段あまり履かない靴で大ローマ展を見るために出かけたんです。
名古屋についてからかなぁ、靴の中でなにかゴミみたいなものを踏んでる感覚があったのは。
「あとで見てみよ」と思って見たタイミングがそこで、靴を脱いでパッパッってやったら出てきたんですよ。
それも2匹も。
1匹は踏み潰していて悪臭を撒き散らし、もう1匹はどこでどう安全を確保していたのかピンピンしたまま着地をしていて。
もし、あとでカメムシがいるって会場で軽いパニックがあったら自分のせいです、すいません。
というか、オレの靴の中で冬をやり過ごそうとしたカメムシたちのせいなんですけど。
なんとか靴の中での出来事だったので、外にその匂いが漏れるほどではなく、帰宅してからリセッシュをアホほど靴に撒き散らし、靴下は別枠で洗濯機に、そして片足立ちのままお風呂に向かってボディソープを塗りたくってようやく一安心したんですが、そんな気持ちここにあらずな精神状態で見たローマ展はというと。
なにより思ったのは、この時代から人間は人間だったんだなぁってこと。
彫刻やら銅像やら絵画やら、こんなものを作る発想や鉄製の農具もあったんだけど普段の営みから、ほぼ同じことを、おおよそ同じ気持ちで生きていたんだなって。
なんなら、ほんの100年前まではその時代と似た生活を送ってきていて、日本でも高度成長期以前は言うほど変わらない光景や心情のままの世界が残っていたんじゃないかとすら。
差異はもちろん多々あって、絵画などは本当に稚拙なんです。
だけど、これは絵の具だったり紙だったりというアイテムが乏しいがゆえに、その場数をこなせていないからテクニックの蓄積がないからだと思われ、反対に道具が揃っていただろう彫刻などはすでにこの紀元前で完成しているんですよね。
全身が残っているものなど、その存在感が圧倒的だったし。
ひょっとすると、絵画が劣るような中、そんななにもない土壌の中で掛けられた情熱や思い入れといった面を思うと、この時代の作品こそが頂点なんじゃないかと素人だから思っちゃったし、少なくとも同じようなものって真似はできてもその領域には到達できないんじゃないかと。
反面、ローマ展の後に見た現代の絵画を見ながら、「これ絶対にローマ時代にあったら貴族たちがこぞって求めあっただろうし、天文学的な値段がつけられるんだろうなぁ」とも思ったものだけど。
だけど、「ないこと」がもたらす豊かさもあると思うのは、そこに伸びなり将来への希望があるってことや、ないからその分のスペースができて余裕にもつながれば、軋轢も生まないなんてことがあるからで、現代社会がいまするべきは足す作業より引く作業なんじゃないかなぁとも考えつつ。
帰り際、JR名古屋高島屋でやっていたバレンタイン特設コーナーを見たら、わんさかと女性たちが群がっていて、思わず「これをローマ人が見たらなんて言うんだろう」なんてことを思えたらカッコイイんでしょうが、「いまは告白より友チョコが多いらしいもんなぁ」ってことが頭をよぎったオレは、やっぱり普通の現代人なんでしょうな。


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