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2010年2月10日 (水)

大ローマ展in名古屋

まさかこの時期にカメムシが現れるとは思っていませんでした。

思いっきりその悪臭の被害を受けました。

しかも、愛知県美術館のチケット購入時というタイミングで。

普段あまり履かない靴で大ローマ展を見るために出かけたんです。

名古屋についてからかなぁ、靴の中でなにかゴミみたいなものを踏んでる感覚があったのは。

「あとで見てみよ」と思って見たタイミングがそこで、靴を脱いでパッパッってやったら出てきたんですよ。

それも2匹も。

1匹は踏み潰していて悪臭を撒き散らし、もう1匹はどこでどう安全を確保していたのかピンピンしたまま着地をしていて。

もし、あとでカメムシがいるって会場で軽いパニックがあったら自分のせいです、すいません。

というか、オレの靴の中で冬をやり過ごそうとしたカメムシたちのせいなんですけど。

なんとか靴の中での出来事だったので、外にその匂いが漏れるほどではなく、帰宅してからリセッシュをアホほど靴に撒き散らし、靴下は別枠で洗濯機に、そして片足立ちのままお風呂に向かってボディソープを塗りたくってようやく一安心したんですが、そんな気持ちここにあらずな精神状態で見たローマ展はというと。

なにより思ったのは、この時代から人間は人間だったんだなぁってこと。

彫刻やら銅像やら絵画やら、こんなものを作る発想や鉄製の農具もあったんだけど普段の営みから、ほぼ同じことを、おおよそ同じ気持ちで生きていたんだなって。

なんなら、ほんの100年前まではその時代と似た生活を送ってきていて、日本でも高度成長期以前は言うほど変わらない光景や心情のままの世界が残っていたんじゃないかとすら。

差異はもちろん多々あって、絵画などは本当に稚拙なんです。

だけど、これは絵の具だったり紙だったりというアイテムが乏しいがゆえに、その場数をこなせていないからテクニックの蓄積がないからだと思われ、反対に道具が揃っていただろう彫刻などはすでにこの紀元前で完成しているんですよね。

全身が残っているものなど、その存在感が圧倒的だったし。

ひょっとすると、絵画が劣るような中、そんななにもない土壌の中で掛けられた情熱や思い入れといった面を思うと、この時代の作品こそが頂点なんじゃないかと素人だから思っちゃったし、少なくとも同じようなものって真似はできてもその領域には到達できないんじゃないかと。

反面、ローマ展の後に見た現代の絵画を見ながら、「これ絶対にローマ時代にあったら貴族たちがこぞって求めあっただろうし、天文学的な値段がつけられるんだろうなぁ」とも思ったものだけど。

だけど、「ないこと」がもたらす豊かさもあると思うのは、そこに伸びなり将来への希望があるってことや、ないからその分のスペースができて余裕にもつながれば、軋轢も生まないなんてことがあるからで、現代社会がいまするべきは足す作業より引く作業なんじゃないかなぁとも考えつつ。

帰り際、JR名古屋高島屋でやっていたバレンタイン特設コーナーを見たら、わんさかと女性たちが群がっていて、思わず「これをローマ人が見たらなんて言うんだろう」なんてことを思えたらカッコイイんでしょうが、「いまは告白より友チョコが多いらしいもんなぁ」ってことが頭をよぎったオレは、やっぱり普通の現代人なんでしょうな。

2010年2月 9日 (火)

終了の春

アニメ「銀魂」、どうやら終わっちゃうようですねぇ。

これまでの終わる終わる詐欺とは違って、今回はしれっと報告する形をとったのが「らしい」スタイルだし、EDも卒業式をモチーフにして暗示していたのが説得力にもつながっていて。

映画化も、最後を華やかに飾るって意味では「なるほど、そういうことでの映画なのね」といて、もうほぼ間違いない終了なんでしょう。

割りと惰性で見ちゃっているアニメが多い中、見るのを楽しみにしていた数少ない作品だっただけに残念ですが、ここ最近はまだコミックにもなっていない原作をアニメ化しちゃうほど、ネタ不足になっていたみたいだし、そういう意味でも限界だったのかなぁなんて。

だけど、「ワンピース」みたいにほぼ原作が終わるまで続きそうな安泰さは感じてはいなかったけども、ここで終わっちゃうかぁっていうのはあったりします。

多分、視聴率はテレ東なんだからともかく、人気はあっただろうし、DVDとかだって売れてたみたいだから、「落ち目になってから終わるよりは」という考え方もあるんでしょうが、悲しむファンは多いんじゃないかねぇ。

それとも、また原作が溜まってから復活なんてこともあるのかなぁ。

なんとなく、OVAで「3年Z組銀八先生」とかやっちゃいそうな気がしないでもないけど。

いやはや、惜しまれる終了の知らせでした。

それに比べて。

「イロモネア」もレギュラー放送は終了するそうですが、こちらは「ようやくか」といった感じがしないでもないです。

最初からあのフォーマットで毎週やるのはキツイと誰もが思ってた番組だったから、よー引っ張ったとすら言えるんじゃないでしょうか。

後番組もウンナンってことで、それ自体は一安心なんですが、問題はいまのTBSに面白い番組が作れるのかってことと、経費削減が進む中で新しいことができるのかっていうこと。

一番手っ取り早いのはトーク番組なんでしょうが、これまでウンナンが長寿番組を持てなかった理由がトーク力のなさだってことを思うと、それはなかなか困難なミッションとなるはずで。

いや、もちろん下手な奴にやらせるよりはトークはあると思うんですが、ゴールデンタイムにお茶の間が等しく楽しめるようなベタな盛り上げ方や、そこそこの刺激があるものが苦手だっていうのがでかいんですな。

ダウンタウンも言うほどトークってできなくて、基本は松本がいかにボケるか、どうおとすかがパターンになっちゃうんですが、それで通用するような形を作っちゃったことがいまに通じていると思われて。

できれば「気分は上々」復活で内村班、南原班で1時間を分け合ってやるのが一番いい形だと思うんですが、さすがにこれだけブランクがあると厳しいんでしょうかねぇ。

ホント、行くも地獄、戻るも地獄ってやつです。

2010年2月 8日 (月)

レイトン教授と魔法の錬金術師

「アバター」の興行収益が世界中で過去最高となったとかなんとか。

この作品って、公開が始まる前まではそんな評判とか聞こえてこなかったけど、とにかく映像が凄いってことで口コミが広まっているみたいですな。

もちろん、それは「3D映像の」っていうことで。

これまでも3Dの映画ってあったけど、ホントにちゃっちかったし、そのイメージがずっとあるからあえて3Dで見ようなんて思いもしなかった人が多いと思うんだけど、この映画によって一気に先入観がとかれたって感じなのでしょうか。

映画関係者からすれば「これは金になる」っていう匂いをかぎつけたというのか。

だって、この興行収入にしたって、3Dだからチケット単価が高めだっていうのがデカイと思うんですよね。

これまでだったら、「じゃあわざわざ3Dで見なくても」の理由のひとつになっていたところが、付加価値としてOKなものになったとするなら、みんな手間をかけてでも3D化しちゃうんじゃないかなぁと。

もちろん、作品の内容にもよるんだけど、ハリウッドの娯楽大作的なものならまさにうってつけの機能なんだし、それこそピクサーやディズニーのCGアニメはやらない手はないとすら。

果たして、アメリカの後追いが大好きな日本でも、3D映画が作られるようになるのでしょうかねぇ。

最有力だし、最も適性があるのは「ドラえもん」なんだろうけども。

アニメ映画といえば、「レイトン教授」も去年末に劇場公開され、テレビではTBSで宣伝も兼ねたクイズ番組も放送されていました。

そして、それがなかなか評判が良かったっぽくて、新番組を立ち上げては壊滅的な視聴率をたたき出しているTBSとしては、もしかしたら春からレギュラー化しちゃうんじゃないかってくらい、勢いのようなものを感じている自分がいます。

だって、この前何気に「レイトン教授の頭脳パン」なんてのが売ってるのを見かけたりして、その認知度や広がり方は「ポケモン」とか、それこそ「ドラえもん」な感じになってきてんだなぁって思ったりしたもので。

一応、このゲームは立ち上げ当初から注目していたんですよね。

それは単に声優として堀北真希が参加するって知ったからなんですが、一発屋じゃないけどキャストだけで話題を集めて、たいして売れずに「なかった過去」となり、堀北真希が違う作品で声優をやるときに「声優初挑戦!」なんて見出しが出る、そんなパターンになるだろうなと思ってたんですよ。

これがこれが。

まさかここまで順調にヒットを飛ばし続け、シリーズが連なり、アニメ化までされるなんて。

それだけツボをつかんだ作りになっているってことなんでしょうが、2作目以降も同じキャストのままっていうのは、契約問題等もちゃんと先のことまで視野に入れてやっていたったことでしょうし、事務所サイドとの意思疎通もしっかりとっていたからこそで、それと同時にずっと一緒にやっていけるタレントを起用していた先見の明もあったんじゃないかって。

結局、金のなる木は偶然では生まれないってことでもあるのでしょう。

もし自分が勝手に考えているように、レイトン教授のクイズ番組がレギュラー化するなら、大泉洋や堀北真希もなんらかの形で携わる方向にした方が、ブランド化もできるし一貫性もあると思うんだけど、そこまで念入りな手は打てないんだろうなぁ。

だって、いまのTBSだもの。

2010年2月 7日 (日)

トヨタの李香蘭もといリコールRUN

そういや、平野綾と握手したことあったんだよなぁ、オレって。

涼宮ハルヒがオンエア始まったくらいかなぁ。

「冒険でしょでしょ」発売記念の握手会ってやつをアニメイトでやっていて、友人を誘って参加したんです。

当時はまだ無名に近かった平野さんなので、イベント申し込み期限ギリギリでもチケットが普通に手に入っちゃったし、そんなにデカイとはいえない会場で何十人ってくらいの参加者のすぐ手が届くような距離でイベントが行われてたんですよね。

そこで「冒険でしょでしょ」とカップリングの2曲をパフォーマンスして、そこでトークコーナーがあって、最後に握手っていう流れだったんですが、なんか言っちゃなんだけどホントに無防備で安っぽい内容で、それがわずか数ヶ月で作品が大ブレイクし、平野自身も声優界の寵児となっていくなんて思いもよらなかったです。

今思うと、ってことは本当に多いもんですな。

平野さん確か愛知県出身だったはずだけど、トヨタのリコール問題とかどう思っているのでしょうか。

自分と同じように、「ほんの2年前、世界トップだったのに」っていう落差へに驚いているのでしょうか。

今思うと、あそこで無理に経営拡大し、世界一自体を目標に無理をしたことが、この不景気による販売不振がなくても、将来的な落とし穴を掘り続けていたのと同じ行為だったのかもしれません。

そして、そんな流れで組織が走ってきたことから、誰もその歪みに目を向けようとせず、気づくための努力をしなかったのは勿論のこと、気づいて後戻りすることが足を引っ張ることだとすら考えていたんじゃないかとも。

貴乃花が当選した理事選でも、一門を裏切って貴乃花に投票した人間を「裏切り者」だと考え、その人が角界にはいられないくらいの空気にしている世界がそこにはあって、自分はすぐに内部告発した人間の立場と一緒だなぁなんて思ったものでした。

どこにでもある問題だし、誰だってその環境に住んでいて、他人のそれのおかしさは気づくし批判は出来るけど、こと自分ごとになると反応が急に鈍くなる。

人によってはその問題意識を自分は持っているという自覚はあるんだけど、自覚していることがエライというのか、それだけで自分は正しいと考えて、実はただの五十歩百歩でしかない現実には気づいていないという皮肉があったりするんです。

誰だって思うことはできるし、仲間内で声にすることもできる。

だけど、「いじめはダメだ」って言ってはいても、身近で起きていることは放置したままってなこととまるっきり同じことで、それではなにも変わらないし、間接的に加担しているとすら言えるんですな。

かくいう自分も、そこにある問題に対して対策をとろうなんてしていないから大きなことは言えないけど、「そんな自分」でしかないことは分かっているから、なんというのかデカイ顔はしないでいるつもりです。

そして、なるべく傷をなめあわないようにとも。

JALは経営破たんしたけど、トヨタも「そこまで落ちていくことはない」って言い切れるのでしょうかねぇ。

2010年2月 6日 (土)

命は転落しない

寒い。あかん、寒い。

友達からペンギンというあだ名をいただいたほど、寒さには強い方だと自負してたんですが、今日の寒さはハンパなかったです。

北陸や東北の方では記録的な大雪になっていたとか。

うちも結構な雪国なので、東京でチラッと降っただけで大騒ぎしている人に、その凄まじさを押し付けてやりたいものです。

観光やスキーなどで「キレイ」って言っていればいいだけの距離感は、3日住めばカルチャーショックを感じるほどの圧倒的な辛さを骨身に染みこむ体験となり、大激変するだろうにと。

別にすべての人間にそうしろってんじゃなく、報道関係者に特に。

そうすれば、自分たちの主観だけじゃない配慮ある報道をすることになり、田舎もんの神経を逆撫でることもなくなるはずだし。

知らない世界があるってことを想像するのは、大事なんですよ。

だから。

単にその事実を持ってショックだけが先立つんですけど、その原因をウヤムヤにしないで欲しいっていうのは、昨日の朝青龍や小沢一郎でも思ったことなんですけど、今日もまた思ってしまったんです。

これは、そんなこと思いたくなかったとも言えるんですが。

オリックスの期待の若手外野手、小瀬浩之選手がホテルから転落死をしたそうです。

すぐに頭をよぎったのは、中村俊輔が移籍したばかりのエスパニョールで、キャンプ中にキャプテンのハルケが急逝したニュースで、チームメイトに与える動揺はいかほどなのかを思ってしまいます。

まず、明日の予定はすべて中止だろうし、これからどうやってキャンプに取り組んで行くかも一から練り直さないといけなくなり、もちろんレギュラー候補だった外野手がいなくなったんだからチーム構想だってゼロに戻ったとすら言えるんですな。

なにより、選手たちが気持ちを立て直すのにどれだけの時間が掛かるかってことが最大の問題となるし、そして自分が前記したように「ウヤムヤにするべきじゃないその原因」というものが、ただの事故じゃなかった場合、今シーズンをすべて吹っ飛ばすことにすらなり兼ねず。

いまのところ、転落死とだけ伝えるメディアもあれば、自殺という文字を使っているところもあって、情報は錯綜しています。

もし自殺だったとしたら、オリックスは以前スカウトも自殺した前例があるだけに、球団の体質自体が問われることになるし、自殺の理由がプライベートではなく球団内にあったとしたら、これは大相撲の理事選じゃないけど犯人探しなんて動きも出れば、イメージの低下も避けられないわけなんですな。

いじめという憶測が早速飛び交っているけど、真相がそこにあったとしたらおそらくオリックスだけには留まらず、過去からあれこれと噂があったことだけに、一気に野球界に蔓延っている根深い闇が表面化し、大相撲を笑っていられない事態になるんじゃないかとすら。

かく言う自分が応援するドラゴンズだって、高卒ルーキーだった樋口が1年目でクビになっていて、一説には寮内でのいじめでシーズン途中に田舎に帰ったなんて話もあるんですよね。

そういう、スポーツ界にある上下関係や体育会系な発想が、若い選手に常に膨大な肉体的精神的ストレスを与える構図は脈々と続いてきているわけなんです。

これが自殺だったとして、その身は転落させたのかもしれないけど、命はいじめをした人間に、そういった体質にぶつけられたものだと言っていいんじゃないでしょうか。

例え今回は事件性がないとしても、悲しさはなくならないし、どこかでいじめは存在し続けているわけなんだろうけど。

2010年2月 5日 (金)

小沢一郎×-○朝青龍

いやぁな感じばかりが残った決着、といって連想されるのがイケメンでもない男の顔ばかりっていうのは、これまたいい気持ちがしないもので。

このふたつの話題で、ほぼ翌朝からの会話はしめられるんじゃないでしょうかねぇ。

政治とスポーツといえば、誰だってしゃべれるネタだし、おっさんは特に饒舌になれる事柄だし。

あとは小沢一郎と朝青龍、どっちの方から話し出せばいいのか。

自分は多くの人と同じように、やっぱり朝青龍からかなぁ。

まさか、とまでは言わないけど、唐突な発表でした。

横綱が引退。

日本という国においてこれがビッグニュースにならないなら寂しいくらいなんですが、残念ながら不祥事があってのニュースバリューであって、もし普通に衰えからのものだったら、かなり扱いは寂しいものだったんじゃないかと思ってしまうのは、だから貴乃花が冒険に出た理由ともなるもので。

個人的にははなっから大相撲への興味はないので、どちらにせよってことなんですが、やはり理事選からの流れを見て思ってしまうのは、旧態依然とした組織の対応ってやつの根深さなんですよね。

一度は退職を口にした安治川親方が元鞘に戻ったことも、解雇ではなく引退という形をとらせたことも、対面ばかりを優先して本質的な解決には手をつけようとしなかったとしか思えないんですな。

いまは内輪においてのひと段落と思っていて、先のことは「なんとかなるだろう」とすら思ってないのかもしれないけど、問題を先送りにするほどに解決するための労力が倍掛けになっていくだけなんです。

それとも、自分たちの手を汚さないことこそが大事で、あとのことは知ったことかってことなのでしょうか。

いまの日本の停滞感もそんな発想によるものばかりなんだから、この一点のみは大相撲関係者だけを責めるつもりはないんですけど。

それをなんとかしなければならない政治家も、相も変わらずなんだから、もう救いなんてないとすら。

小沢一郎の政治資金規制法違反は不起訴ということで、とりあえずの決着を見ましたが、これも当人たちの立場や対面をなんとかしただけのことで、本質的な問題はないがしろにしているんですよね。

ただ、こればっかりは世論によって左右される政界なだけに、「これでなんとかなるだろう」ではすまずに。

なにより、これで幹事長に居座る現実は最も民主党的にはマイナスと言えて、潔白じゃないならいっそ黒になって、世論が最も嫌う自民党的な体質との決別のきっかけにできたなら、「災い転じて福となる」そのものだったんだろうにと。

などなどを考えたら、表面的には小沢が助かって朝青龍が脱落したみたいな感じなんですが、小沢自身への批判の強さと比べて協会にも批判が向く朝青龍ということ、そして世間的な話題のしやすさを思うと、さらに朝青龍は母国では英雄のままで、事業も展開中って点も鑑みて、小沢一郎が負けて朝青龍が勝った日と言えるんじゃないかなぁと思ったりしたのでした。

2010年2月 4日 (木)

バンクーバーでは昔の名前で売ってます

1月末に書いたブログがなぜかアップされてなかったようです。

いつも書いて「はい、終わり」って感じだったので、それがどうなっているかなんて気にも留めてなかったもので。

「そんなこともあるんやねぇ」ってなことを思いつつ、改めてアップさせてもらったのでよかったら覗いてやってくださいまし。

さてさて。

バンクーバー五輪が近づいてまいったようです。

バンクーバーは、去年のカナダ旅行で移動の途中で立ち寄ったことがあったし、バス移動のときに山道の途中でカナダの代表候補選手のノルディックスキーの練習風景をたまたま目撃したり、もちろん各空港でバンクーバー五輪グッズをあれこれ見かけたりと、それなりに身近に感じていた部分もあったので、これまでよりは多少なり関心があったりするんです。

モントリオール五輪だったかなぁ、の会場跡地も見たりしたし。

だけど、テレビ中継にかぶりついて見るほどのテンションはなかったりして。

だって、なにを注目すればいいのかが分かんないんですな。

これまでなら、世界的スターの存在があったり、日本でもメダルが期待できる有力選手がわんさかいたり、いるようなイメージで報道されたりしていたんだけど、今回はあまりそんな感じがない気がするんです。

それが世界的不況の影響なのかは知りませんが、ひとつ言えるのは冬季大会がある程度定着したがゆえの反動があるのかなぁってことで、それなりに実力がある選手は定期的に報道され続けてきているんですよね。

だから、この時期だけで情報が溢れかえることはなく、それなりにほどが知れているがために過度な期待も生まれづらい現象が起きている。

そして、その流れがあるから注目選手へのあらゆる意味での一極集中も起きていて、他の選手が育ちづらい環境も出来上がっているのかなぁとも。

バンクーバー大会での注目選手の報道でも、ほとんどが前回大会時から知っている名前ばかりで、新しい名前がほとんど出てこない。

ということは、一気にメダルを奪い取るような伸び盛りな注目株も見当たらないという。

唯一例外なのが中学3年生の高木美帆選手なんですが、その唯一ってことが弊害となってここにきての過熱っぷりがハンパじゃないんです。

これだと本人にもプレッシャーばかりが掛かるし、目新しさでの注目度が期待はずれとなった時の落胆と、それによる落差がまだまだ将来がある高木選手の芽を摘むことにもなりかねない危惧があって。

良し悪しはあったんだけど、今井メロとかがいて注目が分散できた時代はまだ幸福だったとも言えて、「とりあえず高木美帆しかいないから追っておけ」っていうのは寂しいし、貧しいなと思ってしまい。

現状ではキムヨナが圧倒的なフィギュアスケートで、浅田真央がメダルを取れるかくらいしか希望がないオリンピックですが、いっそメダルゼロで終わった方が本腰を上げての対策を取れるんじゃないかとも思ってしまうんですよねぇ。

そういう意味では、荒川静香が金メダルを獲ったことで、対策が4年遅れたと言えないこともないなぁとも思いつつ。

2010年2月 3日 (水)

大相撲、揺れる

ベネズエラ戦を見て、「やっぱ、この不景気の中でサッカーってスポーツは不向きだなぁ」って思ったものです。

それは、ガラガラの観客席やスポンサーがつかないやっていうことだけではなく、単純に点が入らないっていう特性に問題があるような。

不景気だから、なにかと現実的な見方が主流となるわけなんです。

結果ありきになるというのか。

いくらいいプレーをしたとしても、「でも、点が入らなかったら意味がないでしょ」っていう気分が支配していたら、常に低いテンションでしか試合を見ることができず、0-0で終わったものなら無駄な時間だったくらいな受け止められ方となりかねず。

これは、まだまだ日本人がサッカーというスポーツの見方が成熟していないせいでもあって、Jリーグでプレーしていた選手が海外にいったとき、観客の見る目が肥えているってことをしきりに言うんですよね。

いいプレーにはちゃんと拍手して、悪いプレーにはブーイングをするって。

それができるってことは、ちゃんと正しく楽しめている証拠でもあって、これはひたすらチャントを歌って、ゴールに近づく場面で拍手することがほとんどの日本人にはないものだとも言えて。

そこに至るには歴史の積み重ねが必要なんですが、ただ時間が経てばいいってことでもなく、実際にサッカーをした経験がある人が増えていかないとその幹は太くなっていかないんです。

かつてなら、どこも娯楽が少なく、やるべきスポーツも限られていたから主流となっている競技が誰にとっても当たり前のものになっていきやすいんですが、現代ではそこまで圧倒的な普及はなかなか考えられず、進歩も亀の歩みにしかならないんですよねぇ。

今年のワールドカップであっさり予選敗退したら、その流れが拍車するだろうことを思うと、いまから暗澹たる気持ちにさせられるんですが、現状ですでにそんな心境にある大相撲関係者はだから貴乃花に1票を投じたんでしょうな。

事前の予想では圧倒的不利な立場だと伝えられていた理事選で、まさかの当選を果たした貴乃花親方ですが、これは苦難の一歩目を踏み出しただけのことで、もしかしたら踏み出さない方がよかったと思うだけかもしれないんですよね。

だって、その他の理事たちは旧態依然とした勢力なわけで、いくら理想を持って言動をしてもそれが通らない可能性のほうが高いんです。

さらに、このことで落選した大島親方は間違いなく逆恨みに近い感情を抱くわけで、足を引っ張るような土壌が出来上がったわけで。

唯一、貴乃花ができることは世論を味方につけることで、そのためにはマスコミへの露出を増やすしかなく。

いま朝青龍の暴行事件が問題になっているけど、その適正な処分がなんなのかは自分なんかは分からないんですが、貴乃花的には最も強硬な姿勢に打って出ることがメディアウケするはずだから、そこは率先して発言してもいいんじゃないでしょうか。

っていうか、普通有名人が暴行事件を起こしたらもっと警察も迅速な対応をとるし、マスコミだって角界追放かどうか以前にその行為でバッシングを展開するのに、なぜにこうも動きが重たいのかと。

これは、下手に歴史の積み重ねの長いことが悪影響となっているのかいねぇ。

分かりやすさと公平さを第三者は好むし、実際はどうであれイメージとしてそれを保つことが、その存在を好意的にさせるっていう現実がある以上、それを利用するのが賢いスタンスと言えるのかもしれませんな。

2010年2月 2日 (火)

小泉エリとイモトアヤコの名古屋事情

ごはんリレー、ついに完結しましたねぇ。

名古屋ローカルでやっている「ノブナガ」という番組の人気コーナーの第3弾として、4年近くにわたってやっていたんですが、先日めでたくゴールの運びとなりました。

しかし、この企画はゴールすることが、うれしいような寂しいような複雑な気持ちにさせられるのが特徴であり、だからこそ視聴者にも魅力的なものとなっているんでしょうな。

第2弾のヤッシーことジャリズム山下のやつは例外として。

第1弾のワッキーの地名しりとりも4年近く掛かって終わったんだけど、ぶっちゃけ個人的には中だるみを感じつつも、ゴールとなった時は妙な感慨がありましたもの。

今回挑戦していた吉本興業の女性マジシャン・小泉エリも、スタート当時は24歳で、芸歴の浅さゆえの初々しさもあってかわいらしさがあったんだけど、いまは近所の姉ちゃんくらいの距離感で見ちゃってたもんなぁ。

だけど、この企画によってワッキーは全国へ飛び立っていったし、そうなることが不思議じゃないほどの熱があったのに対し、ヤッシーは例外として、この小泉エリの場合はどうなるのかいねぇと思ってしまうのです。

言ったって、マジシャンが本業だし、この番組によってフリートークが上達しわけでもなければ、人間的におもしろい感じに育っていったわけでもないんですよね。

その証拠に、見せ方の工夫に苦慮したスタッフが、自ら名物ディレクターみたいな形で出るケースが当たり前になっていたくらいだし。

さりとて、もう28にもならんとする年齢と思うと、アイドル的に売り出すには限界があり、ひな壇においておくだけで華となるほどルックスがいいわけでもなしと。

これはねぇ。

CBCがまだ「ミックスパイください」みたいなのをやっていたなら、そこのレギュラーとして使うこともできたし、なんならそここそが最適な居場所と言えて、自分が思っていたような近所の姉ちゃん的なスタンスでの「ローカルなお茶の間の人気者」としてしばらくはやっていけたはずなのに。

CBC的にも、自分たちが作ったという自負もあるだろうから、なんとかしようとはするだろうし、よそに取られたくないと画策するかもしれないけど、こればっかりは良し悪しが判断しづらいよなぁなんて。

それを思うと、違う立場だけど「これからどうするんだろう」な存在と言えた「イッテQ!」発の人気者のイモトアヤコは、何気に日テレ系列局の名古屋ローカルの番組にも定期的に出ちゃったりしてるんだよねぇ。

そして、その「幸せの黄色い仔犬」だったかな?は、千原せいじの息子のコーナーが人気っていうこともあって、結構いい感じで認知されてきていて、土曜お昼の定番となっていく可能性があるんです。

全国だとあっさり使い捨てされる危険があるけど、いま旬なうちにこうやって足場を作っておくと、全国的に落ち目になったとしてもローカルでは「うちらのイモトちゃん」っていう認識で愛され続けることができるんですな。

そのイモトさんも、今度の改編から日テレで新しいレギュラー番組が増えたっぽいけど、ちゃんとバランスを考えた活動をしておくと、より賢いんじゃないでしょうか。

そう考えると、板東英二の息の長さ、したたかさは凄いっすよ。

2010年2月 1日 (月)

まぶしがりや

珍しく、「さみしい」っていう感情に支配されました。

ま、ものの2~3時間ってほどだったんですけども。

だけど、なかなか湧いてこない感情にやや戸惑ったし、これがなにをきっかけにして湧き上がってきたのかが分からず、それについてあれこれ思いをめぐらせたりして。

だって、自分の一番古い記憶は、部屋で一人きりでおもちゃで遊んでいる様子なんですよね。

白っぽい部屋で、南側はガラス戸になっていて日差しがまぶしく、みたいな。

部屋の壁沿いにおもちゃが散乱していて、それを気分によって使い分けていたような。

これはもう少し年を経てからのものでしょうが、確かマジンガーZの超合金でロケットパンチを飛ばして遊んでいたら、その手の部分がどこかに紛れ込んで見つからず、それで泣きそうになりながら必死になって探していたという記憶もあったりします。

あとは、画用紙にクレヨンでお絵かきをするのも好きでした。

当時は左利きだったのですが、小学校に入る前後で筆と箸は矯正され、それ以来苦痛になってやらなくなってしまいましたが。

あとはレゴブロックでも遊んだし、牛乳の紙パックで工作をしてたり、シールを貼るのも好きだったような。

思い返すと、ホントひとりでばかりいました。

たまに近所の子を家に招いて遊んだりもしましたが、あとから聞いた話によるとおもちゃがいっぱいあるってことが嫉妬の要因となったようでいじめられ、また孤立し。

孤独は得意なんですよ、だから。

実際はさみしいんだし、マザコンだった感覚もあるから、もっとお母さんにも甘えたかったんです。

それが、両親は共働きをしていたし、家に帰ってきても嫁姑問題等でなかなか構ってもらえず、ひとりでいる状態を当たり前にするよう、自分の中でそういう回路を作っていっただけなんでしょうけど。

そんなことを、珍しく「さみしい」って状態で思い出したものだから、子供の頃の自分を思ってちょっと泣きそうになったりしつつ。

みんなが愛を求めることが、群れ、寄り添いあうことが理解できないのもそのためなんでしょうし、自分がそうできないのもそのための術を知らないからなんでしょうな。

こうやって年をとり、現在に至るから、もうこのまま死んで行くのでしょうが、自分の中でこの珍しい感情が常態化していったら、より苦痛の多い人生になっていくんでしょうねぇ。

自分のことを不幸だとは思ったことはないけど、幸せではないって意味で不幸せなのかもしれないと思いつつ、けど幸せは自分に相応しくないもんなぁと思ってしまった、そんな一日でした。

もちろん、「ラッキー」ってことは歓迎しますので、そこは神様お願いしますよ。

そういや、アンラッキー後藤っていまなにやってんだろ。

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