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2009年1月31日 (土)

景観ってなにかね

元サッカー日本代表の福西崇史が引退を決意かぁ。

まだ32歳だからバリバリに通用すると思うんですが、本人が望むようなオファーがなかったってことなのでしょうか。

きっと本人も「まだまだニーズがある」と思ってたんでしょうけど、それが叶わなかったというのはショックもあったんだろうなぁと。

本人の自覚と周囲の評価が噛み合っていないことの悲劇というのか。

自分なら愕然とするだろうなぁ。

それとも、プロアスリートはそこらへんは常にシビアにとらえていて、ちょうどいい転身のチャンスと考えていたりするのかな。

福西はイケメンだし、露出を増やせばもしかしたらいままで以上に人気者になる可能性もあるだろうし。

やっぱり、有名人は好かれてナンボですもんねぇ。

それなのに、近隣住民から嫌われる有名人もいたりして。

楳図かずおの家が景観を損ねるとして訴えられた裁判で、楳図側の無罪が言い渡されたようで。

確かに、世間一般の感覚で言えば奇抜なデザインだとは思うんですが、それが不快だとする感覚もどうも分からなくて。

それは、中学の卒業式で同級生に、「受験に受かった?」と聞かれて「うん」とだけ答えて、相手がどうだったかを聞き返さなかったほど、他人に興味がない自分だからなのかもしれませんが、別に他人の家がどうだろうが全然気にならないと思うんです。

これが、例えばマックがこれまで通りの店舗展開をしようとしたけどそれを拒否したパリのように、観光地としてのイメージや統一感が戦略的に求められるのなら分かるんです。

でも、庶民が肩寄せあって生きている環境で、なにをみんな一緒である必要があるのかって。

「この町はこうあるべき」を押し付けてるだけじゃないかとすら。

もしかしたら、古くからそこに住んでいる人には違和感はあるのかも知れませんが、逆に新しく生まれてくる生命にとってはそれが特徴的な存在となり、親しみやすいのかもしれないとも。

幼少の頃の特別な記憶につながるというのか。

自分も妙なデザインのガラス張りの玄関の家が近所にあるんですが、やっぱりその家のことは忘れないですもの。

本当に筋が通った景観論ならいいんですが、単なる横並び意識がさせているのであればつまらない話だなぁと思うんですよね。

そもそもそこの人たちは、楳図かずおという個性的な人間が近所をウロウロしていること自体、受け入れられてるのでしょうかねぇ。

2009年1月30日 (金)

フォーリーブスについてはなにも知らないのに、俺って

自分も引っ掛かってたんですが、今週発売の雑誌ではそこらで取り上げられてて「やっぱ、みんなもそう思ってたか」と。

NHKの大相撲中継に出たデーモン小暮を、アナウンサーが「デーモン小暮閣下」と呼んでいたのは違和感あるよなぁ。

なにを敬っているのかと。

それとも、キャラ設定を守ってあげているのかと。

きっと「閣下」までを芸名として扱っているだけなんでしょうが、どう考えても不自然なわけで。

って、悪魔を自称する人間を国技のコメンテーターにしている時点でおかしいっちゃあおかしいんですが、逆に言えばそこを乗り越えて成立させちゃっているデーモン小暮のここまでのブレない積み重ねを称えるべきなんでしょうかね。

古くからやっているからの価値って意味では、ってことでもないんですが、フォーリーブスについても当然リアルタイムじゃないけど名前くらいは聞いたことがあって、再結成のニュースもなんとなく耳に残ってはいたんです。

そのメンバーのひとりが急逝したという。57歳だったとか。

死人にムチを打つ形ととられては本意ではないんですが、再結成後のコンサートシーンを見て、厳しいなぁと思ってしまったんですな。

おっさんが無理してんなぁっていう。

いや、別に本人たちが望んで乗り気でやっているって思ってるわけじゃなく、ニーズがそこにあって、ファンが喜ぶからそうしている、つまりそれが銭になるからやっているっていうのは分かるんです。

でも、求められているのは昔の、若かりし頃の幻影であって、明らかにギャップが存在しているんですよね。

いまのその人たちの特有性は度返しされている。

もしくは、あの頃の再現をしてくれて嬉しいっていうくらいのことだったり。

そりゃ、芸能人なんだからファンありきで活動して当然なんでしょうが、現在進行形でのクリエイティブなことはできていないジレンマとか、あるんじゃないかぁって思ったりしたんです。

歓声を浴びて、必要とされて、って面では「よかった」と思えるんでしょうが、じゃあそればかりの日々で充実できているのかって。

前にも書いたかもしれませんが、かつてのヒット曲を数十年経って本人が歌うことの本当の意味での必然性って、どうしても理解できないんです。

そこの間はあたかもつながっているようで、フォーカスしてみるとところどころで伝線しているような気が。

今回のことでも、ファンは悲しんでいるのでしょうが、そこで頭に浮かべているのは亡くなったその人自身の実像に近いものなんでしょうか。

2009年1月29日 (木)

ユニコーンの「WAO」じゃなかった新曲とDJの「WAO」な発言

ユニコーンの再始動シングル「WAO」を聞くことができました。

うーん、ちょっと微妙。

分かるんです。期待値が上がりすぎることを嫌って、あえて奇をてらったっていうのは。

そして、それをユニコーンらしい悪ふざけだと受け止める向きがあるのも。

もっと言えば、本人たちも楽しんで作ったんだろうなっていうのも伝わってくるんですよね。

なんですが、こう言っちゃなんですがスベっているような気がしないでもない。

なにより、ユニコーンを他人に勧めづらい楽曲にできがっているのが残念で。

別に、いかにもいい曲っぽいのを作れって言いたいんじゃないです。

ただ、音楽が好きな人間に「分かるだろ?」っていう感じで通じ合えないというのか、楽しさの共有ができないのがもったいないなぁと。

これでは新しいリスナーは食いつかないだろうなぁ。

そういえば、この曲を何度目かに聞いたとき、この番組では初めてオンエアしたんであろうDJが「いやぁ、ユニコーンは凄いなぁ。民生のボーカルもユニコーンっぽくなってますもんね」なんて勘違い発言をしていて、こっちがヒヤッとしてしまいました。

ファンだから「アホか、これは阿部義晴が歌ってるんじゃ、ボケ」的に強気に出ればいいんでしょうが、この後に間違いに気づいたときの感覚を想像するといたたまれない気持ちになって。

生放送を一人で担当していて、、常にそれっぽいことを口からついて出るように言っていないといけないから余計になんでしょうが、これってもう典型的な知ったか発言なわけじゃないですか。

それがすぐに見透かされる恥ずかしさたるや。

これが、こんな誰も見てないブログでのことなら、いくらとんちんかんなことを言っていても反響もたかが知れているんですが、公共の電波に乗せてとなるとその影響は計り知れず。

笑い飛ばしてくれれば一番いいのでしょうし、本気で抗議する人もまだ誠心誠意謝ることで伝わることもあるのでしょうが、こちらに飛んでこない空気の広がりが怖くて、「あいつなにも分かってないぞ」とか、「浅い人間だぞ」なんてヒソヒソ話が蔓延し、知らずに距離をとられているなんてことになっているのが最もやるせなく。

車で聞いていたので、その後どんな放送になったのか知りませんが、ちゃんと謝罪したのかねぇと。

そして、放送後にスタッフとどんな会話をしたのかいねぇと。

それとも、案外「よくあること、よくあること」なんて気にしてなかったりするのかな。

もしそうなら、それはそれで大丈夫かいなって話なんですけど。

2009年1月28日 (水)

朝青龍の笑顔とテレビマンたちの笑顔

まだいるんですよ、ガソリンスタンドで「灰皿は大丈夫ですか」と聞いてくる店員。

第一に、いつも利用してるんだからそろそろタバコを吸ってないことを覚えておいてくれと。

次に、イマドキ社内の灰皿を使っているドライバーがどれだけいるのかと。

そうやって聞いて、「お願いします」という人間の割合はどれだけなのかと。

喫煙者が減少傾向なんだし、禁煙風潮の中で意識がある人は携帯灰皿を使っているし、そもそも「そんなの関係ねぇ」な奴は窓を開けては灰を散らし、最後は「ポイッ」としちゃうわけで。それはつまり自分の車がキレイなままであることが大事ってことで。

雨の日にも窓ガラスを拭くのもそうだけど、サービスを履き違えるのはなんとかしてもらいたいものです。

ま、そんな格好でこなすことで非難されることを避けるのは、いまの日本人全体が見せる姿勢なんですけどね。

例えばマスコミなんかその典型で、いまでは「この後スタッフのみんなで食べました」なんてウソが横行してるし。

ただ、マスコミについていま疑問を呈したいのはそのことではなく、朝青龍への手のひらを返した対応。

確かに見事な復活優勝だったんですが、それまでの「引退間近」みたいな批判合戦をしていたのにという。

結局、視聴率がよかったからその反響を気にしての持ち上げ方なんでしょうね。

これが低視聴率だったら、「優勝したはいいけど・・・」みたいな論調になったはずで、こぞってテレビ出演をさせることもなかっただろうにと。

ようは、いまの日本人の姿勢の片棒をなす「おこぼれを狙う姿勢」なんですよ。

マスコミが性質が悪いのは、もう持たれかかるかのようにベッタリと相手に依存する無責任さにあり。

そして、ブームが続いている間はもうチヤホヤするかのようにいて、実は自分たちがそれに甘えている。

甘えているんですが、気持ちは心酔しておらず、「おぼこれを狙う姿勢」だから縁の切れ目も見計らい、落とし穴にハマった瞬間から叩くことで最後まで蜜を搾り取るご丁寧さ。

唯一救いなのは、スポーツは結果を出し続ければイメージはともかく評価され続けるんです。

朝青龍も、マスコミに手のひらを再度返されないためには勝ち続ければいいだけで。

朝青龍くらいなら、そんなマスコミを発奮材料にすらできるとも。

ヒール具合が浅かった亀田一家はフェードアウト気味な中で、朝青龍にはぶれずに世間を騒がせて欲しいものです。

2009年1月27日 (火)

「ベンジャミン・バトン」を持ち上げて「あいのり」をはたき倒す

ブラピ主演の映画「ベンジャミン・バトン」の評判がなかなかいいようです。

老人として生まれ、年をとるごとに若返る男の話とのことで、映像的にもかなりお金がかかり、派手さが売りのアメコミ原作の映画並みの予算を要したとか。

いやぁ、それだけでもブラピファンは必見の作品と言えるんでしょうねぇ。

って、自分はあまり見る気がしていないのですが。

じゃあ話題として触れるなよってことなんですが、ひとついいなと思ったのがその設定である、年寄りから段々と肉体的に若くなるっていう部分で、これって実は人間的には理想の年の取り方と言えるんじゃないかなと思ったんです。

多分、知識や経験を最も活かせるときに、肉体的にもその能力を発揮できる時期になっていて、という。

ま、かといって「これいいじゃん。この方針を採用しよう」といってなんとかなる問題ではなく、神様が気まぐれで人類を突然変異をさせることもおそらくなく、なにより自分はすでに普通に赤ん坊から高齢者への道を歩んでいるわけだから、いまさらどうなんだって話ではあるんですが。

でも、恋愛面においてもその方が、枯れた状態から始まって心身ともに充実したものへ昇華されるんじゃないかと、より磨かれた関係を築けるんじゃないかと思うんですよねぇ。

そこらにある、浮ついたものと妙な打算の入り乱れたやつと比べれば特に。

その象徴的な存在のひとつだった、といっては目の敵にしすぎなんでしょうが、「あいのり」が終了するようです。

東野幸治が、「恋する前に働け」と怒っていたように、なにを恋愛のためだけに海外で無駄な時間を潰すことが視聴者にウケてたのかがよおく分からずに。

しかも、最初はまだ純粋なものだったのかもしれないけど、徐々にどうすれば番組的に盛り上がるのかという演出過多になっていったようで、やらせ疑惑もバンバン出ていたと記憶します。

出演者も、素人から人気者になるための手段としていた部分もあったみたいだし。

いや、フォローするとしたら、いまや数少ない素人参加型番組としては貴重だったとは思うんです。

計算が立つってことで、クイズ番組ですらタレントばかりが起用される昨今ですから。

演出過多も、いかに素人でも見せ方次第でおもしろくなるかのテクニックと言えなくもないし。

それでも、その手法に限界がきたからの終了なんでしょうね。

ほぼ見たことがないから終わったところで何のショックもダメージもないんですが、個人的にはこれからのテレビ業界で可能性を持っているのは素人参加型番組だと思っているので、その火は絶やさないでいってもらいたいものです。

で、この終了が痛いのは今田、久本、ウエンツのうち誰になるんでしょうかねぇ。

2009年1月26日 (月)

ワールドサッカーベストイレブン05~10を考える

ネタがないので久しぶりにワールドサッカーのベストイレブン選定をしてみようかなと。

大体、自分の中では5年おきに自分なりに贔屓の選手を並べてみて、例えばウイイレでそのチームを作ってみたりして楽しんでいるんです。

ちなみにゼロ年代前半は、

FWアンリ ラウル

MFギッグス ホアキン

スコールズ エメルソン

DFロベルト・カルロス ヒーピア アジャラ プジョル

ブッフォン

だったと思います。

そして、2005年時点で考えたこれからの5年で、主力となるだろうなと思っていたのが、エトオやロシツキー、フレブにエシアン、キブってところだったんですが、どうもうまい具合には伸びてきてくれていない印象があります。

まぁ、エトオはまだいいんですが、中盤の攻撃的な位置がやや人材不足なんですよねぇ。

いまのところ、カカーくらいしか見当たらないというのか。

逆にFWが粒揃いになっていて、ドログバやイブラヒモビッチ、F・トーレスらの中でチョイスに頭を悩ませる存在になっていて。

そのため、15年は贔屓にしたいメッシも扱いが難しく、3トップで考えるなら居場所があるんですが、候補になっているFWのタイプがファーストトップ適正の選手ばかりなので豊富なFWなのにひとり枠を減らさざるを得ないことになってしまい。

なので、コンバートじゃないけどメッシを人がいない中盤に持っていくことで問題を解決しようかなっていう、自己満足だけの世界だからこその都合のいい発想をしているところだったりします。

ってことで、あと1年半を残した段階でのベストイレブンは、

FWイブラヒモビッチ エトオ

MFカカー メッシ

デロッシ エシアン

DFアビダル テリー プジョル ボジングワ

GKカシジャス

っていう感じにしました。

右サイドバックも、ダニエウ・アウベスだとベタ過ぎると思い、ここにきて伸張著しいボジングワを抜擢してみました。

本当はF・トーレスを入れたいところなんですが、ずっと追っ掛けてきたエトオとの比較なんだよなぁ。

ちなみに、C・ロナウドは好みじゃないので除外していますのであしからず。

2009年1月25日 (日)

小林麻耶がとんでいく

うちの町に古田敦也が講演をしにきてくれるようです。

こんなど田舎によく来てくれるなぁという気持ちと、うちの町がよく呼べたなぁという気持ちの半々でちょっとテンションが高めに。

これだけのビッグネームだと人が集まるだろうから、入場券は手に入らないんだろうなぁとか思いつつ、でも奥村愛っていう美人バイオリニストのコンサートがあった時はガラガラだったから、案外客足は鈍いのかもと思ったり。

平日の午後6時半からだから時間帯的にも微妙だしね。

さて。

TBSの女子アナの小林麻耶がフリーになるみたいです。

いま女子アナの人気№1は高島彩で、次が中野美奈子っていうこの並びはここ数年変わらない状況で、唯一新世代からランキングに割り込んでいるのが彼女だってことを思うと、TBSはダメージがでかいんじゃないかなぁと思うわけで。

ただ、女子アナがフリーになって成功した例って滅多になく、ほとんどが結婚することでマイペースに活動することが勝ち組路線になっているから、果たしてこの決断は吉と出るのでしょうか。

とりあえず、堅い路線としては内田恭子パターンで、フリーになるけど所属したテレビ局だけでそれまでやっていたレギュラーを続けて、それからゆっくりと他局にも顔を出すというのが一番いい形だと思われ。

小林さんもどうやら春からのTBSの目玉となる、夕方から夜に掛けての大型報道番組のキャスターをやるようだし、レギュラーも続けるっぽいので、そう残念な結果にはならないんじゃないかなぁ。

TBS的には使いまわしが利かなくなるだけが痛いってことくらいで。

面白いのが、フリーになって所属するのが妹がいる事務所のセイントフォースってことで、なにか最初から決まっていた作戦にも思えてくるから不思議です。

でも、局アナで名前だけ売ってタレントとしてのバリューをつけて、って部分はいま女子アナを目指す女性たちのみんなが思っていることだろうから、彼女だけをあれこれ言うのはフェアじゃないかな。

ま、別に小林麻耶ファンってわけでもないし、女子アナへの個人的関心は低下の一歩を辿っているので、不況で自分のところの女子アナでしのごうという流れが強くなるほど見る番組が減る一方になるだけなので、どちらせよ幸福な関係は築けないのですが、かといってスーパー綾子とかの昨今の子たちと比べたら嫌いな方ではないので頑張ってもらいたいとは思っています。

しかし、本当にテレビ業界も金欠具合が目立ってきたのぉ。

2009年1月24日 (土)

楽しく生きてきただろう小向美奈子に女性の幸せを考えさせられる

ラテ欄を見てたら、「ドスケベ」という文字が飛び込んできたような気がして、「え!?」と思って探してみたら、「スピードスケート」という単語が2列に分かれていて、「ドスケート」となっていた部分が「ドスケベ」に見えただけでした。

いや、それだけなんですけど。

昨日書きそびれた真綾ちゃんのことを追記すると、いままでやってきたことがずっとつながっていて、いまはその延長線上にあって、だからたどりつけたこのアルバムだっていう趣旨の発言で思ったんですが、昔の曲を歌っても古さを感じさせないのも凄いんですが、かといって昔と違うとも思わせないんですよね。

それは、まったく違ったアレンジにすることもなく、変な節回しをすることもないで、そのままを歌っているってことで、それが普遍さを物語っているとも言えるし、歌声そのものも素直で、伸びやかで、瑞々しいままだからこそそう感じたわけで。

昔と比べて、より太いものが詰まっているという印象が違いとして感じるくらいかな。

そんな真綾ちゃんの歌に感じ入られることの意味。

ミーハーさで一瞬は到達できる幸福感はあるだろうし、懐かしさが呼び起こす幸福感もあるんでしょうけど、そうではない10何年の歴史が感じさせる現在進行形のものの強さってあると思うんですよね。

揺るがないし、これからも極端に変わることはない、そんな信頼感というのか。

真綾ちゃんを知ったのは彼女が15歳くらいの頃だから、もう15年近い付き合いですが、そんな感覚もない新鮮さがうれしかったりします。

それに引き換え、同じ15歳の頃に知った小向美奈子といったら。

覚せい剤所持で御用になったそうですが、まぁそんな壊れっぷりをしてたから特に驚かないんだけど、なんだかなぁとは思います。

多分、女性たちが憧れる生き方をしてきたのは小向の方だと思うんですな。

おそらく楽しく生きてきてただろうと。

奔放に遊び、たくさんのイケメンと恋愛し、SEXし、周囲からはチヤホヤされ、お金でも困ることもなく、というような。

きっと、真綾ちゃんのここまでの人生と比較すればずっと華やかに。

でも、どちらが幸せな生き方をしているのかと問われたら、自分にはその答えは自明なんですが、果たして女性たちはどう答えるのかなぁと。

演歌歌手のように、歌手デビューを10年過ぎてからオリコンTOP10の常連になりつつある真綾ちゃんの活動は、みんなから注目されはしないかもしれないけどその充実度は誰より本人が実感していると思うわけで、その着実な歩みを合わせ鏡として小向美奈子を見ちゃうとあたかも環境が悪かったというような言い分は責任転嫁にしか感じられず、今回の顛末も因果応報にしか覚えられないのは自分の色眼鏡のせいなんでしょうかねぇ。

そういえば、ライブでのあまりに近い距離感で「目が合った」という錯覚に陥った瞬間、ダウンタウンの「コンサートで町に来た高田しづえと目が合ったのは俺だ」の会話を思い出し、思わず笑いそうになった自分はダメな奴です。

2009年1月23日 (金)

その日、僕はかぜよみの民だったことを知った

まずなにから話せばいいのか。

「感動した」なんて無邪気なことを言う柄じゃないし、かといって「腑に落ちた」と言えるほど冷静でいられたつもりもないし。

あの、坂本真綾ちゃんのライブツアー2009かぜよみの名古屋公演に行ってきました。

これまで2度、ファンクラブイベントに参加し、ラジオの公開番組も見にいったことがあるので、これが4度目の生真綾です。

チケットはファンクラブ先行予約でゲットしていたのですが、席がどこだとかまったく見ておらず、「どうせ後ろの方で遠くに感じながらになるんだろうなぁ」ってなくらいに思ってたんですが、会場で席を探してみて唖然。

なんと1階3列目のど真ん中という、最前列といっていい特等席だったんです。

いやぁ、うれしいというよりちょっとびびりました。

迫力に気おされるんじゃないかとか、積極的な姿勢を見せないと申し訳ないんじゃないかとか、妙なプレッシャーばかりが芽生えてしまい。

なので、ライブが始まる直前まで席に付くこともできずに端っこで悶々とすることに。

でも、いつまでも逃げてられないのでドキドキしながら席に座り、ライブスタートを待ったんですが、まずは最新アルバム「かぜよみ」から「Vento」が流れだし、ステージにバンドメンバーだけが登場したんです。

「おや?」ってな感じで見ていたら、真綾ちゃんがいないまま「かぜよみ」でも一番アップテンポなナンバーの「GetNoSatisfaction!」の演奏が始まったんです。

すると、舞台中央にあった幕に真綾ちゃんらしき人影が映し出され、曲がドンと盛り上がる瞬間に幕が落ちて真綾ちゃんが姿を見せたんですよね。

客席はそこで一気にヒートアップ。

後ろの方からスタンドアップの波が押し寄せ、自分も勢い立たざるを得なくなり、そこからライブが終わるまでずっとスタンディングのままライブに臨むことになりました。

この盛り上がりをさらに煽ったのが「マクロスF」のOPとして大ヒットした「トライアングラー」。

これは客を最初から燃え上がらせる気だなぁという意図をヒシヒシ感じながら、3曲目の「ループ」まで立て続けに熱唱。

そして、そのあとようやくMCに入り、観客からの「かわいい」という声援に「もっと言って」などお茶目に答えたり、「オリコン3位おめでとー」の声にその心境を語ったりしてくれました。

そして、このアルバムからたくさん歌うといって、「風待ちジェット~kazeyomi edition」「雨が降る」「Remedy」を歌ってから2度目のMCに。

このライブをやるにあたり昔の曲からいまの私が歌いたい曲をリストアップしたと告げ、まさかのロードス島戦記のOPだった「奇跡の海」や、ファーストアルバムから「風邪が吹く日」-ちなみに出だしを少しとちるご愛嬌も-を歌い、こちらは最新シングルのカップリングから「プラリネ」を持ってきて、伴奏を残したまま衣装チェンジにはけます。

その間、「Lucy」のピアノソロがあり、そしてワインレッドのミニのワンピースに黒のタンクトップ、赤のベストの衣装から、スカートが段々になっているようなこちらは白っぽいのか黄色っぽいのかライトの加減で判別できなかったけど、こちらもミニのワンピース姿で再登場。「Honeybunny」をダンスをするようにパフォーマンスしてくれました。

直後のMCで本人曰く、昔よりセクシーに歌えたとのことで。

確かに、そういう印象を与える見事な歌いっぷりだったんですが、だからってアダルトっぽさを感じさせるというわけではなく、過剰さや無理をしているわけでもない、大人の余裕を感じさせたんですよね。

そういえば、どのタイミングのMCだったかは忘れましたが、「スカート短い」っていう客からの声に、「そうなの。ファーストライブはロングスカートだったのに、ライブをやるたびに短くなって」と言ってました。

そこから、ライブの終盤に向けて一気に3曲を立て続けに。

「まきばアリス!」「TuneTheRainbow」「僕たちが恋する理由」が選曲されていました。

しっとりと歌い終わった後に、15歳から歌い始めて100曲以上ある持ち歌でいっぱい歌いたい曲があった中で、いま一番歌いたいのがこれと言い、歌いだしたのが「光あれ」。

なるほど、これをチョイスしたかと思いながら、感情のこもった歌い上げにジーンとするものがあり。

その余韻を連れ出すように、「マメシバ」で激しく、「さいごの果実」で情感溢れる歌いっぷりを見せてくれた真綾ちゃん。

最後のMCで、人前に出ることが怖かったから自分からライブをやりたいとは言えなかったけど、今回は自分から言い出した。だから、これが自分にとってのファーストライブだって告白し、昔の曲もやったけど、どれも浮くことがなく、これまでやってきたことはずっとつながってきているんだって実感したと言ってくれました。

これもどのタイミングのMCだったか覚えていませんが、「かぜよみ」でよりウソをつかずにさらけ出したものができたと。たどりつくべくしてたどりついた場所だっていうようなことから、お客さんもそれぞれの道を歩いているけど、この瞬間に同じ場所にたどりついているからここにいて、だからみんな同じかぜよみの民だって宣言してたんですよね。

最後に、この曲をずっと歌い継ぎたいと、「かぜよみ」から「カザミドリ」を歌ってバンドメンバーとともに舞台袖へ。

客席からは拍手が鳴り止まず、それは次第にアンコールを求める声援となり、衣装を黒のTシャツの左肩を出したトップと水色のフリフリのミニスカにチェンジした真綾ちゃんたちが戻ってきて、「プラチナ」「パイロット」を歌い、ここでこれをもってきたかのデビューシングル「約束はいらない」できっと客席みんなジーンとしてたんじゃないかなぁって。

アンコールを終え、また舞台袖に戻っていった真綾ちゃんたちに、今度は「もう一回」コールが起き、再度それに応えた真綾ちゃんは今度はひとりでピアノの前に。

ファンクラブイベントでも披露した、ピアノ弾き語りの「NOFEAR~あいすること」をサービスしてくれ、最後の最後にお約束の「ポケットを空にして」を客席みんなと歌ってフィナーレを迎えました。

いや、最初は本当に目の前にいる坂本真綾に圧倒され、生太ももだぁとか、意外とたくましい二の腕だぁとか、前かがみになっても見えない胸の谷間だぁなんて、普段ならジロジロ見てたら変態と思われる距離感が関心事だったんですが、すぐにそんな邪な気持ちは吹っ飛び、「風邪をひかす気か」ってくらい何度もゾクゾクさせられました。

そりゃ、ハウリングが結構ひどかったり、演出で20個くらいの電球が垂れてきてそれがわっかを作ったり星座を作ったりと演技をするんですが、調子が悪いのがあってちょっとムードを阻害してたりなど、おそらく次のライブへの反省点となることも見受けられたんですが、そんなこと見終わった後はすべて吹っ飛んでしまいました。

人前に立つのが怖いなんて言いながら、MCで仁王立ちで腰に手を当てていた男らしい真綾ちゃんが頼もしくも、微笑ましくもあったりしたんですが。

ウッチャンと松ちゃんの共演もそうだし、ユニコーンの復活もそうだけど、自分がこれまで見守ってきたものは間違いじゃなかったんだって思わされたし、ここまでの積み重ねの深さを、それは一緒に年をとってきた重みも含めて感じたし、それをこのようなライブで生で実感できている自分って勝ち組じゃんと、平たく言えば幸せなんじゃないのって思ってしまったんですな。

そうそう、こんな感覚を味わえる人はいないし、味わわせてくれる人もいないぞって。

なんか、旧交が温まるっていうけど、温まる年になってきている気がします。

そんな、ホッコリとした気持ちで帰宅の徒についたんですが、クールダウンのためにiPodをシャッフルで聞いてたらCoccoがやたら流れて、「お前の心はもっとギスギスしてるものだろ」なんて言われているような気のもなったりしつつ、またこちらの地域まできたら、アーティスト真綾のイベントには絶対に参加しよと心に誓うのでした。

2009年1月22日 (木)

愚痴と俺ドラフトを2010年まで広げてみると

ナンチャンがピンで「ごきげんよう」に出演してたとか。

相方は正月のゴールデン特番にVIP扱いで出ていたのに、ひら場でそこらにいるタレントと同じように普通のゲストとして出ちゃうのってどうなのかなぁと。

ウンナンはスペシャルな存在でいて欲しいと思うのは、ファンの欲目なのか。

だって、ダウンタウンだってとんねるずだってナイナイだって、よっぽどの理由がない限りは、それなりの扱いがない限りは、他の番組にゲスト出演なんてわけなんだし。

ファンはいまのコンビでの活動が減っている状況を、「本人たちが好きなことをやっている」とよく言うけど、これもその範疇なのかいという。

それとも、こんな形でもナンチャンを見れるからうれしいっていう発想なのかねぇ。

なんて、苛立ちを交えつつの気分なので、気楽に書けることをつらつらと。

俺ドラフトなんですが、来年のことも考えちゃってるんです。

「高校野球小僧」なんかも立ち読みして、やはり投手が中心の補強を考えるべき環境にあるなぁっていうのがまずあって。

なにより、「ハンカチ王子世代」と言われる人材の豊富さと注目度の高さを誇る世代だけに、選択に悩めるといううれしい喜びが待ってるんですな。

一応、俺ドラフト的には目玉は取らない年になっているんですが、この年に関しては斉藤佑樹さえ獲らなければOKみたいな流れがあって、あとは獲り放題みたいな感覚でいたりします。

なんですが、彼らが大学一年生の段階ではこの斉藤と、村松伸哉が目玉になると見られていたので、その中で野手転向すら求められていた大石達也が投手としてのポテンシャルが高くて見所があるんじゃないかと期待してたところ、どうもいまの段階では大石こそ超目玉だみたいな感じになってきていて、「えー、となるとどうしましょうか」な気持ちになってきていて。

先物買いをしてたんだから、大きな顔して指名を敢行してもいいんでしょうが、そこは自分に厳しく違う選手に向かうべきなのかと。

そこでいまのところ次に目をつけたのが加賀美希昇。

なかなかの珍名さんぶりが名前フェチ心をくすぐるんですな。

ただ、名前フェチなりの鑑定では、怪我をしやすいタイプにも見えて、それが心配でもあったり。

とりあえず、2位までそれなりにいい投手が獲れそうな雰囲気なので、あとは3位でショートを抑えられたらいいかなって。

荒木郁也、熊代聖人、大石竜太らがいることだし。

ってことで、09年は今村猛、荒木貴裕、礒部泰、海田智行、林裕也を今の段階での理想とし、10年は加賀美希昇、榎下陽大、大石竜太にプラスアルファでいこうかなぁ。

いやでも、荒木貴裕や林裕也が計算できるとなったら、10年の3巡目も投手でいいのかも。

ドラフトについては、早く2011年にならんかなぁってな気分でいます。

2009年1月21日 (水)

栄枯盛衰という自己責任

小室哲哉に関わった女性は不幸になる、なんて言われだしたのは、当然TKプロデュース全盛の頃だったわけではなく。

小室自身が逮捕されたことで、さらにダークなイメージが付きまとう中で、華原朋美が薬物中毒で搬送されたってことになると、寂しさすら感じさせるわけで。

その、世間がチヤホヤする類いの成功っていうのは、そりゃ誰でもつかめるわけじゃないけどたどりつける人は確率的にはそう低くないのかもしれないけど、最終的にみんなを幸せにするようなサイクルを生み出せる人っていうのは、おそらく蓄積させている時点では誰からも理解されないってこともあって、なかなか育たないんだななんて思ったりするのです。

パッと派手に、ウケがいいことをやる方が、楽しいし楽だし、手ごたえもあるんでしょうが、それだけでは中身を伴わないからダメだなんて思える人がどれだけ世間にいるのかっていう問題もあるんでしょうね。

そういう意味では、東京ヴェルディさんが売却されるなんてニュースを聞いても、同根の課題を感じざるを得ないわけで。

Jリーグができた当初の人気チームで、憎らしいほど強かった記憶は当時を知る人間には強くて、これが未来永劫続くんじゃないかと、それは親会社がその頃は同じだったこともあってプロ野球の巨人の姿も投影しつつ思っていた人も多かったはず。

それがまさかの低迷機関に突入し、まさかまさかのJ2落ち。

「ざまあみろ」と思ったのは自分だけじゃないと思うんですが、いつかは復活するとの思いもあったんですよね。

そして、去年にJ1に舞い戻ってきて、大型補強をしたこともありこのまままた強くなっていくのかいなぁなんて思ってたんですが、まさかまさかまさかの1年でのJ2への再転落。

当人たちもJ1残留は当然のこととして、またそうするために強引に選手をかき集めた結果、金銭的に苦しくなってかき集めた選手を一気にクビにして、若手だけでJ2に臨むことになったのは、間違いなく長期的展望が欠けていたからであり。

なんで人は、目先の安易な成功に飛びついてしまうのでしょうかねぇ。

揺るがない背骨の部分があってこそ、直立不動でいられるのに。

芸能人でも一発当てた歌手でも、その成功はいつまでも続くと思うらしいし、企業だってバブルを信じて乗っかっちゃうような気質を持っていることを思うと、その状況に酔っちゃうのが人間ってやつなのかなと思ったりして。

錯覚を錯覚と思えないだけのおいしい衝撃を浴びると、人間は狂っちゃうものなのかとも。

ようは、人間は人間だから失敗するし、人間だから無自覚に不用意でいられるんでしょうねぇ。

結局、みんな自分が主人公ですから。

2009年1月20日 (火)

男は処女を好み、女は処女を嫌う

この不景気なので美容代も節約しないとって思い、いつもいく美容院ではなく1600円の床屋でひさしぶりにすませてみました。

これで浮いた分を他のことにお金を使えるなぁなんて思いながら、車の12ヶ月点検をしにいったんですが、そこでバッテリーが弱っているとか、エンジンのベルトに亀裂が入っているとか問題が続出して、結果1万4千円を支払う羽目に。

当初よりも大幅に予算オーバーで、逆に切り詰めて今月を乗り切らないといけないことになりました。

そんな中でこんなニュースを見てしまうと、「自分も女だったらなぁ」なんて思ってしまうのもしょうがないかなと。

アメリカの女子大生が自分の「処女」をオークションに掛けた結果、最終的に3億の値をつけたそうなんです。

どこまで本当なのかは分からないなぁというのがまず。

これは、値段をつけた方もそうだし、この女子大生もホントに売る気があるのかってことも含めての。

次に、処女性に価値を感じることに国境はないなということも一点。

人の価値観なんてそれぞれだし、熟女好きもいるんだから一概には言えないんだけど、女性もこれを売るってことはそこに大きなニーズがあると自然に認識するくらい、その考え方は定着しているとも言えるわけで。

これを男側からの見方だとするなら、女性たちは処女がこれだけ高く売れることをどう見るのかっていうのも興味の対象で、不見識だとかいう以前の深層心理を知りたいなと。

これも当然、人によって違うんでしょうが、「処女と非処女に違いはない」っていうのが基本の意見なのかなぁと思う部分と、より感情論の領域で怒りを感じる女性も多かったりするのかなっていう部分があって。

「結局、男ってそういう生きものなのか」っていう失望にも似た怒りというのか。

日本では特に早く捨ててしまいたいものになっている処女だから、アクティブに生きるためには処女はハンディにしかならないくらいの勢いがあって、だから女性が前向きに人生を消費する姿勢の否定にすらつながるのかなぁって想像するんですね。

それとも、自分の処女なんてそこまでの値段はつかないなんて卑下が入るパターンもあるのかなぁ。

援助交際とかしている女子たちなんかは、あっけらかんと「もっと高く売ればよかったぁ」なんて言っているのかも。

でも、最初に人それぞれっていったけど、男側もモテる人であり、女性と遊ぶことに積極的な人なら処女は敬遠する対象であって、それよりも簡単に体を許してくれる女性にこそ重きを置くんじゃないかなって思うわけで、逆にモテない男性ほど処女信仰が強いんじゃないかと思うんですよね。

それは、モテないからこそ女性に絶望するとともに、もしかしたらいるかもしれない運命の人においてのみ美化した女性像を投影して、それが処女であるからこそ清い関係を持てると思う、みたいな。

モテない人ほど異性の理想が高くなるのもそのためじゃないかって感じで、経験のなさゆえに妄想が膨らむってことと同時に、ここまで不遇であるなら大きな幸運もめぐってくるんじゃないかと思わないとやってられないってこともあるんだろうなと。

前にも「処女ドル」を名乗るアイドルが出てきたって書いたけど、カワイイ子のほとんどが男性経験があると思えてしまう現在だからこそ、より処女への幻想は強くなっているのかもしれませんな。

2009年1月19日 (月)

興味を持ったことを書くのがブログだからね

はんにゃが売れそうな気配ムンムンになってきました。

金田、確かにカワイイもんなぁ。

女の子人気も高そうだけど、本人は女嫌いっていうのがまたナイスなキャラ設定で、男からも支持される素地を持っている。

芸人は、イケメンじゃなくても幅広く愛されることができるから、すばらしい職業だと改めて思うのです。

と、まずはいま一番思っていることをさらっと書いてみたところで。

次に引っ掛かっているネタなのが、キアヌ・リーブスという。

こちらもテンションがあがった話題なんですな。

「カウボーイビバップ」がハリウッドで映画化されるという噂は聞いていたんですが、ドラゴンボールの例を出すまでもなく、改悪されてトンデモ作品になっちゃうだろうってことで期待なんてしてなかったんです。

でも、キアヌ・リーブスですよ。

本人が原作の大ファンって話で、主演と同時に製作にも携わるほどの気合の入れようらしく、なんかハリウッドスターがそこまでしてくれるんならって思ってしまいます。

それに、「ビバップ」そのものがハリウッド向けなテイストだから、言うほどむごいものにならないかなぁっていうのもあるんですよね。

もちろん、イメージどおりにはならないだろうし、「いやいやいや」とツッコミたくなる描写も多々あるんでしょう。

だから、ひとつだけ原作ファンが希望する最低限の保障としては、メインテーマ曲になっている「Tank!」を使ってくれと。

それを流してくれるだけで、十分にリスペクトを感じるし、見てゾワゾワって鳥肌がたつし、とりあえず満足できるかなって思うんですな。

さらに菅野よう子自体を起用してくれるなら、内容はもう二の次というのか、すり合わせはできちゃうんじゃないかとすら。

そこまで望むのは無理があるんでしょうが、なにが作品の肝なのかは自覚して作ってくれたら、日本のファンも喜んでハリウッドでの映画化を見たくなるんじゃないかなぁと思うのですが、ビジネスが第一だろうからなかなか難しいんでしょうね。

キアヌさん、キャリア的にも微妙に落ち目なんだから頼むよ。

2009年1月18日 (日)

声優がアーティストをやって評価される日はくるのか

おかげさまでiPodの収録曲数が3400を越えました。

みなさまのご声援のおかげです。

これからも目標の1万曲を目指してがんばっていきたいと思います。

てなことを言ってみたり。

そのiPodにもがっつり入っている声優アーティストさんについてなんですが。

翌日が休日ってことで長い夜を過ごせたので、PVを色々見てたんです。

すると、色々と思うところが出てきたりして。

まず、堀江由衣。

なんというのか、10年前を考えてしまうんですな。

10年前だったらおそらくこんなものはできなかっただろうなと。

それは、周囲の環境がそうさせなかっただろうってことであり、その当時の堀江由衣もやらなかっただろうなという。

かつてはこの手のアーティスト活動なんてミーハーなもので、「なにやってんの?」ってくらいの距離感を持って見られていたし、当人たちもキャラがあたったことでのバブル的な人気で「記念にやった」くらいなのが多かったものです。

ただ、本気で一般にも売れようとした人たちもいて、そのPVは多くのアーティストと並んで流されることを意識した作りになっていて、ちゃんとアーティスト名と曲名をまず行儀よく出してから始まっていた記憶があります。

堀江由衣はその流れができだした頃にデビューして、そのルックスの良さで注目されていたんですが、おそらく本人はそこまで乗り気ではなく、一歩ひいたスタンスでいたような記憶があります。

だって、世間の人にとってはなんら認知されずに、一般人がアーティスト気取りしているくらいの恥ずかしさすらあったほどだし、多分ほっちゃん自身もそれくらいの自意識でいたと思われ。

それがいまでは振り付きで歌ってるんですから。

その後の世代になる野中藍のPVを見ると、もう基本的な需要に対してのみ演じているし、作られているのがよく分かって、ようはアイドルをやっちゃっているんです。

野中以降の世代なんかはそれに自覚的で、実にそつなくやっているもので、イメージDVDなんかも普通に出しているんですよね。

その意味では野中はまだぎこちなさが残っていてそれがカワイイくらいではあるんですが。

でも、そうなるとなんの広がりもない歌を歌うのってどういう気持ちなんだと思わないでもなく。

キャリアで言えばほっちゃんより長い坂本真綾は、そう考えるとアイドルにならなかった稀有な存在なんです。

ちゃんとアーティストであり続け、歌にニーズをもたらした。

自分も声優としてより歌手として好きだし、才能はそこらの期待の星と言われてデビューする人たちよりもあると思っているくらいで。

だから、ぶっちゃけた話が真綾ちゃんを抱きしめたいとかキスしたいとか思わないし、旨を強調された衣装なんか拒絶したいくらいです。

なんですが、女性らしさは感じさせて欲しいという矛盾もあるんですが。

友人から「小林ゆうについて聞かせて」と言われて、思わずいまの世代の若手声優について調べてみたんですが、確かに早くからアイドルとしてのニーズにも葛藤なくやれているだけに、平野綾みたいに早くから売れることもあるのでしょうが、なんともいえない人間臭さから感じる愛着はドンドンと失せていくなぁと思うのでした。

片岡あづさはそこそこカワイイとは思うけどさぁ。

2009年1月17日 (土)

自立した女性は幸せですか?

嫌いだからこそつい見ちゃうっていう人間の特性ってなんなんでしょうか。

自分はそれがイヤだから、意識して避けるようにしているんですが、それでもついつい覗いちゃうこともあったりして。

そのひとつに女性コラムニストの男女論っていうのがあって、明らかに言っていることが肌に合わないんですがその自分とのギャップを確認することを名目に、ついつい読んでしまっている自分がいるんです。

倉田真由美のものもそうで、男への文句というのかツッコミながら自己正当化する感じが気持ちよくはないのですが、なぜか見てしまい。

そんなコラムで、珍しく自己言及することを書いていて、曰く「自分の周りにいる女性たちはいい女と言える人ばかりなのにモテないのはなぜか」っていう出だしから、これを息子を持つは母線で見ると自分たちが嫌っているタイプが好ましく思えて、そう考えると自分たちがやってきた自己磨きはなんだったのかと落ち込んで見せていたんです。

まぁ、文脈としては後悔みたいな物言いになっていたんですが、単に母親目線という着想を思いついて、物書きとしてどうすればおもしろい着地になるかでそんな口調になっただけのことなんでしょうが、それでもそこに気づいて考えたっていうのは前進だよなって思ったりして。

そりゃ、男尊女卑で女性が強いられてきた歴史があっての男性に勝ちたい意識が芽生えるのは分かるけど、もう実際問題でそこの垣根は意識の面ではかなり取っ払われていて、なんなら女性の方が強いなんて評判も聞こえて久しいくらい。

いまでは学校で女子ばかりの意見が横行し、男子は小さくなっているなんて話もあるくらいなんですが、それでも女性は強く自立していることに憧れ、本音と称した感情に任せたぶっちゃけに快感を覚えているのかと。

で、そのことで本当に女性たちは幸せになったのかっていう疑問があって、そりゃ知らないでいるより知った上で判断することに意味があるとは言えるんでしょうが、それでも消費する力は得たんでしょうが、それによる必要以上の躁鬱も内包し、行き着く先が結果的にかつてと同じだったら結局なんだったんだってことにもなり。

今年の新成人の調査で、女性からは専業主婦願望が強まっているなんて結果も出ているようだし、その社会をアクティブに生きる欲求って全世代の女性が当然のように共有しているのかと問いたくなる部分もありつつ、ある種の楽さを知ってしまったことでもう後戻りはできない現実を前に、男女とも頭を抱えるしかないのかなぁとも思うのでした。

そりゃ、こんな現状じゃアイドルは消えることなく、より細分化されてニーズに応えていけば食いっぱぐれないわな。

2009年1月16日 (金)

2009年一発目の俺ドラフトだぞっと

浅川悠と森久保祥太郎が離婚したそうで。

宮野真守のでき婚もそうだけど、声優のプライベートがニュースになるなんて時代が変わったなぁと。

インターネットの発達とヲタとのリンクがこの手の話題にバリューをもたらしたってことなんでしょうが、これで平野綾がよりメジャーな知名度を得るようになったら、写真週刊誌のターゲットになることも意味して、声優の閉鎖性が居心地のよさになっていたことを思うと良し悪しのどちらの面がより強調されるのかなとも思うのですが、ともかくお似合いのスマートなイメージのおふたりでも別れちゃうもんなんだねぇなんて無難な発想にとどめておきたいと思います。

そんなことより、といってはなんですが。

「野球小僧」と「アマチュア野球」を買って、個人的なドラフトモードがオンになってきています。

まず、ざっとドラフト候補を各球団のニーズを考えて割り振ってみて、どんな選手が上位で消えるかをシュミレーションしてみました。

G長野久義 梶野修平 佐藤卓真

T藤原正典 清田育宏 岡大海

D菊池雄星 大谷智久 堂林翔太

S松下建太 荒木貴裕 穂積優輝

YB武内久士 秋山拓巳 陽川尚将

C海田智行 山内晴貴 岡田俊哉

L今村猛 守安玲緒 宮武佑磨

F戸村健次 中田亮二 荒波翔

M筒香嘉智 大嶺翔太 岡本洋介

Bu二神一人 中林伸陽 下平恵司

H古川秀一 山本哲哉 林昴平

E村上佑樹 下沖勇樹 安岡瑞葵

とまぁ、現実問題は度返しでこんな感じかなぁと。

それを参考に、俺ドラフト戦略を立ててみると、今村猛が1位なのは去年の秋から変わらず。

そして、2位3位の候補だった筒香嘉智は1位で消えると仮定しているので、そうなると荒木貴裕と礒部泰をいまのところ想定します。

礒部は、打つだけの社会人の1塁手なので指名されるかどうかが微妙なんですが、筒香がダメなら絶対に欲しい選手なのです。

そして、下位で林裕也を補充し、プラスアルファで投手を獲れたら今年は終わりかな。

不作と言われる今年だからこそ、ダイヤの原石を探すのが楽しいと言えるのでした。

2009年1月15日 (木)

2009年1月だから見られる2010年の夢

ユニコーンの再結成第一弾シングルは、奥田民生が作詞作曲ではなく阿部Bが担当したそうなんです。

それを聞いてちょっと安心したところがあって。

言っちゃ悪いけど、解散からいままでの過程で奥田民生だけが大きくなってしまい、せっかくのグループ復活もバックバンドみたいになっちゃわないかが気がかりだったんですね。

そうさせないためには民生が作った曲じゃない方がそこの部分でメッセージを出せるし、民生のソロの延長線上ではなくあくまでユニコーンであると感じさせられるんじゃないかとも。

ただ、ボーカルも阿部っていうのがちょっと狙いすぎた戦略な気がしないではないけど。

さて。

新年になってもサッカーの日本代表の注目度は一行に上がらず、バーレーン戦の深夜中継もされないんじゃないかって話もあるようです。

不景気だし、数字も取れないしじゃありえる可能性だなぁとは思うんですが、そこを踏ん張ってもらわないと困るなぁとも思うわけで、ちゃんと期待感をワールドカップまでつなげていこうよと言いたいわけなんですな。

その南アフリカ大会まで1年半ってところで、誰がレギュラーとして出るかの想像も現実的なものが考えられる時点となってきたので、自分も自分なりに2010年のメンバーを並べてみたいかなと。

GKはここまでの岡田代表での実績から楢崎正剛。

DFは右から内田篤人、闘莉王、中澤佑二、長友佑都。

MFは遠藤保仁、中村俊輔、松井大輔は当確で、ボランチのひとりは阿部勇樹になって欲しいなと。

そして、FWはおそらく大久保嘉人がセカンドトップになると思うんですが、ディープストライカーを担う人材がいない。

本来なら平山相太が育っていないとダメだったんですが、この1年で伸びるかどうかは疑わしく、かといって代わりとなる選手も思い当たらず。

だから、妥協点は高原直泰のそこそこの復活だと思うし、夢を見るなら大迫勇也の大ブレイクしかないんでしょうね。

フッキが帰化してくれていたらまた違ったんでしょうが。

やはりジーコ体制と比べると華やかさには欠けるし、それ以前の代表と比べても面白味がない面子ではあったりして、さらに監督が岡田では意外性も見えてこないので、そりゃテレビ局も逃げ腰になるわなと思わないでもないんですが、その次の世代には相変わらずMF中心ですが人材が揃っているので、そこに夢の架け橋を渡せる「なにか」を見せて欲しいと思うのでした。

しかし、香川真司、金崎夢生、柿谷曜一朗、宇佐美貴史らをどう共存させるのかは、いまから難問だなぁ。

2009年1月14日 (水)

処女ドル参上

東海地区の人間なんで味噌汁といったら赤だしなんです。

なかでも、豚汁については赤だしじゃないとうまくないっていう確信めいたものを持っていて、あのコクがあって豚肉や野菜が活きるって思ってるんですが、他の地域の人には理解できないんでしょうねぇ。

と、前置きはこのくらいにしいて。

アイドルが多様化する中で、○○ドルっていう呼び方が定着してきています。

最初はバラエティアイドルで「バラドル」っていうのが一般化したんじゃないでしょうか。

それがいまでは、樽ドルだとか鉄ドルだとか、言ったもん勝ちになってきているきらいすら。

ようは、そこでターゲットを限定することで、そのジャンルで深く愛されようとする戦略なんでしょうな。

そこをステップボードとして、広く親しまれたらという「あわよくば」もありつつの。

それを思うと、これってどうなんだろうっていう○○ドルが登場しました。

曰く、「処女ドル」と。

まず、これではテレビでは扱いづらいんじゃないかっていうのがひとつあって、広がりがないぞと思うんです。

それとも、狭いマーケットで違いを出せればそれでいいということなのか。

次に思ったのが、「もうアイドルは処女じゃない」って言ってしまっているのと同じじゃないかと。

だって、アイドルは処女性を売りにしているのが暗黙の了解だったはずで。

これはいまだから名乗れる肩書きとも言えて。

さらに、処女であることがファンにウケるという前提を感じるというのが大きいポイントで。

結局そうなんですよね。

アイドルを好きになるような人間って、なんだかんだいってそこが大事なんです。

そこにはきっと、同類意識というのか、相憐れむみたいな感覚があるのかなぁとも。

なんですが。

いくら「処女」であることを前面に出しても、この子が誰よりも人気になることはまずなく、他の新しいアイドルたちに追い抜かれる運命なんでしょうな。

やっぱり、放っている華やかさに惹かれるものだから。

でも、同時にそこらの五万といる自称アイドルたちよりは根強く支持されるとも思ったりして、それは「オラが町の垢抜けた子」なんかよりも価値があるんですよ、処女的な素朴さって。

ようは、処女であることを問われなくても問題なくカワイイ子がトップで、次に処女っぽさを感じさせる子、そして簡単に言えばいやらしさで勝負できる子っていうのが、アイドルのニーズなんじゃないかって、そんなことを思った「処女ドル」というジャンルの発見でした。

まぁ、アイドルファンとしてはすんなり応援しやすいっていうのは確かですな。

2009年1月13日 (火)

雑感シャンピニオン

日曜日、ほとんどの時間を寝て過ごしました。多分、起きてた時間はご飯時プラスアルファで2時間ほどじゃないかなぁ。

それでも寝たりなかったです。

寝なくちゃいけないという焦燥感なしで、起きる時間が決まっていない余裕さえあれば、いつでも寝れますし、どんだけでも寝てられます。

前にも書いたかもしれないけど、死ぬという状態がずっと寝続けているものと同じであるなら、死んでもなんら構わないと思うくらいです。

って、完全リセットが死ぬってことなんだから、意識が夢のようにめぐるなんてことすらありえないんだろうけど。

アメリカでヒットした舞台「マンマミーヤ!」をいつものように劇団四季がやっていて、そのテレビCMなんかをよく見るし、たまたま乗った電車にもチラシがぶら下がっていて思わず見てしまったんですが、なんというのかミュージカルが日本人に不向きなのは分かっていたけど、これはヒドイですな。

衣装が過剰なPOPさで彩られているんですが、それがなんとも不釣合いというのか。

メインが女性3人なんですが、本人たちは華やかさに身を包まれてイケてるつもりなんでしょうが、もう単なるオバサンにしか見えない。

メガネをしている人なんて特に、「あちゃー」な加藤浩次状態なんです。

なので、逆にこの舞台を見てみたい気持ちになったし、そこでそれを感じさせない内容を見せてくれたら、「すんまそん」とはっきり寒い感じで言ってもいいです。

前にも書いた「私たちは天使だ!教えて浜ちゃん~」って番組で思ったことなんですが、U-15のタレントの女の子の進路として女芸人という提案があり、そこにハリセンボンらがどやどやと出てきたんです。

そこで、私たちだってモテるってことで、彼氏がいる人としてハリセンボンの細い方が手を上げていたんですが、ふと「なんで相方の方が若いのにいないんだろう」なんてことが気になってしまい。

だって、男は若い女の方がいいじゃないっすか。

で、その事実が揺るがないものと考えて、ひとつ結論に至ったのがその前のコーナーでハリセンボンの太い方が「老け顔でもネタになり、お金になる」って点なんですな。

つまり、外見で老けていたら、実年齢が若くても関係ない。

総じて言えば、若作りとかじゃない天然の若さを感じさせれてくれれば男は魅力を感じるけど、若くても年齢を感じさせないルックスだとないわけなんです。

だから、ありなブサイクとないブサイクがあるっていうのもそこがラインで、老け顔路線だと後者になるってことなんじゃないかって。

うちの職場にいるニーハオさんも、それ系だからないって感じるんだぁ。

声優ネタを扱う時しか見ない「大胆MAP」で、同時になつかしアーティストも出ていたんですが、前から思ってたんですがその人たちが昔のヒット曲を歌っても明らかに以前と違っていて、言うほど聞いてても「なつかしー」って思えないし、浸れることもできないんですよね。

それより、その昔のヒット曲をいまのそのアーティストよりも感動的に歌える人がいるはずで、気持ちだって込められているんじゃないかと。

なので、歌って誰のものだっていうのもあるし、その歌が生きものとして躍動感を持つことってどういうことなのかも思わず考えたのでした。

2009年1月12日 (月)

お正月番組を振り返る

「自分が年をとったなぁと思うときは?」なんて質問がよくあるけど、今度覚えていたらこう書こうって思ったのが、正月を感じる期間が短くなってきたてこと。

多分、学生時代は冬休みがあって、その間はずっと正月気分を引きずっていられたせいもあるんでしょうが、それでも年をとるごとにドンドンとお正月ってものがあっさり過ぎ去っていく気がするんですな。

今年なんか、3が日が終わったらもう普通の日々に戻ったように感じていました。

だから、テレビでいまだにお正月を銘打っている番組を見ると、「感覚がズレてんなぁ」って思ってしまうのです。

まぁ、お正月特需だと思って、華やかさだけは楽しませてもらっているけど。

そんな、いわゆるお正月特番から気になったものをザッと振り返ってみると。

これまでは「爆笑ヒットパレード」枠でやっていた、鶴瓶とウンナンを筆頭とした中堅芸人が一堂に会したコーナーが独立した「鶴瓶新年会」ですが、ぶっちゃけつまんなかったなぁと。

前みたいにダラダラとトークをした後にネタ披露って流れが楽しかったのに、みんなが腕を問われることを避けてゲームに走ったのはいただけない。

それなら、去年も書いたと思うけどこの面子でフジテレビ版「リンカーン」を立ち上げて欲しいものです。

一番の掘り出し物だったのが「板尾創路待ち合わせ」というテレビ愛知のお昼にやっていたトーク番組。

といっても、板尾がゲストを知らされず、行き当たりばったりでふたりで砂時計が落ちきるまで話すっていうだけのものなんですが、空騒ぎばかりが目立つ主流のトーク番組の中で無理やり盛り上げようとしないけどなにか味があるやりとりがよかったんですよねぇ。

ただ、板尾の心の声と称した無駄なテロップはいらなかったけど。

「ドリームマッチ」は以前書いたけど、やっぱり夢見心地にさせてもらったってだけで感謝だなぁ。

と同時に、この番組へのウッチャンの出演は今回限りにしてもらい、その代わりに違う機会でちょくちょくウンナンとダウンタウンの共演が実現していってくれたらもっとありがたいなぁと。

お正月というのか、大晦日を開けてすぐにあった「スリーシアターSP」は、これまでと違ってシャッフルしてのものだったため、完成度はやや低めのネタが多かったけど、これはこれで楽しかったんじゃないかって。

中でも、はんにゃが目立っていたように感じて、このメンバーでバラエティで引っ張りだこになるのは彼らだと感じたものでした。

ついでにクリスマスまでさかのぼってひとつ思ったのが、「明石家サンタ」。

この番組で素人を相手にも笑いを引き出せるさんまを再評価していたんですが、この日はちょっと不発気味で、これまでならそこまでダラダラと話を引っ張らないのにとか、「あれっ?」って思うシーンが多く。

衰えたのか、たまたまなのかは分かりませんが、米のBIG3に続いてお笑いBIG3にも懸念材料が出てきたのかと思ったのでした。

2009年1月11日 (日)

井戸田と祐実のあまーくなかった、とかそんなニュース

「U-15美少女限定!私たちは天使だ!教えて浜ちゃん芸能界で当てて親孝行するぞSP」を、やっぱり見てしまいました。

なんか、昔テレ東の日曜日の昼下がりにやっていたU-15番組を思い出したりして。

清浦夏実しか結局目に入らなかったし、彼女くらいしかいまだに目にする子はいないんだけど。

今回の番組では、まぁ渡邊エリーを久しぶりに見れてよかったかなって感じだし、彼女が一番素材としてよかったと確認できたくらいで。

あと、宗田淑も久しぶりに見たけど、大人っぽくなったなぁ。男サイドからするとつまらない成長の類いではあるんですが。

この中から、第二の安達祐実は出るのでしょうか。

と、上手に話を振ってみたところで、離婚だそうですよ、大方の予想通りに。

これによって、さらに陣内智則と藤原紀香の行く末が案じられるようになったと思いつつの。

井戸田潤にとっては、とりあえず名前を売るって点では成功した結婚だったんでしょう。

さらに、スピードワゴン的にもこれをネタにしてしばらくおいしい思いができるなんてことも。

もちろん、あくまで芸能人として考えたら、のことであり。

別れるまでには修羅場も大変なんでしょうが、タレントだからこそ関係者との調整ってやつも必要だったでしょうし、対外的なイメージを考えた対応も迫られたでしょうし、そんな過程があると結婚生活へのいい思い出なんて消えて失せるんだろうなとか勝手に想像したり。

っていうか、大方が別れると思ったことを本人たちは幸せになれると思ってしちゃうこのギャップも考えさせるもので、特に女性側に聞いて見たいことがあるんですな。

だって、ブリッコを嫌い、女はみんな計算高いみたいなことを言うようになって久しいし、実際に相手に求める条件なんてのを聞くと厳しい項目が並ぶわけなんだけど、いざ付き合うとなるとそうでもない相手が隣にいて、それで恋心を燃やしてみたり、感情的な一喜一憂を繰り返して、そして多くの場合は最終的には別れて不満ばかりを募らせるっていうのはなんなのかと。

もし、それが結婚までたどり着いたとしても、「昔もいまも幸せ」なんて言っている人なんてまずお目にかかれず、妥協のあきらめの中で「それが現実」なんてうそぶく始末。

それなら、打算で求められることをこなそうとするのではなく、本当にそういうあるべきとされる女性の、人間の姿になろうとするべきだし、素直に生きていればいいのじゃないかと。

ま、それでもバタバタしちゃうのが人間だし、自分でコントロールして掴み取っていけると思わないとやっていけないものなんでしょうねぇ。

2009年1月10日 (土)

なばなの里に初めていく。多分、これが最後になる

ちょっとエスニックな感じの、スパイシーなものを食べたいなぁと思って、頭に思い浮かぶ中で唯一のバリ料理屋に久しぶりにいってみました。

料理的にはカレーな感じなのもいいなぁと思ったんですが、ナシゴレンにも惹かれるものがあり、そのメニューの横には唐辛子マークもついている「ピリ辛」のものもあったので、それを大盛りで注文することに。

客が少なかったこともあって割りと早く持ってこられたそれは、予想よりも大盛りなボリューム感でまずそれにビックリしたんですが、食べてさらにビックリさせられ。

「どこがピリ辛やねん」と。

ガッツリ辛いじゃんってまず体が反応するわけなんです。

口の中がヒーヒーして、そして鼻がだらだらと出てくるわ出てくるわ、汗もダラダラと垂れてきて、ハンカチを片手に必死こいて食べる羽目に。

出された水をおかわりしたのは言うまでもなく。

いや、これは自分の周辺にいる人間にはクリアできないミッションだわ。

でも、当初のニーズには十分にこたえてくれたし、食べ終わってなんか爽快感すら覚えたので、食べてよかったなぁと思わせてくれました。

この手の辛いものは、定期的に食べときたいものですな。

少なくとも、正月にいったなばなの里で食べたものより、お値段的にも満足感は上だったわけだし。

家族でいったんですよ、光のイルミネーションってやつを見に。

っていうか、弟夫婦にくっついていっただけなんですが。

まずは行くまでが大変で、渋滞によって予定より4~50分はオーバーしての到着となり、そこでイライラ。

そして、駐車場への誘導も遠いところに追い立てられ、かなり歩かないと会場に着かないようなことに。

いざ中に入ってみても、人が多いこと多いこと。

当然のように目に付くカップルは、まぁ幸せそうにいちゃついてたわけですな。

ま、これがいい思い出として残っていけばいいのでしょうが、夢から覚めた時にどうなるのかって勝手に心配してみせたのは、やっかみがゆえなのかと。

そもそも、この光のイルミネーションってやつを見ていて、漠然とキレイだなぁなんて酔えない自分がいて、間近に見ちゃえば単なる光を放つ電球なわけだし、なによりこれを管理するのって大変そうだし、面倒くさいなぁと思ったんですよね。

そして、省エネが叫ばれる中でこういうのは許されるんだなぁっていう皮肉さも感じつつの。

最後にもう時間も遅いから中で食べてこうってなったんですが、入った店も待ちでいっぱいで、30分以上も待たされてから出てきた料理がホント、値段と待ち時間を考えたら「あくどい商売しとんなぁ」ってなもので。

これを素直に楽しめた方が人生は楽なんでしょうが、なんか引っ掛かっちゃう自分はつまらない人間なんでしょうねぇ。

2009年1月 9日 (金)

それってどういうこと?

こういっちゃなんですが、1件起きるだけではありふれた事件としてスルーされるものも、立て続けば大きな話題となって取り上げる価値を持つんだなぁって思ったのが、このたびのタクシー運転手が被害者となる一連のものであり、幼児が犠牲となった民家の火災で。

変な話、死んだ人間の数が問題になるんじゃなく、いかにそれが非日常的なのかが特にテレビにおけるニュースでは大事なんだなと改めて思うし、そこにあるのは視聴者という庶民に訴えかける気分や感情にそうのってそういう情緒的なものなんだなと。

それに似たというのか、浅尾美和が恋愛解禁なんて話題があって、それはそれとしてひとつ頭をよぎったのが今週発売された週刊誌で「時の人を斬る」みたいな企画があり、そこで女性評論家が男に媚びる有名人を叩いていて、そんな女より感情をさらけ出した方が好感が持てる的な、強い女像こそ理想みたいな論を展開させていて、「きっとこの人は浅尾美和も嫌いだろうなぁ」なんて思ったもので。

しかし、なんで女性は男に媚びるとか、いい子タイプを目の敵にするんですかねぇ。

じゃあ、そんなことを言っている女性が本当に本音でぶっちゃけているのかと言えば疑わしく、それはそれで女性同士が共感、共有できることに合わせていっている向きを大いに感じられるし、男性の前でそこまでガツガツ自己主張する女性なんてまずお目にかかれないわけなんです。

結局、その手の発言ってけん制しているだけで、少しでも自分たちが精神的に楽でいたいからのことでしかないんじゃないかとすら。

それも、つまりは象徴的なものに寄り添いたがる人間の性でしかないなと思ったんですよね。

そしてもうひとつ引っ掛かったことがあり、それは食事をしていたときに隣にいた若者がしゃべっていたことから思ったことなんですが。

話の本筋は分からないんですが、要約すると「こっちがせっかくテンションをあげようと思ったのに水を差された」ってことを怒ってるみたいんなんです。

でも、その怒りの意味がピンとこず、テンションを上げることが正義なのかと。正しい姿勢なのかと。肯定されてしかるべきことなのかと。そんなことを思ったし、テンションを上げることって意図的にわざわざすることなのかとも。

なんか、そこにある自分の知らない領域にある常識というのか、当たり前になっている気分のようなものが甚だ怪しいなぁと思ったりして。

それらを通じて思うのは、都合よすぎだし、無意識に快楽を求めすぎだし、幸せの定義を間違っているんじゃないかっていうことで。

そんなお気楽に消費できるものなんてまずないわけで、なんらかの背景を背負って存在しているわけなんです。

にもかかわらず、理解したいように受け止め、あたかも分かったかのようになってしまうのって危険だなとすら。

逆にいえば、もう少し警戒してしかるべきなんじゃないかと、人生という不安定さを思えばなおのこと思うわけなんですよねぇ。

2009年1月 8日 (木)

自分のことを前田愛で振り返る

虫の知らせってやつだったのかねぇと。

友人んちで「頭に思い浮かべた人間を当てる」っていうアメリカのサイトを見せてもらい、それに挑戦する時に浮かんだのが彼女だったんです。

ちなみに、その時そのサイトが導き出したのは南明奈や相武紗季だったのですが。

前田愛が中村勘太郎との7年愛発覚です。

なんか、一部では結婚へって記事も出ているみたいで、中村側はそれについては否定したようですが、7年交際した経緯を思うとそう遠くはないかなとも思ったり。

いやね。

正直、ショックっていうのはなかったんです。

まぁ、一応もうファンではないわけですから。

ただ、複雑さはやはりどこかで持ってしまい。

多分、自分にとっての初恋だった親戚のお姉さんが結婚したって聞いた時と、ちょっと似ている感覚かなぁ。

この前のアイドルランキングで堀北真希を永久王座に事実上の棚上げにしたんですが、それ以前にその形にもっていくことにしたのが前田愛だったんですよね。

堀北を永久王座にすることで、前田愛の処遇はどうしようなんて思っていたから、ちょうど都合がいいなんて言い方もできるんですが、それはそれとしてやっぱり思い出はめぐるわけなんです。

「あっぱれさんま大先生」で前田愛を見て、すぐに惹かれるものを感じている自分がいました。

でも、当時はそういったロリコン的な疑いを持たれる関心すら自らタブーにしていて、素直にその気持ちに従えていませんでした。

そのくせ、番組をチェックすることはやめていないところが、往生際が悪いって話ですが、そのうちに「好きなんだから別にその気持ちを否定しなくていいじゃん」と開き直れた頃から、逆になぜそんな感情を持つのかを自問自答することもできて。

時間を掛けて考えました。

それで導き出した答えが、シャアがララァに見たものと同じもので。

つまり、「母親」を見たんですよね。

シャアのように幼くして母を亡くしたってわけじゃないんですが、共働きで家にあまりおらず、祖父母のことで頭を悩ませることが多かったようであまり構ってももらえず、おそらくマザコンの気があった自分には屈折なり心の空洞ができてしまっていた。

かつてラジメニアって番組で国府田マリ子特集の時に「びんづめのうちゅう」をリクエストし、採用されたハガキに書いていたことは「孤独を楽しむ切なさ」で、パーソナリティの岩崎アナも「このハガキを読んで聞くとこの曲の意味が分かる」っておっしゃってくれたんですが、その気分を持てる人の寂しさはこの幼児期の経験があるからなんですな。

その自覚を持ったことで、自分は熱狂的な前田愛ファンになり、勢いあまっておかしなファンレターを出したことすらありました。

永遠に続くと思ったその思いも、彼女のカナダ留学などで途切れがちとなり、ガメラを最後にプッツリと切れたような感じとなりました。

だから、いまさらファンぶって言える立場ではないんですが、それでも、それだからこそというのか、いい家柄の相手と幸せになれそうなのを知って、ウソ偽りなくうれしいって思える自分がいます。

なにより、しっかりとした考え方を持っている前田愛ちゃんが選んだ相手だから間違いはないでしょう。

ホント、末永くお幸せに。

さて、「歯医者と私とみずねずみ」とかどうしようかなぁ。

2009年1月 7日 (水)

ウッチャンと松ちゃんの共演。それは夢

好きすぎて見たくないって感覚、持ったことがある人ってどれだけいるのでしょうか。

自分は前田愛についてしばらくこの思いを抱えて、もの凄い葛藤をした経験があって、我ながらこれってなんなんだろうって考えた経験があるんです。

憧れすぎてそれが裏切られるのが怖いのか、いざ見てしまうと自分の心臓がはちきれそうで怖いのか、それともまったく違う心理が背景にあるのか。

そんな思いを、ひさしぶりに味あわせていただきました。

この思いを1週間はかみ締めようかとも思ったんですが、話題として旬を過ぎてもなんなのでこのたび触れてみようかなってことで、このタイミングで書いてみるのですが、これもきっと伝わらないんでしょうね。

「史上空前!!笑いの祭典ザ・ドリームマッチ’09」を見ました。

ウッチャン参戦が目玉になっていたんですが、さらに夢の可能性として松ちゃんとの共演が客引きになっていたんですが、まさかそれが実現することになるとは。

これはねぇ。

叶って欲しいけど、叶って欲しくないことだったりするんですよね。

ホント、数少ない夢のひとつだったんです、このふたりの共演っていうのか。

それがまさか、2009年に見ることができるとは。

これがもしかしたらギリギリのタイミングだったのかもしれませんが、それでももっと夢として抱えていたかったとも思うのが微妙なファン心理でして。

番組は録画してあとで見たんですが、ちょっとこのコンビの実現を事前に耳にしちゃったところがあって、それでも「まさか」な思いでいたんですよね。

それが本当だったと分かった時の心臓の鼓動たるや。

もう、番組への興味はこのふたりがネタ合わせをする場面であり、ネタ披露の瞬間にしかもてなくなっている自分がいました。

例年なら、この番組ついてはひとコンビごとに振り返っていたんですが、悪いけど今年はまったく頭に入りませんでした。

夢見心地で待った8組目。

ふたりは登場しました。

やぁ。

ドキドキしたなぁ。

打ち合わせシーンが案外あっさりと描写され、いざネタを見せるとなったのですが、何度も再生ボタンを停止してしまう自分がいました。

あかん、心臓が苦しい。

それでも、何度目かの停止ボタンを解除した後、自然に二人のネタに集中していました。

いや、懐かしかったです。

これだけのベテランがやっていることなのに、なんでこんなにフレッシュさを感じさせたのか。

それは、かつての若手だったふたりの姿がオーバーラップしたからなのかなって。

いま、松本人志をこんな風に新鮮に見せられるのって、ウッチャンを相方に持ってでしかないんじゃないかって思ったほどです。

番組上はベストコンビに選ばれていたけど、そんなこと関係なく大きな意味で楽しめました。

きっとアンチといえる人たちは、視聴率によって叩きもすれば無視もするのでしょうが、ファンにとってはもうこの現実を持って、その価値を見出したし、ふたりに感謝し、また次のステップに夢を見てしまうのでした。

いやぁ、ユニコーンの再結成といい、2009年のスタートは期待させるよのぉ。

2009年1月 6日 (火)

永田メールが刻み込んだ傷跡がゆえ

最初に思ったのは、自殺未遂をした人間の自殺をなぜ許したのかってことなんです。

周囲はなにをしてたのかって。

それとも、表面は回復したかのような様子だったのでしょうか。

永田メールという固有名詞で知られた元民主党の永田議員が自殺しました。

「なぜに?」

っていうのがまず先立つんですよね。

言っちゃなんだけど、犯罪を犯したわけでもないんだし、確かにそれで民主党を不利な立場に追いやりはしたけど、もうそれも過去のことでいまは優勢になってきているんだから、なんら気兼ねする必要もないはずなんです。

なので、なにを理由に自殺することになったのかがよく分からない。

遺書もあったそうで、その内容が気になるところなんですが、自分たちには計り知れない永田氏本人の周辺が与えたプレッシャーのようなものがあったのかなぁなんて想像したりして。

それが支援者の問題なのか、支援企業などの団体からのものなのかは知りませんが。

それとも、民主党に戻りたかったけどそれがかなわなかったがためのことなのかなぁとも。

でも、そうだとしても別にそれで政治生命が絶たれるわけでもなく、本当に志があるのならまた個人で立候補してがんばればいいだけの話で、なぜそれもせずに絶望してしまったのかと。

個人的に勝手に思うのは、この人はエリートすぎたのかなってことなんです。

つまり、勝ち組で、勝ってばかりの人生だった。

それが初めての挫折を味わい、しかもその失敗が生半可じゃない大きさだったがために、これまでとのギャップに参ってしまったのかなぁって。

ただ、政治家になるような人間なんか総じて図太いもので、同じ民主党でも細野豪志なんて山本モナとの不倫キス写真がばっちり撮られたのに、また普通に表舞台に戻ってきているように、ほとぼりが冷めたら平気な面をできちゃうようじゃないとやっていけないはずなんです。

そういう意味で、この人は普通にいい人だったのかなとも思ったりして。

もちろん、勝ち組ならではの鼻持ちならない部分もありつつの、親しければそれも許容できるくらいの。

結局、人間なんて弱いものなんだってことなんでしょうが、ちょっと弱すぎなんじゃないかと言ってしまっては、使者に鞭打つことになるのでしょうかね。

しかし、新年早々に決行したっていうのも、「なぜに?」なんですよねぇ。

2009年1月 5日 (月)

「戦場のピアニスト」を見て

これは前から見なきゃいかんなぁと思ってた作品ではあったんです。

といっても、事前の情報から楽しみにしてたっていうものではなく、「船の上のピアニスト」を見たからこっちも見とかなきゃなぁってな具合のことなんですが。

ってことで、「戦場のピアニスト」を見ました。

いやぁ、そりゃ普通の人間ならなにかと考えさせられる内容ですわ。

第二次世界大戦下のポーランドで、運命を翻弄されるユダヤ人ピアニストを主人公に話が描かれているんですが、実話をベースにしているってことでやはり、「戦争とは」であり、「あの戦争とは」を考えちゃうわけなんです。

簡単に言えば、みんな同じ人間なんです。

なのに、なんらかの基準を持って殺し合い、なんらかの理由をもとにそれを正当化しちゃえるってなんなのかって。

ユダヤ人たちは、それはそれは転げ落ちるようにその身分を落としていき、「まさかまさか」と思いながら、その魂を失ってしまうんです。

それをドイツ人たちは、実に横柄に、乱雑に、そして疑いもなく差別し、殺していく。

でも、これは時代がそうさせたことで、なんらかの歯車が狂っていれば、立場は逆だったかもしれない。

つまり、人間はその状況であり、時代の空気であり、周囲の流れによって、無意識に、無抵抗に自らの立場を作り上げていってしまう。

例え、それがおかしいと思っていても、それが圧倒的なボリュームを持って押し寄せてくるとあがなうことなどできない。

そこでは正論も通じないし、突発的な暴力でも戦うことはかなわないという。

ホント、怖いことなんです。人間にとって当たり前と思われた理屈なんてまかり通らないわけなんですから。

さらにこれは、現代社会でも起こっていることで、知らない間に金融危機が訪れて、それがアメリカだけのことかと思ったらあっという間に世界中に蔓延し、日本企業がそのダメージを逃れるために切りやすい期間従業員をあっさりと使い捨て、それによって多くの人が運命を翻弄されているんですよね。

だって、リーマンであり米自動車会社のBIG3ならいざ知らず、日本の企業は経営危機に陥っているわけじゃないのに、世界的な流れの中で言葉では「苦渋の決断」とかいいながら、その実なんの痛みも感じずに弱者を切り捨ててしまっているわけですから。

これが人間なんだと。

そして、そうまでされても人間は生きようとするとも。

人間不信なんてあまりにも安っぽい表現はしたくないけど、そんな気分を持っている自分なんかは、やるせないなぁと思うし、どう人間を愛せばいいのかを改めて悩むしかないと思った映画でした。

それとも、この映画のようにどん底まで落とされた中で、気まぐれの救いの手を差し伸べられないと、希望を見出せないのかねぇ。

2009年1月 4日 (日)

「潜水服は蝶の夢を見る」を見て

さて、31日はNHKFMの「今日は一日アニソン三昧」で早起きをし、元旦は福袋を買うために早起きをし、2日は友達と遊ぶために早起きをしと、せっかくの滅多にない連休をなぜか健全な生活サイクルで過ごしてきています。

3日も家族ででかけて家でグーダラができなかったし。

なので、思いのほか借りてきたDVDをガッツリと見ることができずに予定が狂っています。

果たして、借りてきたものをこの休みの間で見切ることはできるのでしょうか。

ってことで、間隙を縫ってこのたび見たのは「潜水服は蝶の夢を見る」です。

なにかと評判がいいのは伝え聞いてはいたんです。

でも、病気で体が動かなくなった男の話というあらすじと、車椅子にぐったりともたれる男の姿の写真を見て、「これはかなり重たい内容の作品なんだろうなぁ」と思い、ちょっと敬遠していた部分があったのですが。

それでも、TSUTAYAで物色してる中でこれといったものになかなか巡り会えず、その中で目に留まったのがこれだったので、思わず手にとってしまったんですよね。

で、実際に見てみたところ。

これが、案外におもしろく見れちゃったんですよね。

って、おもしろいという表現が微妙な齟齬を生みそうなんですが、退屈せずに興味深く見ることができたって意味合いが正しいのかなぁ。

事前に聞いていたとおり、突然の病に倒れ、脳と脊髄が分断される稀な症状で脳は完全に正常だし、耳も目も働いているんだけど、体が麻痺して動かないし声も出ない主人公は、瞬きの回数でYESとNOの意思表示をし、それでコミュニケーションをとりながら、リハビリを続けていくという流れの中、ひとつ最初の見所となったのは主人公の目から見えている世界という画面構成にあって。

意識を取り戻した直後のぼやけた感じもそうだし、右目が乾燥するため炎症を防ぐために糸で縫うシーンのリアルさなんかは、思わずこちらが嫌な気持ちになるものがあるほどで。

そんな視点中心がしばらく続いた後に、車椅子で出歩けるようになったことから世界が広がり、そして主人公の姿も映画上に登場することで、画面に大きな変化、言うならば開放感を出す描写もよくって。

そして、おそらく多くの人が感じた、体が動かない絶望の中で周囲の人々の支えで生きる希望を見出していく人間の感動みたいなものも、自分にはそうせざるをえない人間の生き物としての性、それは性懲りもないと言ってもいいくらい、それでも生きようとしてしまう人間の業のようなものを感じたんですよね。

さらに、介護してくれる美人医療士に恋をして、あれやこれやの妄想をしてしまう部分に、男の性懲りもなさも感じて、でもそれが男なんだよなぁって妙な共感を覚えたのも、この映画の肝だなぁと。

美人で優しいってだけで、男は恋をし、それがなによりの心の支えになってしまうのが男なんですよ。

それが例え、自分の状況ではかなうはずがないとしても。

なんなら、声を掛けないことで、自分のルックス上の問題を度返しした夢を見られるとすらも。

ようは、この映画は人間であり、男を描いているだと思ったんですな。

極限だからこそ、無防備にその様が出てしまうというような。

それは悲劇なんだけど、この主人公がすべて足りていた時代より豊かに見せてしまうということも含めて、なにが幸せなんだろうと考えてしまった、そんな映画でした。

これは、人に勧めやすいなぁ。

2009年1月 3日 (土)

僕らはユニコーンでした、から再び

まさかまさかの年明け一発目のサプライズです。

っていうか、正式な発表ってまだなのかな。

ぬか喜びになるとイヤだから、断定せずに回想などしてみたいと思うけど。

なんか、ユニコーンが再結成だそうです。

正直、されることはないだろうなぁって思ってたんですよね。

だって、必然性がないと思ったから。

するとすれば、世間のニーズがどうこうっていうより、本人たちがより前向きにユニコーンという存在を消化するために、いい思い出として次に走り出すためにかなって思ってたくらいで。

でも、公式サイトで5人が揃ったあけおめ動画を見たけど、みんなやたら穏やかで、自分が思っているようなものはなく、単純にみんな大人になって、タイミングもあったから、じゃあやらない理由はないって感じで集まったのかなぁとも思ったり。

っていうか、みんな老けたのぉ。

民生はまだ定期的にメディアに露出しているのでまだイメージのギャップはないし、西川幸一もジェット機とかたまぁに見て、本人もあまり顔つきの変化がない人なので違和感はなかったけど、他のメンバーといったら。

甘いルックスだったEBIは豊川悦司っぽくなっていたし、テッシーはほっしゃん。っぽくなっていたし、阿部Bはキワモノさが増していたしと、アイドル視されていたグループとは思えない変化を一様に見せていて。

もちろん、民生だってホントおっさん臭くなっているわけだし。

さて、もし再結成されるとして、果たしてどんな活動をするのか、そしてそれは期間限定なのかずっとこの形で行くのか、事あるごとに集まる程度で基本はソロ活動メインってことなのか。

なにより、いまの売れない路線をひた走る民生がかつてのようなポップで遊び心のある楽曲をまた作れるのか、かつてのユニコーン時代のそういう曲もライブで演奏して見せるのかというのも興味の的に。

まぁ、期待しすぎてもそれを上回るってことはまずないので、それよりは期待を裏切られないよう祈る方がいいのかな。

そこらの懐かしさと余生のために再結成されるものとは一線を画してくれるとは思うけど。

などなど、なんやかんや言っても楽しさの方が強いニュースって言えるのかな。

いや、生きていたらいろんなことが起こるもんですねぇ。

2009年1月 2日 (金)

「ノー・カントリー」を見る

借りてきたDVD第二段として、「ノー・カントリー」を見ました。

去年の6月に中欧に行った際、飛行機のサービスでこの作品は見れたのですが、睡眠を優先したため見逃していて、やっとって感じでの視聴です。

評判がよかったので、期待値がそもそも高かったのですが、それを思うとちょっとつまらなかったかなぁという思いもあったり。

なんだろう。

ズシリとくるほどの重たさがこなかったんですよねぇ、作品から醸し出されている印象ほどは。

いや、映画を見たなぁっていう感覚はガッツリするのはするんです。

そんな、時間を損したなんて思いもしなかったし。

なんですが、これを人に勧めるかと言われたら、正直そこまでプッシュできないし、他人からこの作品について聞かれても、なんと答えたらいいのかがちょっと迷うなぁっていう感じがあるんですよねぇ。

これは、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」でもそう思ったけど、あまり親切じゃないんです、作りが。

セリフよりも映像からくる空気感でなにかを読み取るものなので、おそらく最もこの映画を象徴すると思われるシガーっていうキャラの残酷さも、そこまでショッキングじゃないと思ってしまうのは、自分が鈍感になりすぎているからなのか。

でも、これは斬新さなどインパクト勝負してないからのことで、何度も見て徐々にそのイヤァな感じが染み渡る描写なのかもしれないとも思うんですな。

この映画の狙いもそこにあって、見飽きないことに力点がおかれていて、見やすさはあえて排除しているのかなぁと。

映画ってそんなんじゃないと。エンターテイメントと称した客にベッタリ寄り添う姿勢は間違っていると。

この距離感の中で、伝えることを絞って、それが腑に落ちやすくはないけど見る人にバンとぶつけるようなパワーを持つことの、なんというのか美学っていうのか。

見る側からすればにこやかに好きなんて言えないけど、作り手側に立てば分かるわぁって思うだろうなぁって。

自分も作り手なら、こんなのができたら気持ちいいだろうなって思いますもん。

それとも、これを絶賛できないと映画を見る目がないって言われちゃうのかなぁ。

2009年1月 1日 (木)

年の初めのごあいさつブログを自分らしく

このブログを覗いてくれた方、あけましておめでとうございます。

これまで見ていただいていた方、今年もよろしくお願いします。

去年の米の金融不安から始まった不況の波は今年も続きそうな中、明るいニュースはあまり見受けられないんでしょうねぇ。

だから、みんな自分の中で「よかった探し」をするしか、希望を持って生きられないのかなぁとも。

そんな自分の今年のテーマは、「受け入れる」だったりします。

なんか、たいそうな意味が含まれてそうな切り口なんですが、実はそうでもなくて、単にお店にいってレジで店員から「では、こうした方が」的なオススメをされる際、とっさに断っちゃう自分がいるんですよね。

それで、帰り間際によくよく考えたら、あれは善意で言ってくれていたことで、そのとおりにした方がお得だったんだことが多々あり。

なので、もっと相手を信じてもいいんじゃないかって思い、そこは素直になってみようかなと。

そうすれば、再来年に見越している「捨てる」というテーマにもつながっていけそうだし。

ってことで、幸運にも健康で平穏無事で生きていけたらまだまだこのブログを続けていくと思うので、長らくお付き合いしていただけると幸いです。

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