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2009年11月16日 (月)

天元2000回突破記念

このブログも、このアップで2000回目の投稿となりました。

はてさて。

その、別にこれについて触れる必要もないなぁとは思ったんですが、まぁまぁ一応ここまでたどりついたというのか、やってきたことを振り返ってみてもいいのかなぁとも思ったもので。

かといって、他の人と比べてこれがどれだけの数字なのかっていうのがサッパリ分からないし、野球のように「これで名球会入り」なんていうわけでもないし。

自分的にも、「普段飽きっぽい自分がここまでよく続いた」とか、「ここまでの時間は長かったような短かったような」とか、ありていの感慨もさして湧き上がってこないんです。

別に、惰性で続けるなんて朝飯前だし、どんな話題でも書こうと思ったらなんでも書ける人間でもあるし、っていう。

ただ、とりたてて言うことがひとつあるとしたら、それは「交流」がキーワードとなるのかなぁって。

多くの人は、他人との交流を目指してやっているんだろうし、そこで出来た出会いを基準にして変わっていくと思うんです。

でも、自分はそれを目的にしなかったため、特に常連でコメントをいただく方が現れなかった代わりに、変わらずに続けることができた。

「それじゃ意味ないじゃん」っていう人ももちろんいるだろうけど、自分的には多くの人と同じ姿勢でやることはおそらくストレスの方が大きくて、ブログが苦痛になっていったと思うんですよね。

それよりは、書きたい衝動や、発想の整理のためのブログである現状は、マイペースでいられてそんな悪くないんです。

かといって、「誰もよってくんじゃねぇ」と言ってるんじゃなくて、自分も普通の人間なので構ってもらったらうれしいと思うので、その、大丈夫ですよ。

なので、もし長らくお付き合いしてくださっている方がいるなら、これからもよろしくです。

そして、たまたま見た方がいらっしゃったなら、気が向いたらまた覗いてやってください。

今夜はおやすみ、明日はおはよう。

2008年2月13日 (水)

しょこたんが見せた10億という可能性

このニュースをどう受け止めたらいいのかと戸惑ったのは自分だけでしょうか。

というか、芸能ニュースとして報道されるのは当人にバリューがあるからなんでしょうが。

しょこたんこと中川翔子のブログのアクセス数が10億を超えたそうです。

うーん。

それってどれだけの価値があることなのか。どんな意味合いを持っているのか。

アクセス数と人気が比例しているとは、単純に言えないわけじゃないですか。

厳密に言えば、人気のひとつの証拠とは言えるんでしょうが、その数で人気の順位が決まるというものではない。

さらに言えば、アクセス数があるイコール影響力とも言えない。

消費しやすいから、ライトに読み流せるからがアクセスの動機になっていて、なくてはならないというほどの重要度はないのかもしれないし。

もちろん、それが悪いことではないし、ブログの特性がそこにこそあると言えるのかもしれないけど、じゃあそれが芸能ニュースとして扱われるのってどういうことを表しているのかと。

もしこれが、10億に比しただけの経済効果を連れてくるというのであれば、それはそれできっと違うニュースとして報道されていたのかもしれない。

ただ、そうなると中川翔子自身のタレントイメージ自体も左右するでしょうし、ブログの内容や趣旨もズレてくことになると思われ。

もしかしたら、それだけの可能性やパワーを見越して、期待しての10億に見るニュースバリューなのかもと。

だとすると、案外ことの本質を誰も捉えずにこの10億という数字を気軽にもてはやしているだけで、それって過小評価だったり過大評価だったりしてるだけなのかもしれない。

現時点では中川翔子が示した可能性のひとつと言えるんでしょうが、この次の世界を見つけた人がいるとしたら、しょこたんは物凄いパイオニアだったんだと言われるようになるのかもしれませんね。

2008年1月 4日 (金)

正月ついでにブログを問題視する

ブログって、本当にやってて大丈夫なのかなぁとふとおもうようになりました。

案外デメリットの方が大きいような気がしてきたんです。

それも、無意識におけるマイナス効果というのか。

物事の捉え方がブログ的なものになるというのか、どこかでネタっぽく解釈しようとしている自分がいるんじゃないかとか、それゆえに物事の発想が硬直化してきているんじゃないかとか、ブログにしばられている日常になっているんじゃないかとか、さらに言えば見られていることと見ることの変な意味での逆転現象って常に起こっているんじゃないかって部分もあったりして。

言ってしまえば不自然な自分になっているという感覚があるんですな。

自分の出し方がおかしな方向にいってたり、いびつな放出口ができあがっていたり。

素人にとってその弊害はより盲目下におかれ、修正が利かないまま惰性で流れていくという点で、低温火傷の怖さに似たものがあり。

また、人類史上でもそんな見ること見られることに自覚的な人の人口比率がこんなに高い時代もなく、それってよいことなのかどうかという問題もあるんですよねぇ。

これが芸能人だと、その状態すらネタに変換できる強みがあるし、そもそもがそういう生き物として変色していく職業だから、ブログに弊害って少ないんだろうなと思ってたんですが、案外そうでもないのかなとも思ったのが例えば若槻千夏。

彼女もブログがあったことでさらに人気に油を注いだとも言えるのですが、芸能人生をすり減らしてしまった側面もあったのかなと。

本当の意味でのプライベートが持てない悩みであり、自分を切り売りする辛さがさらに身に染みて、先行きが暗転したんじゃないかと、今回の芸能活動のいわゆる休止に感じ入るものがあるんです。

また、女性アイドルが特にブログに頼った活動が増えたことで、若年層がまだまだ精神的に未熟ゆえに負のスパイラルに陥っていく様もいろいろと見たりして、それは例えば橋本甜歌など、本音をフランクに話すことに良さを思って書いていたようだけど、それだけでは通用しない現実をまだまだ知らなかったようで、周囲の目に自爆気味にブログ閉鎖に追い込まれたようで。

すべてコントロールが行き届いたものはつまらないんでしょうが、脱線ばかりでも収拾がつかないというまとめ方ではすまないテーマが、そこにはあるんじゃないでしょうか。

2007年11月23日 (金)

はじめまして、星野奈津子でした

星野奈津子って誰やねん、という声が日本中で飛び交っていたことでしょう。

その誰やねんがわざわざニュースになったのは、その星野奈津子が扱った話題があまりに旬で、あまりにヴィヴィッドな問題だったからなんですが、まさか本人もこんなことになるとは思ってなかったことでしょう。

というか、それを想像できない頭だから祖母と少女ふたりの行方不明事件の犯人を、おそらく父親だと決め付けたんでしょうが。

でも、「どうせ父親だろ」なんてこと、そこら中のブログで飛び交っているネタであり、あえて言わないまでも多くの人の頭によぎった展開のはず。

それは、これまでのマスコミが作り上げた劇場型の事件的盛り上げ方の方程式が、一般視聴者の頭に刷り込まれたがゆえに生まれた共有の結論なんでしょうね。

それを疑わず、あまりに自然に思ってしまったから書いた不謹慎な想定であり、安っぽい笑い話感覚が存在してたんだと想像します。

もしかしたら、「誰やねん」でしかない星野奈津子だからそれが表面化し、問題となり、象徴的に罰せられたということなのか。

逆に言えば、普通の人が気軽に書いていた話題が謹慎にまで及ぶというところに、タレントという商売がどれだけイメージ勝負の世界なのかとも考えられ。

その、落ち度がタレント活動自粛にまで及ぶという罪滅ぼしを強いられたタレントに対し、今度は多くのブログで嘲笑や皮肉や毒舌が浴びせられているというこの重層的な関係たるや。

その状況を客観的に見てしまうと、結局人間だからみんな悪いんだし、人間だから誰も悪いなんて言えないなんて思ってしまうのです。

もちろん、これも他人事だから言っていられることなんでしょうが。