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2009年12月20日 (日)

オーセンティックスノー

今年、初の雪を見ました。なんて言ったら語弊があるのは分かっていて、それは誰もがする勘違いである「すでに1月や2月で降ってるじゃん」っていう話と、もうひとつ個人的な体験からの比較で、秋に行ったカナダでまさかの雪に遭遇してるんですよね。

まぁ、こちとらこの地域ではそれなりの積雪量を誇る地区だけに、12月の頭にはすでにスタッドレスタイヤへの交換は済ませていて、雪が降った時に対応するためのアイテムも当然のように揃えての冬対策はしてあったので、ひざ上ほどの降雪にもほぼ問題なく対処できたりはしたのですが。

だけど、できれば雪はこれっきりにしてもらいたいなぁっていうのが本心で、子供の頃なら無邪気に喜び、楽しめたものでも、大人になると弊害ばかりが先に立つんですな。

そりゃ、ただ舞い散る程度なら別に構わないんですけど、雪かきが必要だとか、道路がでこぼこになるようだと、生活に支障をきたすんです。

都会の人は他人事だから「キレイだなぁ」ですむんでしょうが、こっちサイドから見ていると「その程度の雪で?!」ってくらいでパニックになるのも都会なんですし。

結局、イメージだけで判断しちゃう安易さが敵だってことなんでしょうし、リアリティがない人からの理解がないこともストレスやプレッシャーになるってことなんでしょう。

だから、「富士山でも冬は危険だ」って言われても、誰もピンときてなかったと思うんです。

これは、「イッテQ!」でウッチャンがチャレンジすることになった企画での前振りで言われていたフレーズなんですが、自分もあまり信じてなかったところがあるんですね。

だけど、まさか番組を見る前にその現実を思い知らされるとは思ってもいませんでした。

片山右京が登山などをしているのは、これは「イッテQ!」の裏番組である「ジャンクSPORTS」などで知ってはいたのですが、おそらく世間的に認知されたのはこの遭難のニュースがきっかけとなったのは皮肉の一言で、だってこれによってかなりの期間で自粛を余儀なくされるだろうからと。

一報を聞いたときは、片山右京は無事だったってことで軽いニュースで過ぎ去っていくのかなぁって感じだったんですが、同行したメンバーの安否が危ないという情報から、死亡確認という流れまでを受けて、きっと多くの人が認識を改めたんじゃないかって。

当人たちも、まさか軽い気持ちで行ったわけではないんでしょうが、その後にアフリカの有名な山を登る予定だってと聞いて、こんなところで命の危険に見舞われるなんて思ってもいなかったんでしょうし。

だけど、自分の想像力はなお欠如しているなぁって思うのは、この事故によってその「イッテQ!」の放送がどうなるだろうと心配してしまっている点にあったりして。

どうやら、年明けのスペシャルでこの模様は放送される予定だったらしく、当然すでに登山は成功のうちに終わっているわけなんです。

いまごろ、番組スタッフは喧々諤々の議論をしているんじゃないでしょうか。

このご時世だから、放送の自粛が最も堅い判断なんでしょうが、それをやるとこの富士山登頂の理由である、1年かけてやる2011年の絶景カレンダー作りそのものを揺るがすことにもなるし、なにより目先のスペシャルに穴があくことになるんですな。

ファンとしては、この困難さを知ったことで一層、ウッチャンの努力を無にしてもらいたくないとも思うし。

だから、きっと編集の段階では笑いを交えた内容になっているんでしょうが、これをよりドキュメントタッチにして、笑いも緊迫感から出るユーモア程度に押さえ、そして「我々も放送するかどうか迷った」とあえてナレーションで言っちゃうくらいにして、それでもその過酷さを認識してもらうためにという流れを作ってオンエアにしたらいいんじゃないかなぁって。

もし片山右京のお仲間さんも助かっていて、スペシャルの収録がまだだったなら、その難しさを片山さんを迎えることで語ってもらうということもできたのでしょうけど。

いまはただご冥福を祈りつつ、それとは別の道を模索してもらいたいと思うのでした。

2009年12月 4日 (金)

新語流行語というまやかし

亀田VS内藤戦、と評してしまう時点で自分もその気分に乗っかっているのか。

やはり、亀田ありきでの興味は引きずっている人が多かったのでしょう。

だけど、試合の視聴率が43%にも達したっていうのは予想外でした。

そして、ちょっと気持ち悪かったです。

事前での期待感ってそこまで盛り上がっていなかった感覚があったし、明らかにブームと言われるほど注目度は失っていたと思われていたから。

なのに、まさかまさかの今年の最高視聴率。

ある程度の興味本位が集中しやすい環境になれば、これだけ一気呵成の風が吹くものなんだって。

これがあまりにも日本人気質丸出しで、小泉郵政選挙や民主党圧勝の今年の選挙と同じ空気が、さらに密度を増してきているとすら。

かと思ったら、春先に過熱報道があった新型インフルエンザは、過剰な反応だけは個々がとるんだけど、全体としてはすでに飽きられた話題みたいになっていて、ほとんど他人事みたいになっていて。

自分が住む東海地区も、ちょっと前にやたらと東海大震災への備えを訴える企画やテレビの特番があったのに、いまではサッパリ。

この、話題だけが存在して、事実は残らない感じが気持ち悪いんです。

先日、恒例の新語流行語大賞が発表されたけど、これだってなんら本質をつかんでいないし、つかもうともしていないんですよね。

とにかく、メディアウケすることありきなんです。

あとは、

賢く思われたい

センスよく見られたい

健全さをアピールしたい

っていうだけ。

だけど、その存在は確固たる位置を保持しだし、時が経って振り返る際にはそれがもっともらしくなってたたずんでいる怖さたるや。

別に、これはこれでいいんです。

消費社会における分類作業だとしてしまえば。

その上で、いまの気分をちゃんとパッケージングする形で整理して残そうとする作業も、ちゃんとしておいて欲しいなって思ってしまうんですよね。

雑多な雑誌の企画として、裏流行語みたいなことはよくあるけど、それらは雑すぎるんです。

もっと丁寧な形で、だけど野心的な試みはできると思うし、例えば中国を歴史深い国とさせているのは文献が残っていることが大きいという点を考えるなら、そこは自覚的であってもいいんじゃないかなぁって思うんです。

まぁ、新語流行語大賞についても、選考をしている人間がやくみつるとかだってことがもっと周知徹底されたら、その程度ってやつは知れ渡ると思うんですけども。

2009年11月18日 (水)

市橋達也

思い出し笑いをしてしまうんです。

インスタントジョンソンが「レッドシアター」で見せたカラオケのネタ。

というか、なぜに木村由姫のプチヒットした曲「LOVE&JOY」をチョイスしたのかと。

あれは自分も引っ掛かるものがあって、たまぁに思い出すことがあった曲なんですよね。

そして、今彼女はなにしてんだろうとも思ったり。

だから、余計にあんな感じで扱われていると、妙にくすぐられるものがあるんですな。

それがあっての、あのくだらないボケの畳み込みがまたバカバカしくて、くだらなくて。

ぶっちゃけ、レギュラーメンバーが見せるコントに惰性が見られる中で、あのインパクトはいい刺激となりました。

こんな平穏な日常を、もう過ごすことはないんでしょうね、市橋容疑者は。

すでに、この何年が実際そうだったわけだし。

逮捕された当日は、どうせどのブログでも扱われいただろうってことで、あえてスルーしてたんですが、もちろん何かと思うこともあった事件だっただけにここで触れておこうかなと。

まず、しばらく忘れられていたところに、名古屋で整形手術を受けていたことが発覚して、その顔写真が公表されるという驚きのニュースがあって、それから大阪で働いていたとか神戸で見かけられたとか、続々と情報がでてきた後での逮捕劇というこの一連の流れが、ここまでの衝撃度が大きく、注目度が高い事件として返り咲いたのだろうなというのがあって。

これは、本人にとっては不幸そのものの展開なんでしょうが、こと日本の犯罪史として振り返るとしたら、それなりの地位を得る過程を経たと言えるんじゃないでしょうか。

と同時に、この名前が記憶のフックとなるものがあって、みんなフルネームで言うんですよね。

これも良し悪しのどちらで言えばいいのか分からないことだけど、名前のたたずまいがよくて、苗字だけでも名前だけでも成り立たない、その双方が合わさって価値を持つというバランスのよさがあるんです。

建築偽装した姉歯だって、あれだけ特徴的な名前なのに、フルネームでは誰も覚えていないわけだし、もしかしたら顔写真を見せられても「あれ、なんだっけ?」なことすらあって。

そして、姉歯を出したついでに言えば、別に姉歯という人物自体への興味はほとんどの人は持たないだろうけど、市橋容疑者についてはちょっと興味があると思うんです。

もうひとつ、不謹慎な比較を持ち出すとしたら、被害者であるリンゼイさんやその家族のことより、市橋の方を知りたいと思うんじゃないかとすら。

もし、ねほりはほり話を聞けるのなら市橋に聞いてみたいと思うんだろうし、もしドラマ化するならリンゼイさん一家ではないだろうと。

整形までして逃げ切れると本気で信じていたのだろうかとか、もしかしたらやがて終わりが来る逃走劇だと自覚してのこれまでだったとしたら、それってどんな感じの日常がそこにあったのだろうかとか、そちらの方にばかり妄想がたくましくなるんですよね。

働き先でいつ気づかれるかも知れずにいるドキドキ感は、前にも書いたけど人生としての密度で言えば自分は完全に負けているとすら思ってしまい。

犯罪行為自体をなんら肯定する気持ちはないのですが、しょせん人間がやることだと考えたなら、どうしてもなんらかの意味を見出してしまいがちだし、そこに人間としての下世話さが反応するのは、完全な他人事とは思わない距離感がそこにあるっていうことなんじゃないでしょうか。

2009年11月 7日 (土)

非常識人間によるニュース斬り

基本的に常識がないんです、自分。

なので明らかにポイントがズレた発想しかできないし、分かっていて当然のことに無知だったりするんですよね。

例えば、不景気の意味が分からないんです。

だって、ほとんどの人はほぼ同じ日常を過ごしているはずなんです。

使うお金だって変動してないだろうし、「世間が景気がいいっていうから余分に消費しよう」なんて発想で行動しているわけもないだろうにと。

なのに消費が低迷なんてニュースがバンバン流れ、実際に給料として跳ね返ってくる現実があるという。

そして、そうやって給料を減らしたり、収益が上がらないからといって社員の首を切ったり、採用を減らしておいて、なかなか景気が上向かないなんて言うのも、そりゃ国民の所得が下がってるんだから金も使えないだろうにと思ってしまい。

だから、ここ最近のニュースネタでも非常識極まりないことしか思いつかずに。

多分、いま一番ニュースバリューがあるのが34歳だかの女性による結婚詐欺事件で、これを聞いて思ったのは男性の寂しさだったりするんです。

テレビではぼかしが掛かっている顔だけど、あちこちで見てみたところ、かなりな最下位争いレベルなルックスなんですよね。

だけど、男性たちは心を許してしまう。

被害者は40代や50代が中心だっていうのもさらにその寂しさを助長し、男も女も美形が好きなのは同じなんだけど、男は口ではそう言うけど女性から優しくされたらそれだけで単純にうれしいものなんですよね。

それがモテない人間ならなおのことで、親しくされるとあっさりと勘違いしちゃえるんです。

この女性がやっていることが悪いのは間違いないんですが、自分の理想の追求が至上の目的として、それ以外の人を排除する傾向が生んだ土壌だとも思えてしまい、こんな形での利益搾取は当然ダメだけども、ちょっと敷居を下げて優しさを振りまくだけでおいしい思いはできますよと思ってしまったもので。

もうひとつのニュースで、リンゼイさん殺害事件の首謀者とされる市橋容疑者が、名古屋で整形出中を受けていたというのも話題になっています。

これもねぇ。

ここまで逃げ延びているって時点で、本人だけの力というより、協力者なりの存在を感じてしまうのは自分だけではないだろうし、整形手術の代金は誰が出したんだっていう話になると思うんです。

その上で、先日「グインサーガ」を未完のまま逝去された栗本薫みたいな不適切発言をすれば、もしかしたらそこらの人間よりも生きている充実感というのか、平凡な人生では味わえないしびれるような体験をこの市橋容疑者はしているんじゃないかとも、なんとなく思ってしまうんですよね。

この日々のドキドキなんてハンパないはずだし、知名度や注目度も生半可じゃないなんて、もしかしたらちょっとした優越感すら持ちえるような。

逃亡者なんてフジテレビの番組があるけど、もし市橋容疑者にカメラが密着していて、それをリアルタイムでどこかのネットTVで放送していたら、これが有料でもずっと見続けてしまうかもしれない自分がいたりします。

不謹慎さを承知で言えば、自分の人生は市橋容疑者に完全に負けているんじゃないでしょうか。

2009年10月14日 (水)

ヴェルサーチヴェルファーレベルマーレ

ユニコーンのNewシングル「半世紀少年」。

なんか、もうユニコーンはバンドですらないという脱線具合が。

ドラムがボーカルをとるなんてのはスカパラだってやってたことだけども、その人がドラムも叩かずにラップするなんて前代未聞だし、そんなの単なるオチャラケにしかならないはずなのに、それがちゃんとFMでも流れていて、ユーモアの範疇で肯定的にとらえられているのが凄いし、強いなぁと。

これでテッシーがメインをはるなんて時期がきたら、本当に何でもありになるだろうし、なにをやってもウケちゃうんじゃないかとすら。

それはそれで、本人たちは困るのかな?なんか、図に乗るだけのような気もするけど、いい意味なのか悪い意味なのかはともかく、ファン的にはその方が楽しいからいいんだけど。

しかし、PV見たけどEBIが完全にボケキャラ、いじられキャラになってるんですな。

元々どこか抜けてるタイプだったんだけど、イケメンキャラだったのでそこがかわいらしいみたいな受け止められ方になっていたのが、おっさんになってトボけ具合だけがフィーチャーされだしたのか。

テッシーはもう言わずもがなだし。

10年後、きっとどうしようもないおっさん集団として君臨してんだろうなぁ。

CDが売れない時代だけに、存在感で通用させちゃう戦略はありでしょうけどね。

まぁ、売れないのはCDだけじゃなく、あらゆる業界が売上不振で悩んでいて、ユニクロやマクドナルドなど一部のみが安売り戦略で成功しているんですけども。

そんな市場の変化は日本から魅力を奪っているようで、海外の有名ブランドであるヴェルサーチが事実上日本から撤退したとかしないとか。

別にヴェルサーチで欲しかったアイテムがあるってわけでもないので、個人的にはダメージはないのですが、妙な残念さだけは感じてしまいます。

結局、日本がこれまで注目されていたのはその購買力にあったわけで、その真偽はともかく「いい」と言われるものにはだれかれ構わず飛びついていた気質が、ここまで日本を大きくしたと思うんですな。

それが、いまはお得感にばかり流れてしまい、価値あるものかどうかは問わなくなってきているのは、明らかに活力を失わせる風潮であり。

Jリーグのように、健全経営をモットーに身の丈にあった方針でいくことは、正しさや効率でいったら圧倒的な善なんだけど、それによって必要な成長が奪われてしまっては、ただ無為に時間が過ぎていることと同義になってしまうのではないかなって。

プロ野球だって不景気の影響にあるはずなのに、大幅に年俸が下がったなんて聞かないし、Jリーグより注目度は高く、ファンも変わらず支持しているっていうところに、まだ夢や希望を見ちゃったりするのです。

第一、海外から評価されることでしか審美眼が働かない日本人としては、そこから無視されちゃったらかなり寂しい思いをするんじゃないかなぁ。

ハリウッドスターとかの来日でウキウキドキドキしちゃうあの感じとか、日本人の等身大や程度がそこにこそあるって感じで、必要な刺激なんだと思うし。

ただ、サッカーのビッグクラブの来日はもうなくなっちゃったから、セレブリティーな存在の足がパッタリと途絶える未来はそう遠くはないのかも。

2009年9月23日 (水)

クレヨンで描けない未来

移動販売のやきとり屋を見ました。

見たといっても、視覚で最初にとらえたのではなく、匂いで「あ、これは」って気づいたのが先。

そこで「おいしそうだなぁ」とふと思った自分と、言っちゃ悪いけど移動販売ではたいしたことないんだろうなぁっていう自分が存在したんです。

この正反対の感じ方がほぼ同時に去来したのって、一体なんなんだろうと。

そもそも、「匂いでおいしいって感じるってどういうことだ」っていうのがあって、それはウナギや焼肉でも同じ経験をよくするんだけど、じゃあ匂いどおりのおいしさに出くわすかといったらそうとは言えないんですよね。

味と匂いは比例しないし、さらに言えばやきとりはおいしいものという刷り込みができるほど、やきとりでいい思いをしてきたわけでもないという。

匂いでふと懐かしい思いが甦ったりすることを思うと、嗅覚って他の五感と比べて独特だなぁと考えるんですが、それらはそれなりの歳月を経て生きてきたからこそ感じられるものでもあるわけだから、すべては自分の責任と言っては妙だけど、鼻で感じたことは等身大の範疇で、決して見当違いではないのかねぇとも思ってしまうのでした。

人間として根本がズレているとしたら、それはそれってことなんでしょうけど。

そして、おそらくズレている側の自分がこのニュースを聞いたときに思ったことは、下手な小説家でも思いつかない展開だなぁっていう不謹慎な思いだったりして。

クレヨンしんちゃんの作者が登山中に転落死とかなんとか。

もちろん、驚いたし、悲しむべきことだとも思ったのですが、「まさかそんなことが」の方が強く感情を支配して。

まず、クレヨンしんちゃんという作品のイメージからこんな悲劇は連想できないじゃないですか。

それに、国民的人気マンガを連載中の漫画家が登山中に転落なんて出来事自体が、まったくもって結びつかない展開なんです。

ある種、のりピーと麻薬という関係性にも似たギャップというのか。

なにより、当人が「まさか」の出来事ではあるんでしょうけど、不謹慎ついでに言えば栗本薫の死去でグインサーガの結末が見られないことは欠落感があるけど、クレヨンしんちゃんが未完であることに残念さはないっていうのだけが、まだ救いがあるといってはなんですが、未完ゆえにずっと続く道筋ができたなぁなんて思ってしまい。

しかし、そんなことを思いながら自分でも不謹慎だなぁって思うんですが、結局リアリティのなさって人の想像力を奪うってことなんだろうなとも思うんです。

それは、先日あった乗鞍岳のバスターミナルで熊が出没し、観光客を襲ったニュースでより実感したもので。

去年、事件があった場所に行ったことがあるんですよね。

テレビで見て、「あ、あそこじゃん」って思って急に真に迫る緊迫感を覚え。

「あの建物の2階でまずいそば食べたなぁ」「あの土産物屋のラジオで地震があったって聞いたよな」

確かな皮膚感覚が他人事にさせないんです。

結局、ネットでの過剰なバッシングはそれが欠けているからだろうなぁなんて言ってみつつ、この情報過多の社会ですべてに正しく繊細に対応するには、人間では限界があるんだろうなぁとも思ってしまったのでした。

2009年9月19日 (土)

非ECOなエコナ

「このへん!!トラベラー」は吉本興業が各地域で出演者を代えてやっている番組だけど、他の地域のものは当然見たことがないけど、この中部地方のものは当たりだなって思いながら見ています。

いま最も旬な若手のはんにゃが出ているってだけでも、イメージの上で大きなプラスになっているんだけど、なによりブラックマヨネーズがいるってことが間違いがない面白さを約束していると言えて。

いや、逐一面白いですわ、言ってることが。

なにを言えば笑いに転がるかをちゃんと分かっているというのか。

タレントとしての華こそいっさいないけど、番組の盛り上げを芸人に頼って作ろうって考えるなら、会議で間違いなくブラマヨの名前が挙がっているんじゃないでしょうか。

ファンになろうなんていっさい思わないけど、彼らがテレビに出ていたら思わず見てしまうし、まず外れなく笑っている自分がいます。

これからもずっと売れ続けるなんて確約はいっさいできないけど、当分は食いッぱぐれることはないことは保障できます。

応援はしないけど、がんばれ、ブラックマヨネーズ。

そんなことより。

うちもエコナは結構使ってたんですよね。

だから、このニュースはでっかい反響となって押し寄せてきて。

発がん性がある成分が入っていたとかで、回収騒ぎになっているようで。

健康のために買っていたのに、なにより体に悪かったなんて笑い話にもならないけど、いまのところはダイレクトな因果関係にまでは及ばないっていう解釈らしく、おそらくよほどの具体的な実証がなされないと賠償騒動にまでは発展しないのでしょうが、それでも花王の顔に泥を塗って、その分の売り上げもなくなれば、回収への費用も大きな負担となるわけで。

でも、安いから売れるという時代の中で、「それではエコナも大幅安売り」とした場合、国民はやっぱり手を出しちゃうのかなぁなんて思ったり。

不謹慎ってことでそんなことはしないし、ムードによって簡単に流れが決まる国民性からも「みんなそうだから」ってことで買う人はしばらくはいないのでしょうが、BSE問題の時でもアメリカ製の牛肉を待ち望み、毒ギョウザ問題でも中国製冷凍食品は存在し続け、そのどちらもいまは当たり前のように店頭に並んでいる現実を見るに、ほとぼりが醒めて企業が「健康にはそれほど問題がない」なんて喧伝しちゃえば、値段だけでエコナに走る人だってそう少なくはないんじゃないかなぁと思うのです。

それに、と言うことでもないんですが、いまだに合成着色料や保存料はあれやこれやに使用され、いま高齢者となっている人たちが食べてきた食品には、より濃厚な体に悪い成分が入っていたことを思うと、現実問題の正体はどこにあるのだろうと。

そして、避けるに越したことはない害悪、害毒を真剣に、神経質に避けていては実際には生きていけない現状、悪い意味での妥協をしていかないといけないってことを思うと、おおらかさに逃げて精神衛生上の健康だけでも保っていないとやっていけないんじゃないかなぁなんて、皮肉な思いをしてしまうのでした。

知識人の中では、景気にマイナスになることこそ問題で、あとはバレなきゃいいって考えすら成り立ってそうで、それはそれで怖いなぁって思ったりしつつ。

さて、これからわが家ではどんな油が使われることになるのかねぇ。

2009年9月 9日 (水)

ロリコンだから問題だから

BeeTVのCMで、安室のコンサートとともにマドンナのものもチラッと流れているんですが、あれを見て「あれ、どっかで見たことがあるような」と思ったんです。

それで、記憶の糸を辿ってみたら、そういえば浜崎あゆみもPVで車に腰をかけて妙な横揺れなパフォーマンスをしていたよなぁとなり。

そのネタもとはこれかぁと思った瞬間、浜崎あゆみの浅さをダイレクトに実感し、もし目指している格好よさがそこだとしたら、完全にお門違いだぞと思ってしまったもので。

マドンナですら、なんか微妙なステージングだなぁって感じなのに、浜崎さんではあまりに等身大から遠く、苦笑を呼び寄せる感覚すらあるのに。

現行ではまだまだオリコン初登場1位が当たり前なランクではあるんですが、振り返ったら背後に崖が迫っているんじゃないでしょうかねぇ。

エイベックス自体が鈴木亜美とか後藤真希を呼び込んだり、小室哲哉をつなぎとめたりしていて、新しいソフトを生み出すパワーに欠けている状態なんだし。

それとも、自分が知らない世界ではまだまだ影響力があって、エイベックスから発信される音楽はイケているとなっているのかなぁ。

どちらにせよ、そう思うタイプの女性は好みではないんですが。

世間的にも、大きな意味でエイベックス的な影響力の中にある女性がいいと思う男性って、多数派ではないんじゃないかなぁとも思ったりするのは、どれだけそこで見せるカッコイイ女性像を支持する声があがっても、音楽という媒体から離れたらニーズがないように思えるから。

そして、未成年への性犯罪を耳にするたび、そこからの反動を思っちゃったり。

この前も、大学生が小学生の女の子を連れまわしたとして逮捕され、「あわよくばいたずらしようと思った」と供述しているとかで、ミクシィなんかではロリコンバッシングがお盛んにやられていたんです。

でも、自分が思い出したのはそのちょっと前にあった高校生が中1の女の子を買春したっていう事件だったりして、あれについては半笑いな論調が多かったんだけど、ほんの数年の差による印象の違いだけで、事件の持つ本質は変わらないんじゃないかなぁと考えたんですよね。

だって、かつてなら二十歳くらいの男性がロリコンと言われることもなければ、その年齢でロリコンという性癖が成り立つとも思われなかったはずで。

ようは、女性へのリアリティのなさが同根としてあって、そこに性的な興味の先走りが行為を生んだだけなんじゃないのかなぁと。

そして、その裏返しにあるのが日本人に根強いピュアさへの信仰で、大人なりの意味や価値を卑下することが、ねじれを作っちゃうんじゃないかとも。

まぁ、この事件への反応を見ても、躊躇なきバッシングの氾濫が目立ち、そこに成熟さは見受けられなかったもので、叩いていいとなったら自動的に無礼講モードになる無神経さというのか、その無理解さが、「人間として」の程度への配慮や我が身を振り返る敏感さの距離も見失わせていて、墓穴を掘る可能性を作ってしまっていると。

都合がいい部分だけは安易に馴れ合うのに。

それとも、楽をしすぎるのも、無理をしすぎるのもよくないんだけど、そこのブレを持つのも人間らしさだと許容しなくてはいけないのでしょうか。

2009年8月 1日 (土)

豪雨に流されるもの、流されないもの

既婚者の弟が、桜庭ななみと再婚するという夢を見た。

夢の中での設定がいまから3年後くらいになっていて、すでにわが家に桜庭ななみも居座っていたんですが、これがまた性格が物凄く悪かったんです。

しかも、酒を飲むとさらに性格が酷くなり、暴言や暴力は当たり前みたいな調子に。

自分はよくこんなんと結婚したなぁと言うと、弟は「これでもカワイイところがあるんだよ」と照れながら言っていました。

夢の中の自分は、「モテる男は違うなぁ」と妙に感心して夢から覚めるんですが、なんかいろんな意味でショックな内容でした。

この前更新した好きなアイドルランキングでも、桜庭ななみはあえて入れなかったのですが、別に夢を信じるっていうわけでもないんですが、これで余計に心象が悪くなったというのか、「やっぱり避けておこう」なんて思ってしまいました。

いや、別に桜庭自身を「性格が悪そう」って前から思っていたわけではなく、なんか真野恵里菜が「なんかないなぁ」と思えてしまうのと同じように、感情移入を阻害するルックス情報を持っている気がするんですよね。

あと、自分が目をつける以前からすでに売れっ子ルートに乗っかっているような感覚もあって、先物買い指向の自分にはそぐわないっていうのもあったりしつつ。

さて、この夢の話を家でしていいものなのかどうか。

うちの親には大丈夫だろうけど、弟にはどうか。弟の奥さんはやはりまずいネタか。

ちょっとチャレンジして、笑いに代えてみたい冒険心があったりはするのですが。

などと、家庭内で嵐を吹き起こす前に、気象状況がわが家近辺に文字通りの嵐を吹き荒らす可能性もなきにしもあらずだなと、最近のニュースを見ていてよく思います。

日本各地で豪雨災害がハンパないことになっていて、こういってはなんだけど「たかが雨によって」、これまでの日常があっと間に遠い過去、取り戻せない過去にしてしまう。

誰だってその時を迎えたら、「思ってもみなかった」こととして振り返るんだけど、こと雨なんてものはありふれて体験しているものであり、これまでも物凄い降水量だった時を経験してきていて、「たかが知れている」というものだったんですよね。

だからこそ、被害にあうなんて想像も付かないし、もしかしたらテレビで見ている人たちもピンときていないのかなぁとも。

自分だって、ショックというより呆然とするしかないのかもと思いながらニュース番組を見ていました。

それにしても、というのか。

みんな、当たり前のように明日もいつもどおりの日常がくると思って、生きること前提なんですよね。

家の中のものも、「もし明日、自分が死んだから」と考えて整理された状態なんかにはしておかないし、だから「もしかしたらあるかもしれない災害」に対応なんてできていない。

よく地震なんかでも「いつ起きてもいいように常に供えが必要」なんて、政府などが広告を打つけど、警戒心が高まる瞬間ができこそすれ、それを持続なんてしていられないのが人間なんです。

生きる上でそればっかりはやってられないし、不用意で不注意じゃないと充実はやってこないとすら。

それを思うと、しょせん人間なんて運ですべてが決まっちゃうのかもしれないし、意志や思惑なんて些細なことしか左右しないのかもしれないけど、そのちょっとした積み重ねがいつか大きな違いを生むと信じていないとやっていられないのも、また人間なのかもしれませんな。

2009年7月29日 (水)

自動車でエコを叫ぶ矛盾

ストローハットにタンクトップにクロップドパンツ、なんてファッションに挑戦してやろうかと、ふと思ったりしています。

柄にない格好だし、そんな年でもないとは思うのですが、だからこそやらかしてやろうかと思ったり。

なので、ちょくちょくと最寄のWEGOに行ってはいるのですが、いざ買うとなると躊躇症状がハンパなく押し寄せ、意気地なし丸出しでその場を去ることを繰り返しています。

イケてる店員さんにそのアイテムを持ってるのを見られるだけで笑われそうだし。「お客さん、本気ですか」的な。

どう頑張ってもヲタな気質は消えないので、垢抜けきることは一生ないのでしょうが、自分でその殻にこもると決めちゃうのもイヤなんだけどなぁ。

こんな、踏み出す勇気を持っていない自分なので、「そろそろ車を買い換えたら」と言われてもそう簡単には決断できないのです。

親曰く、「減税があるうちに」ってことなんですが、先立つものがないと負担が重さは五十歩百歩でしかなく。

軽自動車でいいのかなぁとも思うのですが、ど田舎住まいなので毎日のように30分は車を走らせているので軽で大丈夫かなぁという不安もありつつ。

「なぜこんなところで生まれ育ったんだろう」と嘆くばかりです。

ニュース番組の特集で、「二酸化炭素排出量は実は地方の方が多いのはなぜか?」といって実際に現地調査すると、地方ほど一家に何台も自家用車を持っていることが判明し、それが原因なんじゃないかとやってたんですけど、ホント車がないと生活できないんですよね。

そう。

エコカー減税とか言っているけど、本当にエコなのは車を使わないことだし、作らないことなんだと思うんですよ。

民放のニュースは、スポンサーの機嫌を損ねないようにそこまで踏み込んでは言わないけども。

それは、豚インフルエンザが話題になっていた時にも思ったことで、これによって物流も人の流れも止まって経済もストップし、日本に大ダメージを与えることになるなんて論調が目立っていたけど、「その方が地球環境にとってはいいんじゃないか」って。

こんな不景気になる前によく言われていたことを持ち出すと、人手不足だっていう問題と、非正規労働者の賃金の安さの問題と、安くないとものを買わない風潮の問題があったんです。

この3つをすべて解決する方法ってあるのかいねぇと思いつつ、本当に誰もが満たされた生活基準の中で生きていける構造になっているのか。そして、そんなものは存在しうるのかと思って。

つまり、いまの社会システムにはどうしても越えられない限界があって、どこかにしわ寄せをしないと、誰かを不幸にしないと成り立たないんじゃないかって。

「もう昔のような生活スタイルには戻れない」なんてよく聞く言葉だけど、どこかでそれを覚悟する必要も出てきたとすら思ったりしています。

もちろん、すべてを捨て去れなんて言わないし、できるわけもないのですが、ガッツリと立ち止まって、建て前だけの理想論や美辞麗句を掲げて裏側の現実をひた隠すなんてことは、せめてやめるべきなんじゃないかと。

とか言いながら、パソコン使ってこんなこと書いている時点で、自分もみっともないほど矛盾しているんですけど。

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