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2009年11月 7日 (土)

非常識人間によるニュース斬り

基本的に常識がないんです、自分。

なので明らかにポイントがズレた発想しかできないし、分かっていて当然のことに無知だったりするんですよね。

例えば、不景気の意味が分からないんです。

だって、ほとんどの人はほぼ同じ日常を過ごしているはずなんです。

使うお金だって変動してないだろうし、「世間が景気がいいっていうから余分に消費しよう」なんて発想で行動しているわけもないだろうにと。

なのに消費が低迷なんてニュースがバンバン流れ、実際に給料として跳ね返ってくる現実があるという。

そして、そうやって給料を減らしたり、収益が上がらないからといって社員の首を切ったり、採用を減らしておいて、なかなか景気が上向かないなんて言うのも、そりゃ国民の所得が下がってるんだから金も使えないだろうにと思ってしまい。

だから、ここ最近のニュースネタでも非常識極まりないことしか思いつかずに。

多分、いま一番ニュースバリューがあるのが34歳だかの女性による結婚詐欺事件で、これを聞いて思ったのは男性の寂しさだったりするんです。

テレビではぼかしが掛かっている顔だけど、あちこちで見てみたところ、かなりな最下位争いレベルなルックスなんですよね。

だけど、男性たちは心を許してしまう。

被害者は40代や50代が中心だっていうのもさらにその寂しさを助長し、男も女も美形が好きなのは同じなんだけど、男は口ではそう言うけど女性から優しくされたらそれだけで単純にうれしいものなんですよね。

それがモテない人間ならなおのことで、親しくされるとあっさりと勘違いしちゃえるんです。

この女性がやっていることが悪いのは間違いないんですが、自分の理想の追求が至上の目的として、それ以外の人を排除する傾向が生んだ土壌だとも思えてしまい、こんな形での利益搾取は当然ダメだけども、ちょっと敷居を下げて優しさを振りまくだけでおいしい思いはできますよと思ってしまったもので。

もうひとつのニュースで、リンゼイさん殺害事件の首謀者とされる市橋容疑者が、名古屋で整形出中を受けていたというのも話題になっています。

これもねぇ。

ここまで逃げ延びているって時点で、本人だけの力というより、協力者なりの存在を感じてしまうのは自分だけではないだろうし、整形手術の代金は誰が出したんだっていう話になると思うんです。

その上で、先日「グインサーガ」を未完のまま逝去された栗本薫みたいな不適切発言をすれば、もしかしたらそこらの人間よりも生きている充実感というのか、平凡な人生では味わえないしびれるような体験をこの市橋容疑者はしているんじゃないかとも、なんとなく思ってしまうんですよね。

この日々のドキドキなんてハンパないはずだし、知名度や注目度も生半可じゃないなんて、もしかしたらちょっとした優越感すら持ちえるような。

逃亡者なんてフジテレビの番組があるけど、もし市橋容疑者にカメラが密着していて、それをリアルタイムでどこかのネットTVで放送していたら、これが有料でもずっと見続けてしまうかもしれない自分がいたりします。

不謹慎さを承知で言えば、自分の人生は市橋容疑者に完全に負けているんじゃないでしょうか。

2009年10月14日 (水)

ヴェルサーチヴェルファーレベルマーレ

ユニコーンのNewシングル「半世紀少年」。

なんか、もうユニコーンはバンドですらないという脱線具合が。

ドラムがボーカルをとるなんてのはスカパラだってやってたことだけども、その人がドラムも叩かずにラップするなんて前代未聞だし、そんなの単なるオチャラケにしかならないはずなのに、それがちゃんとFMでも流れていて、ユーモアの範疇で肯定的にとらえられているのが凄いし、強いなぁと。

これでテッシーがメインをはるなんて時期がきたら、本当に何でもありになるだろうし、なにをやってもウケちゃうんじゃないかとすら。

それはそれで、本人たちは困るのかな?なんか、図に乗るだけのような気もするけど、いい意味なのか悪い意味なのかはともかく、ファン的にはその方が楽しいからいいんだけど。

しかし、PV見たけどEBIが完全にボケキャラ、いじられキャラになってるんですな。

元々どこか抜けてるタイプだったんだけど、イケメンキャラだったのでそこがかわいらしいみたいな受け止められ方になっていたのが、おっさんになってトボけ具合だけがフィーチャーされだしたのか。

テッシーはもう言わずもがなだし。

10年後、きっとどうしようもないおっさん集団として君臨してんだろうなぁ。

CDが売れない時代だけに、存在感で通用させちゃう戦略はありでしょうけどね。

まぁ、売れないのはCDだけじゃなく、あらゆる業界が売上不振で悩んでいて、ユニクロやマクドナルドなど一部のみが安売り戦略で成功しているんですけども。

そんな市場の変化は日本から魅力を奪っているようで、海外の有名ブランドであるヴェルサーチが事実上日本から撤退したとかしないとか。

別にヴェルサーチで欲しかったアイテムがあるってわけでもないので、個人的にはダメージはないのですが、妙な残念さだけは感じてしまいます。

結局、日本がこれまで注目されていたのはその購買力にあったわけで、その真偽はともかく「いい」と言われるものにはだれかれ構わず飛びついていた気質が、ここまで日本を大きくしたと思うんですな。

それが、いまはお得感にばかり流れてしまい、価値あるものかどうかは問わなくなってきているのは、明らかに活力を失わせる風潮であり。

Jリーグのように、健全経営をモットーに身の丈にあった方針でいくことは、正しさや効率でいったら圧倒的な善なんだけど、それによって必要な成長が奪われてしまっては、ただ無為に時間が過ぎていることと同義になってしまうのではないかなって。

プロ野球だって不景気の影響にあるはずなのに、大幅に年俸が下がったなんて聞かないし、Jリーグより注目度は高く、ファンも変わらず支持しているっていうところに、まだ夢や希望を見ちゃったりするのです。

第一、海外から評価されることでしか審美眼が働かない日本人としては、そこから無視されちゃったらかなり寂しい思いをするんじゃないかなぁ。

ハリウッドスターとかの来日でウキウキドキドキしちゃうあの感じとか、日本人の等身大や程度がそこにこそあるって感じで、必要な刺激なんだと思うし。

ただ、サッカーのビッグクラブの来日はもうなくなっちゃったから、セレブリティーな存在の足がパッタリと途絶える未来はそう遠くはないのかも。

2009年9月23日 (水)

クレヨンで描けない未来

移動販売のやきとり屋を見ました。

見たといっても、視覚で最初にとらえたのではなく、匂いで「あ、これは」って気づいたのが先。

そこで「おいしそうだなぁ」とふと思った自分と、言っちゃ悪いけど移動販売ではたいしたことないんだろうなぁっていう自分が存在したんです。

この正反対の感じ方がほぼ同時に去来したのって、一体なんなんだろうと。

そもそも、「匂いでおいしいって感じるってどういうことだ」っていうのがあって、それはウナギや焼肉でも同じ経験をよくするんだけど、じゃあ匂いどおりのおいしさに出くわすかといったらそうとは言えないんですよね。

味と匂いは比例しないし、さらに言えばやきとりはおいしいものという刷り込みができるほど、やきとりでいい思いをしてきたわけでもないという。

匂いでふと懐かしい思いが甦ったりすることを思うと、嗅覚って他の五感と比べて独特だなぁと考えるんですが、それらはそれなりの歳月を経て生きてきたからこそ感じられるものでもあるわけだから、すべては自分の責任と言っては妙だけど、鼻で感じたことは等身大の範疇で、決して見当違いではないのかねぇとも思ってしまうのでした。

人間として根本がズレているとしたら、それはそれってことなんでしょうけど。

そして、おそらくズレている側の自分がこのニュースを聞いたときに思ったことは、下手な小説家でも思いつかない展開だなぁっていう不謹慎な思いだったりして。

クレヨンしんちゃんの作者が登山中に転落死とかなんとか。

もちろん、驚いたし、悲しむべきことだとも思ったのですが、「まさかそんなことが」の方が強く感情を支配して。

まず、クレヨンしんちゃんという作品のイメージからこんな悲劇は連想できないじゃないですか。

それに、国民的人気マンガを連載中の漫画家が登山中に転落なんて出来事自体が、まったくもって結びつかない展開なんです。

ある種、のりピーと麻薬という関係性にも似たギャップというのか。

なにより、当人が「まさか」の出来事ではあるんでしょうけど、不謹慎ついでに言えば栗本薫の死去でグインサーガの結末が見られないことは欠落感があるけど、クレヨンしんちゃんが未完であることに残念さはないっていうのだけが、まだ救いがあるといってはなんですが、未完ゆえにずっと続く道筋ができたなぁなんて思ってしまい。

しかし、そんなことを思いながら自分でも不謹慎だなぁって思うんですが、結局リアリティのなさって人の想像力を奪うってことなんだろうなとも思うんです。

それは、先日あった乗鞍岳のバスターミナルで熊が出没し、観光客を襲ったニュースでより実感したもので。

去年、事件があった場所に行ったことがあるんですよね。

テレビで見て、「あ、あそこじゃん」って思って急に真に迫る緊迫感を覚え。

「あの建物の2階でまずいそば食べたなぁ」「あの土産物屋のラジオで地震があったって聞いたよな」

確かな皮膚感覚が他人事にさせないんです。

結局、ネットでの過剰なバッシングはそれが欠けているからだろうなぁなんて言ってみつつ、この情報過多の社会ですべてに正しく繊細に対応するには、人間では限界があるんだろうなぁとも思ってしまったのでした。

2009年9月19日 (土)

非ECOなエコナ

「このへん!!トラベラー」は吉本興業が各地域で出演者を代えてやっている番組だけど、他の地域のものは当然見たことがないけど、この中部地方のものは当たりだなって思いながら見ています。

いま最も旬な若手のはんにゃが出ているってだけでも、イメージの上で大きなプラスになっているんだけど、なによりブラックマヨネーズがいるってことが間違いがない面白さを約束していると言えて。

いや、逐一面白いですわ、言ってることが。

なにを言えば笑いに転がるかをちゃんと分かっているというのか。

タレントとしての華こそいっさいないけど、番組の盛り上げを芸人に頼って作ろうって考えるなら、会議で間違いなくブラマヨの名前が挙がっているんじゃないでしょうか。

ファンになろうなんていっさい思わないけど、彼らがテレビに出ていたら思わず見てしまうし、まず外れなく笑っている自分がいます。

これからもずっと売れ続けるなんて確約はいっさいできないけど、当分は食いッぱぐれることはないことは保障できます。

応援はしないけど、がんばれ、ブラックマヨネーズ。

そんなことより。

うちもエコナは結構使ってたんですよね。

だから、このニュースはでっかい反響となって押し寄せてきて。

発がん性がある成分が入っていたとかで、回収騒ぎになっているようで。

健康のために買っていたのに、なにより体に悪かったなんて笑い話にもならないけど、いまのところはダイレクトな因果関係にまでは及ばないっていう解釈らしく、おそらくよほどの具体的な実証がなされないと賠償騒動にまでは発展しないのでしょうが、それでも花王の顔に泥を塗って、その分の売り上げもなくなれば、回収への費用も大きな負担となるわけで。

でも、安いから売れるという時代の中で、「それではエコナも大幅安売り」とした場合、国民はやっぱり手を出しちゃうのかなぁなんて思ったり。

不謹慎ってことでそんなことはしないし、ムードによって簡単に流れが決まる国民性からも「みんなそうだから」ってことで買う人はしばらくはいないのでしょうが、BSE問題の時でもアメリカ製の牛肉を待ち望み、毒ギョウザ問題でも中国製冷凍食品は存在し続け、そのどちらもいまは当たり前のように店頭に並んでいる現実を見るに、ほとぼりが醒めて企業が「健康にはそれほど問題がない」なんて喧伝しちゃえば、値段だけでエコナに走る人だってそう少なくはないんじゃないかなぁと思うのです。

それに、と言うことでもないんですが、いまだに合成着色料や保存料はあれやこれやに使用され、いま高齢者となっている人たちが食べてきた食品には、より濃厚な体に悪い成分が入っていたことを思うと、現実問題の正体はどこにあるのだろうと。

そして、避けるに越したことはない害悪、害毒を真剣に、神経質に避けていては実際には生きていけない現状、悪い意味での妥協をしていかないといけないってことを思うと、おおらかさに逃げて精神衛生上の健康だけでも保っていないとやっていけないんじゃないかなぁなんて、皮肉な思いをしてしまうのでした。

知識人の中では、景気にマイナスになることこそ問題で、あとはバレなきゃいいって考えすら成り立ってそうで、それはそれで怖いなぁって思ったりしつつ。

さて、これからわが家ではどんな油が使われることになるのかねぇ。

2009年9月 9日 (水)

ロリコンだから問題だから

BeeTVのCMで、安室のコンサートとともにマドンナのものもチラッと流れているんですが、あれを見て「あれ、どっかで見たことがあるような」と思ったんです。

それで、記憶の糸を辿ってみたら、そういえば浜崎あゆみもPVで車に腰をかけて妙な横揺れなパフォーマンスをしていたよなぁとなり。

そのネタもとはこれかぁと思った瞬間、浜崎あゆみの浅さをダイレクトに実感し、もし目指している格好よさがそこだとしたら、完全にお門違いだぞと思ってしまったもので。

マドンナですら、なんか微妙なステージングだなぁって感じなのに、浜崎さんではあまりに等身大から遠く、苦笑を呼び寄せる感覚すらあるのに。

現行ではまだまだオリコン初登場1位が当たり前なランクではあるんですが、振り返ったら背後に崖が迫っているんじゃないでしょうかねぇ。

エイベックス自体が鈴木亜美とか後藤真希を呼び込んだり、小室哲哉をつなぎとめたりしていて、新しいソフトを生み出すパワーに欠けている状態なんだし。

それとも、自分が知らない世界ではまだまだ影響力があって、エイベックスから発信される音楽はイケているとなっているのかなぁ。

どちらにせよ、そう思うタイプの女性は好みではないんですが。

世間的にも、大きな意味でエイベックス的な影響力の中にある女性がいいと思う男性って、多数派ではないんじゃないかなぁとも思ったりするのは、どれだけそこで見せるカッコイイ女性像を支持する声があがっても、音楽という媒体から離れたらニーズがないように思えるから。

そして、未成年への性犯罪を耳にするたび、そこからの反動を思っちゃったり。

この前も、大学生が小学生の女の子を連れまわしたとして逮捕され、「あわよくばいたずらしようと思った」と供述しているとかで、ミクシィなんかではロリコンバッシングがお盛んにやられていたんです。

でも、自分が思い出したのはそのちょっと前にあった高校生が中1の女の子を買春したっていう事件だったりして、あれについては半笑いな論調が多かったんだけど、ほんの数年の差による印象の違いだけで、事件の持つ本質は変わらないんじゃないかなぁと考えたんですよね。

だって、かつてなら二十歳くらいの男性がロリコンと言われることもなければ、その年齢でロリコンという性癖が成り立つとも思われなかったはずで。

ようは、女性へのリアリティのなさが同根としてあって、そこに性的な興味の先走りが行為を生んだだけなんじゃないのかなぁと。

そして、その裏返しにあるのが日本人に根強いピュアさへの信仰で、大人なりの意味や価値を卑下することが、ねじれを作っちゃうんじゃないかとも。

まぁ、この事件への反応を見ても、躊躇なきバッシングの氾濫が目立ち、そこに成熟さは見受けられなかったもので、叩いていいとなったら自動的に無礼講モードになる無神経さというのか、その無理解さが、「人間として」の程度への配慮や我が身を振り返る敏感さの距離も見失わせていて、墓穴を掘る可能性を作ってしまっていると。

都合がいい部分だけは安易に馴れ合うのに。

それとも、楽をしすぎるのも、無理をしすぎるのもよくないんだけど、そこのブレを持つのも人間らしさだと許容しなくてはいけないのでしょうか。

2009年8月 1日 (土)

豪雨に流されるもの、流されないもの

既婚者の弟が、桜庭ななみと再婚するという夢を見た。

夢の中での設定がいまから3年後くらいになっていて、すでにわが家に桜庭ななみも居座っていたんですが、これがまた性格が物凄く悪かったんです。

しかも、酒を飲むとさらに性格が酷くなり、暴言や暴力は当たり前みたいな調子に。

自分はよくこんなんと結婚したなぁと言うと、弟は「これでもカワイイところがあるんだよ」と照れながら言っていました。

夢の中の自分は、「モテる男は違うなぁ」と妙に感心して夢から覚めるんですが、なんかいろんな意味でショックな内容でした。

この前更新した好きなアイドルランキングでも、桜庭ななみはあえて入れなかったのですが、別に夢を信じるっていうわけでもないんですが、これで余計に心象が悪くなったというのか、「やっぱり避けておこう」なんて思ってしまいました。

いや、別に桜庭自身を「性格が悪そう」って前から思っていたわけではなく、なんか真野恵里菜が「なんかないなぁ」と思えてしまうのと同じように、感情移入を阻害するルックス情報を持っている気がするんですよね。

あと、自分が目をつける以前からすでに売れっ子ルートに乗っかっているような感覚もあって、先物買い指向の自分にはそぐわないっていうのもあったりしつつ。

さて、この夢の話を家でしていいものなのかどうか。

うちの親には大丈夫だろうけど、弟にはどうか。弟の奥さんはやはりまずいネタか。

ちょっとチャレンジして、笑いに代えてみたい冒険心があったりはするのですが。

などと、家庭内で嵐を吹き起こす前に、気象状況がわが家近辺に文字通りの嵐を吹き荒らす可能性もなきにしもあらずだなと、最近のニュースを見ていてよく思います。

日本各地で豪雨災害がハンパないことになっていて、こういってはなんだけど「たかが雨によって」、これまでの日常があっと間に遠い過去、取り戻せない過去にしてしまう。

誰だってその時を迎えたら、「思ってもみなかった」こととして振り返るんだけど、こと雨なんてものはありふれて体験しているものであり、これまでも物凄い降水量だった時を経験してきていて、「たかが知れている」というものだったんですよね。

だからこそ、被害にあうなんて想像も付かないし、もしかしたらテレビで見ている人たちもピンときていないのかなぁとも。

自分だって、ショックというより呆然とするしかないのかもと思いながらニュース番組を見ていました。

それにしても、というのか。

みんな、当たり前のように明日もいつもどおりの日常がくると思って、生きること前提なんですよね。

家の中のものも、「もし明日、自分が死んだから」と考えて整理された状態なんかにはしておかないし、だから「もしかしたらあるかもしれない災害」に対応なんてできていない。

よく地震なんかでも「いつ起きてもいいように常に供えが必要」なんて、政府などが広告を打つけど、警戒心が高まる瞬間ができこそすれ、それを持続なんてしていられないのが人間なんです。

生きる上でそればっかりはやってられないし、不用意で不注意じゃないと充実はやってこないとすら。

それを思うと、しょせん人間なんて運ですべてが決まっちゃうのかもしれないし、意志や思惑なんて些細なことしか左右しないのかもしれないけど、そのちょっとした積み重ねがいつか大きな違いを生むと信じていないとやっていられないのも、また人間なのかもしれませんな。

2009年7月29日 (水)

自動車でエコを叫ぶ矛盾

ストローハットにタンクトップにクロップドパンツ、なんてファッションに挑戦してやろうかと、ふと思ったりしています。

柄にない格好だし、そんな年でもないとは思うのですが、だからこそやらかしてやろうかと思ったり。

なので、ちょくちょくと最寄のWEGOに行ってはいるのですが、いざ買うとなると躊躇症状がハンパなく押し寄せ、意気地なし丸出しでその場を去ることを繰り返しています。

イケてる店員さんにそのアイテムを持ってるのを見られるだけで笑われそうだし。「お客さん、本気ですか」的な。

どう頑張ってもヲタな気質は消えないので、垢抜けきることは一生ないのでしょうが、自分でその殻にこもると決めちゃうのもイヤなんだけどなぁ。

こんな、踏み出す勇気を持っていない自分なので、「そろそろ車を買い換えたら」と言われてもそう簡単には決断できないのです。

親曰く、「減税があるうちに」ってことなんですが、先立つものがないと負担が重さは五十歩百歩でしかなく。

軽自動車でいいのかなぁとも思うのですが、ど田舎住まいなので毎日のように30分は車を走らせているので軽で大丈夫かなぁという不安もありつつ。

「なぜこんなところで生まれ育ったんだろう」と嘆くばかりです。

ニュース番組の特集で、「二酸化炭素排出量は実は地方の方が多いのはなぜか?」といって実際に現地調査すると、地方ほど一家に何台も自家用車を持っていることが判明し、それが原因なんじゃないかとやってたんですけど、ホント車がないと生活できないんですよね。

そう。

エコカー減税とか言っているけど、本当にエコなのは車を使わないことだし、作らないことなんだと思うんですよ。

民放のニュースは、スポンサーの機嫌を損ねないようにそこまで踏み込んでは言わないけども。

それは、豚インフルエンザが話題になっていた時にも思ったことで、これによって物流も人の流れも止まって経済もストップし、日本に大ダメージを与えることになるなんて論調が目立っていたけど、「その方が地球環境にとってはいいんじゃないか」って。

こんな不景気になる前によく言われていたことを持ち出すと、人手不足だっていう問題と、非正規労働者の賃金の安さの問題と、安くないとものを買わない風潮の問題があったんです。

この3つをすべて解決する方法ってあるのかいねぇと思いつつ、本当に誰もが満たされた生活基準の中で生きていける構造になっているのか。そして、そんなものは存在しうるのかと思って。

つまり、いまの社会システムにはどうしても越えられない限界があって、どこかにしわ寄せをしないと、誰かを不幸にしないと成り立たないんじゃないかって。

「もう昔のような生活スタイルには戻れない」なんてよく聞く言葉だけど、どこかでそれを覚悟する必要も出てきたとすら思ったりしています。

もちろん、すべてを捨て去れなんて言わないし、できるわけもないのですが、ガッツリと立ち止まって、建て前だけの理想論や美辞麗句を掲げて裏側の現実をひた隠すなんてことは、せめてやめるべきなんじゃないかと。

とか言いながら、パソコン使ってこんなこと書いている時点で、自分もみっともないほど矛盾しているんですけど。

2009年7月15日 (水)

児ポ法後に広がる美しい景色

児童ポルノ法が、なんか修正っていう形なのかな?で新たに成立する見通しだとかなんとかで、ネット界隈では話題になっているようです。

これに批判的な意見が大半っていうところに、このネットの質がどこにあるのかを思わせる部分がありつつ、ヲタな気質がある自分もちょっと息苦しさを覚える法案だなぁとは感じているところで。

単純によく分からないのが、これがなにを目指しているのかっていうことで、そんな明確に悪いこととそうでないことが区分できるのかいねぇっていうのがまずあるんです。

話によれば、娘の裸の写真でもアウトとか、中高生時代の同級生の水着姿でもアウトとか、なんだか非現実的な話ばかりが漏れ伝えてくるのです。

それで、何を基準に問題にするかと言えば「性的な興奮を刺激するもの」っていう、これまた実に曖昧なもので、こんなのロリコン趣味がある人間じゃないと判断できないんじゃないかっていう言い方すらできて。

でも、これをなんの躊躇もなく通すっていうことは、その気がない人が、自分たちの常識の範囲内で分かりうることが正しいっていう、そんなザックリした発想があるからのことのはずで、そんな杓子定規なPTA的な見地でなにが分かるんだっていうことなんですが。

結局、自分たちの腹が痛まないことで、世間的にアピールできる政策を作ったっていう、イメージ戦略のなにものでもないってことなんですよね。

そういう人たちの価値観ってなんなんだろうって思うし、それが時代性を理解しているのか、現実的なものなのかっていう嫌疑すらあったりして。

いまでも未成年と18歳以上がセックスをしたら児童虐待ってことになるみたいだけど、細かいことを言えば18歳未満と小学生ならいいのかってツッコミができちゃうし、おっさんが中学生とセックスすることはトラウマにけど、中学生同士のそれはすべて清い恋愛によるものだから問題がないと言えるのかと。

未成年同士の恋愛は純粋だと言い切れるのかと。

もっと言えば、恋愛があってのセックスならトラウマにはならないからセーフなのかと。

ならおっさんと中学生でも恋心が芽生えたらOKなわけで、それを第三者がどう判定するのかっていう話にもなり。

こうなると、そもそもの正しい性意識についても問いたいところで、セックスって動物的本能でしてはいけないのかという。

相手の性格を尊敬して、深い理解が成立して、そこから相手の子供が欲しいからセックスするという変遷があることが、正しい流れだとでも言うのか。

そういう、前提すらはっきりしないことをとらえて、どう規則を設けて、罰する正当性があるのかと思ってしまうのです。

金銭によって性的弱者が貪られることが肯定なんてできないのは当然のことなんだけど、理解できないことを排除することがその裏側にあるとしたら横暴だし、カワイイ子をカワイイと思いたいの一部分に性的な妄想が混在する程度は、規制しきれない範疇のことなんじゃないかなぁと思ったりするのですが、それとも「あるべき姿」っていうのがこの法案を作った人たちにはあるのでしょうか。

なら、それをまず伝えてもらいたいものなのですが。

本人が意に沿わぬ形で性的に搾取されることを問題にすることと、未成年を性的な存在として意識することを問題にすることが混同されていると思うし、そこの差や距離はかなりでかいと思う次第で。

大体、自分の水着姿がポルノにあたると言われることを、当人たちはどう思うのかっていう話もあるし。

なんというのか、ローティーンでお嫁に行くのが普通にあった時代があったのも日本であれば、中学生がアイドルとして活動してきたのもここまでの日本の芸能界なのにねぇ。

2009年6月26日 (金)

セブンイレブンなりの多分言い分

セブンイレブンの見切り販売が云々っていうニュース。

どうなんでしょうか。

早速、そこらのコンビニで動きが出ているのでしょうか。

これについては、以前から廃棄するよりは賞味期限前に値下げして売りさばいた方がいいっていう声が多くて、自分もそうするだきだと思ってたんですが、色々と考えるとそう簡単にも言えないことなのかなぁとも思ったり。

チェーン店の存在意義を考えたら、すべて横並びでこそ意味があって、フランチャイズが好き勝手やっては収益のばらつきも出て結果的に非効率なことになり兼ねないとも思えるのです。

だから、現状のままがいいっていうことでは勿論なく、こういう裁定が下されたのだからいかによりよい対応ができるかに頭を回すべきで、売れ残りをいかに少なくするかのシステム作りを考案し、新しいスタンダードをこそ作る必要があると思うんですな。

どのコンビニだって一日に何度かトラックの行き交いがあって、その都度商品を卸して空きを作っているのだから、早い段階で売れ残りになりそうなものを他の売り上げがいい店に持っていくとか、「おいしくいただく期間を過ぎただけでまだ食べられるもの」という解釈の元に、ただ安く食事できることを主目的とした場所を作りそこで売るとか。

うちらの世代はもったいないオバケの亡霊に乗っ取られているから、こういうのって生理的にイヤなんですよねぇ。

うちらの世代と言えば、もうひとつドラクエ世代だっていう話もあるのですが、それについてもちょっと書いてみると。

もうすぐ発売ってことで、これまでなら何の疑いもなく即ゲットが当たり前の姿勢だったんですが、いまちょっと悩んでいます。

やはり、かつてほど待ち遠しいものでなくなってるんですよねぇ。

主観的にも相対的にも。

なにより、テレビゲームを本当にやらなくなっていて、プレステだってドラクエ目的で買いつつもウイイレだけのハードになって久しいし、これでニンテンドーDSを買うにしても、その後の利用目的がなんにも思いつかず。

また、ドラクエを自由にプレー時間もそう多くはない現状、思う存分楽しめないこと自体が苦痛になってしまうような。

それに、別に昔みたいにいま買わないと手に入らないなんて種類のものではなくなっていて、そうなると今すぐやらなくても、将来の楽しみとして残しておくなんて選択肢もそこにはできてくるわけなんです。

うーん。

これは、悪い意味で年をとったがゆえのことなんでしょうな。

飛びついて貪りつく意欲もなければ、そう思えるだけの夢も希望ないっていう。

でも、いざプレーしたら楽しめるだろうなっていう感覚もあるんだよなぁ。

そこの部分のドラクエへの信頼感や安心感は揺らいでないですから。

2009年6月13日 (土)

見えない世界が見せた快挙

主に坦々麺とカレーに多いと思うんですけど、辛さをことさら強調してその店の売りみたいに宣伝しているところがあるけど、それがどうにもしっくりこないんです。

だって、「ここの店はどこより辛いのかぁ。じゃあ入るか」なんて思う人、そうはいないと思うんですよ。

COCO壱番屋みたいに辛さ調節できて、そのふり幅が大きいっていうのなら、「じゃあ挑戦してみよう」っていうのは分かるんです。

辛いのが好きな人ももちろん一定数はいるのでしょうが、そういう人がひとりで店に入る確率を考えたら、そうじゃない人も一緒に誘えることをこそ想定するべきだし。

なのに、「辛さ一番!」みたいに言われても。

いっそ、喫茶マウンテンみたいにゲテモノの頂点に立つくらいの気概で、これを食えたら周囲に誇れるくらいに極めてくれたなら、ちゃんと認めてあげられるのですが。

それに比べて、なんていっては失礼なんでしょうが、国際ピアノコンクールで優勝した辻井さんは文句なく凄いです。

それは「全盲なのに」と言う方がより失礼だというくらいに。

いや、もしかしたら日本のコンクールだと逆に全盲だっていうことでグランプリになることがないから、余計にそう思えるのかもしれませんね。

あえて選ばない意識があるというのか、そこを押し切って選出するほど器がないというのか。

その手のコンクールだと、みんなが見知りの間柄とかありそうだから、「なんで目の見えない奴よりこっちが劣っているんだ」なんて陰口なり直接の愚痴すらある危険が、そうさせないのかなぁとも。

でも、いざ海外で評価されちゃうと諸手を上げて持ち上げて、うまみのおこぼれに群がり、蜜を吸い尽くしたらサッと去っていくというパターンがやってくるという。

そういう意味で、辻井さんは海外を拠点に頑張って欲しいなぁと思う次第で。

家族もいるから、なかなかそういうわけにもいかないのでしょうけど。

そういえば、記者会見では早く自立したいとも言っていたようだけど、不見識な自分は「盲目の人の自立した生活」がちょっと想像できないんですが、ちゃんと世間では成り立っているのでしょうか。

結婚をしたいとも言っていたようだけど、それもどう出会うのかっていうのもあるし、どういう基準で相手を選び、好きという感情が沸き起こるのかとも。

いや、そういえば辻井さんが全盲なのは生来なのか、生まれてある時期からなのかが分からないのでなんなんですが、生来だとして単純に盲目の人の世界って自分なんかとは全然違うんだろうなぁと思ったりするのです。人それぞれでは区切れないほどに。

見えることで分かることもあるけど、見えないことで分かることもあるし、見えないがゆえになんらかの手段でその不足を補って、自分の中で整理しているんだろうなぁとも。

匂いや触感だけでその物体をイメージする豊かさとか。

ピアノコンクールでの優勝で、その実力は認められたと言えるんでしょうが、逆に辻井さん自身が感じている音そのものを理解できているのかっていう話すらあって。

だから、変に分かった気になるのはよくないなと。

それは、障害者を妙に清い存在のようにしてしまうことの危うさも含めて。

これによって苦労が絶えることはないのでしょうが、ピアノの音が曇らないようにがんばっていって欲しいものです。

2009年6月 6日 (土)

足利事件という氷山の一角

「いわゆる、足利事件」と言われてもピンとこないんですが、無罪で17年ぶりの釈放と言われるとなにかと考えてしまうものがあります。

とりあえず、本当に無罪の人だったということを前提に書いていきますが、法律的にはまだなにかとあるのかもしれないし、「DNA鑑定はそうだったけど実際は」なんて可能性だってまったくないわけでもないので、そこは「もし自分が無罪で捕まったら」という誰でも思う発想の類いと思ってください。

まず、自分は何もしていないのに、なんの心当たりもない罪で逮捕されたとしたら、その時人はなにを思うのだろうと。

最初はやっぱり、「真犯人がいるんだから、それが出てくれば潔白が証明される」と思うものなのか。

それとも、「なにがなんだか、意味不明でさっぱり訳が分からん」という気持ちの整理がつかない方が先なのか。

それ以前に、警察に連行されなければするはずだったことのことや、直近のスケジュール、ずっと見ていたテレビや読み残した本の続き、仕事の今後に、なにより家族や友人や仕事先のことが気がかりでしょうがなくなるのかとも。

そして、漠然と「きっとそのうち」も罪人としての自分が作り上げられていき、不安から焦燥、やがて絶望に身をやつすことになったのかなぁと。

いや、もっとシンプルにその理不尽さへの怒り、不当逮捕した警察への憎しみに身をたぎらせたのかなぁ。

こんな想像も、2~3年の範疇なら「なんとなくそうかも」くらいは思えるけど、17年ともなると範疇を大きく越えて。

人生というスパンで考えてしまうと、すべてが無茶苦茶になってしまい、それこそ何のために生きてきたんだろうと、生まれてきた意味なんてなかったじゃんと、精神がいかれてもおかしくない思いが全身を襲うと思うんですよね。

こうなると、自分が死ぬこと、こういう目にあわせた相手を殺すことのどちらかが、もしかしたら交互に頭を支配しても不思議ではなく。

さらに、今回の無罪による釈放に至ったことは、おそらく喜びなんて些細なもので、安堵も慰め程度で、尚のこと「俺の人生って」という虚無感と、警察への憎悪で、暗い炎をメラメラさせる、俗に言う「これはゴールではなくスタートだ」でしかないような。

うーん、誰にだってあることだとも言えるだけに、複雑な思いにさせられます。

もしかしたらこれからあるのかもしれない、手記だったりインタビューだったりがあるなら、この感覚が残っていたら絶対に見るだろうな。

それにしても。

警察は「人の人生を狂わせたんだから、一生をかけて罪を償え」的なことを言っているのに、自分たちが人生を狂わせたら「捜査方法は間違っていなかった」程度のコメントですませるんだものなぁ。

これを犯罪者として裁くと、警察機構が成り立たないのは分かるのですが、今回の菅家さんからすれば、「警察こそ犯罪者そのもの」と言ってもいいすぎじゃないんですよね。

すっかり忘却の彼方の、ペットを殺された恨みとかで官僚トップを狙った犯人がいたけど、この人が今後の人生の中で沸々と溜まっていくものがあって、それがやがて殺意に変わったとしても「それは間違っている」と言い切る自信は自分にはありません。

人は誰でもミスをするのでしょうが、犯人を捕まえるという実績のみを優先した捜査が問題になってかなりが経つんだから、そろそろその組織構図にメスをいれていいし、もっと国民は怒っていいし、マスコミもこういうときこそ民意を煽れよと思ったり。

今回で当時のDNA鑑定が不正確だと分かったのなら、それによって刑に処された人たちはまだまだいるわけで、それだってどうするのかという話もあるんだし。

警察が正義だとは思っていないけど、せめて法に忠実であれよと思うのでした。

いまの警察は、警察という組織のため、自分たちの生活のためにやっている警察屋でしかないんじゃないかと、ズバリ。

2009年6月 5日 (金)

ガールズトークの正体

モデルのマリエが「1日5回はセックスしたい」と発言したとか。

それを言ってなんになるんだろうと。

誰に対するアピールなのかと。

自由に、奔放に生きている様がカッコイイと思ってのことなのか、そういうイメージで売ることがプラスになるという判断があってのことなのか。

少なくとも、アイドルを目指しているわけでも、アイドルを好きなるような人種に好かれたいと思っているわけでもないのは確かなんだけど。

無視された側から言わせてもらえば、セックスしている姿が容易に目に浮かぶ女性は、逆セクハラと言っていいほどで、その下世話さが不愉快なんですよね。

お前らの至上とする快楽性は非現実的な存在としては、おぞましくすらあると。

ただ、そこにイマドキの女性たちの志向性があって、イケてて、格好よくて、ちょっと悪い感じで、でもフレンドリーなっていう、開放的な楽しさに浸らせてくれる男性たちが望ましいようで。

京都教育大学の学生6人による19歳の女性への乱暴事件を聞いても、どっちもどっちという意見は世間では通用しないのでしょうが、非モテ側からすれば同じ世界の人たちによって起きたことにしか見えないんですな。

もちろん、そうなっても仕方がないなんて覚悟をしてる女性なんているはずもなく、していい理由もないんですが、延長線上にある危険なのは間違いがなく、「でも、実は真面目で」なんて条件を付けることで、そこまで述べた理想は一気に非現実的なものになると思われて。

それは、非モテが夢見る女の子がいないのと同じという、一気に両極の立場が肩を並べる羽目になるんですが。

「男の子牧場」とかいうお見合いコンパの男性たちを値踏みするSNSが非難の的になって、あっとう間に閉鎖に追い込まれたようだけど、女性がそんな男を人間扱いをしない顔を持っているように、男性だって裏ではそういう気分の共有があっても不思議ではないんです。

血気盛んな年代で、心身が必要以上に元気で、女性側から寄ってくるなんて環境にあるなら、逸脱する確率も高くなろうとも。

若気の至りでは許されないけど、誰だって勘違いをする時期の中ではイケてるがゆえに陥りやすい罠でもあって。

というか、この男の子牧場に、いかにも神秘的で意味ありげに言われる「ガールズトーク」ってやつの正体を見た気もしつつ。

なので、どっちもどっちではもちろんないんですが、自分からその世界に所属しているという自覚はあっていいとおもうし、自分たちが夢想する世界のイケメンは非モテが萌えアニメに出てくる女の子と同列だって思ってもいいんじゃないかねぇと思うのでした。

2009年6月 4日 (木)

本当のことを言っちゃえよ

ガレッジセール、結局もう一皮むけずに終わっていきそうですね。

「ワンナイR&R」がそれなりに人気番組となり、雨上がりやココリコと同ランクという見方がされた時期もあったけど、思いのほか早かった番組終了と、その後の出演番組にヒットがなかったことが大きく、いまではあまり見かけないくらいになってしまいました。

「シャルウィダンス?」なんかは結構に力が入っていて、そもそもが「ウリナリ」の人気コーナーだったこともあり、吉本もブッキングした時点で「これで一安心」くらいに思っていただろうなぁと。

よく知らないけどまだ「笑っていいとも」のレギュラーは守っているのかな。

それがなかったら、「アドレナガレッジ」くらいじゃないかねぇ。

あとは、中京テレビの「ゴリ夢中」があるくらいで。

なんというのか、めぐり合わせや出会いって大事ですな。

それに恵まれたことが幸いしたケースと言えるのか。

イギリスの歌のオーディション番組で、一躍人気者になった48歳の女性が注目されています。

確かに、歌っている姿を見ましたがええ歌声をしてるんです。

でも、どう考えてもそこが脚光を浴びた理由とはなっておらず。

ようは、ブサイクなんです。それも、かなりパンチの効いた。

そうじゃなかったら誰も話題にはしないことなのに、なぜかそういう文句が踊ることはないんです。

その気持ち悪さといったら。

だって、どう考えたって「この顔で」と思っているから、「なのに凄い」が利いてくるわけなのに、建て前ばかりの「歌が上手」が横行しちゃっているのは不自然でしょうと。

なんなら、ブサイクだから応援してあげようくらいの、優位な立場からの視線すら感じるくらいなのに。

この無言の部分を、自分的には指摘して回りたいなぁとすら思ってしまい。

人間ってそういうところがあって、その人の実力の客観的な評価よりも、ハンディがあるとかの背景に意味を感じることが多いんですよね。

分かりやすい物語がないと、本質なんかは理解できないくらいの勢いがあっての。

そのくせ、そこでの盛り上がりは一過性のもので、すぐに飽きて違う分かりやすい物語を追いかけているんですが。

好きになったらずっと見守っていけよと思うのは、大人じゃない発想なのでしょうか。

いや、自分もアイドルとかは使い捨て感覚で見ちゃっているけども。

2009年5月26日 (火)

武将になっていく女性たちとずっとピンポンが好きな男性たち

新型インフルエンザの話です。

といっても、流行ってるねぇとか怖いねぇとかいうこと以前に、みなさん会話をする時「新型インフルエンザ」って言っているのかなぁと思って。

自分はいまだに「豚インフルエンザ」って言っています。

なんなら、「豚フル」なんて略し方までしています。

周囲でも「新型インフルエンザ」とはっきり言ってる人はそう見かけません。

なんなら、前述した「怖いねぇ」「流行ってるねぇ」なんて切り出し方で、もうその話題だって受け取るような形で。

そして、話は案外「マスクがなくて」とか「飛ぶように売れてるらしいぞ」なんて、やや脱線した方向に流れていくんですよね。

これが、なんだかんだ言いながらも緊迫感をそれほど持っていないことを感じさせる部分で、「もしかしたらここらあたりでの感染者第一号は自分かもしれない」なんて発想は皆無だっていうことを言っているようなのでして。

そのくせ、いざ感染者が出たら「なに自覚がないことをやってんだ」と大バッシングをしたり、「勘弁してくれよ」なんて突き放したり平気でするという。

だから、公の組織や団体は、批判の隙を作らないように過剰な対応をとるという循環が生まれている始末。

ホント、この二重構造って日本っぽいなぁと。

本音と建て前の使い分けは昔からあるのでしょうが、それにしたたかさが加わってきている風情すらあり。

それは、賢くないことをやっちゃいけないという風潮であり、損をするなという姿勢であったりの。

だから、逆にお笑いやおバカキャラが持てはやされる現象が起きていて、他人のアホな姿を見ることで安心できるから、好意的に見ていられるし、真面目でお堅いものよりもそちらをチョイスしたくなる現実があるんじゃないかなぁって。

それとちょっと似た世界になってきているのが女性の恋愛事情というのか。

草食系男子ブーム、みたいな特集が増えてきてるんですが、実は女性からは不評のようで、もっと積極的にアプローチして欲しいっていう声が多いようなんです。

さらに、婚カツブームっていう話から、30代だと急に相手にされなくなることへの不満もちょくちょく見かけるんですな。

でも、そんな状況を作ったのは女性側に原因があって、自分たち主導の行き方にシフトして、理想の男性像をより鮮明にして異性をふるいに掛け、自分たちも自らの理想を追求して30代に突入とかされてるんだから、そりゃはなから相手にされないって大多数の男は思うわけなんです。

それに、年齢を重ねてより魅力的になったから男性もそれに惹かれると思っていたら大きな勘違いで、別にそこまでの努力は男性にとって魅力的なものとイコールではないんですよね。

なのに、自分たちだけ自分たちが好きなように武装しておいて、「さぁ、お前たちも互角に戦え」なんて求める方がナンセンスだと。

ブラウン管の向こうのことなら、無責任に笑っていられるんでしょうが、実際に人間同士で交流するなら相手があってのことなので、自分側からも歩み寄る工夫はして当然なんじゃないでしょうかねぇ。

まぁ、どちらにせよ非モテな我々には最初からお声が掛からないからどうでもいいんですけど。

2009年5月23日 (土)

婚カツなんてシャボン玉

西田ひかるの誕生日パーティーじゃないけど、「なぜにこれが当たり前のように報道され続けているんだろう」っていうのがちょくちょくあるんです。

その中のひとつに、トリンプのその年を表したブラジャーっていうのがあって。

今年は婚カツだったのかな?

その映像を見たんですが、とにかくくだらないんです。

例年どおりのくだらなさというのか。

あれを報道番組で流す意味ってあるのかっていうくらい。

だって、実用性がないのは当然のこと、そう言われないとピンとこない出来具合っていうのは一体なんなのかと。

いや、「うまい。上手に表現してるなぁ」っていうのなら風物詩になりうるんでしょうけど、そんな調子で誰が待ち遠しいと思うのかっていう。

それでちょっと思ったのは、合法的に女性の下着姿を放送できるっていう、それだけのことで扱っているんじゃないかなぁと。

男性視聴者の食いつきだけのことで、それ以上でもそれ以下でもない存在価値と。

で、そんな程度のことのために意味不明の下着を着させられている女性モデルはどう思っているのかなぁなんて思ったり。

というか、下着姿が日本中で流されても平気な、少なくとも記者会見でそんな姿が大勢のカメラマンにバシバシ撮られても大丈夫な人っていうだけで、ちょっと違う神経回路をしているのかもしれないけど。

そんな。

トリンプの今年のテーマは婚カツってことだったそうだけど、なにやらプロ野球の北海道日本ハムがホームゲームで「婚カツシート」という男女の出会いのきっかけのためのシートを作ったところ、女性側から定員を大幅に超える申し込みがあったのに対し、男性からは期待の4分の1程度しかなかったなんてニュースがありました。

いやぁ。

草食系男子って本当に増えているんですねぇ。

というか、どんだけ女性たちはガツガツしてんのかって話なんだけど。

なんなんでしょ。

女性はそれになにを期待しているのかってことだし、男性はなにも期待してないんだなってことなんだし。

きっと、女性は興味半分で楽しければとりあえずよく、いい出会いがあれば棚ボタってくらいの行動力があるのかな。

それって強気だし、男からすれば強すぎってことで、そりゃ男性は最初から敬遠するわけだわなとも。

なんか、そろそろ女性たちも男性側の気分に降りてくるようなことをしないと、自分のスタイルを守ってすべてを得るなんてことは限られた人の特権でしかないって気づく時期にきてんじゃないかなぁ。

女性はいまだに恋愛がトップ項目なんでしょうが、男性にとっては必ずしもそうではなくなりつつあるみたいだし、ね。

2009年4月26日 (日)

他人の死

最近、日本ででっかい地震のニュースを聞かないのが不気味です。

そろそろでっかいのがドカーンとくるんじゃないかと。

春らしからぬ暑さが続くことも、後から振り返ってその予兆だったなんて言われそうだし。

特に東海地区は間違いなく大震災が起こるって言われて久しく、ある時期やたらと警戒を呼びかける番組が放送されてたんですよね。

それが、ここ最近はまったく触れることをしなくなったことが逆に怖い。

まさに「忘れた頃にやってくる」そのものじゃないですか。

だからって、じゃあなにをしておけば大丈夫なのかって問題もあるのですが。

しかも、これのブログは時差投稿なので、その間に起きてしまったら目も当てられない予言になっちゃうことも。

いやぁ、考えるだけでへこむなぁ。

もちろん、こんなことで一喜一憂している間にも、普通にそれぞれの理由で亡くなっている人はいるっていう想像もするべきことなんでしょうけどねぇ。

先日も、かつてテレビの人気者だった清水由貴子という人が自殺をしたんですけど、往年ってことでおそらくガッツリとした衝撃を受けた人の方が少なかったと思うんですよね。

もし人気絶頂の時なら、多くの人が悲しむ様子が放送され、追悼番組なんかもあったりしたろうにと。

芸能人的に不遇さすら覚える現状もあいまって、一抹の寂しさだけが強調されて感じられるという。

このことを、果たしてどう思えばいいのか。

同じ日には、和歌山の毒物カレー事件の林真須美被告に死刑が求刑されたなんてニュースもあったけど、これだって自白や物的証拠のなんらない周辺状況からの推察の積み重ねが導き出した状況証拠による判決結果と聞くと、事件が話題になった時期の印象との距離に驚くばかりで。

だって、当時は「いかにもこいつが悪そうで、早くとっ捕まえて死刑にしちゃえ」なんて空気がバンバンだったし、その空気の中で彼女の自宅は落書き放題になっていて、最後は放火されて消失したくらいなんです。

それがなにか許されるかのような時代の気分があった。

その、「死んで当然」の後押しがあった頃と、「なんか怪しい根拠だけど、ま、いいか」という完全に興味を失ったいまの受け止め方の差。

このことも、果たしてどう思うべきなのか。

結局、他人の死でしかないってことなのかなぁと思うんです。

話題として消費できるものなら、なんとなく共有しているつもりにはなれるけど、その範疇になかったら頭を使うことすらしなくなる。

地震の話に戻れば、阪神大震災で亡くなった人たちの家族はいまだに心から消し去ることは出来ない記憶も、他の県民にとっては年に一度は報道される「あの震災から何年」みたいなものも引っ掛かりを覚えなくなっている。

だから人間は生きていけるんだっていう現実もあれば、当事者にとってその論理は納得できない現実もあり。

でも、一番ありそうな現実は、そんな当事者に死についての話題をされると、さもその思いが伝わったかのような反応をする人間の図だったりするのでしょうが。

2009年3月 8日 (日)

子供のセックスを笑うな

なんでしょう。ここにきてベッキーをやたらテレビで見かけます。

エッセイかなにかを出版したってことあるようですが、宣伝したいからってだけでみんな喜んで出してくれるわけもなく、視聴率なりの確かな反響があってのゲスト起用になっているんだろなと想像し。

ひとつのきっかけはおそらく「アメトーク」の「ベッキー凄いぞ芸人」があったからで、ここでみんなで持ち上げてもいいんだ、もっと楽しんでいい存在なんだと思わされた部分があるんじゃないかなと。

そして、時代的にも新しいアイドル像が臨まれていて、それが明るくて元気で、そしてスキャンダル性がまったくないベッキーとちょうど符合したのかなぁと思ったり。

一応、「おはスタ」でそれなりに見てきていて、本人も転機になったという「笑う犬」も熱心な視聴者でいた口としてはうれしい大ブレイクと言えるんですけど、こうなると変にピークを作った反動が怖いなぁとも思うんです。

いまのところ、ゲスト出演だけで場つなぎをしている立場ではなく、レギュラー番組もちゃんと持っていることが強みになっていて、特に「イッテQ!」が数字的にも上向いてきて、イモトアヤコなどの人気者が出たり、宮川大輔のお祭り男シリーズも視聴率が見込めるようになってきたから、ベッキー自身も旬を保てはするはずで。

あとは、冠番組を持てるタイプではないだけに、プラスアルファの売り、芸能界以外でも通用する武器を備えると、長く使い続けられる存在になるのになぁと勝手に考えているのでした。

いや、できれば当分はベッキー自身が禁止している恋愛はせずにいて欲しいのですが。

そんな、個人的な恋愛禁止を「恋して当たり前なのになんで」となる現代の風潮に一石を投じたのが、イギリスだったかな?の13歳の少年が15歳の女性との間に子供をもうけたっていうニュースで。

これでおもしろいのが、なにを問題にするべきなのかがどうにも曖昧で、「性教育を考え直さなければ」みたいなところにその観点を擦り付けているのがなんとも逃げ腰だなぁと。

だって、どう考えてもその年齢の子供がセックスをしていたっていうことが、なんとも言えない破廉恥さを覚えるっていうことが、世間を騒がすきっかけになっているわけで。

それを教育したところでどうなるって話しだし、なによりどう教育するつもりなのかと、教育したらなにが変わるのかと言いたいんですな。

大体、大人は未成年の性をどうあるべきだとしていて、それは筋が通った理屈になっているのかと問いたいわけで。

自分なんかには、感情論と現実と、時代を経るに従った変化にドンドンと乖離が深まってきているとしか思えなんです。

そこにロリコン趣味への規制もからませると、ようは未成年はセックスをするなと、性的な関心を持つなと、性的に見られるような存在にはなるなと、そう大人は言いたいのに対し、未成年者たちは自然な欲求に従ってなにが悪いのかとなっていて、なんならその手の行為をしない方が格好悪いくらいの勢いになっている。

その双方を比較した時、後者にこそ説得力があるというのか、リアリティがあることを思うと、大人たちは自分たちの思惑にいかに強い言葉を持たせられるのかが鍵となってくるんじゃないかと思うんですよね。

このままだと若さの暴走に成り行き任せってことになるんだから。

だから、いま自分が言いたいのは「大人、もっと考えろ」ってことなのです。それは、自分たちの生理的なものに沿う理屈の開発っていうのではなく、誰もがスッと心にいる理論を見つけ出すっていう意味で。

2009年2月27日 (金)

「レキジョ」にズームイン!

JSoulBrothersって、EXILEが発展解消した前身的な存在だったんじゃないかというのが、確か「チャンネル-a」で見た記憶なんですけど。

それが、突然にメジャーデビューだとかってやたら宣伝されていて、キャーキャー黄色い声援が飛んでいたっていうのは、なにがどうなっているのかと。

しかも、漠然と見るにネスミスがメンバーにいるようだし、このASAYAN人脈にもなにか大人たちの画策が垣間見えて、ごり押しによって「人気」というものが作られていく空気をヒシヒシ感じるのです。

少なくとも、アニメ声優関連のCDがオリコンチャートに入った時よりも、しっかりと触れられて「話題の」みたいな扱われ方をするんでしょうな。

うーん、気持ち悪いぞ。

まぁ、メディアなんて自分たちにとって利用しやすいかどうかで取り上げるから、そこに上手に取り入ればチヤホヤされるし、それっぽい流れが出来上がれば突然フィーチャーされることもあって。

そのひとつと言えるのが、「レキジョ」ってやつかなぁと。

「戦国武将にハマる女性たちが増えている」

なんて話題が出始めたのはそう最近って感じでもなく、おもしろい現象だとは思っていたんですがそこまで広がらないのかなぁとも思ってたんです。

それが、ここにきて急にTHE・ブームみたいな伝えられ方をし始めていて、メディア的にはようやく素地が整ったととらえたのかねぇと思った次第で。

となると、またバブル的に持てはやされて、あちらこちらで消費され、そして使い捨てられる運命を見ちゃうんですよね。

そんなブームの最中にいる「レキジョ」さんたちですが、これはこれで違和感を持たせるたたずまいで、ダウンタウンの松ちゃんじゃないけど、「でも、実際に近づいてきたら逃げるでしょ?」ってやつなんです。

男性は外見だけで楽しい夢を見たり、気持ちいい幻想に浸れるのに対し、女性はそこから想像を広げて、「設定」ってやつを作ることでよりリアリティさに埋没する傾向を感じるんですな。

俯瞰して言えば五十歩百歩、目くそ鼻くそでしかない男女の違いなんですが、男性は性的衝動で道を間違えるのに対し、女性はより説得力を自分の中で作るがゆえに道に迷うのかなぁと思ったり。

だって、その時代の武将たちは男女差別ばんばんするぞと。かなりガサツだぞと。暴力が当たり前だぞと。

でも、現実的じゃないからそこは見ないでOKにして、自分の都合がいい夢見ているっていう、その部分が違和感をバリバリ感じさせるんですよねぇ。

もちろん、好きこそ物の上手なれって言葉もあるように、突き詰めていけばその人なりの世界が意味や価値を持ち出すのでしょうが、果たしてそこまで気持ちが続くのかが甚だ疑問で。

楽しむだけ楽しんで、結局使い捨てするっていうのは、寂しいなって思うわけなんです。

2009年2月24日 (火)

草食系男子に物申す姿勢に一過言ありだけど反論はなし

ぶっちゃけ、何から書いたらいいのか分からないくらい、頭がとっちらかっている状態なんですが、いまテレビで上野樹里や平山あやの愛メイクばっちり具合を見てとりあえず、「気持ち悪ぅ」って思いました。

なんであれをキレイになっているという解釈ができるのだろうかと。

どう考えても異常じゃんと。

それでも、そのアクティブさをこそ評価すれど、受け入れられないなんて感覚が遅れているってことになるのか。

そう、それで思い出したけど「草食系男子」っていう今年の流行語決定の言葉。

これもよく分からないんだけど、ようはモテるけど自分から女性にがっつかない人のことを言うんですよね?

オタクみたいなモテない前提があってがっつかないんじゃ、ダメなんですよね?

で、それを形容してなにがあるっていうんでしょうか。

「あー、あー、その手の子多いよね、最近」

ってだけのこと?

それとも、それを問題視する向きがあるから浮き彫りにしてみせたとか?

なにか、一説には経済活動の面でマイナスだとか言っているけど、それって巨人が優勝しないと景気がよくならないと一緒の論理で、だからってどうしようもないことなんじゃないかと。

というか、これを話題にしていた「久米宏のテレビってやつは」でもそうだったけど、女性的に不評で、ウケが悪いことがひとつ取り上げられる裏の理由になっている気がするんですよね。

「もっと言い寄ってこいよ」的な心境があるというのか。

それって、なにを意味するのかとも。

そもそも、女性たちが優しい男がいいって言い出して、男女平等の側面からもソフトな対応をしてこそ大人だし社会人だし、みたいな風潮を作ってきたんじゃないかって。

その上で、自分たちの我を通しやすい環境を整えてきておいて、男性がもうやってらんねってことでもないんだけど、女性への欲望を減退させた結果、物足りなくなるからもっと積極的にこいよっていうのはなんなんだっていう。

そりゃ、この期に及べば面倒臭くなるでしょうに、男性だって。

男女が肩を並べた感じのほうが理にかなっているし、楽だし、と思ってなにが悪いのかと。

それを理想としてきたのは女性自身じゃないかと。

さらに言えば、草食系であって欲しくないのは好みの男性においてのみであり、眼中にない人は近寄るなっていう、セクハラの概念の背中合わせな視点があると想像するに、もう都合がいい主張のなにものでもないなと思わされるのです。

そんな諸々も含めて、一線を引く男性が相対的に増えてもしょうがないんじゃないでしょうかねぇ。

2009年2月17日 (火)

流行語対象候補「ごっくん」の誕生

なんか今年はめでたい年なのかなぁなんて改めて思わせるニュースです。

ウッチャンにお子さんができるそうです。

いやぁ、結婚の時も自分ごとのようにうれしかったけど、今回も他人事とは思えない感慨を持ってしまいます。

あのウッチャンがお父さんですよ。

これでいよいよおじさんキャラが加速していきますな。

自分としては、おひょいさんっぽい雰囲気になっていって欲しいんですよね。

あそこまで急速におじいちゃん臭くなるのではなく、コメディアンな軽妙さが強い感じでのっていう。

本人はコメントで親バカ宣言みたいなことをしているけど、子煩悩な姿は目に浮かびます。

いや、微笑ましい。

「イッテQ」でも「スリーシアター」でも周囲にきっちりいじってもらいたいなぁ。

いやはや、2月も浮き沈みがありながらもいいことが待ってました。

それに比べて。

世間的なニュースで一番の話題になったのが、中川財務金融担当大臣のG7での記者会見での模様。

自分も夜のニュースで見たんですが、なによりNHKがクリントン長官来日を差し置いてトップ扱いで報じていたくらい、ようは不謹慎というのかスキャンダラスなシーンだったというわけです。

しかし、自分はなんでこんなことになったのかがよく分からないんですよね。

単純に考えて、本当に世界的な会見の場に臨むのを前に、日本の閣僚である人物が酔っ払えちゃうものなのかと。

そして、酔っ払っているのかどうかはともかく、こんな怪しい状態の大臣を見て、なぜ周囲は記者会見に送り出すことが出来たのかと。

キム兄じゃないけど、「考えられへん」ってやつなんです。

この記者会見場にいた記者も、明らかにおかしい様子をどう感じていたのかのも気になるところだし、記者ならなぜにそれを突っ込まなかったのかとも。

これを受けて、野党の批判に対して与党はかばうといういつもの構図が展開されたけど、これもおかしな話というのか、毎度のパターンをこなしているだけの違和感を感じて。

国民も、これはどこかで笑い話にしたいというのか、ネタにして祭り上げたい気分がどこかにあるのは事実なんです。

でも、そんな問題じゃないと思って、恥ずかしさが先んじているのに対し、与党側だって怒ってしかるべきなんじゃないかと思うんですよね。進退云々は別にしても。

ただ、アホバカ総理でお馴染みだった森喜朗が、「あれだけ酒には気をつけろと言っていたのに」と発言したって話もあるみたいだし、常習の気があるのなら辞めさせた方がいいとは思うけど、泥舟になった麻生丸は後任者もいないってことになるのかねぇ。

さて、中川氏本人は「旅の恥は掻き捨て」ってことで切り替えちゃっているのでしょうか。

2009年2月13日 (金)

もぎたての果実のいいところをグチュッとするかのように

なぜか、倖田來未が名古屋ローカルに出まくっています。って、まくってるってほどじゃないか。

この間は「ボンバーE」っていうメ~テレの30分の音楽番組に、MCとのスペシャルトークって感じで客入れで出ていました。

そして、土曜日だったか中京テレビの深夜に特別番組を立ち上げ、仕切りに千原ジュニアを呼んでの1時間番組をやるようです。

不景気が叫ばれる中で名古屋のテレビ局が金を出してやるとも思えず、エイベックス側が負担してやっているのかねぇとか。

どういう効果をソロバンで弾いているのか分からないけど、これは他の地域でもやっている露出展開なのでしょうか。

効果と言えば、こちらも何を狙ってのことかを決め付けることはできないけど、小泉元総理さまが最後っ屁かのごとく政局を揺るがす発言をして久々に注目を浴びています。

麻生総理さまの郵政改革についての発言が腹に据えかねたのか、かなりのご立腹具合で、自らが勝ち取った衆院の3分の2を使っての生活給付金成立にも難色を示す徹底ぶり。

パフォーマンス自体が目的化していたこの人にとって、郵政についての思いだけは本気だったってことを思い知らされる発言ではあるんですが、それ以上に自分がそんなことを言ったら周囲にどんな波紋が起きるのか、そして麻生の総理としての地位がどれだけ揺らぐのかを知っっているはずなのに、あえてそうしたところが基本的に人間としての底意地の悪さを感じるんですな。

ただ、この人が動くことで政治劇としておもしろくなる才能っていうのは、得がたいものだなぁとは思ったりするのですが。

ま、おもしろければいいっていうのは、それこそテレビゲームだけにしとけってことで。

ちなみに、3月にその役を担うはずだったドラゴンクエストの最新作は、ここにきての発売延期で7月まで延びることになったのはなんと言えばいいのか。

予想通りなんて声も聞こえてくるのですが、コンビニとか予約受付で特別価格まで用意しての順調でなくては困るスケジューリングだったことを思うと、違約金だなんだなんて話も出てくるはずで、そのマイナスを考慮しても延期するという決断はよっぽどだったと思うべきなのか。

個人的にはDSを買うタイミングを延期できて、よかったかなぁって感じなんですが、不景気な中でスクエニ的には上半期が苦しいことになるんでしょうな。

それを思うと、サッカー協会はホッとしてるんじゃないかと思うのが、日本代表のオーストラリア戦。

もちろん、引き分けた結果もそうなんですが、視聴率が22%ってことで、番組としてのソフト力が落ちてないことを証明したことで、しばらくは安心なんじゃないかな。

自分も、18%くらいは欲しいけど15%くらいかなって思ってたので、これは嬉しい誤算でした。

つまり、まだまだサッカーへの関心は低くなっていないことが明らかになったと言えるんだけど、それは同時にサッカーバブルは崩壊していて、サッカーならなんでも見るっていう常態は去って、真剣勝負じゃないと楽しめない、それもできれば互角以上の相手じゃないとってことになっているみたいだと。

ってことは、ワールドカップのたびに盛り上がるんだけど、そこまでの4年間はハプニングじゃないけどなんらかのエピソードがトッピングされないとなかなかに厳しいという。

サッカーが文化と言えるほど根付くまでにはまだまだ時間を要するだろうから、その場つなぎをするためにスターの誕生を待望するしかないのかなと思った次第でした。

2009年1月31日 (土)

景観ってなにかね

元サッカー日本代表の福西崇史が引退を決意かぁ。

まだ32歳だからバリバリに通用すると思うんですが、本人が望むようなオファーがなかったってことなのでしょうか。

きっと本人も「まだまだニーズがある」と思ってたんでしょうけど、それが叶わなかったというのはショックもあったんだろうなぁと。

本人の自覚と周囲の評価が噛み合っていないことの悲劇というのか。

自分なら愕然とするだろうなぁ。

それとも、プロアスリートはそこらへんは常にシビアにとらえていて、ちょうどいい転身のチャンスと考えていたりするのかな。

福西はイケメンだし、露出を増やせばもしかしたらいままで以上に人気者になる可能性もあるだろうし。

やっぱり、有名人は好かれてナンボですもんねぇ。

それなのに、近隣住民から嫌われる有名人もいたりして。

楳図かずおの家が景観を損ねるとして訴えられた裁判で、楳図側の無罪が言い渡されたようで。

確かに、世間一般の感覚で言えば奇抜なデザインだとは思うんですが、それが不快だとする感覚もどうも分からなくて。

それは、中学の卒業式で同級生に、「受験に受かった?」と聞かれて「うん」とだけ答えて、相手がどうだったかを聞き返さなかったほど、他人に興味がない自分だからなのかもしれませんが、別に他人の家がどうだろうが全然気にならないと思うんです。

これが、例えばマックがこれまで通りの店舗展開をしようとしたけどそれを拒否したパリのように、観光地としてのイメージや統一感が戦略的に求められるのなら分かるんです。

でも、庶民が肩寄せあって生きている環境で、なにをみんな一緒である必要があるのかって。

「この町はこうあるべき」を押し付けてるだけじゃないかとすら。

もしかしたら、古くからそこに住んでいる人には違和感はあるのかも知れませんが、逆に新しく生まれてくる生命にとってはそれが特徴的な存在となり、親しみやすいのかもしれないとも。

幼少の頃の特別な記憶につながるというのか。

自分も妙なデザインのガラス張りの玄関の家が近所にあるんですが、やっぱりその家のことは忘れないですもの。

本当に筋が通った景観論ならいいんですが、単なる横並び意識がさせているのであればつまらない話だなぁと思うんですよね。

そもそもそこの人たちは、楳図かずおという個性的な人間が近所をウロウロしていること自体、受け入れられてるのでしょうかねぇ。

2009年1月21日 (水)

栄枯盛衰という自己責任

小室哲哉に関わった女性は不幸になる、なんて言われだしたのは、当然TKプロデュース全盛の頃だったわけではなく。

小室自身が逮捕されたことで、さらにダークなイメージが付きまとう中で、華原朋美が薬物中毒で搬送されたってことになると、寂しさすら感じさせるわけで。

その、世間がチヤホヤする類いの成功っていうのは、そりゃ誰でもつかめるわけじゃないけどたどりつける人は確率的にはそう低くないのかもしれないけど、最終的にみんなを幸せにするようなサイクルを生み出せる人っていうのは、おそらく蓄積させている時点では誰からも理解されないってこともあって、なかなか育たないんだななんて思ったりするのです。

パッと派手に、ウケがいいことをやる方が、楽しいし楽だし、手ごたえもあるんでしょうが、それだけでは中身を伴わないからダメだなんて思える人がどれだけ世間にいるのかっていう問題もあるんでしょうね。

そういう意味では、東京ヴェルディさんが売却されるなんてニュースを聞いても、同根の課題を感じざるを得ないわけで。

Jリーグができた当初の人気チームで、憎らしいほど強かった記憶は当時を知る人間には強くて、これが未来永劫続くんじゃないかと、それは親会社がその頃は同じだったこともあってプロ野球の巨人の姿も投影しつつ思っていた人も多かったはず。

それがまさかの低迷機関に突入し、まさかまさかのJ2落ち。

「ざまあみろ」と思ったのは自分だけじゃないと思うんですが、いつかは復活するとの思いもあったんですよね。

そして、去年にJ1に舞い戻ってきて、大型補強をしたこともありこのまままた強くなっていくのかいなぁなんて思ってたんですが、まさかまさかまさかの1年でのJ2への再転落。

当人たちもJ1残留は当然のこととして、またそうするために強引に選手をかき集めた結果、金銭的に苦しくなってかき集めた選手を一気にクビにして、若手だけでJ2に臨むことになったのは、間違いなく長期的展望が欠けていたからであり。

なんで人は、目先の安易な成功に飛びついてしまうのでしょうかねぇ。

揺るがない背骨の部分があってこそ、直立不動でいられるのに。

芸能人でも一発当てた歌手でも、その成功はいつまでも続くと思うらしいし、企業だってバブルを信じて乗っかっちゃうような気質を持っていることを思うと、その状況に酔っちゃうのが人間ってやつなのかなと思ったりして。

錯覚を錯覚と思えないだけのおいしい衝撃を浴びると、人間は狂っちゃうものなのかとも。

ようは、人間は人間だから失敗するし、人間だから無自覚に不用意でいられるんでしょうねぇ。

結局、みんな自分が主人公ですから。

2009年1月20日 (火)

男は処女を好み、女は処女を嫌う

この不景気なので美容代も節約しないとって思い、いつもいく美容院ではなく1600円の床屋でひさしぶりにすませてみました。

これで浮いた分を他のことにお金を使えるなぁなんて思いながら、車の12ヶ月点検をしにいったんですが、そこでバッテリーが弱っているとか、エンジンのベルトに亀裂が入っているとか問題が続出して、結果1万4千円を支払う羽目に。

当初よりも大幅に予算オーバーで、逆に切り詰めて今月を乗り切らないといけないことになりました。

そんな中でこんなニュースを見てしまうと、「自分も女だったらなぁ」なんて思ってしまうのもしょうがないかなと。

アメリカの女子大生が自分の「処女」をオークションに掛けた結果、最終的に3億の値をつけたそうなんです。

どこまで本当なのかは分からないなぁというのがまず。

これは、値段をつけた方もそうだし、この女子大生もホントに売る気があるのかってことも含めての。

次に、処女性に価値を感じることに国境はないなということも一点。

人の価値観なんてそれぞれだし、熟女好きもいるんだから一概には言えないんだけど、女性もこれを売るってことはそこに大きなニーズがあると自然に認識するくらい、その考え方は定着しているとも言えるわけで。

これを男側からの見方だとするなら、女性たちは処女がこれだけ高く売れることをどう見るのかっていうのも興味の対象で、不見識だとかいう以前の深層心理を知りたいなと。

これも当然、人によって違うんでしょうが、「処女と非処女に違いはない」っていうのが基本の意見なのかなぁと思う部分と、より感情論の領域で怒りを感じる女性も多かったりするのかなっていう部分があって。

「結局、男ってそういう生きものなのか」っていう失望にも似た怒りというのか。

日本では特に早く捨ててしまいたいものになっている処女だから、アクティブに生きるためには処女はハンディにしかならないくらいの勢いがあって、だから女性が前向きに人生を消費する姿勢の否定にすらつながるのかなぁって想像するんですね。

それとも、自分の処女なんてそこまでの値段はつかないなんて卑下が入るパターンもあるのかなぁ。

援助交際とかしている女子たちなんかは、あっけらかんと「もっと高く売ればよかったぁ」なんて言っているのかも。

でも、最初に人それぞれっていったけど、男側もモテる人であり、女性と遊ぶことに積極的な人なら処女は敬遠する対象であって、それよりも簡単に体を許してくれる女性にこそ重きを置くんじゃないかなって思うわけで、逆にモテない男性ほど処女信仰が強いんじゃないかと思うんですよね。

それは、モテないからこそ女性に絶望するとともに、もしかしたらいるかもしれない運命の人においてのみ美化した女性像を投影して、それが処女であるからこそ清い関係を持てると思う、みたいな。

モテない人ほど異性の理想が高くなるのもそのためじゃないかって感じで、経験のなさゆえに妄想が膨らむってことと同時に、ここまで不遇であるなら大きな幸運もめぐってくるんじゃないかと思わないとやってられないってこともあるんだろうなと。

前にも「処女ドル」を名乗るアイドルが出てきたって書いたけど、カワイイ子のほとんどが男性経験があると思えてしまう現在だからこそ、より処女への幻想は強くなっているのかもしれませんな。

2009年1月 6日 (火)

永田メールが刻み込んだ傷跡がゆえ

最初に思ったのは、自殺未遂をした人間の自殺をなぜ許したのかってことなんです。

周囲はなにをしてたのかって。

それとも、表面は回復したかのような様子だったのでしょうか。

永田メールという固有名詞で知られた元民主党の永田議員が自殺しました。

「なぜに?」

っていうのがまず先立つんですよね。

言っちゃなんだけど、犯罪を犯したわけでもないんだし、確かにそれで民主党を不利な立場に追いやりはしたけど、もうそれも過去のことでいまは優勢になってきているんだから、なんら気兼ねする必要もないはずなんです。

なので、なにを理由に自殺することになったのかがよく分からない。

遺書もあったそうで、その内容が気になるところなんですが、自分たちには計り知れない永田氏本人の周辺が与えたプレッシャーのようなものがあったのかなぁなんて想像したりして。

それが支援者の問題なのか、支援企業などの団体からのものなのかは知りませんが。

それとも、民主党に戻りたかったけどそれがかなわなかったがためのことなのかなぁとも。

でも、そうだとしても別にそれで政治生命が絶たれるわけでもなく、本当に志があるのならまた個人で立候補してがんばればいいだけの話で、なぜそれもせずに絶望してしまったのかと。

個人的に勝手に思うのは、この人はエリートすぎたのかなってことなんです。

つまり、勝ち組で、勝ってばかりの人生だった。

それが初めての挫折を味わい、しかもその失敗が生半可じゃない大きさだったがために、これまでとのギャップに参ってしまったのかなぁって。

ただ、政治家になるような人間なんか総じて図太いもので、同じ民主党でも細野豪志なんて山本モナとの不倫キス写真がばっちり撮られたのに、また普通に表舞台に戻ってきているように、ほとぼりが冷めたら平気な面をできちゃうようじゃないとやっていけないはずなんです。

そういう意味で、この人は普通にいい人だったのかなとも思ったりして。

もちろん、勝ち組ならではの鼻持ちならない部分もありつつの、親しければそれも許容できるくらいの。

結局、人間なんて弱いものなんだってことなんでしょうが、ちょっと弱すぎなんじゃないかと言ってしまっては、使者に鞭打つことになるのでしょうかね。

しかし、新年早々に決行したっていうのも、「なぜに?」なんですよねぇ。

2008年12月19日 (金)

夢を見て夢を見せる夢の技術に見る夢

「DAPUMPってまだやってたんだ」なんて、モー娘のニュースのたびに聞こえてくる声がどこかでこだましているような。

なんか、このたびYUKINARIが脱退して、追加メンバーを7人加えて9人体制で再始動するようです。

これでdreamを思い出す人はごく限られた層でしかないでしょうが、彼女らが辿った末路を思うとこの増員はよりファン離れを加速させ、世間からも把握されない存在になっていくだけなんじゃないかなぁと。

きっと本人たちはEXILE的な売り方を目指してのことだとは思うんですが、二番煎じにしてもイメージが湧いてこない戦略だわなぁと思ったり。

もうこの手の芸能ニュースでは驚きよりも、「なんで?」っていう感覚の方が強く出ちゃうんですよねぇ。

それに引き換えというのか、「うぉおぉぉ」ってな感じの声を上げてしまったのが意外なところから届いたニュースで。

なんでも、日本の大学の研究で、血流などから分析して脳内に描かれた映像をコンピューターで表現できるようになったという報告がされたそうなんです。

一応、いまのところは視覚でとらえたものをってことらしいんだけど、研究が進めば例えば夢で見ているものも映像化できることになるとか。

久しぶりに、「科学ってすげぇ」って思いました。

自分が子供の頃に抱いていた科学技術への幻想そのものというのか。

これは文字通り夢に見た技術と言っていいんじゃないかなぁ。

自分にとっても、頭の中に描いたものを相手に見せられるということは、自分が感じている感覚、例えば感情で渦巻いている沸点の濃度のようなものであったり、視覚情報によって与えられた感動や自然の風の心地よさや空気で思い出した過去に震えている心模様のような全身の神経をめぐるようなものを共有することと並んで、「もしこれが伝わったらなぁ」のひとつだったんですよね。

いやぁ、ホントすごいっすよ。

自分は夢の中でかなり独特な世界観での展開を見せているので、是非とも他人にも見てもらいたいんですよ。

これがより鮮明な映像となって再現されるようになるにはどれだけ時間が掛かるのかは分かりませんが、頑張って追求していって欲しいなって本気で思うのでした。

もちろん、科学者同席じゃないと再現できないってなると、それはそれで見られたら困る夢もあるだろうから、できたら個人的にやれちゃうほど普及することも望みつつの。

2008年12月 3日 (水)

記憶がユーキャンに支配されだしている

「夏の日の1993」でのみおなじみのclassさんが、なんと新曲「冬の日の2009」を出すそうで。

これだけタイムラグがある二匹目のドジョウも珍しいなと。

しかも、classに新メンバーが加入とか聞いて、そもそも初期メンバーの顔も名前もピンときていないのに謎の動きを見せるもんだなぁと思ったわけで。

でも、この曲はタイトルにリリースした年が入っていて、そこでメロディとともに思い出が甦るという点で、物凄く意味がある存在なんだぁとも思ったりして。

それを思うと、という切り出し方で申し訳ないのですが。

2008年度新語流行語大賞が発表され、いろんなところで取り上げられていました。

いや、確かにユーキャンはうまくやったなぁと思うんです。

だってNHKのニュースでも今年を振り返る恒例のもの的な扱いで、当たり前のように報じられていたから。

そして、NHKですら抵抗なく報じられるものを選んできている、その用意周到さも賢いとも言えて。

でも、だからこそおかしなことになっているんです、この賞は。

単純にみんなが突っ込むのは、流行語ではないじゃんって点で、「そんな言葉、口にしたことがない」ってものの方が多いくらいなんです。

逆に、本当に流行した言葉が落選していたりする不思議もあったりして。

ようは、お堅いメディアが好んで取り上げやすいものばかりをチョイスしているからであり、それも政治経済ものも必ず入れるようなスタンスのため、現実から乖離してしまっているんですよね。

今年の大賞の「アラフォー」なんて、それこそ堀北真希をホマキと言っているようなメディア用語みたいなもので、特集記事なんかで使いやすいから目立っていただけのものでしかなく。

もうひとつの「グー」についても、それなら世界のナベアツの「1,2,サァ~ン」や山本高広の「キター」であってもよかったはずのもので、おそらくはエドはるみの女性で遅咲きで好感度が高いって部分が選考理由になってだろうってことが見え透いてしまい。

それがあくまでユーキャンが選んでいる、そこが基準のものという範疇で見られているならいいけど、なにかこれがその年のすべてを象徴していて、テレビや雑誌で振り返る企画があったときも、ここを参考にしていることも多々あり。

それってなにか、記憶が操作されている感すらあるんですよね。

この微妙な定着の仕方に気づき、自覚的でいないといけないなって個人的には思っているし、安易さや建て前主義のようなものが横行するメディアに改めて怖さを感じるのでした。

ただ、福田元首相は授賞式に出て欲しかったわな。

2008年12月 2日 (火)

夢も希望もありゃしねえ

今日は掛かってくるなって時に限って携帯が鳴る。

そして、その友人が切り出した話題が想像通り、こちらが話したくないもので。

だって、話し込めば暗い感じになるだけなの、分かりきってるわけだから。

FC岐阜が大量に15人も選手を解雇するってことだったんですが、その顔ぶれが判明し、さらに落ち込んでいます。

小島宏美とか日野優とか、普通のチームなら切られるはずのない選手なのにバッサリいかれていて、予感があった小峯なんかもやはりって感じで。

それだけでもショックがでかいのに、まさかまさかの北村隆二の名前までもが。

ここに手をつけちゃダメでしょうに。

本当にチームがガタガタになるぞと。

でも、これが象徴的なことになるんだろうし、覚悟のほどを見せたとも言えるのでしょうな。

若手だけでいくということ。

他チームの実績がある選手は獲らないということ。

同時に他のJクラブも解雇選手を発表していて、結構なビッグネームもそこにはいたんだけど、「もしこの選手がきてくれたなら」なんて淡い期待、持てなくなりましたもの。

もう完全なる現実だけとの戦いに、FC岐阜は走り出したってことで。

相手はJ2のチームじゃなく、お金と負け続けても耐えられるだけの自らの精神力。

監督の松永英機も悲惨でしょう。

これでは「若手を起用して育てながら勝つ」としか言いようがなく、そして最後の「勝つ」ことだけは齟齬を生むわけですから。

そうして、その責任を取ってチームを去るというところまでがミッションで、もう完全なる捨て駒になるしかないという。

新しく入ってくる大卒高卒選手たちも、言っちゃ悪いがどこも見向きもしなかったような素材が基本なので、チームを大きく変えるなんてまずありえず、いまのところ9人決まったけど、1人ものになればいいくらいで、あとはさらに次の新入団までのつなぎ扱いでこちらも捨て駒。

そうやって、負けること前提で若手に経験をさせ、数少ない芽が出た選手を毎年少しづつ増やしていって、そこでようやくチームが安定するという、本当に息の長い戦略に打って出たと、自分はそう解釈しました。

もしかしたら、来シーズンでも意外と調子がいい期間があって、「あれ、若手オンリー作戦いけるかも?」なんて時期があるかもしれないけど、アーセナルだってあれだけ有望株ばかりを揃えても若手だけではいい調子が長続きしないように、最終的には気づいたらJFL昇格チームと最下位争いが関の山。

ここにきての不景気で、さらにスポンサー獲得は遠のき、知名度のある選手をクビにしたことでサポーターだってそっぽを向きかねないことは自明なのに、そうせざるを得ないほど金銭面でも苦しいとなると、本当に明るい未来はないなぁと暗澹たる気持ちにさせられるのです。

興味を持っている自分でこんな感じなんだから、FC岐阜なんて頭にない人をどう惹きつけるのでしょうねぇ。

はぁ、こんな寂しい師走のスタートになるとは。

ほんこんさんの口癖じゃないけど、「夢も希望もありゃしねえ」ってやつですなぁ。

ちょっとは「藤田俊哉がきてくれたらなぁ」とか、甘い幻想を持った自分がバカでした。

2008年11月30日 (日)

まさかこんな形で鎌田奈津美

基本、学がない奴なんですよ。

なので、賢いことなんて言えないので、インドのテロやタイの空港占拠をニュースで見ても、なにを言葉にすれば正しいことになるのかすら分からないんです。

その程度なので、これでまず感じるのが国の未成熟さだったりして、反対に言えば物凄くシンプルな発想がそこには存在していて、それゆえに強いベクトルを持ちやすいのかなぁってなくらいが、自分なりの感じたことの第一声となり。

もうひとつが、海外旅行に行くようになって、これで旅行者が減るだろうなってことと、もし自分が行った先でこんなことが起ったら困るなぁではすまないわなぁってことくらい。

もうお金がもたないなんて話を聞くと、「そりゃ予定外のことだから余分には持ってないわな」って感じなんですが、逆に言えば予定通りに帰国できるのが当然と思ってしまいがちだけど、それは安易な発想なのかもしれないとすら思ったりもして。

それが人間の自然な考え方だとは思うんだけど、どこかですんなり帰れなかった場合を考えた身辺整理をしておくことは、必要な知恵だっていう啓蒙もこの際あってもいい報道なのかなと。

そんな中。

鎌田奈津美ちゃんは贔屓のアイドルのひとりなので、ブログも毎日チェックしているのですが、アイドルならではの海外でのグラビア撮影でタイに行ってしまったことで、騒動に巻き込まれて帰国できない事態になっているということを、本人がブログでアップしているのが表現は悪いけど面白いなって思うし、時代だなぁとも思ったりして。

実際に付き合いがある人がタイから帰ってこられないなんて人なら、このニュースも物凄く身近に感じるのでしょうが、ほとんどの人にとってはどこかで他人事なのが従来だったと思うんです。

それが、好きなアイドルが巻き込まれていることがリアルタイムで更新されているなんて現象は、その緊迫感ってないわけで。

これがスポニチのWEB版の芸能ニュースでも取り上げられるっていうのがまた凄くて、ネットの発展がもたらした変化を感じ入るわけなんです。

ニュースバリューを変え、主語を変え、位置づけも変えたというのか。

これを矮小化して言えば、鎌田サイドはこれを利用して、帰国してから記者会見を開くべきだし、しばらくは「あのタイで撮影した」を売りにそのグラビアを売り込むこともできるなぁと考えたり。

現象は、本人の背景や関係性で受け止め方が違ってくるけど、情報過多が敏感にも鈍感にもさせるんだなぁと思うのでした。

2008年11月22日 (土)

徹底的に突き放すベクトルで

早稲田の学生が大麻所持で逮捕が立て続いているそうで。

早稲田に限らず、他の名門大学でも事件は起きていて、さらには高校生も逮捕者が出たというニュースまで。

ショック、というわけでもないし、怒りを感じるわけでもないんですが、なにかモヤモヤするものはあったりします。

そもそも、自分は麻薬関連の知識がサッパリなので詳しいことを語れないのですが、大麻は大丈夫って、特に害はないものという情報が出回っているとか。

そういえば、嵐の大野メンバーが週刊誌で大麻を使っていたなんて記事が出た時、ミクシィの日記でジャニファンが「大麻なんて体にいいくらいだし」なんてことを書いていたような。

まず、そういう知識が抵抗感なく使用させているっていうのがあるんだろうなっていうのが一点。

実際にはちゃんと体に障害を及ぼすらしいし、依存性もあるっていう報道もあったけど。

その上でなお、本当に健康的なものだっていうのならおそらく誰も手に出さず、やはりどこかでヤバイものだっていう認識があるからこそこそ楽しんでるんだろうとも。

そこにある、悪いことをしている感覚のスリルであり、怠惰さの気楽さ、そしてそれを仲間とやる共犯性ってやつが、病み付きにさせるし、自分をそうやって狭いところに押しやることで視野をせばめ、対外的に強く出られることで、あたかも自分自身も強くなっているかのように錯覚するのかなぁと。

そして、そうやってタブーを犯すこと、悪ぶることがカッコイイなんていう有史以来存在する発想が根強いんでしょうね。

なにかの番組でコメンテーターが言っていたけど、オバマの当選で「これで3代続けて大麻使用経験者がアメリカの大統領になる」のだそうです。

日本でもエリート大学生がやっているように、社会の底辺の人間だから悪に染まるという公式はここでは成り立たず、なんなら勝ち組ほどファッション感覚でやらないとイケてないくらいになっているんだろうと想像し。

しかし、そんなに不良性って魅力的なんですかねぇ。

これもあくまで想像なんですが、それだって昔は憧れてやっていたんだけど、いまはやってないと乗り遅れるとか、仲間外れになったり見下されることが怖いとか、そんな焦りがやらせている部分も思ったりするのです。

快楽への弱さと同時に、社会性なり視線というものに対する弱さを感じるなぁとか。

こう言っては元も子もないですが、別にそうやって流される人は勝手に流されてればいいから、不安感を紛らわすために巻き込もうとするなって思うし、やらない人間を自己肯定のために攻撃するなって思うわけなんですな。

そして、弱さの裏返しの強気に、そこになんの魅力も興味も感じない人は惑わされないで欲しいとも。

2008年11月20日 (木)

エリートは被害者にも、加害者にもなって恨まれる

どこかでみんな、「おもしろいことになってきた」という思いを持ってはいないかと。

動機として考えられている国民の中にある不信や反発が、なによりここの領域でくすぐっているとも。

厚生事務次官経験者が連続して狙われる事件、注目される理由ははたして。

これを楽しいと言っては不謹慎だとしたら、一歩ひいて小説やドラマの設定だったとして、それが出来がいいストーリーテイリングになっていたら、かなり楽しめる構図にはなるだろうと簡単に思えるんですよね。

そして、おそらく厚生事務次官側が完全なる被害者という描写になることはなく。

ただ、根幹に官僚的なものへの憎悪があるとして、じゃあこんな犯罪を犯そうなんて短絡的に思える人間はまずおらず、なにより厚生事務次官に狙いを定めるという発想にたどりつかなければ、それが誰なのか、なんの施策をしたときのこいつが悪いだとかまで思えるほどの知識は大方の庶民は持ち得ないんです。

それに、自宅まで割り出して郵便配達を装っての犯行となれば、もう積もり積もった怒りが爆発したというシチュエーションでなされる行為ではないとすら。

だから、いかにも年金問題が今回の事件の背景にあるという論調が幅を利かせているけど、自分なんかはどちらかといえば厚生省に近しい人であったり、専門的な情報を持ちえる人じゃないと起こさない行動ではないかと思ったりして。

だからこその、「おもしろいことになってきた」という思いなんですな。

自分たちごとからは距離を置いたことだっていう皮膚感覚があるから。

もちろん、人間の特有の無責任さがそこにはあると知りつつも。

なので、警視庁だったか都の交通関係を取り仕切ってきた官僚が起こした飲酒事故だって、「呆れる」という思いもありつつ、ざまあみろがどこかに潜んでいるような気がするんですよね。

その程度の人間が、エリート面して心も込めずに仕事をしているからこうなるんだ。

犯罪は憎むもの。だけど、その背景を見て、そこに至る社会の構図を思っては、そう一筋縄ではいかない感情が思いめぐるのも人間なんじゃないでしょうか。

とか言いながら、そこらの若者がネットで知り合って計画した犯行とかになって、またネットが叩かれるパターンなのかもしれないけど。

2008年11月16日 (日)

お尻が危ないことになっている

フェチ話って、日本人は好きですよねぇ。

なんか、その人の素に触れられた気になれるというのか、ぶっちゃけているテイストが親しみを持てるというのか。

自分は何フェチかと聞かれたら、声フェチ、名前フェチってよく言っています。

声は声優ヲタ歴も長かったことだし、特に女性の声は高めでやわらかい感じのが好きで、普通にカワイイけど低い声の子と平凡な顔立ちだけど声がカワイイ子では断然後者に好感度を持ってしまうくらいでして。

声優ヲタがルックスがそこそこでも熱烈に応援できちゃうっていうのは、それだけ声の魅力が大きいってことなんだと思うんですよね。

名前フェチについては、これはドラフトヲタでもある自分だからこそよりその影響は強く感じていて、名前が持つイメージや華でその選手を贔屓にしちゃうし、期待できるんじゃないかって思ってしまうところがあるんです。

アイドルでも、名前さえよければ売れてただろうにって子、いっぱいいましたし。

これも、その人自身がどうっていう以前の導入部分を左右する要素だと思うんですよね。

まぁ、そんなフェチチョイスもやはり男同士の濃ゆいものになるとなんら意味を成さず、もっと食いついてこいよってことになるので、その場合はお尻フェチってことで話を進めることも多々あります。

男が好きな女性のボディのツートップだと思うんですよね、胸とお尻って。

自分も胸が嫌いってわけではないんですが、いわゆる巨乳への関心はさほどなく、それよりは申し訳なさそうなのがよかったりする感じで、基本それほど重要視はしていなくて。

それよりもお尻っていうのは、女性が無自覚だっていうのがまず大きいんですよね。

こちらが見ていても気づかないし、ブラジャーがある胸やメイクできる顔と比べてコントロールも効いていないっていうのか。

無防備なのに男性へのアピール力があるっていうのが、なんかいいんですな。

そんな自分だからなんでしょうか、ズボンを履いたお尻の写真を撮っても違法になるっていう判決を聞いて、ちょっと抵抗を覚えてしまったんです。

いや、自分でそんなことをしないから関係ないんだけど、なんかもったいないことするなっていう気になったというのか。

嫌がる人にするのが問題ってことらしいんですけど、じゃあ女性に悟られずにやったらいいってことなのかって話しだし、意図せず写した場合はどうなだとも思ったり。

そして、フェチ話で言えばもっとマニアックなパーツに性的興奮を覚える人もいて、女性はそこを見られたり撮られたりしても別にどうってことはないけど、男性はいやらしい気持ちになっているとしたら、それはワイセツにはならないのかとも考えられるわけです。

さらに言えば、グラビアやっている子だってお金がもらえるから映されているけど、根本はイヤなことされているんだから、無理やりやられたって訴えたら成立するのかとも思ったりして。

当人の主観にゆだねられることを法律で判断するのって、物凄く危険だし、間違った見方を一人歩きさせるとも思うんですが、目先のことを考える頭しかきっとないんでしょうねぇ。

2008年11月 8日 (土)

筑紫哲也の死をちゃかす

なんか、友人の家のホントの近所で深夜から早朝にかけて火事があったようなんです。

その日の夜に親から火事があった場所を聞いて、それで大丈夫だったのか電話をしたんですが、やはりかなりショックが大きかったようで、いつもになくシリアスな声でその時の様子をしゃべってくれました。

その言葉にならない感じを聞いていると、こちらも言葉を失うというのか、なんと声をかけたらいいのかがよく分からなくなったりして。

「でも、お前は無事だったからよかったじゃん」では不適当だと思ったんですよね、この場合。

きっと、現実世界でつながった関係から、その心境も共有できるし、そこで不穏当な発言はできないなって思うわけで。

筑紫哲也氏が、結局がんを克服できずに亡くなったそうです。

番組内での発表からそれなりの期間があったし、若いとは言っても73歳とのことで、受け入れられない現実という感じでもないなと思ったんです。

それは、あの逸見政孝さんの経験があったから余計にそう感じるのかもしれないとも。

そもそも、久米宏があっての筑紫哲也という関係性が自分の中にあって、よりエスプリがある久米と比べると無難さすら感じる氏のコメントは面白味に欠けたと言えるのかもと。

でも、いまにして思えば電波芸者の古館伊知郎なんかの気持ちのこもっていないコメントと比較しては久米や筑紫がいた時代を懐かしく思ったりもして。

その報道ステーションではトップニュース扱いで筑紫哲也の訃報を報じていたけど、じゃあこの番組が10年続いたとしてその時に久米宏が亡くなったとして同じように扱うのかなぁと嫌味な見方もしつつ。

などと思いながらも、思い入れはないことで感傷的な気分になることもない自分がいるんですよね。

そして、その程度の感じ方をした人と筑紫哲也についていましゃべったとして、軽口を叩く感じであったとしても別にいいんじゃないかと思うのは、それを許さない空気を感じるから。

なんだろう。メディア的にタブー視されるようなことは、一般庶民の間でも同じような禁句のようなポジションになっている不思議であり、怖さって。

このことを、亡くなったいまこそ筑紫哲也に多事争論で語って欲しい。

で、もし「自分の死を軽くしゃべってもいいよ」なんて言ったら、今度は言い過ぎた人間への注意すら躊躇するなんてあべこべなタブー視が生まれるんだろうなぁ。

2008年11月 7日 (金)

そんな人間が違和感なく生きていられるのが人間社会

前にも書いたと思うけど、自分は人を殺して山中に埋めているんです。それで、バレやしないかとドキドキする日々を過ごしている。

という設定なんです、夢の中で。

まぁ、夢だから意識的にそうしているわけじゃなく、なぜかその記憶をずっと引きずっていて、度々その設定が甦っては「どうしよう」とそこまで見ていた夢のストーリーが吹っ飛ぶくらいに焦ってしまうのがパターンになっていて。

あと、最近は酒を飲んだあとに車に乗るという流れになり、これまた「どうしよう」と焦るというパターンもあります。

自分の中での連想ゲームでそうなるのか、不安や心配や「そうなっちゃダメ」「こうなると困る」が先立つからなのか、そんな発想をしては嫌な汗をかくのですが、しかし。

この事件のマスコミ報道を見る限りですが、犯人は特に堪えた様子もなく事件後も日常を過ごしていたってことが、良し悪し以前に凄いなと。

多くの人も不快度指数が高い事件だろうとは思うんですが、それでも後々まで残っていかないだろうとも思うのは、事件のキャッチコピーというのかタイトルというのか、分かりやすいお題目がないからで。

自分もなんと書けば「あ~あ~、あの事件ね」と思ってもらえるのか自信がないのですが、

無免許で飲酒をした執行猶予中の飲食業勤務の男が男性を引いてそのまま3キロも引きずって殺した事件

で分かってもらえるのかなぁ。

何度も凄いという表現をしてなにか絶賛しているようがしてなんなんですが、3キロも男性を引きり続けることも凄いし、それが例え人一人を殺す結果になっても、そんなことより人を引いたことがバレたら困ると考える身の上でいたことが凄いし、実際に逃げ切って会社を辞めてなんとホストとして夜の世界に入っていたというのも凄いし。

そして、そういうことを平気でしてしまえる人間が、今の今までのうのうと生きてこれた現代社会というのがなにより凄い。

ということは、転がり方次第でおそらく簡単に同じような事件を起こしかねない人間は、ウジャウジャとそこかしこで生きているってことなんでしょうね。

だからなんだって話だし、それをどう思えばいいのかもピンとこないんですが、必ずそういった人間の声や意見がなにかしら反映され、その人たちの気分が全体に影響をしているんだって考えては、ややもすると客観的の定義すら揺らぐなぁと思うわけなんです。

2008年10月23日 (木)

そんなことで死んじゃう生き物、THE・人間

この事件を聞いて、「こんにゃくゼリー」を連想した人は多いんでしょうね。基本、多くの人は不謹慎だと思うから。

そして、こんにゃくゼリーだったら親もまだ攻撃する場所があってよかったという発想と、「じゃあパンもこんにゃくゼリーのように発売禁止処分にしろよ」という発想がつながってくるんじゃないかと。

実際、「じゃあ餅は規制対象にならないのか」なんて話もあったんだけど、世間的に喉に詰まるものと認知されているからという理由で相手にされなかったとか。

でも、現実はそれでも喉に詰まらせて亡くなる方はあとを絶たないわけで、そう考えるとようは叩きやすい奴は叩くってだけのことで、世間的な空気が是認しているかどうかだけで旗向きを決めているという、最悪な考え方がそこにはあるんじゃないかと思うわけなんです。

そういう背景があるから、前置きが長くなったけどパンを喉に詰まらせて死んだ小学生男子は、その報道のされ方もあって本人の安易さに原因があって、なんならアホなことやって的な見方が介入すらして。

親に感情移入できない人にとっては余計にそうだってことも含めて、それだけ人間なんて不謹慎で残酷なものなんだってことなんですが、自分なんかは死というものがあまりに隣り合わせというにはあまりに薄皮一枚の身近にあるんだという恐怖心を覚えたし、その語られ方ってされないってところに、人間の鈍感さと同時にだからこその危うさを見たりするのでした。

その感覚をもうひとつ強く感じさせたのが、海自の特別部隊であった1vs15の戦闘訓練という名の暴行事件。

これも、被害者が死亡したから露見したし、そのおかしさが浮き上がるんですが、こと軍隊だったり運動部だったりの、体育会系な、脳みそがマッチョにできあがっている人たちの発想でいえば、この手のノリを本当に好むし、そこに集団心理的肯定感こそ覚え、ここで弱々しさを見せた奴なんかは鼻で笑う対象でしかないわけなんです。

だから、この事件の被害者に対してだって、大事になるまでは「死ぬって弱すぎ」くらいの空気があったとしても不思議ではなく。

そりゃ、そんな中に放り込まれたら死の安易さへの配慮すらなく、地雷まみれの中をドンドンと歩いているくらいのリスクがあるのに、本人たちに自覚はないくらいの状態があるんじゃないかと、思わずゾッとするもので。

それらすべてをひっくるめて、いやぁな気分にさせられるんだけど、そのいやさを共有できないことに重たさを覚える事件の連鎖でした。

2008年10月18日 (土)

韓国人だからの連鎖なのかと

このニュースをそのまま日本の価値観で判断すると、微妙なズレが出てくるのかなぁと思ったんです。

韓国と日本のネット社会の位置もそうだし、芸能人の世間的なポジションでもそうだし、自殺という行為への考え方もそうだし、大前提にある国民性の違いもそうだし。

ブームになっているといっては語弊がありますが、韓国の芸能人がインターネットの書き込みを理由にした自殺が相次いでいるそうです。

ひとつ一致することは、芸能人の自殺が相次げば大ニュースとして連日大きく取り上げられるだろうってことなんだけど、まず日本では芸能人の自殺が滅多にないし、それが建て続くことは考えられない。

それがネットの中傷に気を病んでとなると、さらにありえないことに。

だって、その手の書き込みなんかは気にするだけ無駄というのが共通認識だし、度が過ぎれば名誉毀損で訴えるという方向に話が転じていくんだから。

2chの存在がそうさせるのかなぁというのがひとつ大きいのかなぁと。

ここがあることで、中傷された側もひとくくりにしてポイ捨てにできるというのか、相手にこそ悪いイメージを押し付けておきやすいというのか。

しかし、韓国はネット社会がより一般的に広がっていて、だから国民の総意のような圧迫感を持って伝わってくるのかなぁと。

そして、日本のそれより韓国の芸能界の方が特権階級的な、よりブランド化されているから、少しのマイナス要素が許せないし、気が気でない問題となって浮かび上がってくるのかなぁとも。

などと考えながら、そもそも韓国人は侮蔑に対してショックを受けるというより、憤り狂うのが普通だとしたら、憤死したというのが正しい把握なのかも。

これこそ日本人にない感覚だから、なかなか理解できない領域なんだけど、耐えられないくらいの怒りが死に直結するなんてこと、あちらの国の人たちの激しさならあるのかなぁとも思ったり。

と、あくまで他人事として考えてきたけど、自分もネットで色々書かれたりしたことあるから、まったく分からない話もでもないんです。

自分はハガキ職人もやっていたし、掲示板でブイブイ言わせていたこともあって、なにかと叩かれたんですが、場数をこなすことで慣れちゃたところがあるんですよね。

それに、この手の論争で「そういう中傷をする人たちはかわいそうな人だ」なんて思うことで、やり過ごそうとする向きがあるけど、自分はそう思うことで心安らかになったわけではなく、単純に書いている内容を見て論破できるなっていう実感が、心騒がせなくさせた要因で。

だから、感情的にならずにまっとうに向き合うことが、ネットに対しての自己防衛になるのかなぁと思ったりしつつ、人間はなかなかそんな風にはいかないんですよねぇ。

2008年10月17日 (金)

姿を見せろ、メイクマン

茂木健一郎とカネボウだったか資生堂だったかの化粧品メーカーが調査した結果、女性は化粧をしている自分の顔を他人事ように感じ、スッピンになるとドーパミンが出るとかいうことが分かったそうです。

微妙に面白い話だなぁとは思うけど、これこそ千差万別な感想があるし、人それぞれで自覚も違うんじゃないかなぁと。

というか、基本的には化粧した顔は自信を持てる自分で、スッピンは人に見せられないという抵抗感があるものなんじゃないかと想像するんだけど。

それに、そのドーパミンだって気楽になったことへの開放感が出させるものなのでは。

対して考えると、化粧をするってことが他人事のような感じがするというのは、それだけ自分のイメージをコントロールしている安心感につながっていると。

そこの部分で攻撃されたり非難されたりしても、とりたててこたえることもなく、じゃあ違う手の加え方をすればいいとなるはずで。

一時流行ったヤマンバギャルだって、自分じゃない自分になることで逃げられた部分がよかったんだろうなと思うし、なにを言われてもヤマンバギャルというクッションを通して自分に届くから、どうにとも対処できる。

などなど、考えると化粧をするってずるいなぁとも思うわけなんですよ。

それも、ほとんど場合が女性にのみ許された領域であることも含めて。

これだけ化粧の歴史があるから、もう黙認状態なわけじゃないですか。

これだけの土壌があって、メンタル的にもよい効果があるものを、男性がすると邪道だとか軟弱だとかになるというのは、なんなんだろうかという。

確かに、メイクしていいよと言われても、「やったー」とはならないし、興味も特にない。

女性もあまりいい顔をしないような。

それは、男は別に美しさを追い求めないし、女性も男性にそれを求めていない。

逆に、女性は美への探究心があるし、男性も女性が美しくあって欲しいと思う。

つまり、必然の格差なんでしょうな。

でも、分かってはいても女性だけ化粧をして仕事をしていいなんて、なんか釈然としない現実なんだよなぁ。

スッピンでもカワイイなんて人の方が少数派だから、しょうがないんでしょうけども。

2008年10月12日 (日)

ドラマチックに死んでみないか

これで真相は闇に、なんて言うと日本の裁判制度はなんなんだって話なんですが。

三浦和義容疑者から稲垣メンバーがごとく三浦元社長に。そして。

まさか故三浦和義氏になってしまうなんて、想像だにしませんでした。

「なぜに」と誰もが思うこの自殺なんですが、もちろん本人にその理由を聞くことはかなわず。

同情する人はそれほど多いとは思えず、死んでわびたと解釈するにしろ、それならもっと早い段階でしていたなら理解を呼んだんでしょうが、これではなんとも。

自らを劇的に見せたがる傾向をして、意外性を狙っての自殺じゃないかなんて推察もあるようですが、人間ってそこまで割り切れて自らの死をもてあそべるのかという疑問も持つところで。

少なくとも、美化をしてはいけない気はするんです。

確かに、人生としてはドラマチックで、もしかしたら映画化をしたら面白いストーリーを描けるとすら。

でも、それが悲しみで人間の深さなんかを見せてしまっては、ミスリードをする怖さすらあったり。

ただ、日本の映画界でこの手の大河ドラマというのか、人間劇を掘り下げる土壌もないし、作り上げる腕もないという、これ幸いというのか、悲しい現実というのかがあるわけでして。

さて、これで三浦元社長改め故三浦和義氏のことは、これで一切扱われなくなるのでしょうか。

それとも、しばらくはポツポツと追っ掛けられるのでしょうか。なんか、深刻な顔をしながら伝えておきながら、内容はとりたててない例のパターンで。

分かった気にもなれないし、かといって突き放しておけばいいとも思わない、複雑さだけは残した自殺劇でした。

そして、ロス疑惑からこれまでの生き様って、人とはかなり違った人生を送ったことは、本人はなにかしらの充実感はあったのでしょうか。

2008年10月 9日 (木)

関わりはお土産にもらったノーベル賞チョコくらいの人間から

ノーベル賞って、どことなく宝くじを想起させるものがあります。

もちろん、受賞者当人にとっては努力した過程があってのことなので、当然とは思え、運のよさ云々なんて微塵も思わないことなんでしょうが、ノーベル賞になんて縁のない人がほとんどって意味で、多くの人にとってそんなイメージがよぎる部分があるんじゃないかって思うんですよね。

もっと厳密言えば、「ラッキー」っていう喜びじゃなく、サプライズへの喜びに近いというのか。

また、ノーベル賞を与える機関も狙っているのか、ちょうどノーベル賞のことなんて忘れたくらいの頃に日本人を選ぶんですよね。

ただ、今回は大盤振る舞いしすぎというのか、ぶっちゃけ名前を覚えられないなぁと。

これだけ凄いことをした人なのに、というのか、なんだから、というのか、1人かせめて2人くらいに絞ってくれないと、ありがたみがないなんて言っては贅沢病なのか。

不景気なニュースばかりの中で、久しぶりに「おぉ」っと歓声を上げられるニュースでした。

と。

これだけ思っておいてなんですが、そもそもノーベル賞って本当に凄い賞なんでしょうか、なんて思ったり。

それは、世界的にも別格に扱われているのかっていう点がひとつと、ここに認められることはそれだけ絶対的で異論の余地はないことなのかという点がひとつ。

とかく海外で評価されることを脊髄反射のように真に受けて、自分たちの誇りにすらしてしまえるのが日本人気質なんですが、もうちょっとうがった見方をする向きがあってもいいと思うし、一歩引いてみて分かることがあるって考えてもいいと思い。

さらに、ノーベル賞を受賞した理由を、結局なんら理解せずに受賞したことだけを祭り上げて終わる風潮もよくないんじゃないかって。

確かに、専門的で小難しいことばかりだから、理解しろっていうのも無理難題かもしれませんが、だからこそマスコミがお祭り騒ぎにすることに必死になるんじゃなく、中身を分かりやすく伝える努力をすべきだと。

結局、田中耕一さんがなんで受賞したのか、よく覚えてない自分がいるわけだし。

すべてがつながっている社会の中で、一部分しか見えてないほとんどの人たちにとっての新しい窓にすることも、ノーベル賞の意味や価値になるんじゃないかと言っちゃうのは、窓際族の発想なんでしょうか。

2008年9月20日 (土)

リーマン・マリオ・ブラザーズ

学がないので、このニュースを聞いても語れることなんて限られていて。

リーマン・ブラザーズについても、この破産が決まったことで耳なじみになったくらいなもので、それまでも耳に入ってはいたんでしょうが、金融会社だなんて特に意識をしたこともなく。

サブプライムローン問題が影響してと言われても、信用度の低い投資で失敗しただけなのに、なんでここまで波及するのかがピンとこないわけで、そこまで首を突っ込んでいたってことなのか、とどうもよく分からず。

だって、アメリカの最大手の企業なんだから、エリート中のエリートの集まりで、賢い判断をして当たり前なわけじゃないですか。

それが、なんでそんな怪しい道を選んで、あぶく銭を儲けようとしたのかと。

それとも、成功する手段は利用して当然という発想があり、それが失敗するなんて頭が一切なかったというのでしょうか。

それがサクセスストーリーオンリーでここまできた人間の頭の回路なのかという。

だとすると、賢い人間は成功することは出来るけど、成功し続けることは出来ない人種なのかと思ったりするのでして。

だから、あれだけ影響力がある状態になっても、無自覚でいられるのかとも。

そのためには、地道なタイプの人間もうちわに入れた方がいいとなるのですが、そんな選択はきっとエリートにはないんでしょうな。

自分たちのような優れた人間がやることが、全知全能かのごとく、すべてを網羅していると思えちゃうんだろうから。

もしそうなら、落とし穴に無防備に落ちてもなんの不思議もないのか。

迷惑だけど、それが社会の定理だとするなら、勝ち組といわれる層にもちゃんと警戒することで、自己防衛するしかないのかなぁ。

あ、関係ないけど、この手のニュースをチェックするのにたまに見る「報道ステーション」。

古館の強引な論法に常に合わせないといけない河野明子を不憫に感じつつ、古館もどこまであわせてくるかを試しているんじゃないかとすら思ってしまうのです。

微妙なSプレイとしては、もしかしたら楽しいのかも、とかね。

メインとサブの関係では、それがしょうがない運命ってことかな。

2008年9月13日 (土)

てなもんや三笠フーズ

手を変え品を変え、色々とやってくれるなぁなんて思ったんだけど、それはいったい誰に対しての感想なのかと自問自答してみたり。

それは、マスコミに対してなのか、食品業界に対してなのか、社会全体に対してなのか。

汚染米なんて新単語にとりたてて違和感もないのは、この手の事件に驚かなくなったがゆえと言っては、なんか格好をつけている感じがしてイヤなのであえてそうは言いませんが。

三笠フーズというお米を扱っている業者が、食用に流通させてはいけない米を売っていたそうです。

最初、三笠フーズという名前を見て、「てなもんや三度笠」を連想したのは鈍感すぎる発想で、ことが大きくなるにつれ、えらいことをやってくれたもんだと思ったものです。

と同時に、きっと三笠フーズの社長らも、これほど波及する不正をやっていたなんて考えはなかったんだろうなとも思うんです。

自分たちの存在を過小評価していたというのか、狭い業界という認識から、目先の流通が視野の限度で、あとは利ざやで稼げるうまみばかりで無神経な行動を繰り返してきたのではと。

大企業病なんて言葉があるけど、この一連の食品偽装を見ると、中小企業病もあるのかなぁと思ったりして。

影響力ほどは世間の注目を浴びてないため、想像力が欠如してしまい、安易な利益優先に走り、それが無自覚のままエスカレートして、簡単に越えてはいけない一線を越えてしまっているという。

また、競争よりは談合で緩やかな連携、悪く言えば共犯仲間となって、より不正の温床となりやすい傾向も。

つまり。

いまは食品業界ばかりが目に付いているけど、人間なんてみんな同じなんだから、どこの業界だって似たような犯罪まがいのすねに傷を持っているだろうと思われ。

で、不正のリークや発覚を、世間はよく告発したと思い、怒りを共有できるんですが、そちらの業界では裏切り者だとか、運が悪かったとか、自らがやっていた過ちに言及する向きはないと。

そりゃ、こういったニュースがなくならないはずだ。

自己不信には陥らないけど、他人の過ちには厳しいだけでは、なにも変わらないってことなんでしょうねぇ。

2008年9月 3日 (水)

フェニックス星野はクロスをまとえるのか

なんか、日本シリーズの後にWBCがあるんですね。知りませんでした。

もうてっきり、1回こっきりのものとばかり。

だって、メリットがあったのは日本だけで、別にアメリカだって興味がないでしょうから、主催する立場の存在に説得力がないような。

それでもやるっていうのは、それなりのマネーが発生したからなのか。

ホント、開催地がどこなのかもまったく分からないんですが、きっと日本人のみが熱狂してみることになるんでしょうね。

ただ、それに水を差しかねない状況も存在していて、それが監督問題いかんで一気に冷めた空気が生まれるんじゃないかと。

なんか、どこぞの国の首相を支持する理由かのように、「他に候補者がいないから」てな調子で、星野監督が続投が最も有力視されていて。

また、それを推しているのがナベツネっていうところに、ウラの狙いを感じざるを得ず、それが巨人監督就任への道を探ったものだという勘ぐりは、あまりにもすんなりと理解できちゃう帰結なわけなんです。

でも、変な話が気を使わなくていい、正確に言えば星野的な気の使い方が効力を発揮する環境においてやらないと、彼の人心掌握って機能しないのはこのオリンピックによって露見したわけで、逆にいえばそれなりの期間で監督と選手の関係性を持っての熟成がないと、指導力や用兵で活きる選手ではなく、モチベーションに応える選手を起用した星野の采配は、彼にしてはなんら間違っておらず、それを見ずにイメージだけで監督に選んだ方にこそ問題があったといえ。

なんか、中日の球団社長は日本一になった監督にさせればいいと言っていたり、その傘下にいる落合監督は「オファーがあったけど断った」だそうで、混迷の度は深まる一方のようで。

それとも、星野がそのまま収まって、惨敗を糧に一発逆転のWBC2連覇でバッシング下人間の鼻を明かすという、星野サイドにいる人の胸がすく結末が待っているのでしょうかねぇ。

ま、国際試合が注目を浴びるほど、巨人戦への関心は低下するだけなので、言うほどハッピーエンドとなるとは思えないのですが。

2008年8月30日 (土)

柳楽と姫井の共通点

割りと幅広い意味で窪塚洋介を思い出した人が多いんじゃないでしょうか。

それは、若さと孤独と支離滅裂さとの混濁がもたらした悲劇というのか。

柳楽優弥が大量の薬物摂取で病院に搬送だそうです。

自殺未遂との見方が最も理にかなっているのでしょうが、明白な動機が分かる時はこないのでしょうね。

若くして注目されたことでのプレッシャー、と言ってしまっては簡単なんでしょうが、そこでの本人の自分像とのギャップって大きかったのだろうなぁとは想像します。

それは、周囲の期待とのギャップであり、おそらく肥大した虚栄心に追いつかない自分とのギャップであり。

自分にとっては「包帯クラブ」が最も近しい近影だったんですが、なんともフレンドリーな、豪放磊落なキャラで記者会見を受けていた印象があり、その時は「楽しく生きてるんだろうなぁ」と思ったものです。

でも、それは繊細さの裏返しで、演じていた部分も多分にあったのかなぁとも、いま思えばですが感じたりして。

確かに、当時の期待ほどの活躍は出来ていなかったけど、昨今のイケメン俳優ブームとは一線画す存在感はあったわけで、まだまだニーズはあったと思うんですが、自分的には折り合いがつけられなかったのか。

自己満足だけではダメだし、周囲が評価すればいいわけでもない。

人間とはさしも一筋縄ではいかない心理を持った生き物なんだぁと思うのです。

それと比べて、なんて言ってはなんですが。

こちらも人間の弱さがモロに出たドタバタなんですが、こちらは共感の余地はまったくないところに、人間の浅さばかりを感じて。

離党表明と新党参加を発表した翌日、それを翻意して元鞘に戻った姫井由美子議員は、結局その程度の人間だったんだとバレてしまっただけで、どちらにせよなんの得もなかったことをジワジワと味わっていくのでしょうな。

甘いことをささやかれ、それでヒロインになれる自分を想像して、グラグラするのって人間らしいとは思うんです。

でも、柳楽クンくらいの年代ならそれで転ぶことも青さゆえとの理解が介するのでしょうが、大人のそれは残念さしか感じさせず。

それとも、弱さでつまずくことは、年を問わないことと思いやることこそ正しい姿勢なのかなぁ。

2008年8月16日 (土)

山Pより話題になった口パク論争

思い出したのは、山Pこと山下智久さんが、メンバーの不祥事でNEWSの活動が出来ていな時期にソロ活動でミュージックステーションに出て起きた例の事件でして。

格好をつけて踊っていたらマイクスタンドを倒してしまい、声が通せない状態になったにもかかわらず、歌声が流れていて、山Pは大慌てをしてマイクスタンドを拾い上げたという、明らかにみっともないハプニング。

にもかかわらず、ファンの反応は暖かくて、なんならそのことを嘲る人間を「かっこよさに嫉妬しているだけ」と言い放つほど。

そして、実際に波紋は大きくならず、相変わらず山下さんはカッコイイままで人気者として芸能活動を続行中で。

きっと中国政府にしてみれば、この事例はうらやましいんじゃないかなぁ。

国内事情だけならいつものように力業で押さえ込めたんだろうけど。

日本でも平均視聴率が37%あった北京五輪の開会式、そこで見事な歌声を披露して話題になった9歳の少女は実は口パクであったという。

自分はそのシーンを見ていないので、ラジオのニュースでそれを耳にし、「歌っていたのは7歳の少女だった」と聞いて、「2歳も下の子のパフォーマンスの方が凄いんだから、その子にやらせればよかったじゃん」とひとりで突っ込んでいたら、すぐに「式に出た子はルックスで、歌は歌声で選んだ」という答えをいただき、「うわぁ、シビア」と思わされたものです。

でも、子供なんだからそれだけでカワイイじゃんという意見は、正しいけど究極のところでそれは短絡的過ぎるとも言え、中国国内ではその女の子は開会式で一躍注目を集め、映画の出演まで決まったと聞きました。

ルックスがよけば、それだけイメージ戦略をとりやすいのは、年齢を問わないことなんですよね。

バトミントンでオグシオが敗退し、違うコンビが勝ち進んでいるけど、解説者やタレントとしての引きがあるのはオグシオの方であるだろうし。

時代の進歩から経験則が積み重なり、より計算が経つものを求めだしている現状で、見た目の印象ほど分かりやすい魅力はなく、そこでコントロールできる人間の方が勝ち抜いていくってことを、再認識させられたニュースでした。

っていうか、このことがなんでバレたかも問題だし、中国のことだからきっと誰かが責任をとらされるんでしょうね。

2008年7月21日 (月)

問題は大人コドモと子供オトナの激突が

バスジャックって、いつの間に少年のものになったんでしたっけ。

少なくとも、大人はそんなことやったってなんの見返りもないという、実に現実的な判断で誰もしなくなったんでしょうが、少年という社会的な立場である場合において、なんらかの意味を持ってしまうっていうのは、実はそこにこそ問題があるというのか、現状認識を誤っているのかもしれません。

アキバの事件を真似しようとしたドラゴンズファンの少年もいたけど、どれも子供じみているんですよね。

いや、子供がやっているから子供じみているのは当たり前なんですが、ここで形容される「子供じみている」は、大人がやって言われる言葉であるんです。

つまり、大人がやるようなことを子供がやっているともいえる訳だし、子供じみたことは子供っぽいこととは相容れず、子供はもう子供っぽいことはやらなくなってしまったと嘆くことすらできるんじゃないかって。

それって、ケータイの普及であり、情報が溢れ、みんながインターネットをやるようになって、当たり前を年齢を問わずに共有してしまっていることに、考えるべきテーマがあるような。

なんというのか、内容が伴わないでも大人みたいなことをやれちゃうし、やっちゃおうとするのが子供なんです。

これまでは、自分の目で見た範囲での想像の大人をやっていただけなんだけど、ここ最近は耳年増よろしく、伝え聞いたことを真に受けて、疑うことなく、やってしまっているし、やれちゃっている。

行動を先にすることで、後追いで中身がついてくるっていうことはあって、そういう意味では単純に悪いとは言い切れないのでしょうが、情報過多によって明らかに持て余していると思うんですよね。

となると、メディア規制が声高に叫ばれるようになると思うんですが、そうではなく、親が意識的に管理することの方が大事だと思うし、常に子供のことを気をつけてやるべきなんです。

なんか、親になっても自分の人生をエンジョイすることが新しい生き方みたいになってきているけど、やっぱり子供を持ったなら子供を主役にしてやるべきなんですよね。

なのに、大人が子供じみてしまっている現状を見ると、簡単には解決できる問題ではないんでしょうね。

まずは大人が大人になることが、子供が子供でいられる必要最低限の条件なのかなと思うのですが、それでも目先の快楽に向かっちゃうのが人間の性なんでしょうねぇ。

2008年7月 7日 (月)

ワンマン社長ショー

岐阜の人間なので、やっぱり岐阜の名前で悪いニュースがあるとガッカリするわけなんです。

だから、イタリアの大聖堂に落書きしたのが岐阜の大学名を書いていたのも、なんとも恥ずかしい思いをしたわけで。

ただ、それ以上になんとも言えない気持ちにさせるのが養老の丸明の不正表示であり、その社長のキャラ立ち具合。

ワンマンっぷりが実によく伝わってくるし、「ダメだこりゃ」をいかりや風に言ってしまうわけなんです。

この記者会見によって引き合いに出されたミートホープの社長もそうだけど、こういう人ってある部分で自分のためには都合よく取り繕うし、自分のために強気になれるんですよねぇ。

そして、そういう性格の社長だからその企業を大きくできたんだろうなとも。

客観的でバランスの取れた人間の方が着実にはことをなすんだろうけど、それではスピード感を生まない。

強引でも自らの望む方向に持っていってしまう力技をこなせる人じゃないと、一代で世間的な目に分かるような成功を残せないんじゃないかって。

それはホリエモンなどのヒルズ族の社長たちも、そういう側面があってのその地位であり、不正を生む隙や温床を作ってしまうんだろけど。

結局、ボロを出せば叩かれるんだけど、出さないうちは例え何をやっていても許されちゃう土壌が社会にはあるってことなんですよね。

どれだけ着実に働いて周囲の評価を得ている人がいたとしても、デイトレーダーで億を稼ぐ人のようにマスコミには取り上げられないし、注目もされないわけで。

ようは中身はともかく金を稼ぐ人をチヤホヤし、それを成功者とする限り、そこを手段を問わずに目指す人は後を絶たないし、金があればいい思いをできるという構造がある限り、それに頼ろうとする人がいて当然なんですな。

そして、それを単純に悪いことなんて言えない現実が、難しくするわけだし。

そこに原動力があるから、社会の歯車は回り、発展の顔ももたらすという。

もちろん、スローライフやECOや省エネを叫ばれる中で、もうそういうことは通用せず、ソフトランディングさせることを考えないといけないという考えは、より強く出てきてもいいと思うんですけどねぇ。

2008年7月 4日 (金)

高校野球監督からおぎはやぎまで取り揃えました

おもしろいもので、落書きをしたってことが話題になったことで、犯行の連座制が適用されだしてきました。

まさかいまさら「あの落書きが」と高校野球部の監督さんは思っただろうし、もしかしたら自分が書いたやつが見つかり、槍玉に挙げられるかもとドキドキしている人もいるんじゃないかなぁと。

エイベックスの期待の星のAAAはすでにバレているから、逆に安心だなぁとか妙な展開もありつつ。

前にも書いたけど、自分には落書きをする神経が分からないので、激しく叩かれて当然だと思うんですが、世界遺産に落書きされた当のイタリアではその対応は厳しすぎるなんて声があがったとか。

それを受けて、日本側はどういう反応をするべきなのかと。

PTA的な人たちはそれではおもしろくないんでしょうし、マスコミだって叩きたい一心なので苦笑いでしょうな。

そんな中、このまま収束していって欲しいと思っているのが、このことでスポットライトを浴びる羽目になったおぎはやぎ。

こちらはベルリンの壁に落書きしたことが発覚し、謝罪のコメントを発表していました。

でも、それはそれで凄いことなのか、なんのイメージダウンにもなってないんですよね。

「そんな悪ふざけ、するわなぁこいつらは」って。

例え世間はそう受け止めても、テレビ的には世論がどう動くかに敏感で、もし許さない空気になったら起用自粛なんて流れになりかねず。

おぎやはぎレベル、吹けば消し飛ぶ存在なんだし。

どこに落とし穴があるか分からない世界だなぁと思うと同時に、落とし穴になりそうなことには注意しておかなくちゃいけないなぁと思うのでした。

鼻を効かせるセンスが重要、というのか。

2008年6月29日 (日)

落書きはすべて便所の落書き

一週間前に一週間ほどヨーロッパに行っていたけど、別に自分の名前を書き残したいなんて思ったことないけどなぁ。

でも、この手の騒ぎが少なくないってことは、そういう欲求を持った人は水面下にもっといるってことなんでしょうか。

イタリアの世界遺産に落書きをした岐阜の女子大生が問題になっています。

あの、よく犯罪を語る上で「そんなことを起こすことが理解できない」なんて言い方をするけど、変な話、自分は分からなくもないなぁって事件は、おとなしい系の男性のものを中心になくはないんです。

でも、こういう軽い気持ちが犯したものほど「なんで?」っていう気持ちにさせられるんです。

万引きもそうだし、ごみのポイ捨てとかも、なんでそんなこと軽々しくできちゃうんだろうと思うんですよね。

そういう発想の安易さが許せないとすら。

今回のことだって、そんなことしちゃダメなのは分かりきっていることだし、しようと思う神経がどう作用しているのかがなんなんだろうと。

さらに分からないのが、この女子大生は自分の所属する大学の名前を書いていたという。

これも「なんで?」で。

「ええーい。分からん。アルベルトぉ~」てな感じで。

なぜに大学名まで書こうとしたのか。

それが自分を証明するものってことなのか?

いや、ホントにこれについてはなぜなんだろうと思わされたんですな。

これが大々的に報道されたことで、この女子大生は落ち込んでいるのでしょうか。反省しているのでしょうか。

なんか、「運が悪かった」くらいの切り替え方をしてそうで怖いです。

きっとこの子とは話、合わないんだろうなぁ。

2008年6月14日 (土)

病院をファーストフード店に感じた日

点滴の作り置きという面白い単語。

いや、医療については多くの人と同じように無知で素人丸出しなので、看護師が調合して作っていたなんてことすら知らなかったんですが、それを事前に作っておくってことは最近混入などの衛生上の問題から禁じられていたそうなんです。

なのに、手間を省くために予約客が多き時はしてしまっていたという。

うーん。

だから、素人なのでそうしちゃう気持ちは分からないでもないなぁっていうのはあって、人間なんて慣れでドンドンと手抜きをしていくものであるし、目の前の現実に鈍感になっていくものだと思うんですよね。

でも、それは本当に些細な日常だからこそ起きてしまう人間の弱さだったり、陥りやすいミスであり、常にシビアな現実と直面する病院においてもそうなってしまうってことに、人間はつくづく自分のことを中心でしか考えない生き物なんだなぁと思わされたわけで。

よく子供の頃から「相手の身になって考えるように」と言うのって、男に「女々しいことを言わない」と言い、女に「もっと女らしくしてなさい」というようなもので、土台無理を強いているようなものなんですよね。

ただ、定期的に指摘し、注意し、刺激を与えておかないと際限なくエスカレートしてしまい、それが大きな逸脱につながってしまう。

それが今回の事件であるし、諸々の企業不祥事なんじゃないかと。

個人的な話をすると、自動車の運転をするようになって久しく、必ず定期的にヒヤッとする思いをしたり、免許の減点を受けたりしてきました。

そのたびに、運転がおとなしくなり、より慎重なドライビングを心がけるようになるわけなんです。

失敗をしないと理解しない。だけど、その経験も時間が経てば記憶が薄れていき、また同じような失敗を繰り返す。

それが人間なんだなぁって。

あとは運の問題となり、失敗が次に活かせるだけのレベルで済んでいるのか、人生を誤らせる致命的なものなのかで分岐点が生まれたりしつつ。

今回の病院が今後どうなるのかは分かりませんが、もし存続するならきっとしばらくはどこよりも衛生面に気をつけた病院になっているんでしょうね。

2008年6月11日 (水)

アキバが赤く染まった日

結果的に、犯人が秋葉原を選んだのは正解だったってことなんでしょうね。こういう言い方をするのはなんですが。

「ワイドショーの独占」がこの反応の目的だとしたら、その舞台の分かりやすさはマスコミが食いつくにちょうどよく。

しかし、事件の翌日にはすぐにこうやって2ちゃんだったり携帯サイトの書き込みや日記が、「犯人とおぼしき」という注釈つきで出てくるのってなんでだろうと。

自分が知らないだけなのか、ネットのメインロードのようなものがあって、そこをチェックしていれば当たり前のように「あそこで書き込まれてたらしいよ」ってすぐに話題になっているのか。

それとも、マスコミに垂れ込む人がいるのか、マスコミ自身が犯行声明らしきものが出てないか定期的に調べているのかとも。

さらに言えば、「おぼしき」ってだけで取り上げちゃうのって、どうなんだろうという。

ミスリードを生みやすいと言えるし、なにより取材力が発揮されていない。

そこらの噂話と同じじゃないかとすら。

犯行も現代的なら、報道も時代を表しているということなんでしょうか。

ただ、目立ちたいことが純粋な目的でないにしろ、付随する理由になっていたとしたら、今回の犯人が選んだ手段はどうだったのかと。

「また例のパターンね」ですまされている現実があるとすると、すぐに忘れされさられるわけで。

独創性がないなんて評価を犯罪にしてはいけないのでしょうが、逆に言えばこういう事件が当たり前になるほど、この手の鬱屈が潜在している可能性は高まっているのかなぁと思うわけですな。

自殺と裏腹だという分析もよくされるのは、3万人をここ数年連続して超える自殺者数のあだ花ということなのか。

自傷行為に向かないベクトルが、他殺に走る所以となり。

ようは現状への否定が含まれた衝動を抱える人が多いことが問題であり、これを受けて規制ばかりに頭が向くのは、失敗を許さない傾向で苦しむが故の死を呼び込む現状に対する皮肉でしかなく。

許すこと、受け入れること、そのための余裕こそが大切だし、いま求められているのに、ドンドンとシビアさばかりが増していくアンビバレンスは、もっと大きな亀裂、犯罪を用意だけなんじゃないでしょうか。

2008年6月 9日 (月)

選挙も報道も計画的なご利用を

オバマ氏が民主党の大統領候補として勝ち残り、ヒラリー氏が渋々撤退を表明。

ようやく決着、ってことですな。

自分がヒラリーよりオバマを贔屓する気持ちになったのと同じような気分が、最終的には勝敗の差になったのか、それとももっと違うところに要因があったのか。

ようは、鮮度が期待感になったというのが自分の気分なんですが、争点は黒人初VS女性初であったり、たたき上げVSエリートであったりしたわけで。

その意味で、それぞれが作用しあった中でプライドの塊のような化粧臭いおばさんは、どちらかと言えば好まれなかったと言えるのかもしれません。

それよりは、清潔感のある黒人の若手は見るに耐えたというのか。

それは、お金の集め方がネットを中心とした募金的な形式に透明度があったとも。

自分は男だし、黒人白人という差別には鈍感な日本人だから特に感じるものはないんだけど、高学歴だったり社会的地位のある女性の意見はどうなのか気になるところです。それは同じ日本人でもそう。

ニュース番組も、そういう痒いところにスポットライトを当ててくれたら面白くなるのになぁと思うのですが、そこに突っ込むとワイドショーとのボーダーが保てなくなるのかな。

かといって、いまのニュース番組がそれほど公平性や客観性に徹しているかと言えば疑わしいもので。

そんなことは一般視聴者以上に、与党自民党さんが敏感になっていたっていうのが、「報道ステーション」古館キャスターの発言にテレビ朝日自体の立ち入り禁止を命じた姿勢にあったり。

自分はそのシーンを見ていないので断言は出来ないけど、その様子を見聞きするにつけ、その安易な結びつけに古館の浅はかさは感じるのですが、それでもそれにイラつくってどれだけ子供なんだと。

目先の印象に流されやすい層ばかりを追っちゃうようになったのは、小泉ブームの負の遺産なんでしょうが、そういう人たちは逆に言えばちょとしたことで左右されちゃうとも言えるわけで、そこも戦略的に対応しつつ、積み重ねで根付かせる努力もするべきなのにと思うのですが、分かりやすい結果がないと言い訳が付かないって意味でもそこに執着せざるを得ないんでしょうねぇ。

2008年6月 1日 (日)

人それぞれは受け止め方により

「めちゃイケ」で「地上波のレギュラーはこの番組だけ」と言われていたよゐこ有野が、肺を患って入院治療に入るそうで。

それを伝える記事でレギュラーは6本ある売れっ子とあったんだけど、じゃあ地上波以外でなにをやっているんだろうという疑問が沸きつつ。

ただ、この話題が比較的大きく扱われていた気がするのは、その「めちゃイケ」の存在というよりは、「黄金伝説」での相方との無人島生活での認知度が高いことと、やはり「ゲームセンターCX」である種のカリスマ的な人気を得ていることがでかいんだろうなぁと。

なので、このニュースで受けた衝撃度も、どの番組での有野に親しんでいるのかでまったく違ってきているんだろうなぁと思うし、有野が見れない期間があるということ、それがどれだけの期間に及ぶのかということがどれだけ気になるかも違ってくるでしょうね。

自分なんかは「めちゃイケ」でしか見ていないので、復帰後にどんないじられ方をするのだろうが関心事となるし、同時に光浦も地味に頭の病気で入院したことに続いての病魔に倒れるの報に、もちろん極楽山本の件もあってのお払いが必要なくらいの不運にまとわれているなぁと思ったり。

というか、有野にもミーハーな女性ファンがいるのだろうかということがふと気になったりして、その場合彼女たちが一番ショックを受けているのかなぁと、妙なニヤニヤを付随しての連想が生まれるのです。

さて、この有野倒れるのニュースとどちらがより残念な気持ちを呼んだのだろうと比較してみたくなったのが、ヤングサンデー休刊の一報。

自分は巻頭グラビアで贔屓のアイドルが載った時のみ購入していた雑誌なんですが、ここ最近はドラマ化される漫画が続出していて注目されていたと思ってたんですが、部数は減少の一途だったとか。

結局、漫画が娯楽として大衆性を失いつつあるってことなんでしょうか。それは、かつて映画が娯楽の中心だった時代があったのと同じように。

それとも、読者が気楽に読めるものばかりをチョイスするようになり、意欲作でもハードルが高く感じたり、POPさに欠けていたりすると敬遠されるようになってきているのか。

熱心な読者には大きな落胆を呼ぶだろうし、多様性や機会を失うという意味で自分なんかも残念に思う休刊なんですが、手に取らない人にとってはなにもなかったかのように過ぎさる変化なんでしょうねぇ。

2008年5月30日 (金)

僕たちは、品格なし芸人でーす

「船場吉兆が廃業」と聞いて、残念に思う人ってどれだけいるのでしょうか。

それとも、残念に思えない人はかわいそうな人なのかとも。

自分の生活レベルではなんの関係もないニュースなんですが、「ささやき女将」の会見を見て、ちょっと思ったことがあったので触れてみようかなと。

なんか、「涙ながらに」ではあったんですが心を感じなかったんですよね。

それは、格好でやっていただけだからなんじゃないかって。

船場吉兆という老舗を廃業せざるを得ないことや、問題になったことに対する申し訳なさという記号に対し、それに相応しいスタイルで記者会見という舞台で演じて見せただけ、というような。

あるニュース番組で「質問に対するQ&A」なんて用紙が手元にあったなんて暴露をされていたのがその証拠で、格好だけつけようとしていたのが丸分かりなんですな。

そんなんだから、表面さえ取り繕っていればいいなんて姿勢が生まれ、偽装や食べ残しの使いまわしなんてことが平気でできてたんだろうなんて、思えてしまうわけなんです。

もちろん、いまの世の中なんて往々にしてそんなところはあって、だからテレビやブログでちょっとした逸脱があるだけでバッシングをして、それで情けない姿で謝罪するのを見て満足するという、本質をまったく問わない現象が目立ってきているんですよね。

それを思うと、横綱の品格を問われた今場所での横綱同士の取り組みは、それほど物議をかもし出すことでもないんじゃないかなぁと逆に思えてしまったり。

どちらもたかぶった感情が起こした素直な反応で、それを否定してしまってはそれこそロボット相撲を楽しむしかないんじゃないかとすら。

実際、これを問題視したのがエビ・ジョンイルこと海老沢元NHK会長だっていうがギャグにもなっていないところで、この世の中に他人の品格を問える人がどれだけいるのかと問いたいくらいで。

品格ブームなんて言われたこともあるけど、ブームで終わってしまうことは自明なことを思うと、結局人間なんて程度が知れた生き物なんだと開き直ってしまうのは、おかしなことなんでしょうか。

2008年5月14日 (水)

地震サイクロンかジオヤジー

自分の今現在の境遇と照らし合わせて、「悪いことは立て続くものなんだよなぁ」と思わせたのが中国の大地震。

ホント、中国の首脳は「北京五輪前にこれ以上なにも起こるな」と思っているところで、なんでこんなことがと頭を抱えていることでしょうな。

もちろん、そんな都合なんて被災した市民にはどうでもいいことで、起きちゃった後をなんとかしてくれがすべての願いで、テレビや新聞等で政府が迅速に対応している模様を喧伝することに必死な様子は、反発を呼ぶだけでしかなく。

まぁ、中国人は日本人のように内に秘めるようなことはなく、すぐに行動に出ちゃうので、暴動とか平気で起こして抗議の意を示すのでしょうな。

その点で、ミャンマー人はどうなのかと思うのが、大規模なサイクロン被害。

まさかサイクロンでそこまで大きな災害となるとは、っていうのが部外者の感じ方で、インフラがしっかりしてないからなのかと思うのは、偏見ゆえなのかとも。

その偏見を推し進めて書けば、生まれ育った場所で人生や運命なんて大きくたがってくるんだなぁと思うわけなんです。

自分がミャンマーで生まれていたら、中国の四川地方で生まれていたら、死んでいた可能性がグッと高くなるわけじゃないですか。

それは救済への動きの遅さや稚拙さもあわせて考えて。

と同時に、自然災害のやるせなさも感じ入るものがあって、その前触れのなさと被害の大きさ、つまりあまりに多くの人が「まさか」の死を同時に迎えるインパクトに震え上がる怖さを思うのです。

いかに人間なんてちっぽけな存在なのかを知らしめて、どれだけ自我を膨れ上がらせている現代人であっても、なんの配慮も尊重もなく、命を奪い去ってしまう。

ほとんどの人が、その被害者となる可能性なんて想像だにしていないのに。

「人生楽ありゃ苦もあるさ」は水戸黄門の有名な主題歌ですが、本当に楽と苦が繰り返し来るのなら、まだ幸せだし、希望もあるんだけど、苦だけが繰り返し襲ってくることもあれば、一度の苦によって死に至ることすらあるなんて発想は、なんの救いもないけど、紛れもない現実なんだなといま改めて思うのでした。

2008年5月11日 (日)

人間は失敗する生き物だと言うけれど

イタリア村、FM九州、スーパーアグリ、亀田。

人間は失敗する生き物だとは言うけれど。

要するに、金の切れ目が縁の切れ目ってやつで、そこの部分で上手に付き合わないと、悲しい別れは必然なんでしょうな。人間だもの、って感じで。

この破綻で、関係者たちはどういう反応を見せるのでしょうか。そして、どう思うことになるのでしょうか。

しょうがないと割り切れる人は少数派のはずで、どうすれば責任逃れができるかというトップ中のトップがいたり、誰かに攻撃的になることで自らを守ろうとするものがいたり、自分の境遇を嘆くことで自己愛に浸れる人もいたりじゃないかと。

失敗や不幸な別れ、つまづきに出くわした際、それを真正面から受け止め、自らの非を認め、前向きに処理していける人なんてどれだけいるのか、とも思います。

自分が間違っていたなんて発想、そうそう容易に消化はできないでしょうから。

人間は自己肯定しないと前に進めないし、根拠がなくても自分の価値を信じないと力を発揮できない生き物。

だから、一歩踏み外しただけで、転がり落ちるようにマイナスばかりの環境に身をおき、抜け出せなくなることも。

一度汚された身を、悪い意味でのきっかけにしちゃうというのか。

なんなら、その経験が失敗者、加害者側への共感すらもたらすようなことも。

人生の機微って繊細だし、ガサツだなって思うのはそういう点で、ちょっとしたことの積み重ねや、自分らしさからの珍しい脱線が、すべてを決してしまうこともあるんです。

本人たちが気づかない、想像しないことは、本人がコントロールできない領域で必ず存在している現実。

そこで、負けないように必死にあがくのか、それまでの人脈が手を差し伸べるのか、新しい出会いが救いの道となるのかは分からないけど、そこから先も手に届かない世界によって左右されちゃうんだけど、そこに怖さを見たとして怖気づいちゃいけないことは確かだと思うんですよね。

2008年4月23日 (水)

死刑ですべてが終わるのか

これをハッピーエンドと称することはできないんでしょうが、当事者以外のニュースの受け手としてはどこかで「よかった、よかった」な感覚になった判決なんじゃないかなぁと。

光市母子殺害事件、元少年に対する差し戻し審で死刑が求刑されました。

確かに、この差し戻し審で大人数による弁護団が結成されてからの出てくる供述のうそ臭さには、自分もイラッとするものを感じたけど、その報道によって国民感情で死刑を後押しする感じって怖いなぁとは思ってたんです。

そして、この判決が出たことで溢れてきた「当然」「ざまみろ」な声に、なにかが隠れてしまっているんじゃないかとすら危惧するものがあり。

だからといって、判決を受けて自分たちの行動を自画自賛する弁護団に賛同する気持ちは一切ないんですが。

なにより、この人たちが戦略として推し進めた弁護って逆効果以外の何ものでもない気がして、法廷対策というのか理論武装して戦うことにおいて、そうやっていくのは方法論だろうし、その積み重ね次第では変な言い方ですが泥仕合になって、どっちもどっちな落ち着け方になり、譲歩を引き出すことはあるのでしょうが。

それよりは単純な心象に左右されがちな風潮がある昨今で、がり勉ムカつくとか、理屈臭い奴は嫌い的な空気の蓄積がある現状、なによりブログの炎上や亀田・沢尻バッシングのような過熱の仕方を見るに付け、ひたすら低姿勢で、愚直で謙虚で真面目さをアピールしないと、反発されちゃうわけなんですな。

だから、自主規制の姿勢が横行し、表ざたになるのは耳障りがいい物言いばかりで、本音が陰に隠れてしまっているという現実もありつつの。

その鬱憤が、叩いていい環境が用意されることで解き放たれ、過剰なものになってしまうというこの負のサイクルは、なにか大事な順序をすっ飛ばしているのかもしれません。

もちろん、本音が感情的なものであるなら、バッシング側が口にする論理となんら変わらないいびつさが寄り添ってしまうと思うのですが、そうではなく自然体の中にある素直な思いがかき消されがちなことってどうなんだろうって思うんですな。

そりゃ、強姦して殺害なんて卑劣なこと、憎しみすら覚えるのが普通なんでしょうが、それだけで「あいつを死刑にすべきだ」がみんなの共通の意思になるのかというのがあるし、同時に「死刑にすべきじゃない」という意見に違和感を覚える感じも分かる中で、加害者の親の視点だったり、同世代の気分だったりも存在していいじゃないかって。

この、流れやすい方にみんなが流れちゃう傾向に戦中戦前に隣り合わせな危うさを覚えつつ、一個人では踏みとどまれない圧力をヒシヒシ感じてしまっているのです。

2008年4月22日 (火)

チベットでデモが起きるとカルフールが損をする

それだけ、オリンピックがビッグイベントで、影響力も注目度も高いからのことなんでしょうけど。

チベットで起きた僧侶たちによるデモを、中国が力で鎮圧し、報道規制が掛かった中でも死者が多数出たという報道もあり、国際問題になってきたところ、人権団体などがその抗議として北京五輪の聖火ランナーの妨害をすることでその意思を表明するなんて手段をとり、ニュース番組に連日報じられています。

それが許せなかった中国国民はネットで愛国精神を訴え、やがてその動きが特に人権意識に過敏なフランスの反応の大きさを理由にターゲットとし、フランス系のデパートのカルフールの不買運動につながっている模様で。

なんか、「風が吹けば桶屋が儲かる」の様相を呈しているなぁというのが第一印象でして。

カルフール的にはまさかまさかの展開でしょうし、チベットの人たちもこんなことになるとは思ってなかったと思います。

さらにややこしいのは、今度のチベットのデモなどはダライラマがさせたことだと中国政府は主張しているのですが、どうも実情は違うってことで、ここでも微妙なすれ違いというのか矛先の向け方に主観的なもの、戦略的なものがあるなぁと。

チベットへの抑圧への抗議に聖火ランナーの妨害も筋が通らない気がするし、その腹いせに不買運動というのもはなはだお門違いじゃないかなと思うにつけ、悪い意味でみんな短絡的じゃなくなってきていることを思うのです。

なにが間違っているのかを額面どおり、その黒幕と思われる存在に言ったところでなんにも期待通りの変化はおきないと分かっちゃっているから、どうすれば黒幕があぶりだせるのかに着目して、過激さで対抗する。

確かにそれでニュースとして世界中に配信されているのを見るに付け、成功はしているとは思うのですが。

より大きな反響があること、現実的な効果があることについての知恵をつけ、その結果が回りくどい手段となっているこの不思議さを見たりします。

だって、そうすることでほぼ無関係と言える人にも迷惑を掛けているわけですから。

そんな人たちの犠牲をいとわないで、実利だけ、より過激で根深いイメージを植えつけることだけを目的とするなんて、テロと同根じゃないかと思ったりするんですよね。

同じ回りくどいことをするにしても、そんな目先の効果や反響ばかりに意識を割くのではなく、正道や王道を達成するための回りくどさに意識を割くことこそ、人間が歩むべき姿だと思うのは、愚直すぎる発想なんでしょうか。

そりゃ、他人事としてはこの現象は面白いと言えなくもないんだけどねぇ。

2008年4月19日 (土)

せんとくんバーナード

不評を囲った平城遷都1300年祭の記念マスコットキャラの名前が「せんとくん」に決まったそうで。

この期に及んでの判断としては妥当なネーミングだなと思わされます。

確かにあのマスコットは、戦前戦中を思わせるようなセンスの古さというのか、微妙な不気味さすら感じさせ。

でも、それは意外性だったりオリジナリティという意味では、狙っていないがゆえに飛びぬけたとも言え、内面がにじみ出たことで反発しやすさにもなっているのかなと想像します。

もしこれが、キモカワとかゆるカワなんていう時流に乗っかろうとしていたら、その他大勢に埋もれ、話題にすらなっていなかったはず。

それは、妥当や波風が立たないことがよいとするのなら問題のない選択なんでしょうが、果たして本当にそれを望んでマスコットキャラを考える人がいるのかと。

おおそよが、いかに受けいられるか、話題になるかを考え、それが叶わなかったケースばかりのはず。

そんなほとんどのケースに当てはまらなかっただけ、今回のマスコットの意義ってあったんじゃないでしょうか。

もちろん、不評にさらされることなんて誰だってイヤなんだけど、そこは考えようの問題なんですよね。

最初から肝が据わっている人間はすぐにそれに気づくでしょうし、ポジティブシンキングな人も、また自己愛が強いタイプの自己肯定的な発想に傾きやすい人も、早い段階で前向きな受け止められ方をするはず。

まぁ、後者についてはその態度にさらなる周囲からの反発を浴びかねないけど。

そうでない人も、時間が経てば次第に「色々あったけどよかったな」と思えるようになるんじゃないかな。

それは、それだけ時間が経っても振り返られるだけの思い出があるからだし、その頃も話題になることもあるからで。

だから、これだけインパクトを残したあとでのネーミングは覚えやすいことがベストで、「せんとくん」という誰でも口にできるありきたりさは思い出話として共有もできるってことで、悪くはないと思うんです。

「アンチ巨人も巨人ファン」とはよく言ったもので、気にした方が負けってことなんでしょうな。

2008年4月16日 (水)

前園さんに再登場願います

文部省が学校裏サイトの現状を本格的に調査したというニュースがありました。

そこでは「キモイ」「ウザイ」「死ね」「殺す」などの言葉が氾濫していたとか。

そこで「対策に乗り出す」というのが記事の締めくくりになってるんですが、まぁ色々と考えさせられますな。

まず、いま問題になっている後期高齢者医療のような制度を作り出す官僚たちの発想で、いったい何ができるのかということ。

次に、裏サイト自体を規制したとして、それですべてが解決するわけじゃないのに、それでなんとかしたつもりになった気になるのが怖いなってこと。

そして、こんなことをやっている子供たちが平然と生きているのに、なにも気づいてこれなかった人たちに、これからさらにあるだろ変化についていけるのかということも。

もっと言えば、そんな子供を育てたのはそんな大人たちだっていう言い方すら。

自分は「子供は大人の鏡写し」という考え方を支持しているので、子供が起こす諸所の問題はすべて大人に起因するというのが前提にあるんです。

だとして、じゃあそんな間違ったことをする子供たちをそのまま放置していいとは思ってないわけで、なにがおかしいのか、なぜそんなことをしてはいけないかはちゃんとわからせてやらないといけない。

でも、きっと問い詰めてやるとこんなことやっている子に限って自分の弱さを吐露しだして、泣きじゃくりだしたりするんだろなぁとか想像し。

それは、「自分だって悩み、苦しんでいる」的な物言いで、相手に悪いなんてことは思ってないことがもろバレなんでしょうが。

結局、やっていることに覚悟がないんでしょう。

だから、正体が分からない状態では強気になれるし、悪ぶっていられる。

それは変な話、昔の不良のように、責任もとる気がないから。

「いじめ、かっこ悪い」はかつて前園さんがCMで言っていたことですが、いじめている事実を認めた瞬間にしかそのかっこ悪いさを本人は自覚しないんでしょうね。

だからこそ、逆に大人が子供の映し鏡となり、自分がやっていることのかっこ悪さを分からせてやるべきなんだと思うんです。

それは、もちろん大人目線で言っても伝わらないことを把握しながら、ですが。

2008年4月12日 (土)

守ろう、クレヨンしんちゃんで笑っていられる世の中を

なんか、NHKと民放で作る「放送倫理・番組向上機構」略してBPOが、男児の全裸、特に性器の映った映像は放送しないようにという提言をまとめたそうで。

「放送倫理・番組向上機構」略してBPOが言うには、インターネット上で児童ポルノとして扱われる可能性もあるからが理由だそうで。

しかし、「放送倫理・番組向上機構」略してBPOさんよ、と。

それをワイセツだと認めてしまうことが、逆に火に油を注ぐことになるんじゃないかなと言いたいわけなんです。

自分たちなりに男児の性器にすらモヤモヤするものを持ち、楽しみ方をしている人たちも、少数派な現状では自分たち像すらあやふやな中でいるわけなんですな。

それは例えばロリコンと比べれば、実に浅い領域で漂っていて。

なのに、レッテルを貼ることで線引きが明確となり、その路線への深化を進めだすきっかけにすらなる可能性がある。

そして、そこにはより仲間意識が芽生え、児童ポルノが見えづらい場所に潜伏しやすくもなるはずで。

さらに言えば、これによって「そういう見方があるのか」と気づきだす人も出てくるんじゃないかって。

こういうのは、「男の子のちんちんにドキドキするのは変かも」と思わせるような土壌を保つことこそ、重要なんだと思うんですけどねぇ。

特に男性より世間体というのか、周囲の目を気にする女性にはそうであるべきで。

これが同性愛の延長線上の人たちの興味だとしたら、同性愛者たちの間で「そこはない」という方向に持っていく対策こそ効果的だと思うし。

そりゃ、本当に危ない奴はいると思うんです。

でも、それはどの分野にも潜む可能性の問題で、それを言い出したらテレビでなにも放送できなくなる。

逆に、これが通るなら他の可能性は逐一分析できていないとすら言い切れ。

もう一度言うけど、「そんなバカなこと」という空気がまだある状態こそが健全なんだし、「そんなことはない。現実はもっと深刻だ」という意見に負けては、それが実際に蔓延してしまうことになるんです。

それでも、「放送倫理・番組向上機構」略してBPOは、完全に自己完結しちゃうんでしょうねぇ。

2008年4月10日 (木)

他人の不幸は甘い蜜。ただ、体に悪いけど

人間なんてものは単純なもので、いい思いをさせてくれた人のことは好きになるし、嫌な気にさせられた人は嫌いになるものなんです。

その裏の真意が例えどうであろうと、実感によって受け止め方が違ってしまうというのか。

祖父が亡くなって、当然のように近くの寺のお坊さんがお経を上げにきたわけなんですが、その熱の入りようは凄かったというのが周囲の見解なんですよね。

なにより、お説教というお経の後のお話で、「第二の父のように思っていた」とまで告白をして。

結局、祖父はそれだけお寺にお金を貢いでいたってことなんです。

だから、祖父が亡くなって本当に悲しいとなるわけで、そりゃそれだけの恩の報いをしようと熱も入ってたわけで。

それも、祖父はその坊さんのことを思ってやってたわけじゃなく、信仰心からのことだったのに対し。

宗教家だから清廉潔白だとは誰も思ってないでしょうが、そこまで簡単な構造になっているんだなぁという、呆れるとまでは言わないけど、分かりやすいもんだなぁと思ったものです。

いま空白になっていた日銀の総裁の座が、副総裁から白川氏の昇格という形で埋まりました。

最初に副総裁に推したのは自民党なんですが、それより白川氏は民主党に感謝をしているんだろうなぁと勝手に思うわけなんです。

もしこういうねじれの構図になってなかったら、日銀の総裁になんかなれなかったわけだから。

それが自分のことを思っての行為じゃなかったとしても、民主党の態度は肯定感を感じてうれしかったんじゃないかなぁと。

逆に最初に日銀総裁に押された武藤敏郎氏は、民主党を恨んでいるだろうなって。

たまたま自分の時に参院の第一党が野党だった不運に、「ついてないなぁ」くらいではすまない暗い炎がメラメラしてんじゃないかと想像し。

きっと家族郎党すべてがアンチ民主党になってるんじゃないなぁ。

当人たち自身へはなんの恩讐もないのに、状況に沿った対応によって人の人生を左右し、その人たちから好かれ、嫌われるってことの皮肉。

そういえば、取材中に射殺された長井健司さんの様子をとらえた写真がピューリッツァー賞に輝いたというのも、皮肉といえばかなりの皮肉で、光の当て方で見える景色がまったく違ってきて、そこに揺らめく感情も多彩なんだろうなぁと思わせるのでした。

2008年4月 9日 (水)

4連覇をしなかった人生

柔道の野村忠宏が負けて、五輪のメンバーから外れることになったのは、どういう影響をもたらすのだろうとふと考えたのです。

まずオリンピック4連覇という偉業が、出場以前に露と消えたことがなにより大きいんでしょうね。

詳しい記録はまったく知らないけど、すべての競技を全時代通じて考えても、4連覇を達成している人なんてほとんどいないはずだから。

本人が落胆するのはもちろんなんですが、それを期待していた周囲の臍の噛みようといったらなかったんじゃないかって。

メディアはスターを欲しますし、野村はしゃべれるから、よい蜜月の期間が生まれていたんだろうなぁと。

その勝利の鮮やかさによっては国民栄誉賞なんてこともあったかもしれないし、いろんなものの未来が変わっていたはずで。

それを本人の問題に戻した時に、じゃあオリンピックで4連覇を達成した人生の方がすべてよかったのかとなると、それによる落とし穴があったかもしれないし、逆にオリンピックに出場しながら敗退した場合の可能性は、もしかしたら回りの視線の冷たさが今回よりひどかったかもしれない。

人生は何が幸いするか分からないし、本人の認識と周囲の評価にもギャップは存在し。

そりゃ、大きな目で見れば、歴史の残ること、人々の記憶に刻まれるなにかをすることは、後々まで語り継がれ、名前が残っていくことになるからいいんでしょうが、死んだあとのことなんか気にして生きていられないというのも揺るがない現実なわけで。

先日、チャールトン・ヘストンと川内康範が亡くなったけど、ハリウッドスターとして華やかな壮年期を過ごしながら、ライフル協会の重鎮であったためにそのハリウッド映画で演じないのに悪役にさせられた人生ってどうだったのかとか、それまでとりたててスポットが当たらないままきていたのに、森進一の人生の波乱万丈さを加味するために登場し、その割り切れなさだけを残して去っていく人生ってどうなんだろうとか、色々と思うわけなんです。

祖父と亡くしたことで、改めてその人の人生の価値は死ぬまで決まらないと思ったし、同時に死んでしまえばすべては意味をなくすとも思ったんです。

だから、目先のことに一喜一憂すべきじゃないとも、して当然とも思うのでした。

2008年3月27日 (木)

分からないで生きてこられた人間へ

またぞろ。

通り魔的な犯行が目立つようになってきました。

ゲームオタクがゲーム感覚で連続刺殺事件。

高校生が駅で男性を線路に突き落とし、その男性は電車にひかれて死亡。

ふぅ。

他者との関わりが不得手な少年期を過ごすと、自己肯定感を持つために排他的になるというのは分かるんです。

それは、自分が対人と交流することが上手じゃないことを、他人の責任にしているという側面から言えば、八つ当たりと言われてもしょうがないんですが、考え過ぎることから広がる可能性が言動を躊躇させ、実際にそのひとつの悪意というと語弊があるけど、自分のための対応をする現実を内包して他人が接してくることは少なからずあり、それに鈍感なくせに「お前が人付き合いが下手なだけ」とされると、苛立ちは燃え上がるほど頂点に達する感覚ってあるんです。

他人の意思の傲慢や、息苦しさ、都合のよさというものは、その人本人は無自覚な部分もあるんだけど、それ以上に実は気づいているんだけど目をそむけている部分が大きかったりすると、感じすぎる人間は感じちゃうんですよね。

それにさらされ続けると、本当にウンザリするし、人間の意思の息が掛かったものすべてがイヤになるんです。

お前らがどう思おうが勝手だけど、それを押し通す過程にこっちを巻き込むなと。

それが、個人的に楽をするためだとか、いい思いをするための、その人が自分だけの理由を根拠にガサツに踏み込んでくるとなると、本当に暴力的な衝動の反発をしたくなる。

などの経験を積み重ねることで、その他大勢というとらえ方が生まれ、それに対して攻撃的な姿勢になってしまうことがあり。

これが分かる人間と分からないで生きてこられた人間とでは、理解し合えることはないんですな。

特に後者は前者を軽く否定しちゃえるんだろうし。

でも、その断絶を分かった上で、なお分かってしまえた人間は、他者を受け入れないといけない。

それが人間なんだと思って。

だって、それで通用して歩んできた環境は実際にあるわけで、それはその人自身のせいではなく、大きな意味での社会の意思なんだから。

社会の意思に左右されていることに無頓着で、あたかも自分が思って行動していると思い込んでいるだけなんだから。

だから、分からない人間を分かる人間は受け入れないといけない。

そこで逆恨みして攻撃を加えては、結局なにも分かってないことと同じになるんだから、そんな自己否定はするべきじゃないということも含め、こういう事件はあってはいけないと思うのです。

2008年2月24日 (日)

日本サッカーと三浦かずよし

ある種の大河ドラマのような、連綿とした物語を感じてしまうのは不適切なのでしょうか。

ロスでの妻の殺害における容疑者だった三浦和義氏が、今度はその容疑でアメリカで逮捕拘束されたそうです。

事件当時、どんな報道がされていたなんてほとんど覚えてないけど、なにやら騒がしく取り上げられているなぁくらいの印象は残っていたりします。

ただ、この事件が現代で起きていたらこれだけの騒ぎとなっていたのかという疑問もあったり。

今回、突然の逮捕劇でまた脚光を浴びることになり、「やっぱりお前がやってたんだな」という思いが鮮度を持って甦るなんて、なかなか「あの人はいま」にならない変なアクの強さを感じてしまうのはなんなのか。この間には万引き事件も起こしていたし。

一人の人間の人生として、この三浦氏のようなものは特殊なケースだろうし、憧れるわけもないんだけど、それでもその他大勢ににはおさまらないだけの個性をどうしても感じてしまうし、良くも悪くも人間力がある人なんだなぁと思わされます。

多分、アメリカとかなら映画化とかされるタイプなんでしょうね。それをできない日本というのは正しいのかダメなのかとも。

この劇的な展開を見ながら、なぜか日本サッカーのことを思ってしまい、いま明らかに停滞期に入ってきているんだけど、また盛り返すという時期が待っているのかと考えたりしたんです。

それができるかが、日本におけるサッカーの魅力の有無を問われることにもなるし、日本サッカーそのものに可能性があるのかが問われることにもなって。

明らかにかつてほど注目度はなく、視聴率も言うほど悪くはないけど優先順位が下がっている中、実際に展開されているサッカーがお世辞にもよいとは言えないところに、希望のようなものが乏しく感じちゃうんですよね。このままで大丈夫なのかいなぁと。

東アジア選手権の後にプレミアシップの中継でアーセナルのサッカーを見たので、さらにその思いは募ることとなり。

育ってきた環境が厳しくないとより精度の高いプレーを見につけられないとすると、よほど劇的なきっかけがない限り、牛歩の変化では世界には追いつけないぞという危機感すら覚え。

三浦和義氏の目を放せない人生を見て、指をくわえてしまうのはやはり不適切なんでしょうが、飛び抜けるような個性の登場を日本サッカーにも待ちたいなと思ったりするのでした。

2008年2月 7日 (木)

メガチューズデーバーガー

アジア3次予選を雪の埼玉でスタートさせたサッカー日本代表。

前半は硬さが目立ちましたが、後半はらしさを感じさせてくれて快勝でした。

結果がすべての試合で、4-1は文句のつけようがないのですが、掲げた理想から想像するサッカーには程遠く、アジアレベルではこのままでもいいんだけど世界を相手にしたときに大丈夫なんだろうかと改めて思った次第です。

そんなの、世界レベルにはまだまだ時間がかかるっていう声もあるし、順調に成長してきていると言われたら、確かにそうだとも思うんです。

中村俊輔や松井大輔、闘莉王という存在がいない中で、クオリティ的に見劣りしない、取り立てて破綻のないサッカーはできちゃうんですから。

変な話、予想外のパスが来たときに見るからに慌てて対応することもなくなってきたわけだし。

水準は上がってるんでしょうが、あとはその無難さにかまけることなく、楽をせずにチャレンジして欲しいんですよね。

特に内田なんかまだ10代なんだから、もっと積極的に突っかけていってもよかった。

次の試合は一ヵ月後で、試合もある程度こなしてるだろうから、より試合にフィットした選手たちのパフォーマンスに期待です。

と、久しぶりの代表の公式戦なんですが、それより話題なのはアメリカの大統領予備選なのかな。

やっぱり民主党のヒラリーVSオバマは面白いですねぇ。

いろんな見方や流れがあった中で、このスーパーチューズデーと言われる中でも特に選挙区が重なったメガチューズデーでも思われていたほどの差がつかず、まだまだドラマは続きそうな感じです。

情勢的にはオバマ氏が勢いで乗り切る予想もあったところで、アメリカ経済が低迷の色を濃くし、実績のあるヒラリー氏有利の目が出てきた。

あとは双方が失言を待つ持久戦に入ったとも言われているけど、アル・ゴアがどちらの支持を表明するかもでかいのかなぁと思っています。

ただ、ここまでくるとちょっとした流れよりも地道な遊説が大事だったりして、小沢一郎がやったような普通は足を運ばない土地をわざわざ回るって手も有効かも。

いつが最終決定になるのかまったく知らないで楽しんでるんですが、最後まで興味を持って見させてもらいたいと思っています。

最後に。

なにやってんの岡村靖幸ってことで。

これでこの人のイメージは清水健太朗、三田佳子の息子に次ぐものになってきましたな。

2008年1月31日 (木)

中国産、あぁ中国産、中国産

まだ微妙に調子がよくならず。病院にいくべきかねぇと思いながらテレビを見ると、そんな悩む暇もなく病院行きとなった人たちのニュースが。問題は中国産だそうです。

なんか、せっかく与野党が国民の目を気にして妥協し、つなぎ法案をなかったことにしたのに、とか、せっかくハンドボールが史上最も注目されたのに、とか、そんな声も聞こえてきそうなタイミングですが、なんでこのタイミングで2家族分だけの事例が?という思いもあるんです。

一聴すれば、中国で生産された冷凍食品に農薬や殺虫剤が入っていて、食中毒症状が出たってことで、野菜が農薬まみれだったのか、生産工場で不衛生なことをやってるのかって思いに傾いたんですが、それならもっと早い段階でもっと多くのケースが表ざたになっていてもおかしくないわけで。

どれだけの製品が流通しているのか分かりませんが、このまま指折り数えられるだけの被害者で済むとしたら、意図的か偶発的かはともかくピンポイントで紛れ込んだと考えるのが普通なのかなと。

これが意図的なら犯人探しとなるわけだし、そうでないなら中国産製品全体への不信感がさらに募ることになり。

北京五輪を控えた中国政府は、「これは日本側の陰謀」というこれまでなら言いそうなことはせず、犯人探しで手を打ちたいんでしょうね。

でも、ダンボール肉まんの例もあったように、例えそれがやらせだったと言われても、印象面で似たようなことをやってるんじゃないかという思いが日本人には染み付いてしまっていて、その上塗りになるだけのような気がします。

ただ、本当に問題なのは、これが例外的な農薬の残留量であったとして、実際には日本で禁止されているような薬品を使って防虫している野菜がたんまりとあり、それが加工食品として日本にやってきていることなんですよね。

たぶんマスコミはまた、狂牛病問題のように騒ぎ立てるだけ騒ぎ立て、上からの命令でBSEなんて無難な言い方に摩り替えるようになり、ほとぼりが冷めるころには輸入規定の違反例が発覚してもスルーしちゃうようになるはずで。

そうではなく、もっと根底から問題視をして、自らの足で現地で取材をし、その態度を是正するような圧力になって欲しいのですが。

もちろん、今回も毎度のように熱しやすく冷めやすい報道で終わっちゃうんでしょうね。

せめて、加工製品でも使っている野菜の原産国表示がされるくらいまでは迫ってくれないかなぁ。

冷凍食品とかは最初から買わないようにしているけど、外食での使用食品の選別には限界があるわけだから。

2008年1月28日 (月)

茶髪の不運児とならぬよに

「大阪っぽいなぁ」という反応は、当の大阪府民にとって不愉快なものなのだろうかとか。

テレビでは「タレントで弁護士の」とタレントのほうを先に持ってきているところに、この人のイメージがどこにあるのかを匂わせてるなぁと思うのですが、本人はタレントパワーに頼りながら表向きは弁護士としての顔でこの選挙戦を戦ってきたんでしょうね。

行列ができる法律相談所でおなじみの、茶髪の風雲児さんが大阪府知事にまで上り詰めました。

どうなんでしょう。

これは結果的によかったこととして、将来振り返られるものになるのでしょうか。

橋下弁護士さんがどういう思いで立候補をしたかは知りませんが、終わりよければすべてよしで大阪が立て直されたならそれでみなハッピーだったってことですませるんでしょうが、実際はどういう思いなのかで勝負が決まるところがあり、そこが前後できない限りはまずその部分が問われるんですよね。

弁護士として地位も名誉も財産も手に入れ、タレントとして知名度まで得たことで、残された道は政治家だっていう虚栄心がさせたのであれば、それは言語道断ってやつなんですが、もし本気で問題意識を持っていたとしても、テレビメディアによって祭り上げられた虚像に舞い上がっての勘違いが引き起こした意識であったとするのなら、それはそれで大きな問題があるわけで。

さらに、小林某が好きな表現で言う「純粋まっすぐ君」な発想でいるのであれば、それはめでたいし美しいけど失敗も隣り合わせにしているとしか言えず。

そもそも、エリートとして生きてきた人が庶民の末端の苦しみを救い上げられるのかという思いもあって、これまでのテレビを意識したゆえの過激発言もどこかで倒錯して本人が本気にしだしたら、自分の考え方に合わない層を簡単に切り捨てだすんじゃないかという怖さも感じるんですよね。

特に政治未経験者ゆえになにもできないのか、やってはいけないことをするだけなのかという陥りやすい状況もあり、それが弁護士出身という打算や理にかなうかどうかで判断することで、後者により傾くんじゃないかという懸念も。

もうひとつ、これから問題となるのはメディアで、その知名度ゆえに当選できたのでしょうが、知名度ゆえにより多くの視線にさらされ、特にテレビカメラがなにかおいしいネタをこぼさないかと狙っている。

まだテレビは最初は東国原的な扱いをするのでしょうが、活字メディアはどうか。

よほどイメージが傷つくミスさえなければ、大阪府知事という肩書きでありがたがられる未来が待っているのでしょうが、果たしてどうなるのか。

任期を全うすることに専念なんてことにはならぬように、がんばってもらいたいものです。

2008年1月22日 (火)

だから自分は謝る人になりたい

今日はNHKの橋本会長が謝り、船場吉兆の湯木社長が謝り、三田佳子の三男がまた謝っていた。

謝るようなことはやらなきゃいいってことなんですが、一歩引いたところから考えてみると、自分のような人間が記者会見までして謝るような悪いことって、まぁできないし、やるにしても限界があるだろうなと思ったんです。

それだけ社会的に影響力がある地位まで上り詰めて、それによっておいしい汁を吸えているから、それだけの落差がある過ちをする余裕も生まれうるんだなと。

そして、謝ればなんとかなっちゃうという現実もあり、実際に三田佳子の三男はこれで3度目の過ちなんだけど、きっとまた人生なんとかなっちゃうんです。

自分なんか、上記の人たちがしたことに満たないランクの失敗で、どれだけ謝っても許されずに人知れず社会のより下層へと突き落とされるだけ。

ひとつ面白いなぁと思ったニュースが、先シーズンにリーグチャンピオンにはなったけどクライマックスシリーズ敗退で日本シリーズには出られず外国人の大型補強をした巨人が、今度はシーズン1位通過のチームにはクライマックスシリーズで1勝のアドバンテージを与えるように提案をしたっていうんです。

クライマックスシリーズすら反対したチームが多かった中で、なかなか優勝できなかった巨人が強引に導入して、「それならリーグ優勝のチームにアドバンテージを」という声すら無視したのに、自分たちがこの制度の恩恵を受けなかった途端に手のひらを返す。

結局、持てるものは持たざるものの苦悩を理解することはなく、富めるものがより富むような工夫だけには必死になる構図を、そこにまざまざと見るのです。

もちろん、その地位を保守するためには下層からの搾取が必要で、そのためのイメージ戦略はするんだけど、なんの気持ちもこもってないから薄っぺらいものになるのは当然で。人間なんて、所詮自分のため、自分ごとにしか熱くなれないわけだし。

そんなことを思ってたら、自分も謝る人になりたいという気分になってきたのです。

なんか、世間から注目されて、非難豪豪を浴びながら、ちょっと涙を浮かべながらして、するのは反省をしたフリという。

心の奥底では、「これをやり過ごしたらまたおいしい思いが待っている」なんて舌を出すわけですな。お前らの小銭が回りまわってこちらの懐にくるんだなんて思いつつ。

勝ち組の本懐、まさにここにありって感じです。

まぁ、これからもそんな悪の権化のような感情に浸ることなく、実にまっとうな正義の怒りに燃えることしかできないんでしょうが。

2008年1月19日 (土)

負け犬はどう遠吠えるのか

岐阜県人なので、その対立は何気に喜んで見てた部分があったんです。

これだけ岐阜のことが話題になったことなんてなかったわけですから。

でも、それも終止符を打つようで。

衆院選の岐阜1区での自民党の候補は、野田聖子氏に一本化され、佐藤ゆかり氏は選挙区の国替えをすることになるようです。

女同士の骨肉の争いは、実にマスコミウケするもので、ふたりとも年齢の割には悪くはないルックスをしていることもあって、妙な華やかさを兼ねた話題になってたんですよね。

それに、ふたりとも当然のように岐阜への愛を訴えていて、愛の競い合いになっていたのが岐阜県人には耳心地がよいものだったわけで。

なので、佐藤ゆかり氏に対しても悪い感情は特になく、これで縁が切れることを思うとさびしさすら感じたりしています。

もっと言えば、男的には新しい女の方に残って欲しかったみたいな感覚も少しあったりするし。

このいいイメージは壊さないでいて欲しいなぁという意味で、もしこのままさよならすることになったとしても、下手な捨て台詞を残して去ってくれるなよと思うし、星野監督のように阪神に移ってすぐに阪神愛を語りだすような、新しい選挙区で手のひらを返したような態度はすぐには見せないで欲しいなと。

とりあえずは正式決定した後にふたりがどんなコメントを出すかが楽しみですし、佐藤氏がなんと言うかに特に興味があります。

まぁ、佐藤氏の場合は次があるからまだ救いがあるのですが、このままだと次がなくなるかもしれないという危機が迫っているのがモーニング娘だったりして。

あるニュース記事で、唯一の冠番組の「ハロモニ」の視聴率が1%を切ったことが取り上げられていました。

人気低迷はたびたび言われてきたことですが、ここ最近はそんなことすら言われなくなってきていて、年末の歌番組ではOGメンバーとのユニットだったりハロプロ総出で演出したりと、最後の総力戦に打ってでていた姿が思い起こされ、もう限界なのかなぁと思わされたものでした。

実際、コアなファンはまだいるんでしょうが、ライトなファンは本当に層を薄くして、それが熱烈ファンの体力戦に突入させる焦りにつながっている面はあるんじゃないでしょうか。

そんな現状での視聴率1%切りの報は、現実問題以上に一般の人たちに落ち目のイメージを伝播し、よりコアな層の精神的な重荷となっていく。

傍目には、決壊ギリギリの状況を感じるんですが、それでもまだコアなファンの存在で生きながらえる道を選ぶのでしょうか。

個人的にはそろそろ元モー娘となった女の子たちのぶっちゃける声を聞いてみたい気もするのですが。

ホント、陰りが見えた頃合いでスパッと解散していたら、時代を築いたアイドルとしていい思い出のまま語られたのになぁ。

2008年1月17日 (木)

シー・シェパード・ランデブー

さて、今日もまたどうでもいい内容のブログを書こうかな。

シー・シェパードっていうんだそうです。

あまりにも過激だから、NPO団体のグリーンピースから分離して活動するようになった、自称環境保護団体。

このたび、オーストラリアに向かった日本の捕鯨船の妨害をし、さらに2名ほどが日本船に乗り込んできたことで、問題が大きくなったため、シー・シェパードなる名前を知るにいたりました。

報道ステーションをボーっと見ての情報なのであやふやかもしれないけど、日本側からは引渡しを申し出ているのに、向こうはまったく応じようとせず、逆にシー・シェパード側からは日本側は2名の拘束をとこうとせず、日本の言うとおりにするように署名しろと言ってきていると主張している模様で。

事実はともかく、世界の機運が反捕鯨にあり、捕鯨はレイプと一緒くらいの勢いの認識になっているのなら、日本の主張は通らないんでしょうね。そして、シー・シェパードはそれを狙っている。

いや、本当に捕鯨が完全悪ならしょうがないし、反省するのですが、自分は日本人だからっていうのもあるんだけど、一応捕鯨については理由があって、捕獲自体がすべてダメとも限らない現実があるとするならなんでそんな強硬な姿勢をとるのかなぁと。

そうやって、なにが行動の動機になっているのかを考えた時に、そういえばこのシー・シェパードなる環境保護団体の活動資金ってどこから出ているのだろという思いにいたりました。

なんか立派な船に乗って、世界中を飛び回っているけど、理念に共感した人の募金だけではないだろうと。

そこで、この環境団体の活動資金がどこから出ているのか、そして出している人たちの狙いはどこにあるのかを調べた場合、かなりどす黒いものが出てくるんじゃないかと思ったりするのは、自分が汚れているからなのか。

もちろん、本気で環境保護のために取り組んでいる人たちも、シー・シェパードにはいるとは思うんです。

でも、今回の行動を見ちゃうと、自分たちの活動に酔っちゃっているなぁというのか、彼らの中で勧善懲悪の関係が出来上がっていて、殉死する自分たちって高潔で美しいくらいの思い込みがあるんじゃないかと思うと、それはそれで気持ち悪いなぁと思ったり。

と、偏見かもしれませんが、彼らの行動を見ていると、この春のセンバツ高校野球でコブクロの「蕾」をバックに行進することくらい違和感があるんですよねぇ。ってか、行進のリズムが合わないでしょう。アレンジでなんとかしようって力技でしょう。

2008年1月12日 (土)

ハンドボールと地球儀と

難しい問題なのでそれを上手に料理する自信はないのですが。

ハンドボールのアジア予選で、「中東の笛」と言われる中東の国有利の判定に泣いた日本や韓国が、世界協会にあれやこれやのアピールをして再戦が決まったそうで。

それに対し、中東国が理事を占めるアジア協会は再戦を拒否。中東の国の参加をボイコットし、参加する国は何らかの制裁を下すとも言っているようです。

一方、学研が音声ガイド付きの地球儀を中国で生産した際、台湾については中国の情報を流すようにされ、発売はしたものの繊細な問題だけにここにきて商品の販売中止を判断したようです。

国益が絡むとどの国だって自分たちに都合がよいようにしたがるもの、だとは思うのですが、それが中東であり中国がすると本当に不正な匂いがするのは、果たして日本人の差別意識が作用しているのかと。

アメリカだって例えばイラク戦争でも間違った情報で戦争突入の理由とし、それについて日本政府はいまだに支持していることはどうなのかとも思うわけだし。

ただ、同時にそういう姿勢がないと国家は維持できないというのか、体裁を保てない側面というのは間違いなくあって、正論や筋を通しているだけでは埋没するだけだし、周囲が分かってくれるなんて発想は甘ちゃんなだけなのが国際社会なんですな。

それで日本は毎回出遅れ、あとになって「何であの時にやっておかなかったんだ」みたいな批判が巻き起こるわけだし、逆にそれが露骨な中国は権益を手にしつつ他国の一部の人たちとは仲良くなれるけど恨みも買うという。

だからといって、相手国の理論に理解を示してやるのが正しい態度ということにはまったくならず、戦うところは戦わないといけないし、間違っているのなら正すようにしないといけない。

必要なのは、持論を通すしたたかさと同時に単なるわがままにならず、その場のうまみだけに固執するだけではなく、もう少し長期的な視点を持った主張をすることで、それで周りを引っ張ることなんじゃないかなと。

そして、国民は自分たちのために戦うことと、それが自分たちのためにやっている強引さである自覚を持つことでバランスを保つことが求められるのかなぁと思いつつ、環境問題がなかなか順調に解決に向かわず、行き詰まっている現状に鈍感になっている自分がいるのでした。

2007年12月19日 (水)

自動車は不完全なのに流通しすぎだと思うことに

18歳以上のどれだけの割合が自動車の普通免許を持っているのか知りませんが、日常会話で運転の話とか車の話をすれば比較的多くの人がなんらかの個人的な意見やリアクションを持てるという印象はあります。

自分もそれなりの運転キャリアを持つようになり、運転が苦手とか下手とか言いながら、少しは自分なりの一過言は言えるようになっていたり。

だからこそ思うのは、交通事故は本当に紙一重で起こることだし誰だって起こしうることなんだなと思うんです。

それは、どれだけ熟練していても、どれだけ自信を持っていても、どれだけ集中していても同じことで、気を抜く瞬間もあれば、意識が知らずに遠くにいっている時もあれば、体調や置かれている状況で変化していることもあるからなんですよね。

そして、自分に何の落ち度がなくても他のドライバーや歩行者の不注意で事故に巻き込まれ、それで自分にもなんらかの違反を背負うことにもなり。

もちろん、同情の余地がない違反者というのも存在して、根本的な意識や考え方が驕っていたり、自分勝手だったり、舐めていたりというのは言語道断で、そういう人は違反を犯さなくても罰せられる要素はあると思うのです。

ただ。

実際に事故を起こしたとして、それを加害者側の状況を正しく把握することなんて状況証拠だけでは無理という現実もあったりして。

福岡だったでしょうが、深酔い運転で衝突して前方の車を川に突き落とし、子供3人を亡くさせた事件で、もしかしたら執行猶予がつくかもというニュースがありました。

生き残った両親は納得できないでいし、信じられない思いでいっぱいなんでしょうが、法で裁くという段階ではそんなことも起こり得るのです。

皮肉にも同日の報道で、沢尻エリカは衝突事故を起こし、元サッカー日本代表の磯貝もスピード違反で立件されましたが、有名だろうが人気者だろうが才能がどれだけあろうが、運転によるミスは誰でも起こすし、その原因は本人でももしかしたら分からないんです。

根本的に自動車への発想が変わらないと、そしてその発想に基づいた設計がなされないと、加害者被害者双方の悲劇はなくならないと思うのでした。

2007年12月16日 (日)

佐世保が異世界だった頃に

ピンとこない自分が鈍感なのか。

なんか妙に他人事なんです。そして、その真に迫る怖さが伝わってこない。

なんなら、アメリカで起きたケースの方がゾッとするし、興味を持ててしまっている。

佐世保での銃乱射犯、2名を射殺したあとで自殺という形で決着がついたようです。

「ついに日本でもアメリカのような事件が起きた」

なんて評する声もあるけど、そういう感じ方が正しいのかなぁとも思ったり。

それってどこに共通点を感じての言葉なのかというのがまずあって。

つまり、銃社会の恐怖っていう意味合いがあってのことなら、それってどこか違っていて、現に暴力団による拳銃による事件はこれまでもあったし、市民が犠牲になったりしているんです。

そうではなく、ここ最近で増えていた相手を選ばない通り魔事件や無差別刺殺の延長線上にあると考えた方がいいんじゃないかと。

今回の自分物もその種の気分を持ちえた人間で、たまたま身近に銃があった。または銃を所持する意思まで持ちえたというような。

そこにあるのは人間嫌悪であり絶望感であり、そういう状況に追い込んだ社会の責任だという発想。

もちろん、今回の事件の犯人の本当の事情は分からないけど、そう解することは難しいことじゃないんですよね。

だから、「アメリカみたいになって怖い」という発想は持ちにくく、急に身近になった恐怖が増えたという感触もない。

またひとつ、社会が抱える歪みが暴発したという思いと、被害者の不幸はもしかしたら犯人だけのせいじゃないのかもという思いがあるだけなのでした。

2007年12月 4日 (火)

「ガールズトーク」とはなんぞや

なんか当たり障りのないチョイスというのか。

だからマスコミも取り上げやすいんだし、それを狙っているから当たり障りがないものを選んでるとも言え。

年末好例の流行語大賞が発表されました。

今年はまだ流行語の範疇だった言葉が受賞したって感じかな。

東国原知事とハニカミ王子は確かによくメディアを騒がせていました。

そんなの関係ねぇもどんだけ~も、使いやすかった言葉だったと思います。

ただ、かつてほどみんな使うから流行語っていうより、流行語っぽいからみんなが敢えて使っているという風潮があって、本気で楽しんでいるのが恥ずかしいというちょっと引いた感じが出てきている気もします。

それだけ、象徴的なものにして使い捨てるという意識があるってことなんでしょうねぇ。

だから、流行語大賞を受賞したお笑い芸人は一発屋で終わるという傾向も顕著になってきていて。

逆に、流行語大賞的な観点に引っ掛からない流行語というのもあって、知らない間にみんなが使っている、本当の意味での「みんなが使うから流行語」というのは、根強く定着するんですよね。

自分が最近、その気配を感じているのが「ガールズトーク」という言葉で、なんか知らない間にみなさん、というか女性がよく使っているのを見聞きします。

特に雑誌やブログなんかで「ガールズトークをした」「ガールズトークを紹介」みたいに、結果として行われたことみたいに使われるようで、つまり「これからガールズトークをしよう」というものではないみたいです。

そんな、想定口調でしゃべるのは、もちろん自分が女性ではないからで、絶対に立ち会うことはない状況とも言えるんですよね。

でも、この言葉には微妙にスペシャル感のあることをニュアンスとして含ませている気がして、自分たちがしゃべっていることは特別だみたいな感覚を感じるのです。

男性が立ち入れない領域のものというような。

別にいいんだけど、それってどちらかと言えば「聞かせられない話」「見せられない姿」の類いのような気もして、それを奇麗にパッケージングしているだけなんじゃないかと。

そこには女性ならではの、自分たちを着飾りたい意識、化粧しなきゃならない意識みたいなものを見たりして、フェアじゃないなぁとも思ったりするのです。

2007年11月30日 (金)

SANTAが街にやってきた

大阪の方で、うろ覚えではアメ村近辺を中心にペイントアートという名の落書きをして回っていた自称SANTAの男が逮捕されたとか。

この男が悪質だったのは、警察などを挑発する張り紙もしていたってことで、かなり挑戦的な態度で落書きをして回っていた模様です。

それでややこしいのは、若者たちはそれを支持していた層もあったみたいで、アンチヒーローというのか反権力のカリスマというのかになっていたような。

そりゃ亀田みたいなのも熱狂的にウケていた土壌があるんだから、実際に人と人とのつながりがあったSANTAについては我らの誇りくらいに簡単になっちゃうんでしょうね。

特に、街を我が物顔で闊歩してる系の兄ちゃん姉ちゃんには。

でも、そもそもやっていることがなんの問題提起にもなってなく、迷惑がっているのはその街で働いている人たちだったりするんですよね。

それに、なんの発展性もないのは結局、ひとりだけの犯罪行為で終わってしまったことにも表れていて。

ああいうやんちゃな人たちって、なんであんなに強気であったり、攻撃的であったりするのでしょうか。

それだけエネルギーに満々ているのか、自信のなさの裏返しなのか。

そのくせ、「表ではああだけど、実はいい奴」みたいな論法が通用したりして、それってなんかズルくないかとも思い。

芸能人でも「昔は悪かった」を自慢話のようにする人が多いけど、それで本当に困らされた人、人生が悪い方に転がってしまった人だっているわけで、それなのに「実はいい人」はないんじゃないか。

SANTAも実はいい人なのかもしれないし、やっていることに精神はこもっているのかもしれないけど、それで実際に被害を受けている人もいて、警察だって挑戦に対抗意識を燃やすというより、厄介な仕事でしかなったと言えるんです。

今回捕まったことで何を語るのかは知りませんが、もう少し客観的に自分のやったことを自覚してもらいたいものですな。

2007年11月10日 (土)

バレなきゃそれでいい

もうある程度耐性ができている人が多いんじゃないでしょうか。

政官業の癒着なんて言葉が使われだしてどれだけ経つのか分からないけど、何度もそれ関係のニュースを見てきて、それが常態化しているというのか常識になってしまっているというのか、それを腐っていると吐き捨てるにも現実はかように出来上がっているんだという諦めまであったりして。

その、それ関係の最新のニュースが防衛省の守屋前事務次官と山田洋行の宮崎元専務との怪しすぎる交流で、そういうこともあるんだろうなという嘆息しか出てこないわけなんです。

思ったのがこのふたりは俗に言う勝ち組ってことでいいんでしょうかってことで。

で、勝ち組っていうのは、こういう黒みがかったグレーゾーンにいることで成り立つのかということも。

それに恥じ入ることがない人こそが、贅沢を味わい、権力も名誉も手にし、ただ真面目に違反もなく生きている人を負け組と見下せるんでしょうね。

そして、こうやってバレなきゃ一生勝ち組人生を謳歌し、バレたとしても謳歌していた経験は消えないという。

今度大麻で捕まった名門ラグビー部の部員も、バレなきゃ順風満帆な人生だったんだろうし、誰からも後ろ指を指されることもなく、なんならそういう悪さができるがゆえの女性からの人気もあったりして、楽しく生きていったんでしょうな。

つまり、人間は脱線する生きものだし、脱線しないとおいしい思いをできないし、それがバレない限りはでかい顔をして、周囲からも評価されて、ばら色の人生を過ごすってことなんだろうなと。

それにやるせなさを感じてもせんないことで、もしそれが間違っていると思うのなら、自分でその誘惑や価値観と戦いながら美学とも言える道を守ってこそ強く美しく生きていけるわけで。

今日はなんとなく、そんなことを思う気分で世の中を眺めてしまったのです。

2007年11月 8日 (木)

流されて遭い乱闘

バストアップの広告と通販をやっていた会社に業務停止命令。

血液サラサラを売りにしたブレスレットを売っていた会社からは逮捕者。

こういう詐欺まがいのことは、どの分野でも行われているんだし、騙される人も必ずいるんだなと思ったわけです。

それは、人間がより優れたものにならんとする生きものだからゆえの、しょうがないことなんでしょうか。

素直にそう思えないのは、そこにあるのは集団心理からくる焦燥感が少なからずあると思うから。

自分だけ取り残されたくないとか、周りがそうやっているから自分もという発想。

さらに、煽られると乗ってしまう体質のようなものも、特に日本人には強く関連しているような気もしつつ。

ある調査で、よく盛り上がった場面で次が気になるってところでCMに入る山場CMをやめて欲しいという人が86%いたという結果が出たそうですが、それもその手法に飽きてきたからという側面があるんじゃないかと思う部分と、本気で見ているからその引っ張りがイライラするという部分を見てしまうんです。

それって、どれだけ夢中なんだって話になり、テレビで民意が左右されるのも分かるなぁと思わさせるところで。

つまり、自分を見つめることをせず、自分なり後に足をつけることしていない人が多いなんてことを想像させるんですよね。

と言いつつ、自分だって健康ブームには少なからず乗っかっているし、見た目だってよくありたいという願望はあり、その風潮から逃れられてない一般人でしかないんですが。

2007年11月 7日 (水)

自分とほぼ同じ身長だった坂本竜馬という事実

身長と人のスケール感の印象って、なんでこんなにつながっているのでしょうか。

キックザカンクルーでも、リーダーのLITTLEよりもKREVAの方がカリスマ性があったし、とんねるずの存在感も体格のよさに魅力のひとつがある気がしています。

自分なんか身長がつい最近168センチと1センチUPしてたのが発覚して喜んだのですが、それでもまぁ小さいし、学生時代もちょこちょこ動き回っているタイプだったし、身長の大きな同級生の後をついて回っていた記憶があります。

まぁ、それも実際にその身長が分からない状態ならそんなに気にはならないし、よくトム・クルーズがちっちゃいっていうけど、実際の数字を知らないだけにそんなイメージもなかったりして。

だから、歴史上の人物って伝え聞く人物像で勝手に外見を想像し、身長なんかも自分より大きいものと思い込んでいたりするんですよね。

もちろん、過去の人間は現代人より小さかったという情報は知ってましたが、それでも特別な人は特別な体躯をしてたんじゃないかっていう願望に近いものはあって、理由を後付すれば体が大きいから別格の存在として台頭してきたなんて考え方も。

それが、坂本竜馬の身長が実は169センチだったなんて言われても、聞きたくなかったなぁが正直なところなんじゃないでしょうか。

同時に発表された数字では武田信玄は162センチだったとかで、これなら完全に芸人たちにいじられるタイプじゃないかってことになり。

いま大河ドラマでやっている山本勘助も150センチ台だったと聞いたこともあるけど、そんな感覚で想像してしまうと、あれだけスケールがでっかく感じた戦国時代もミニチュアでのままごとのようにすら思えてしまい。

逆に、誇大広告気味の歴史書の身長表現が実数字に乗っ取ったものだったら、ずっとリアルな皮膚感覚で歴史をとらえられたんじゃないかって思うし、さらにギリシャみたいに歴史的建造物や遺跡が街のいたるところにあれば、過去との距離ってもっと縮まってるんじゃないでしょうか。

2007年10月30日 (火)

畠山鈴香被告の居場所はどこだったのか

畠山鈴香被告に対する弁護側の被告人質問が行われました。

そこで鈴香被告から、いじめや父親から暴力を振るわれていた過去が告白され、他人に触れること、他人から触れられることを嫌う接触障害の可能性が提示されたようです。

だから汗かきの彩香ちゃんの存在が次第に邪魔になり、橋の上で抱きつかれて思わず突き落としてしまったと。

彼女の場合、自分の体を売って日銭を稼いでいたという疑惑もあって、じゃあなんで体は許せんるんだという疑問が出てきますが、だからこそ割り切れたとも。

少なくとも自分は、ミラーマン植草や光母子殺害の元少年の訴えよりは理に適ったものを感じました。

触れ、触れられることの嫌悪が病気だなんて本人にはなかなか分からないことなんだし。

それがまた生い立ちからくる症状だとして、本人のせいとも言い切れず。

もちろん、殺害の事実を肯定できるわけじゃないし、同情をするつもりもないのですが、人間ゆえの不幸に感じ入るものがあったりします。

と同時に、どれだけの人間が真っ直ぐに、まっとうに生きてこれたのかということも思ったり。

誰もが多かれ少なかれコンプレックスやトラウマを抱えて、無自覚なエゴによって他人にそれを与えていたりする。

出会いによってその大小は加減され、ほとんどの人は平均的なものになるんでしょうが、そういうよき出会いがなければ歪んだままだし、その歪みは肥大化して。

その歪みがさらに人を遠ざけ、周囲の目によって歪むように持っていかれることもあるんですよね。

それは悲しいことだし、寂しいことなんだけど、結局人間は自分で生きていくしかないから、越えてはいけない一線を越えたらそこで負けなんです。

世の中にはそんな苦痛や苦悩を抱えず安穏と生きている人もいるんでしょうが、そういう人だって無意識に他人を苦しめているわけで、そういう意味で自分は居場所がなく思い悩む人にシンパシーを感じてしまいます。

そして、だからこそ負けるなと言いたいんです。

2007年10月28日 (日)

BPOが見ている顔は

BPOがバラエティ番組の罰ゲームを問題視し、これから提起をしていくというような記事が紙面をにぎわせていました。

これについてお笑いファンは怒りを見せたり、嘆いていたりしていましたが、同意するという声はあまり聞こえてきませんでした。

よく親が見せたくない番組というアンケートが発表されているけど、あれだってどれだけ共感を持って伝えられているんだろうと思ったり。

確かに、以前「めちゃイケ」でやっていたしりとり侍の罰ゲームはいじめに利用されそうだなと思ったことはありますが、ここ最近のテレビを見ている限り、そんないじめを想起させるようなものってない気がするのですが。

思うのですが、たぶんこれを問題だと思っている人たちって、バラエティ番組に興味がない人たちなんじゃないでしょうか。

だからそのトータルの把握せず、自分が目に付いたところだけを取り上げ排除に動く。

人間は見たいものを見たいようにしか見ないもので、それが面白く思っていないものについてはなおさらなんです。

自分の都合のいいように印象上の処理をするのは人間の性のようなもので、それは精神衛生上しょうがない面もあるんですが、それにしてもこれだけ情報化が叫ばれる社会、グローバルな視点が求められるようになった中で、自分が属していないという意識のグループにたいし、冷淡なくらいに切り捨てるのはそろそろ考えた方がいいんじゃないかって。

なんというのか、人類がこれだけの歴史を重ねてきて、文明は進化してきたというんだけど、その行き着いた先の姿ってこんなものなのかという感覚があったりします。

騒ぎの当事者にならないことをまず考え、当事者になったら自己保身ばかりに頭が傾くというのは、人間があるべき姿なのかと。

BPOがなにを思ってこんなことを言い出したのか本当のところは分かりませんが、自分には人類ならではの叡智のような聡明さを感じられないんですよね。

2007年10月25日 (木)

「裸になったけど性的な意味はない」という謎掛け

なんか急展開があったみたいです。

名古屋競馬の女性ジョッキーに対するセクハラ問題。

裁判まもなくってところで女性ジョッキーが提訴取りやめを決めたそうなんです。

なんでなんでしょうか。

一説には、男社会である競馬社会でそもそも女性の進出が面白くないところに、セクハラで騒いで業界のイメージを低下させやがってという雰囲気が蔓延していたとかしていないとか。

自分は比較的、親が共働きをしていたこともあり女性の社会進出には理解がある方というか、違和感を感じていないという自覚があるんですが、それでも女性的な感性への反発とか持ってしまっていて、人によってはそこにアクの強さがあると面白くないと思ってしまうかもとも。

あと、逆にセクハラになることへの怖さがあるから、どう接すればいいのかが難しくあえて距離をとるという部分もがあったりします。要するに、意識しない存在であればセクハラとはならないわけで。

そういえば、今回セクハラをしたと言われる男性調教師は、この女性ジョッキーの前で裸になったことを認めた上で、「でも性的な意味ではない」と否定していたそうなんですが、じゃあどういう意味があって裸になったのかを詳しく聞きたい気持ちにさせられますね。

自分にはそれをこじつける屁理屈すら思いつかないですから。

このセクハラという問題は、一番ややこしいのは女性の主観によって判断されるというところであり、それによって問題を複雑にしているところがあるんです。

それって、女性にとって相手の男性が好みかそうじゃないかで印象がまったく変わるわけで、それを男性自身は知る由もないわけなんですな。

だから、そうではなくてもっと客観的な状態で線引きする方が楽になる要素は大きいし、コミュニケーションをとる上での弊害も減るんじゃないでしょうか。

そうすれば、恋人同士でもないのに異性の前で裸になることはセクハラと簡単に認定できるわけなんだし。

まぁ、そのためには女性が基本的に好みという基準をもうけないで、男性を見るという苦労は出てくるかもしれませんが。

2007年10月17日 (水)

パラドックスに紀元会

こういうのを既視感っていうのでしょうか。

紀元会という宗教団体から死者が出て、その原因が分からず突然ニュースとなって世間を騒がしています。

さらに紀元水という万病に効く水を高値で売っていたということまで。

似たような事件がこれまで何度あったことか。そして、そのたびにキャラクター祭りのごとく特徴的な言語を使う教祖が現れたり、独特の宗教用語が出てきてはその異質さと胡散臭さを放ってきたんです。

今回はまだそういうのはありませんが、そこは時代性を追ってか「かわいがり」による暴行が死因と言われています。しかも、上は80歳から下は15歳までの女性ばかりによる。

信じるものは救われるとはよく言うし、実際そういう側面もあって本人がそれで幸せならなによりなんでしょうが、こういう事件のたびに信者は洗脳されているだとか、現実を知って脱退した信者が続出していただとか、弱みに付け込んだ悪徳商法という現実の方が大きいように思われます。

なのに、こういう新興宗教はなくなることはなく、人々は悩みを抱えては誇大広告のごとき喧伝を頼って飛び込んでいく。

人間はかくも弱きものなのかなんて嘆き方もあれば、そういうのは最初から馬鹿な奴のやることなんて頭ごなしに否定する人もいるのでしょうね。

自分が思ったのは、特殊だから報道されるだろう宗教法人がらみの問題が、こうも定期的に出てきて、同じことを繰り返しているということは、当然表沙汰になっていない似たケースが全国に潜んでいて、似たことを繰り広げているんだろうなということ。

そして、ということは特殊じゃない自分のような人間の日常と似た現実を過ごす人は日本全国そこら中にいて、似たような仲間や友達と似たような言動をしては、似たように笑い、似たように悩み、似たように悪意を撒き散らしているんだという想像なんです。

それは宇宙には地球と同じように人類がいるなんて想像よりもゾッとして、おなじような顔の人は7人いるなんて話よりつまらない気分にさせます。

分かっていたつもりでも、こうやって自分だけが思ったような調子でブログを書いているけど、どこかでほぼ同じ内容が出回っていて、同じブログに対してそれを見て引いた視線で笑っている人も同じ調子で自分だけ悦にいっているんですよね。

知らなくていいことはあるし、絶対に知ることがない事実もありますが、その世界を少しでも触った感覚がしたとき、人間はそれでも自分という自我に自分自身を見られるものなのでしょうか。

2007年10月16日 (火)

新発売「お兄ちゃんは悪くない」

mixiのニュースのトップに

「お兄ちゃんは悪くない」

と出ていて、それに対する日記で

それなんてエロゲ?

なんてものがいっぱいあったけど、この記事のタイトルを考えた人は実際にそっち系のニュアンスを意識的に狙ったんだと思います。

で、これからエロゲかAVかは知りませんが、こんなタイトルの作品が出てきそうな予感もしつつ。

一応、誘拐事件として報道されたこのニュースは、長崎の小6の女の子がブログで大阪の20歳の男性会社員と交流を深め、家出するように会社員のマンションに転がり込み、8日間をすごした後に、持参のノートパソコンから実家に送ったメールで居場所をつかまれ、会社員は未成年誘拐で逮捕されたというのが事の顛末だそうで。

これについては、まずロリコンという言葉がついて回って、会社員がどういうつもりだったのかで印象がまったく違ってくる事件になるんですよね。

そして、女の子の方も会社員の男性にどういう気持ちを持っていたのかも気になるところで、恋心があるなら変な話説明がつくけど、完全な善意に頼っただけなら逆に甘すぎる考えだと言えるのです。もちろん、現実問題としてはどっちもどっちなんですが。

ただ、このふたりがどう思っていても、世間はロリコンの犯罪という受け取り方が大半を占め、インターネットは怖いねぇなんて感想を大人たちから引き出すもので。

事実や客観性なんてそこにはないにも関わらず。

結局、人間は印象で左右されるし、主観で見たいように見て、自分の納得しやすい結論に落とし込むものなんです。

だから、もし20歳の会社員と小6女子の恋愛ストーリーをケータイ小説で書いたら、ロリコンと眉を潜めた女性は純愛モノとして涙するし、フランスかイタリアで映画化されたら男性たちはその関係の美しさや悲劇性に魅入られるんでしょうね。

少女は家に居場所を感じずにわざわざ大阪まで転がり込んだということ。その受け皿がロリコンだったとして、一体何が問題なのかを印象論ではなく考えるべきなんじゃないでしょうか。

2007年10月13日 (土)

黒川さんちのガーゴイル

「え、つい最近まで元気な姿を見せてたのに」

多くの人がそう思い、だからこそ余計に驚いたんじゃないでしょうか。

黒川紀章氏が死去。心不全だったそうです。

これまでももちろん有名人だったし、亡くなればニュースになっていたでしょうが、やはり都知事選出馬から参議院選に掛けての突然の政治活動がより知名度を上げ、インパクトを上げたのは間違いないです。

もしもを言い出したらきりがないですが、都知事選に出なければもっと寿命が伸びていたという印象もあって、だからここで亡くなったことが途端に人生を駆け抜けたというものにもなったりして。

そしてそれは、「この政治活動がなければ偉大な建築家というイメージのままでいられたのに」という口惜しさを感じる人も、少なからずいるんじゃないかと思うんです。

その奇天烈さが天才のものとして尊敬できたのに、マスメディアの人になって色物扱いになったことは、果たして本人的に良かったのかと。

死んだ後のことを本人に問うてもしょうがないのですが、ひとつ思うのは、バラエティなどのテレビ出演も増えていて、そこである種これまでと違うチヤホヤをされたという経験は、本人の人生的には楽しいものだったのかなとも思います。

なんというのか、本当の意味で親しまれたという感触って、テレビで人気者じゃないけど舞台では笑いをとれるお笑い芸人がブレイクした的な感じがあるような。

わずかな期間のことだったでしょうが、劇的な変化があったこの期間のことを本人はどう感じていたのかを聞いてみたかった気もします。そして、奥様の女優の若尾文子さんにもその変化の印象を聞いてみたかったり。

人生の成功も豊かさも基準は人それぞれだし、その人がどう思っているかが大事なんでしょうが、それは死ぬまでどうなるか分からないんだなとも改めて思わさせてもらいました。

2007年10月 9日 (火)

交通事故が分けるもの、分かち合うもの

このニュースで驚けたのは、眞鍋かをりファンだったからなんです。

彼女がまだ新人の頃に日テレの深夜のモータースポーツ番組に出ていて、それで興味のないV6長野博がMCだったにも関わらずずっと見てたんですよね。

ノリックのことも、この番組があったから知っていたし、だからこの番組が終わったあとはどうしていたのかまったく知らなかったという感じでした。

その名前を久しぶりに聞いたと思ったら、まかさのバイクに乗っていての交通事故死とは。

どれだけ危険と隣り合わせのプロレーシングの世界を生きていても、公道で命を落とすなんてなんとも皮肉な思いがします。

そして思い起こすのが加藤大治郎のレース中の事故死。

どちらが幸せなんてこともないけど、本人よりも周囲がレース中の方が割り切れるという思いもあるのかなとか。

そんなファンが、「こんな時に。一緒くたにされるじゃないか」という思いをしたんじゃないかってのが、安倍なつみの交通事故。

こっちのファンはこっちのファンで、「なんでネガティブなニュースばかりが」と嘆いているんでしょうね。

アイドルという商売柄、どっちが悪いのか微妙な部分があっても平謝りしないといけないだろうし。

しかし、当然かもしれないけど、加害者か被害者かに関わらず、有名人の方がニュースとして名前に出るんですねぇ。

そして、無事だったことは喜ばれず、被害を被ると愛情を注がれるという。

こと交通事故というものを通して世の中を見てみると、完璧な幸せってないんだなぁと。

それはノリックにしてもそうで、レースで結果が出ないことで叩かれてたろうけど、死んで初めて文句なく称えられるわけだし。

更にいえば、交通事故は誰にでも起こりうることで、逃げる術、その保証はない。

だから、「生きるって、そんないいことでもないなぁ」なんて思ってしまうんです。

2007年10月 6日 (土)

つまり、子供が望まれない世の中

マンションの上の階の住民の子供の足音がうるさい。

公園の噴水で遊ぶ子供の声がうるさい。

それが訴訟沙汰になったそうです。

そんなに気になるかなぁという思いと、一度気になればずっと引っ掛かってしまうよなぁという思いが相反します。

ただ、ひとつだけ考えることがあるとすれば、それは「子供がやっていること」ってことなんです。

そりゃ子供ってうるさいものでしょうと。それを容赦できないものなのかと。

人迷惑じゃない子供って、元気に育たないというか不健全というか。

それを受け容れられない社会の空気が、でも実際にあるってことなんでしょうね。

仕事やプライベートで邪魔になるから子供はいらないという風潮が増えてきてるのは聞いていたけど、これからは他人の子供も邪魔という風潮が蔓延するのかなぁ。

こういう、子供が望まれない世の中が何を意味しているのかは分からないけど、豊かじゃないなとか思ったり。

そして、逆に昔ってそんなストレスに敏感じゃなかったんじゃないかなとも。

おおらかというか鈍感というのか、気にならないからこその良さはもしかしたらもう戻らないとして、それだけ神経過敏になっているなら、そんな状態の自分自身へも敏感になって、自覚を持つことは少しは平静さを心掛けられるんじゃないかなぁとか。

2007年10月 3日 (水)

いよいよ高校生ドラフトだよ、俺ドラフト

どうやら今年で分離ドラフトが最後になって、また統合されたドラフトに戻されるようで。

そういう意味で、とりあえず今度で高校生ドラフトは見納めになるんですよね。

そんな今年の高校生ドラフト。指名は3人の選手に集中しそうな気配です。

仙台育英の佐藤由規。成田の唐川侑己。そして大阪桐蔭の中田翔。

去年の段階では中田翔フィーバーになると思われていたんですが、中田自身のバッティングの欠陥発覚と、佐藤の甲子園での150キロ越え連発の投球によってふたりの評価は互角以上となりました。

そこを回避する手が唐川しかないというのは、それだけ唐川の素材がよいのか、それとも他の候補が小粒の不作ドラフトということなのか。

逆に、この3人を外した球団は難しいドラフトになるのかもしれません。

我がドラゴンズもこの3人の名前を挙げつつ、まだ絞り込めていないようです。

果たして3人のうち誰を指名するのか。それともまったく別の候補にいくのか。

個人的には唐川にいって欲しいかなと思っています。

俺ドラフト的にも、ずっと中田翔一本でいってたんだけど、さすがに直前となると揺れるものがあって、唐川がいいなぁとも思ったりしています。

と言うのも、今年のシーズンは投手不足が顕著だったので。ロッテあたりが指名権を獲得したら悩むだろうなぁ。

3巡目以降は左腕投手とクリーンアップ候補を確保したくて、優先順位を決めずにとりあえず名前だけ絞って用意してあります。

斉藤彰吾、中村晃、井領雅貴、大島寛之、郭恒孝、竹嶋祐貴、佐藤祥万、福田翔亮、岡田侑己・・・

果たして、どの選手がどの順位で、どのチームに指名されるのか。

ドキドキしながら眠ることになりそうです。

2007年10月 2日 (火)

「男はみんなロリコンである」「ロリコンになるのは大人の女に相手にされないから」

「男はみんなロリコンである」「ロリコンになるのは大人の女に相手にされないから」

よく聞く文句だけど、ふたつを並べてみると微妙に矛盾を感じつつ。

そして、それは大きなクエスチョンとなって膨らむわけで、男なら誰でもロリコンの要素を持っていて、同世代から相手にされないと年下に目が向き立て、ロリコンが目覚めるってことなのか。

それとも、ロリコンは先天的なもので、つまりは病気で、限られた人間にしか持ち得ない要素なのだろうか。

子供をかわいいと感じるのはみんな一緒だと思うけど、それが小動物へのに似たそれと、性的な視点が加わることと、どれだけの距離があるのかなぁとも。

今日もまた「塾講師が15歳の少女にいかがわしい行為をした」なんてニュースがあって、それに対するブログをミクシィでチラッと見たんですが、女性の拒絶反応は分かるかどうかはともかく当然とは感じたんですが、男性からも「ロリコン死ね」と言い放っている人がいて、それがスタイルじゃなく本心ならやっぱり「男はみんなロリコン」じゃないってことになるなぁと思ったんですよね。

ただ、これだけ連日のように未成年への性的な犯罪をする事件が起きているのを思うと、ある程度大きなパイがないとこれだけの数が表面化しないんじゃないかとも。

逆説的な発想で言えば、「大人の女に相手にされる男性はロリコンに目覚めないですんでいるだけ」という考え方もあるんじゃないかなぁ。

更に突っ込んでいえば、本当にモテない男は逃げるようにロリコンに走るのかと言えばそれもどこか違う気がして、恋愛感情の居場所を移動させただけなんじゃないかって。

実際に大人の女性に気後れもするでしょうが、自分を肯定するのが人間だから、どちらかと言えばそんな大人の女性の方を否定する思考回路があると思われ。

なんでこんなことを考え出したかと言えば、24歳の男性が82歳の女性と結婚というニュースもあったからで、そこに愛があるのかという疑問がまずあり、次に愛があるとしてそれっていわゆる恋愛感情として存在していたのかと。

この場合、女性の側にはありえると思うんです。でも、男性のそれを疑うのはセックスを問題にできるから。

やっぱり、男はセックスがあっての愛であり、女性を求める衝動になると思うんです。そしてそれは、肉体同士の接触だから肌の鮮度がとても重要になってくる。それはその対象との積み重ねの面でも。

モテる男は妙齢の女性を上手に乗り換えられるけど、モテない層はそうはいかない。

だから、未成年にその代替を求めれば、その問題は一気に解決するんですな。

モテるはずの芸人の淫行疑惑が連発したのを見ても、というか一般人のモテの上をゆくがゆえにそっちに走るということを見て、男にとってそこの魅力はでかいのかなぁと、そんなあれこれを思ったりしたのです。

2007年9月27日 (木)

時津風部屋殺人事件

自分だけなのか分かりませんが、眠りの中で見る夢がストーリーものとしてつながっている場合があるんです。かつて見た夢の続きを見るというか。

仕組みとしては、単に夢を見ている最中にかつて見た夢を思い出して、そこからつながっていっているって感じなんでしょうが、そうなるケースが結構あるんですよね。それも、複数のストーリーを抱えてしまっていて。

その内の一つに、自分が人を殺して、それを隠すために人気のない山中の土に埋めて日常生活を過ごしているというものがあるんです。

この夢を見るときは、本当に落ち着きがなく、見つからないだろうかとイヤぁなドキドキが止まらなくて。

きっと殺人を犯したまま日常を暮らしている人は、こんな緊張感を覚えているんだろうなと、夢から覚めては思ったりするのですが。

そのドキドキを感じながらの数ヶ月だったのでしょうか。

時津風部屋に弟子入りした17歳の青年が死んだ事件は、どうやら親方や先輩たちによる集団暴行の線が強くなってきたようです。

このことをいくつかのニュース番組で見ましたが、どうもバレないかドキドキっていうよりは、ばっくれてやろうという感覚が、この時津風部屋の人たちにはあるような気がします。

それは相撲界という密封された世界の出来事という、社会とは隔離されているために特殊なとらえられ方が成立するがゆえのものでもあるように思えて。

これについて、見ていたニュースで必ず出てきたのが「かわいがり」という習慣で、簡単に言えば弱音を見せたり違反をしたりした力士への体罰が相撲界ではあるってことらしいのです。

それが存在することについて、分からないでもないのは相撲界に入ってくるある層は、今回の犠牲になった青年はどうか走りませんが、中卒とか高校中退で行き場のない問題児なんだと思うんですよね。それも、その体の大きさを活かした暴れん坊というような。

自分は基本的に体罰否定はなんですが、完全に排除をしないというのは、体罰じゃないと理解しないタイプもいると思うからなんです。

そして、相撲界に入る問題児の多くはこのタイプなんじゃないかと。

ただ、そこに自覚的であるならプロの仕業であって欲しいとも思うんです。

「物分りをよくさせる」という目的を達するための行為について、繊細であるべきというか。

それが、「かわいがり」という習慣でやっているだけであり、習慣に甘えた手抜きになっていたのではないか。

少なくとも、死者を出してはなんの言い訳もできないわけで、そこへの注意すらない行為はフォローなんてできるわけがない。

そのしっぺ返しはすぐに相撲界全体に返ってくるはずで、こんなことがまかり通っていることが分かれば、弟子志望者はさらに減るんじゃないでしょうか。

そして、これを契機に変われないようでは、相撲界の未来はないと言い切れると思います。

2007年9月17日 (月)

アップダウンゲーム

日清がインスタントラーメンの値上げを決行し、ポッキーも容量を減らすことで定価を守るなど、物価上昇の流れが強まっています。

世界的な石油や原材料費の高騰が続くためだからだそうですが、こういうボディーブローのような圧力は庶民にとってより重たいダメージとなるものなんですよね。

そしてそれはガソリン価格でもそうなんですが、全国ほぼ平等に負担が求められるという妙な公平感が存在するのです。

これで消費税が上がったら、金持ちは軽い虫刺されでも、我々にはどれだけまとわりつく害虫の苦痛となるのか。

なのに。

地方ではいまよく起きているのが妊婦のたらい回しや小児科不足など、病院医療のサービスの低下。

こういうことには、大まかに言えば資本主義の論理に基づく不公平さが蔓延しちゃうんですよねぇ。

これを「自然なこと」としてしょうがないと言ってしまうのは、本当に正しいのかどうかと。

そりゃ、これで成り立っている人たちは何の問題も感じないんでしょうが、そうじゃない人たちは、「人間なんて」という人間否定に頭が向ってしまうんです。

果たしてそれでもいいのか。こういうのは巡り巡るんです。

某紙の社説で「アメリカでも年間3万人の自殺者は異常だと言われているのに、半分以下の国民しかいない日本も同じだけいるというのはどう言えばいいのか」なんてのがあったけど、どこかで自殺者を弱いとか敗北者みたいな見方で見捨てる傾向がないこともない日本で、なかなか変化が生まれるのは難しいんでしょうが、特に消費力が幸福とはならなくなっていく将来を思うと、人間のつながりにこそ幸せの鍵があるはずで、そこは自分を守ろうとする意識からまず変わっていくべきなんじゃないかと思うんですよね。

2007年8月30日 (木)

朝青龍問題の検索ちゃん

なんでここまで大事になったのかがよく分からないし、そこに誰より当人が実感のないことがより問題を複雑にしている気がする朝青龍の問題。

自分もそんな興味がなかったんだけど、なんかようやく解決に向ってきたみたいなのでチラッと触れてみようかなと。

まず、これだけの騒ぎとなった何よりの原因は、相撲協会の対応にあると思うんですよね。

早い段階で処分を下したはいいけど、それによる影響をまったく考慮しておらず、マスコミ報道がエスカレートする中で何の手も打てず、問題が大きくなっていく一方にしてしまった。

そして高砂親方も朝青龍に対して威厳を持って対処できていないところも火に油を注いで、迷走感を強めてしまった。

もちろん、騒ぎの発端となったのは朝青龍の夏巡業のズル休みとモンゴルへの無断帰国、そして怪我をしているのにサッカーをしたという点なんですが、思うのは朝青龍がモンゴル人だったゆえのズレやギャップが原因になっているんじゃないかなってこと。

それは、差別意識とか無理解とか以前のことで、どうしても育ってきた環境が違うことで思い至らない領域ってあるという意味なんですが、「横綱という地位の人間がやっていることだから許される。それだけ敬意を持たれているものだから、何の考えもなしにやっているわけじゃないと分かるはず」で済むと思っていた朝青龍と、ずっと横綱に相応しいかを問うてきた日本側の認識の違いがここにはあったと言えるし、ずっと根ざしていた問題の最たる例と言えるんじゃないでしょうか。

きっとこれは国民性云々だけじゃなく、どこでも異邦人には問い続けることになると思うんです。本当に信頼できるのかどうかを。

民族主義とか人種問題とか深い話は語れないけど、どこかでしょうがないというか、壁になる部分って存在し続けるんじゃないかなということを、改めて思わせた朝青龍問題なのでした。

2007年8月29日 (水)

「殺さないでください」と

「殺さないでください」と懇願したんだそうです。

ケータイの闇サイトで知り合った男性3人による、路上拉致殺害事件。

その残忍さが大きなニュースバリューとなっていますが、ここに見る時代性みたいなものも関心の強さになってきる気がします。

それはケータイサイトで知り合った赤の他人同士による犯行というもので、関係の希薄さがさせたあまりに短絡的な行動が問題視されていて。

ただ、個人的にそれ以上に現代の風潮を感じたのが、お金を巻き上げるために弱い存在である女性を狙ったっていう供述なんです。

集団になってするっていうのなら、銀行強盗とか輸送車強奪とか、もっとでっかいお金を狙うのがかつてだったんじゃないでしょうか。

それが、より弱いものからたかが知れている額のお金を狙うという発想。

格差が叫ばれる中、勝ち組がやっていることは弱者からの搾取であり、搾取しやすい弱者を生み出すこと。

その構造の中で、弱者はより弱者をさげすみ、足蹴にすることで自らを保とうとするという現実が、この事件に表れている気がします。

それを人間の否定しづらい常識とする向きもあるけど、この事件に嫌悪感を感じる人が多いとするなら、やはりよくない傾向であると言えるんじゃないでしょうか。

ただ殺された女性をかわいそうと言うだけでなく、なぜこういう人間が産み落とされたのかをしっかりと考え、対策をするべきだと思ったりしています。

2007年8月26日 (日)

腕相撲ファイトでファイトしすぎた結果

先日友達の付き添いでゲーセンにいった時、たまたまこのマシーンが目に入ってきて、マジマジと見た覚えがあるんです。

小川直也もまた変なところに手を出したなぁとか思いながら。

それが最初で最後の邂逅になったわけですね。

ゲーセンの腕相撲マシーンで骨折事故が相次いで、そのマシーンが撤去だそうです。

この腕相撲マシーンってかんなり昔からゲーセンに存在していたわけで、これまでそんな事故の例ってなかったんでしょうか。

逆に、無理をして腕を痛めた程度のことなら自己責任になっていたというわけなのか。

ひとつ想像するに、どのジャンルでもあるエスカレートが進んだ結果、弱い人は素直に負けて、ある程度以上強い人は割りと勝てたという強さの設定が、本気で強いレベルを作ったことで無理をした人が骨折に至ったのかなと。

だから、勝負していく中で弱い人は早い段階で脱落できたけど、変に強いことでガチンコ勝負ができてしまい、その身を傷つけてしまったと。

特に強さに自信がある人間ってそれをプライドに頑張りすぎるから、ダメージもでっかくなるんですよね。

そこの部分で男は馬鹿なんでしょうね。無理しないでいいところで無理をしちゃう。

それでも骨折までいったら「そこまでなるとは思わなかった」との訴えも通じちゃうわけで、これによって腕相撲マシーンの基準作りや楽しみ方の範囲も固まってくるんじゃないかな。

実際に怪我された方はご愁傷様ですが、どの世界でも犠牲者があってより安心安全なルール作りが進むわけで、傷が癒えたらネタにすることで消化して欲しいところです。

でも、実際にゲーセンで骨折するのは想像だにしないし、ホント勘弁だわなぁ。

2007年8月23日 (木)

残された6人はまだメタボ侍のままなのか

そういえば、同じようにメタボ克服に取り組んでいた武見敬三はこの間の参院選で落ちてたなぁ。

でも、命があってよかったというと、不謹慎になるのか。

三重県かどこかの市でメタボ対策のために職員から選抜された7人が「メタボ侍」を名乗り、期限内にダイエットするという取り組みをやっていたそうなんですが、その内のひとりがダイエットのためのジョギング中に急死したというニュースが先日ありました。

これは無理なダイエットがたたってだけでなく、熱中症でレッサーパンダすら死ぬ中での運動自体がよくなかったとも言えるんですが、それでも痩せるためにあえて取り組まされていたところでのアクシデントとも言え、家族とかは嘆きや怒りの矛先を市に向けることもあるんじゃないかなぁと。

このことを受けて、他のメタボ侍さんたちはどうなっていくのかも気になって、それは運動は体によくないという逆効果になり兼ねないという発想もそこにはあり。

そう。

一説には運動って体に負担になるという意味で、あんまりしない方がいいなんて話もあるんですよね。

特に気温の温暖差が激しい最中、いまのように暑すぎても、冬の寒すぎるときでも体に悪いんじゃないかって。

だから、適度な運動をするべきとして、どれぐらいが適度な運動で、どんな状態では運動はしない方がいいという定義をしっかりしてアナウンスして欲しいなと思うんです。

そういう意味でも、残されたメタボ侍さんたちは正しい取り組み方をして、その意思をついでいって欲しいし、正しい模範となって理想的な体を作って生きながらえてもらいたいと思うのです。

少なくとも、岡田斗司夫の痩せ方は気持ち悪いですよ、感覚的に。

2007年8月21日 (火)

航空機の爆発が知らせる次なる爆発

中華航空機の爆発炎上。これって事故というのか事件というべきなのか。

この航空機会社の危なさが指摘されていて、やがて格安航空会社自体への不信に繋がっていくのかなと思ったりしています。

これが資本主義の限界を警告している気がしないでもないのが、ここにきて白い恋人でも発覚した立て続けに起きている食品業界の不祥事であり、安売りコロッケのコロちゃんの倒産などであり。

安全性を考えたら、非常識な安さを求めちゃいけないし、それが非常識だってことをその業界からアラームを発して欲しいんですよね。

ミーとホープの社長は、安いもの買いたがる消費者も悪いって言っていたけど、それは安心できるものという前提があった上での自然な欲求で。

そこのルールを破ってもうけようとする発想の方が間違っているわけで、競っちゃいけないレベルまできているという悲鳴をこそ上げて欲しかった。

「だから安心安全を志向するなら高いままで保護すべき」というのもまた違って、その場に安住しちゃうとそれはそれで腐っていくものなんです。

ただ、これは人間がやることだからどこかズルをしたがったり、楽をしたがったりするもであり。

それでもう一度言えば資本主義の限界にきているのなかと思わされるところで、そろそろ人間倫理と美学で自らを律するような新しい主義が必要になってきていると思うんですよね。

2007年8月15日 (水)

バイクはナルシストの乗り物だと

下手なホラーよりもゾッとさせられました。

男性がバイクで高速だかを走っていてガードレールに接触し、そのまま1.5キロほど走ってから右足の膝から下が切断していることに気付いたというニュース。

バイクに乗っていて右足切断っていうのもそうですが、切断しているのに気付かなかったってところがかなり怖いです。

人間ってそんなもんなんだと。

男性の仲間が右足を見つけてきて、それを氷漬けにして救急車を呼んだそうなんですが、切り口がグチャグチャでくっつけることはできなかったそうで。

この男性にとっては人生がこれで大きく変節した日になったわけですよね。

それでもまだバイク好きでいるのでしょうか。

仲間がいるってことなので、きっと「それでも」になるのかなぁ。

しかし、バイク好きってなんで仲間とつるんで走ろうとするのでしょうか。

というか、どこで仲間を見つけてくるのか。

なにより、なにが楽しくてバイクに乗るのかという疑問も。

自分にはバイクに乗る必然が分からないんです。

スクーター程度なら近所にちょっと行くときくらいに便利かなとは思うんですが、バイクで移動しなければならない理由なんてまったくなく。

結局これはタバコと同じで、スタイルの問題なんでしょうね。

カッコイイとか、自分に酔える的なアイテムというか。

逆にナルシスティックさを感じられないと、今回の例を出すまでもなく事故をした時のリスクを考えると割に合わないような。

まぁ、自分の中にはない要素ですな。

それは個々の趣味だから別にいいんですが、ナルシスティックゆえにジコチューな運転をするケースも結構目に付くので、そこは考えて走って欲しいなとお願いをひとつさせてもらいます。

2007年7月28日 (土)

あやまる男

あやまるのって嫌ですよねぇ。

自分で自分のことを否定する行為って、それ自体がストレスになるし、ひねくれるか気分を底辺に貶めるかのどちらかの状態を連れてくると思うし。

だから顔に変な吹き出物ができたのかなぁという推測が成り立つのが、すっかり絆創膏キャラになった赤城農相。

今度は資金の付け替え疑惑が浮上して、本当に疑惑のデパート化してきています。

特に政治家一家から大臣にまで上り詰めたエリートな人だけに、こうも頭を下げることって屈辱感もかなりのものなんでしょうな。

さらに、参院選の真っ只中をこの問題がずっと引きずり続けているっていうのは、野党の笑顔と与党の陰口がハンパじゃないくらい苦痛にもなっているだろうし。

「あやまればすむって問題じゃない」なんて言い方もあるけど、例えそういう問題じゃないとしても、あやまってすまそうっていうんだから無理がかなり大きい。

参院選の結果もあるけど、当分は浮かれない表情のままなんでしょうな。

そして、あやまる男2号としてニュースをにぎわせたのが織田信長の子孫でおなじみのフィギュアスケートの織田信成選手。

単車の飲酒運転で号泣謝罪って、どうなんでしょう。

なんか彼の涙は泣き芸の域にすら達している印象があって、ややもするとコメディに感じられるんですな。

ただ、やったことはイマドキの公務員や会社員ではクビになるし、プロスポーツ選手では契約解除になるくらい自覚を問われる問題。

顔つきからおとなしい素直な子という印象もあったけど、ジャンクスポーツなどを見ていると案外やんちゃな部分も見え隠れてして、その延長線上の気軽な行為だったんだろうけど、これでますます高橋大輔との距離が開いた感じで。

もし競技復帰への道があるのなら、今度こそイメージどおりのいい子になってフィギュアにまい進して欲しいものです。

さらにあやまる男3号になりそうなのが朝青龍。

疲労骨折をして夏巡業を休んで故郷に戻っていたのはいいんですが、そこでサッカーに興じている様子が配信されて大問題に。

「仮病だったんかい」ってことなのか「骨折しているのに無茶をして」ってことなのかで、相撲協会幹部もカンカンだそう。

もともと横綱としての品格が問われていただけに、またその問題が再燃するんじゃないでしょうか。

帰国してからあるだろう記者会見で、どういう対応をとるのかを注目したいですし、横綱なんだから煮え切らない態度だけはとらないで欲しいなと思うのでした。

2007年7月27日 (金)

「元少年」の不愉快すぎる悪あがき

光市母子殺害事件。本村洋氏の妻が、高校生にレイプされ子とともに殺されたっていう事件です。

反抗を犯したのが未成年時だったため、死刑はないという安心感からおとなしく罪を認めていた「元少年」が、本村氏の執念で死刑になる可能性が生まれ、ここにきてあがきだしている姿が非常に印象的です。

なにより世間を唖然とさせたのが、ドラえもんを信じていたから押入れに死体を入れたとか、復活の儀式でセックスした的な言い分。

すべては母親恋しさゆえにやったことで、殺意はまったくないという主張を、10年近い審理の中で、ここにきて突然し始めたことに、なんの違和感を覚えない人っているのでしょうか。

そして、知っている人は「あの手紙はなんだったんだ」と思うはずで、それは友人に向けた「オスだからメスを見つけてやっちゃった。それのなにが悪い」みたいな本音を書き綴った内容の、被害者家族の神経を逆なでするようなもの。

逆に、あれがあったから審理差し戻しまできたんじゃないかってくらいの、不愉快さ極まりないインパクトがある手紙から、このお涙頂戴モノへの転身は、あざけりの言葉を「元少年」に投げかけたい思いすらします。

それだけでも憤懣やるかたないのに、今度出てきた発言は、「自分が死刑になったら、あの世で本村さんの奥さんと結ばれるから、本村さんには申し訳ない」という皮肉にしても最悪な物言い。

他人事ながら、怒りで背筋がズワッとしました。

死刑が有力となってきたとも言われていますが、この「元少年」に対する最もふさわしい罰は、マスコミを通じて顔をさらして、社会復帰した後も動向を追うってことだと思います。

これは個人的にもその顔を確認し、直接罵倒してやりたい、あのドラえもんとか言い出したことを悪意をこめて笑ってやりたいという気持ちもあるからなんですが、死すら逃げになるとすら思わせる人間性を感じてしまうんです。

もちろん、まだまだ判決が下ったわけではないんですべてを決め付けるのはよくないんですが、こういう舐めた生き方をしてきた人間には必ず天罰が下るんだってことを、世間に知らしめる意味もあると思います。

2007年7月16日 (月)

「なんで」とみんなが口にした

「なんで」とみんなが口にしたんじゃないでしょうか。

それは、大型台風一過のこのタイミングでというものであり、「また新潟で」というものでもあり。

地震は本当に意表をついて起こるものなんだなと改めて思わされました。

震度6強が次に発生するとしたら、それは今度こそ東海地震とか東南海地震関連のものだと思ってたんですが、その近辺の住民としては、「お前らの時は本当に覚悟しておけよ」と言われている気さえしてきます。

新潟の人たちも、なんなら九州地方の人の被害を他人事に思っていたところに、妙な教訓性を感じてしまう部分もあったのかなぁとか。

そして、いつものようになんの助けにもならないのに大挙して押し寄せるマスコミや、参院選に苦戦する中でイメージアップ大作戦でやってきた安倍首相なんかには、苛立ちをこそ強く感じさせてるんでしょうね。

こういう不測の事態で、突然非日常に追いやられた人にとって、建て前論は簡単に吹っ飛ぶものであり、「生きるために必要なことを効率的に」では収まらず、ややもすると感情を表立たせてしまうことがすべての現実となり。

避難生活も、物資のない状況も、ストレスと怒りとやるせなさと、究極に追い込まれてしまうことは、想像だけでも疲労感を感じさせるものがあります。

よく「イライラしてやった」と犯人が言う犯罪があるけど、もし地震の被災者が犯罪を犯し、「イライラして」と口にした場合、我々はどう受け止めることになるのでしょうか。

理屈が通用しないことを前に、理屈で説き伏せられない人間が出てきた際に、人間は改めて人間という生き物の本質が問われる気もするのです。

2007年7月 9日 (月)

他人事シェルブール

九州地方の前例のない大雨被害。

そのニュースを見ていて、ビックリするぐらい他人事に感じている自分がいて、なんなら野次馬根性でもっと凄い状態が見たいなんて思ってしまう部分まであって。

これがもし親戚や友人が住んでいるとかなら、まったく違った受け止め方をしていただろうなと思うし、もちろんこれがより近い地域のことなら、自分のところじゃなくてよかったと胸をなでおろしているんでしょうね。

自分だけの弱さなのか、人間ゆえの無関心なのか、こういう発想をしてしまっている自分を自覚するたびに、その鈍感さが嫌いになります。

ただ、ここで被害にあわれている方に心配の旨を述べても建て前丸出しなので、そんな自分もいやらしい。

そこで違う見方から声を掛けるとすれば、こういう現実を実感された方だから言える言葉というのがあって、きっと政治家なんかが視察に訪れた時に言う言葉なんかより、説得力が違ってくるし、地球温暖化への危機感も身に染みて感じられるんじゃないかって。

体験しなければその方がいいことなんかはいっぱいあるけど、人間は体験しないと分からないこともあって、体験したことで成長できることもあると思うんです。

だからこそ、安穏としている自分たちに怒りを込めてもいいので、身を持って知ったメッセージを送りつけて欲しいなと思うし、だからこそ支援体制なりを求め、今後に対しての協力をし合いたいなと。

人間は馬鹿だけど、その馬鹿さ加減を知って「お前らは馬鹿だ」と言える人たちがいれば、その現実を知らしめてもらいたいんですよね。

自分たちが被っていたかもしれない被害への想像力って、人間は、自分は、本当に欠けているんだなと思いながら、そう思うのです。

そして、自分が人間社会のひずみによる害を受けた際には、警告の声を出すようにとも。

2007年7月 5日 (木)

フードファイターたちのいま

どうしてもしっくりこないんですな。

これがもしギャル曽根だったらどうなのか。

ホットドッグの早食いを何連覇もしている小林尊が、一般の報道ニュースで取り上げられているこの現状って正しいのでしょうか。

いや、「イッテQ」じゃないけど世界の名物祭りを扱っているようなもので、アメリカであるホットドッグの早食い競争で日本人が優勝しているってくらいなスタンスならまだ理解できるけど、アゴを故障して連覇が危機なんて部分まで報道する意味ってあるのかなって。

きっとこれが、テレ東の「TVチャンピオン」でバリバリに出演している当時ならどこかで敬遠していたんだろうし、挑戦する舞台がアメリカではなかったらまた話は違ってたんでしょうが。

この日本人のアメリカコンプレックスはいつまで続くのかなと思いつつ。

メジャーリーグの報道がスポーツニュースのトップ項目になっていることもそうだし、なのに日本人選手の所属チームの順位なんかは一切頭に入ってこないこともそうだし、その偏り方って変なんですよね。

だって、ホットドッグ早食いで日本人が勝つことが、それほど民族のアイデンティティを刺激するってのもどうなんだと。

もしかしたら時代性もあるのかなぁ。

そういう構図的に分かりやすいことがキャッチーで好まれやすくなっているというか。

自民党がテレビ出演で不評の片山さつきを隠しだしたなんて記事があって、確かに彼女のキャラクターに好感度は望めないのは分かるんだけど、視聴者が不愉快さを見るというのは、そのエリート意識であり、そこからくる高慢な態度や物言いが鼻につくってことで、正論かどうかは問題にされていない。

高学歴コンビのオリエンタルラジオが視聴率面で苦戦し、日経エンタテインメントで実は若者層から嫌われているなんてアンケート結果を見るにつけ、おそらく理解力を持っての芸風を取捨している彼らの、その知が先立った部分が逆に受け入れがたかったり、成功面のみにしか有していない部分に親しみを覚えないということを見て。

そんな彼らがブレイクするきっかけになった「エンタの神様」系を筆頭とする、リズムやテンポを個性とする音芸がもてはやされるのは、言葉を咀嚼するより感覚だけで楽しみたがる風潮を感じたり。

また、久しぶりに見た「はねトび」がゲームコーナーばかりになっていて、他の数字がいい「ネプリーグ」などもゲームが主体になっていることを思うと、分かりやすいルールが設定された遊びにニーズがある平易さを思い。

つまり、そういうことなんでしょうね。

良し悪しは別にして、頭を使いたくない。快楽的でありたい。そして、そうでないものへの反発ややっかみ。

それを自然なこととするのかどうなのかは人によって違うのかもしれませんが、少なくとも自分はこの小林氏の扱われ方に違和感を感じたんですよねぇ。

2007年6月28日 (木)

「ガスパン遊び」という新単語

仙台のマンションで爆発事故が起き、中学生男女6人が重傷を追ったというニュース。

ぶっちゃけ、ただこれだけの記事を読んだだけでは、自分を含め多くの人は引っ掛かりを覚えなかったと思うんです。

それが「ガスパン遊び」なる、制汗スプレーなどのガスを吸って俗に言うラリッた状態になるのを楽しむ遊びが流行っていて、ここも大きな引っ掛かりになるのですが、それをやっている最中にタバコを吸うために火をつけたために引火して爆発したという真相が伝えられるにつけ、色んな感情が巡ってきて。

まず、なんという同情心が沸かない要因なんだと思い、なんという「自業自得」を思わせる要因なんだと思い、なんという汚染されてた中学生たちなんだと思い、なんという不愉快さなんだと思ったんです。

これを感情に任せて「ざまあみろ」と言ってしまうこともできるんですが、こんなことをやっちゃう気分っていまの若い世代にどれだけ蔓延しているのだろうという部分から、救われなさにも気持ちが傾いてしまうんですな。

少なくとも、この中学生たちがおそらく学校ではでかい顔をしていて、いい子ちゃんを駆逐しなにがカッコイイかをジャッジしている輩になるわけじゃないですか。

そこが、こういうことをやってないとやってられないなんて歪み方をしてしまうことって、そこを楽しいことにしてしまうことって、半面で物凄く空虚だなと思ってしまい。

タバコなら自分たちの時代も普通にあったし、ずっと前の世代からもあったと思うんですが、ラリるという現実逃避までしちゃうのってなんなんだと。

貧困さと贅沢さの両極に麻薬は流れやすいんですが、後者だろう彼らは単に心が弱かっただけなのかと。

そこでもうひとつ考えたのは、人間が悪い方向に流れやすいのってなぜだろうということで、それは人間の本能が快楽的なものを好むからで、逆に言えば快楽的なものというのが悪だという認識をされるのは、人間特有の理性からの警告なんですよね。

つまり、みんなが共有する弱点であり、人間として不完全だから起こす過ちであり、どこかで「人間」を作らなくなっている人間社会の顔が表層に出た事件なんじゃないかと思ったりして。

いまは数字的に優れていることを追い求め、その分かりやすさが説得力として往来しているけど、人間ってそこに忠実であることが正しい姿じゃないんじゃないかと、改めてそう思わされたりしました。

そして、その数字的に筋が通るだけの空虚さ。それが不愉快さを増大させているのかもしれません。

2007年6月17日 (日)

こんにゃくゼリーに罪はない?!

「なんかゼリーが食べたいなぁ」

なんて気分に、ふとなったんです。

それでコンビニに行ってデザートコーナーを見てみたんですが。

もう昔みたいなベッタベタなゼリーって置いてないんですね。なんか購買意欲が高級化の方向に進んでいるみたいで、あるのは色々と凝った感じのゼリー類くらい。

「うーん、そういう気分じゃないんだよなぁ」

ってことで、食べることをあきらめるつもりでいたら。

「こんにゃくゼリーを喉に詰まらせ男児が死亡」というニュースに、「そっか、こんにゃくゼリーがあったか」とひょんな出会いをしてしまい。

つまり、完全な他人事だからそんな発想をしてしまえるんですよね。

本気で怒り、悲しんでいるだろう身内に人たちには、逆に商品の宣伝になっている事実は皮肉以外のなにものでもなく。

実際、これで商品が完全に販売中止になるなんてことになったら、それこそ一時の吉野家のように人が殺到なんてこともあるかもしれない。

それ以前に、もしかしたらいるかもしれない、こんにゃくゼリーの熱狂的ファンにしてみたら、「そんなの餅でも喉を詰まらせて死ぬ人がいるんだから、餅も作るなってことになるのか」とか抗議の対象にすらなっているかも。

詳しい事情を知らない自分なんかも、「こんにゃくゼリーというものがどういうものか最初から分かっているんだから、子供にはやらないとかできるはずなのになぁ」とか思ってしまったし。

飛行機に乗る際の厳しい持ち物検査なんかを見ても、そういう疑わしきものは罰する的な傾向はこれからも続くのでしょうか。

そんなこんなを思いながら、こんにゃくゼリーを慎重に口にする自分がいるのでした。

2007年6月15日 (金)

老人介護Z

どうしても気になってしまうのは、折口会長の生え際だったりするのですが。

いや、昔はブイブイ言わしていて、最近でもモー娘のパトロン気取りで呼びつけてたとかいうモテ側の人だったのが、あの微妙なハゲ方にものの哀れを見たり。

もちろん、そんな関心の持ち方は他人事丸出しで、コムスンで搾取された側の人、いま現在介護サービスを受けている人は怒りと不安の中にいるんでしょうね。

このニュースを聞いたとき、そういうこともあるんだろうなとは思ったんです。

結婚式と葬式で値切る人はいないというけど、この老人介護でも金銭的にどうしてもルーズになりがちなのが一点と、障害を持っていたり認知症だったりの騙しやすい、ごまかしやすい老人が被る対象であることがもう一点、そしてその家族がどうしても老人に対して心の距離を持ってしまうことが駄目押しの点で。

どれだけ面倒を見るのは肉親として当たり前と言っても、子供に対する看病と老人に対するものとでは感情のこもり方が違ってくるし、介抱に向うわけじゃないどころか悪化の道しかない中で手に負えなくなってくるという、そういう救われない気持ちになるのが家族だと思い。

だから、非常にグレーゾーンが多くなってしまいがちな領域だと思うんです、老人介護って。

働く側も、儲かりづらい仕組みになっていく中で、ボランティア精神だけでは保てない部分がどうしても大きく、じゃあ儲けやすいターゲットだけ狙えば、生きていいのは金持ちだけかという話にもなり。

国がその役目を追う気がないみたいだし、お役所仕事でできることでもない。

結局、厄介ごとの押し付け合いという側面が、こういう金儲けの不正の隙を与えた部分もあるのかなぁと思うのです。

老々介護の末に、要介護者を殺しちゃうニュースなんて、本当にやりきれないんですけどねぇ。

2007年5月29日 (火)

松岡利勝と坂井泉水

このふたりの名前を並べることに意味が生まれるなんて、まさか思ってもいませんでした。

こんな言い方をすると不謹慎なんでしょうが、ブログ隆盛の昨今、みなさんこれをネタに書こうって速攻で思ったんでしょうね。それぞれの思い入れや考え方を連れ立って。

一方は自殺で一方は転落死ということなんですが、それぞれのイメージを思うとむしろ逆な死に方だった方がしっくりくるなんて人もいる気がしたりします。

それはアーティストが自殺することに神格化を重ねる風潮と、悪徳政治家がややもすると滑稽な死に方をしたことでバチが当たったと思いやすい傾向を思うと。

それくらい、同じ死でも根本の印象がこれほど違うのかと思わされるのです。

ZARDファンには、「同じタイミングで死ぬなや」というある種の拒否反応があったりするのでしょうか。それとも相手になんかしてられないのか。

松岡利勝氏周辺の人には、「死んだ時くらいは悲しんでくれや」という思いがあるのでしょうか。それとも正当な評価や扱いをしてこなかったマスコミというある種の逆恨みがあるのか。

そして、一般の報道では現役閣僚の自殺ということで松岡氏を大きく扱っていたけど、一般的な関心度ではどちらが高いのかなと。

どちらにも興味がないって人もいるんでしょうね。それが身内の方に不幸を抱えている人なら尚更で、逆に世間的な関心にならない自分たちとの彼我に感じ入るものがあったり。自分たちの主観とのギャップというか。

時間を進めて考えると、24時間テレビで欽ちゃんがランナーになったそうだけど、ゴール間近で武道館で必ず歌われる「負けないで」が今年も何事もなかったかのように歌われるのかとふと思ってしまいます。

感動大好きの番組だから、もしかしたら勝手に番組との縁を語って坂井さんの死を涙仕立てのVTRを作り、それからみんなで歌ったりするのかも。

更に進めて年末の流行語大賞で有力候補だった「ナントカ還元水」は、これで軽々しく扱えないってことで、落選になるのかなぁ。

もちろん、7月の参議院選挙での影響や、追悼CDのリリースや、色んな影響や動きがこの死によって巻き起こるんでしょうね。

そんな諸々を書いてきた自分は、どちらかというと松岡氏の方に語りたいことはあったりします。それはZARDは取り立てて好きでも嫌いでもないけど、氏のことは大嫌いの部類の存在だったから。

でも、これでも日本人なので、死人にムチを打つようなことはしないでおこうと思います。

それより、シレッとできちゃった結婚をしたTBS豊田アナに、色んな意味でいやらしさを感じるということを追記しておきます。

2007年5月20日 (日)

ジェイムスファンが犯人だった

ジェイムス・ヘイブンスっていうのは、なかなかに名物DJだったりするんです。

名古屋に出来た本格的なFMラジオ局のZIP-FMの開局から番組を持ち続けている人で、ローカルなテレビCMにも出演するくらいの、なかなかに名物DJだったりするんです。

そのスタイルは破天荒系で、ボケたがりの軽く毒舌で、アホ口調のいい加減なガイジン模様。

多分、街中で見かけたら胡散臭さ満載なタイプで。

だから、今回初めて真面目な姿を見て、しかもそれが全国ニュースで流れているのを見て、おそらく正しい姿は伝わらず、犯人がファンだったって意味も全国の人にはよく分からないだろうなと思ったんです。

長く手で丸一日以上続いた立てこもり事件は、説得に応じた形で本人が自ら姿を現し、銃による負傷者3人と死者1人を出した結果、解決しました。

ただ、改めて思ったことが、「立てこもり」と表現されていたけど、たぶん本人には立てこもっている意識ってなかったんじゃないのかなと思ったんですよね。

元暴力団ってことで、拳銃なんかは以前から普通に保持していて、話によると怒ったらなにをするか分からない人間で通っているってことで、暴力的な行為は日頃から行っていたとのこと。

犯人にとってはそんな日常の延長線上に起きた出来事でしかなく。身内と話し合いをしていた中で、その相手を放したくないというだけのことで、人質とも思っていなかったろうし。

だから、近隣住民にとっては怖いとも言えるし、ずっと危険と隣りあわせだったんだと改めて思わせる事件だったとも言え。

また、これまでの立てこもりと違うのは、人質をとったいっても何か権利なり金銭なりを要求したわけではなく、本人も言うように拳銃を撃ったといっても殺意なんかもなかったろうと思うんです。

そんな諸々を思うと、立てこもり事件という表現でくくられることで、見えなくなっていることもあるんじゃないかとなんとなく考える部分もあって。

これは銃社会化への警戒と、理性のない人の暴発が顕在化していることの危うさの際を思うところで。

でも、犯人の顔を見ると、そりゃあんな人が近所にいたら恐ろしいだろうなと思わされるし、あのアナーキーさがジェイムス・ヘイブンスにシンパシーを感じさせたのかなと、これもちょっとした日常における分かれ目を感じるのでした。

2007年5月18日 (金)

立てこもり事件は知らない人たちがやっているということ

長久手の元暴力団と言われる男性が、拳銃を持って家族を人質に立てこもっている事件。

「こんなのはよくある事件」と言うことが妥当ではなく、だから起こるたびに生中継映像を流し続けているんでしょうが、それでもある程度の頻度で起こっているという印象もまたあったりするんです。

その感覚で今回の件もとらえていたら、夕食時に親から詳しい状況を聞かれたため、逆に興味がないことに自覚的になり、意識して見てみることにしたんですが。

すると急に妙なリアリティを持ってとらえられる瞬間があって、改めて自分のまったく知らない人たちがこの世界では生きていて、違う時系列の中での積み重ねを経験し、それぞれの境遇の上で過ごしているんだなって。

そんな人が個人的な範疇に収まらない行動によって、その人のことをそれまでまったく知らない自分以外の人たちが巻き込まれていくこともある。

そういう、それまで知らなかった者同士が事件化したことで関係性を持った模様を、テレビの生中継で見ている自分がいるというこの構図。

人はそれを意識しないと何もなかったこととしてやり過ごしてしまうという事実。

まさに今回の自分のように。

なにをどう感じ、どう対処し、どう記憶して、つなげたり離したり、感情的になったり打算的になったり、そんな諸々を自分のこと、他人事にしていくべきなんでしょうか。

こんなことを考えている間も、まだ事件は現在進行形で進み、男性の手には拳銃があり、家族はその男性の人質として震え、近隣住民は非日常に身を置き、警官たちは犯人としてその男性との関係に立っている。

これはあくまでも世の中の一部でしかなく。

2007年5月17日 (木)

アホアホアホ売れtotoBIG

マスコミが大袈裟に取り上げたことで火がつくというのは、もうお決まりのパターンではあるんですが、それにしても6億円のインパクトは尋常じゃないくらい波及性があった模様です。

BIGだけに、みなさんでっかい夢を見ているのでしょうか。

totoBIGについては自分は割りと初期の段階から買ってきているんですが、いまもそのまま買い続けているってことは当然当たったことはなく。

最初の頃は、このBIGを本当に誰も買ったことがないんじゃないかってくらいの勢いで、特約店で「BIGください」と言ってもピンときていない感じで、「あの、totoの・・・」と言って「あぁ」ってな調子だったし、ローソンで買ったときも注文用紙をレジに持っていったら「えぇっと、これどうすればいいんでしょうか」みたいにバイトさんがレジの奥に聞きにいったりしてたものでした。

それが。

このフィーバーしている状況の中、久しぶりにコンビニじゃなく宝くじ売り場で買おうと行ってみたら、キャリーオーバーの金額が書かれた紙が大々的に張り出されていて、自分がそれを見ているときにやってきた少しオロオロした男性がやってきたのを見た店員が、「BIGですか。それなら用紙はいらないですよ」と自分から話しかけ出して。

そして、自分が普通のtotoも買おうかと悩んでいると、後ろから続々と「BIGください」とお札を手にした客がやってくるんです。

自分が住んでいるのは本当に岐阜の片田舎なので、世間的に盛り上がっていることも肌で実感するなんて滅多にないんですが、今回ばかりはその熱気たるものをまざまざと見せ付けられました。

それにしても、売れなかった売れないで「どうしよう」となり、売れたら売れたでコンピュータートラブルで「どうしよう」ではあまりに目論見が甘いなぁと。

また、これだけ過熱している中でそろそろ当選の実績が生まれないと、一気にその空気が冷めかねないわけで、今回か次回くらいで必ず当たらないとtoto的にまずいんじゃないでしょうか。

「買って当たる」のサイクルがあるから、恒常的な購入者が生まれるわけで。

もちろん、その当選者が自分であれば、最高なんですが。

2007年5月10日 (木)

ミツバチウォンテッド

異常気象と地球温暖化が原因と、すぐに思ってしまうニュースです。

養蜂場にこの時期に集まってくるはずのミツバチが、まったく見当たらないんだそうです。

それも世界中でそんな報告例があるとか。

光化学スモッグとか携帯電話の電波とかなんて説もありますが、まったく雪の降らなかった冬と突然雪の降った春、そしてすでに夏日を記録した5月という一連の流れを思うと、よほど専門知識があるか、よほどズレてないと違う発想には至らないんじゃないでしょうか。

何の前触れもなく起こる天変地異もあるけど、これは何かの前触れと考えるべきなんでしょうねぇ。

そして、それはなにを一体意味しているのか。

カビのせいでカエルが絶滅の危機にあるなんてニュースも見ましたが、明らかに地球上の歯車が狂ってきているし、個別の種の数が偏った減り方をすると、生態系のバランスも崩れ、さらに歯車がトンチンカンなことになってしまいます。

京都議定書には首を振ったアメリカですら、京都後の環境問題では協力体制をとろうとしているみたいだし、いまなににお金と労力をかけなければらないのかは明白。

欧米系投資ファンドは金余り状態とかいっているけど、こういう現実とのギャップを見るにつけ、なんでそんな状態が起こりうるのか理解に苦しむところで、お金の数字上の儲けにばかり注ごうと知恵を絞るのもいいけど、さらにもっと大きな目でどこにお金を注ぐべきかを考えてもいいんじゃないかなぁとか思ってしまいます。

そんな形で甘い蜜を吸うことばかりしているだけだと、本当の蜜を吸えなくなるわけだからねぇ。

2007年4月29日 (日)

キオスクのおばちゃんたちのしっぺ返し

キヨスク改めキオスクが、東京の方では閉まっている場所が多いというのがニュースになってました。

なんでも、経営の合理化で給料の高いベテランに自主退職をしてもらうようにしたところ、想像以上の申し出があり、代わりの人間が集まっていないためなんだそうで。

しかも、キオスクというのはそのベテランの個人技がすべてだった部分があり、新人では業務にスムーズさが欠けるという。

人間力とか人が大事とか、表面では言ってる企業も実際は軽んじている事実をそこに見た気がするし、無駄に給料が高いと見られていたベテランのおばさんたちが、見事にその身を持って変えがたい存在であることを証明した構図が、妙に気持ちよかったりしました。

これから団塊の世代が大量退職をする上で、その技術の継承が大きな問題になっているけど、口だけで心配してみせるだけじゃなく、態度と気持ちを持って人間を大切にする姿勢を見せて欲しいと思うのでした。

2007年4月28日 (土)

あの嗚咽にリアルがある

マスコミ的にも望まざる結果だったのかもしれませんね。

メディアは美談好きだし、劇的なことを更に盛り上げるのが好きだから、当選結果をてぐすね引いても待っていたんじゃないでしょうか。

というか、弔い合戦は圧倒的に強いっていうから、それ用のVTRをすでに準備していたのかも。

長崎の伊藤一長前市長の刺殺事件から、娘婿の立候補まで確かに期間はなかったけど、自分も当選しちゃうんだろうなと思ってたんです。

それがまさかの落選で、受かったのは同じく突然の立候補をした市の現役の課長さん。

世襲批判と地元出身者優先の機運が働いた結果というけど、期日前投票での無効票が再投票できていたら結果は違っていたとも言われています。

それでも結果に対して市民の受け止め方は冷静なもので、「前市長さんはかわいそうだったけど、それはそれ」という向きのインタビューをよく見かけました。

対立候補も、「暴力のない市政を」をシラッと訴えていたり、当選した人も神妙な姿勢というよりは、よかったよかった感が強くて、案外あっさりしたものだなぁと。

そこに感じる距離を見るに、マスコミが故人への「平和を愛した市長が志半ばに倒れた」という論調以外の評価が存在していたのかなというのを想像させます。

ただ、今回の選挙におけるハイライトは、急遽立候補した娘婿の嫁さん、つまり市長の娘のあの嗚咽するような会見。

「伊藤一長はその程度の存在でしたか。誰より愛した長崎市にこんな仕打ちを受けるとは」という訴えは、久しぶりに見た本音中の本音だなって。

それはやたら淡々としていた市民や関係者たちのそれと実に対比的で。

別に何に正しさがあるとか言うつもりはないけど、あの前市長の娘の姿に、生きている人間を強く感じてしまいました。

少なくとも、かつての山一證券の社長の涙の会見よりは、真に迫るものがあったなぁ。

2007年4月27日 (金)

電車内レイプの傍観者たちは日本人だった

電車内レイプ事件。

最初はピンと来なかったんだけど、リアリティを持って想像するとなにかと考えさせられるかもといまになって思います。

まず、女性は泣きじゃくっていた的な報道だったけど、それをどう自分は解釈するのか。そこまで切羽詰ったものと考えず、どこかで現実逃避をした発想をしてしまわないか。

それは周囲の反応を見ても、「周りもこんな感じだから」と思ってしまわないかとも。

よくマンガやアニメである、街角での主人公の奇妙な行動を、指差す子供と「見ちゃダメ」と無視させる母親の図じゃないけど、面倒そうなことには関わらないでいようという空気で、無言の一致を見てしまうんじゃないかと思うんですよね。

そんなことを考えていると、実はこの事件っていまの日本の風潮をよく表しているものなんじゃないかと思えて、自分に迷惑が掛からないことを第一義的に、「みんなもそうだから」を言い訳にしてしまえる気質がさらに強調されたような都合のよい行動原理がそこにはあり。

それでふと思い出したのが、アメリカの9・11事件で、テロ犯に対して飛行機内で抵抗を試みた乗客のこと。

これがきっと日本で起きたとして、日本人ばかりの乗客だったらなんの行動も起こさずに、それこそ首相官邸とかに墜落することになるんだろうなって。

無難で計算が経つ、デメリットのない方向に流れるいまの日本人を、この事件におもいっきり見た気がしました。

2007年4月19日 (木)

空想上の彼女はスーパーモデル

いまニュース番組ではふたつのテロリズムがひっきりなしに放送されています。

長崎市長の射殺と、バージニア大学での銃乱射。

一方は逆恨みの金銭的困窮に端を発し、一方もコンプレックスからくる逆恨みが理由となっているようです。

かつてなら、こういう事件にはなんらかの理想や政治的メッセージがあった気がするのですが、いまは非常に個人的な背景が動機となっている気がします。

今回はどちらにも社会的な孤立感を強く感じて、現代は膨大な情報に溢れるがゆえにその取捨を上手にできない人間はドンドンと孤独に陥るんじゃないかと思いました。

そんな自分の行き場がなくなるとき、どこかにその責任を見つけ出して排除に向う。

だから効率よく手際よく生きるべきで、そうできなかった人間はその人自身が悪い、とはならないとも思うんです。

そういう傾向を持った人間はそもそもいるとは思いますが、人間は必ず自らの幸福を優先し、それを守ろうとするから、そのしわ寄せを他人に押し付けてしまうもの。

そして、そのことにほとんどの人間は目を向けず、無意識にでも無視してしまっている。

しわ寄せの蓄積で不満を溜める存在のことは、自らの幸福にデメリットを及ぶ段階になって初めて気付くくらい。

だから人間は自分の幸せだけを考えるのではなく、社会全体で幸福を循環させることを考えるべき、と言いたいのでもありません。

結局、人間はその程度の生きものだということで、他人から幸せを犯される可能性があるし、それに値する素養も持つ存在だということなんです。何の罪もない善良な市民、誰にも迷惑をかけずにまっとうに生きているなんてまやかしでしかない。

それでも、自己肯定の仕方を探しながら生きていく。

韓国人学生の件で、「自分には空想上のガールフレンドがいる。彼女はスーパーモデルだ」と言っていたなんてものもありましたが、男はロリコンになったりアニメやギャルゲーを求めたりしながらも、異性への恋心を保とうとする部分にも、その自己肯定の性を感じます。

2007年4月13日 (金)

下着泥棒ララバイ

これについての男性の本音がどこにあるのかが実は測りかねているので、これから書くことが妙に建て前染みていたとしても天然なんでご了承願いますと言いつつ。

いやね。

防犯カメラにくっきりとその顔が映っていた下着泥棒が実は中学校教師だった、というニュースを見てて思ったんですが。

その下着というのが50代の母とその娘のものということもありつつ、単純になんでここの下着を取ろうと思ったのかがよく分からないんです。

その選考基準が分からないという言い方ができるし、もっと大前提の部分でなんで下着ドロをしようと思ったのかが分からない。

大体、「男だから分かる」という側面が、この下着泥棒についてはどこまで介在するものなのかがあやふやで、そんなみんな欲しいものなのか?というのがまずあるんです。

まず、自分がカワイイと思うこの下着を見れたら、それはテンションが上がります。なんなら積極的に見たいものの部類に入る。

じゃあ、その下着が欲しいかと問われた段階からこれは難しい問題となって、「下着だから」を理由にしたらちょっと迷うんですが、「私物だから」という判断でならGOサインが出るかどうか。それも、相手の同意がない時点で気兼ねするものではあって。

で、これがまったく知らない人のものになった場合、自分はまったくもって「なし」になるんです。

そんな、よく知らない人のものが欲しいのか、と。

さらに言えば、ブサイクかもしれない女性の下着なんて、「これ、実際に使っているものだから」と差し出されたとしても「いやいや」と拒絶するんじゃないかと。

これは女子トイレの盗撮とかでもそうで、カワイイ子だけがくるトイレと分かっているならまだ理解しないでもないけど、じゃあその映像を見返してみたとして、いきなりおばはんが登場したらその時点で気持ちが折れるんじゃないかと思うんですな。

父親が顔を出す銀行でもみ消された女子トイレの盗撮事件があったそうだけど、そこに働いている男性が好きな女性がいてやったそうなんだけど、それだって好きな女性だけが映っているならいいけど、知っているどうでもいいおばはんのあられもない姿は逆にキツイだろうと思い。

ただ、これはおそらく想像力の問題で、幼児体験なりが影響しているフェチ関連の問題なんでしょうが、圧倒的に男性に多い下着ドロのことを思うと、どこか潜在的に男性にある欲求なんだろうかとも思い、じゃあ変に否定するのも格好付けにしからならないのかなと思ってしまうんですよね。

2007年4月 6日 (金)

ポイズン兄さんが予言した世の中

鈴木紗理奈がブログで、加護ちゃんの喫煙解雇に触れて「そんなのみんな未成年から吸っている」と書き、夏川純の年齢詐称にも「騒ぐほどのことではない」と言い切ったことに対して、ネット上で騒ぎとなり、そのブログは削除され謝罪することになったという。

日本大好きという台湾出身の女性アイドルが、南京大虐殺の例の殺された人数を聞いて、「そんなのたいしたことない」と発言してバッシングを浴び、慌てて謝罪することになったという。

そういえば、新社会人へ向けたメッセージで各都道府県の知事が相次いで失言をしたとして、謝罪に追い込まれてもいたような。

そりゃ、かつても失言というものはあって、それに対して非難の声は上がっていたと思うけど、この過激なまでの猛攻撃というのは、メディアの発達とインターネットの発展が育んだ民度ゆえなんだろうなと。

それに対して、失言組の東国原知事が「言葉狩りだ」という抵抗も見せていたそうだけど、今回の彼の発言については単に的外れだったせいでしかないとは思うんだけど、そういう側面は強くなってきているんだろうなと思います。

それは価値観の多様化であり、差別意識への否定ゆえの敏感さではあるんですが、同時に無理解をはらみながら、タブーを作っているだけのような気もするんです。

この一連のバッシングの動きでも、表面上は発言の内容を問題にしつつも、実はミスをしたこと自体がいけないみたいな空気も感じつつ。

結局、こうやってタブーを犯してはいけないとしてしまうことが、逆にタブーを作ってしまうんですよね。

そんな、完璧な人間なんて存在しないんだから、誰だって思い込みや軽い発想や無知という部分を持っているんです。

だから、なるべく思っていることを素直に表に出せるようにして、その都度その間違いを訂正するという方向に持っていった方が健全なんじゃないかなと。

ホントこのままだと、ポイズン兄さんの「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ」にどんどんエスカレートしていってしまうんじゃないでしょうか。

と。

自分はそのまんま東を芸人としてまったく面白いと思ったことがないんですが、知事になってからはそのユーモアが程よく感じられていたんです。

つまり彼の笑いのセンスはその程度のものだし、ここがちょうどいい立場なんだなと感じてっところの今回の失言。

やはり芸人の顔を出してのユーモアはつまらないんだなと再認識させられたなぁと。

2007年3月15日 (木)

「ああいえば」と「上祐」の関係

宗教なんていうものは、その教えだけを取り出せば非常に素晴らしいものが多く、敬うこともやぶさかではないとは思うのですが、それに参加する意識が生まれた瞬間から問題にややこしさが発生するし、運営する組織なんてものが出てきたもんには、胡散臭さがフルスロットルなわけなんですな。

それって結局、人間にとって宗教の教えは扱いきれないものであり、人間世界で消化しようとすると大きな矛盾をともなうということを表しているのかなと思うし、もっと単純に宗教の教えを信じてない人の方が他人にそれを理解させる力を持っているのかなと思ってしまうのです。

そういう、伝達能力があるって意味で「ああいえば上祐」と言われたかの方は、達者な口を使っていまだに存在感を誇っているようで。

オウム改めアーレフが内部分裂して、上祐派なる人たちが新しい団体を立ち上げ、その活動の一つとしてミクシィに参入してきたというニュースを聞いた時、「あ、これはうまいことハマるかも」と感じたんです。

というか、ミクシィ自体の仕組みって宗教勧誘のために作られたんじゃないかとすら思って。

つながりへの強迫観念が発生しやすいというか。

知り合いから紹介されないと入れないこのSNSは、マイミクなんて機能で他人とのつながりへの中毒すら起こさせているんです。

そこに「かの方」が居心地のよさを提供して、そのつながりを求めてきたら。

地下鉄サリン事件の記憶が薄い若者なんかは、警戒感もなく飛び込んでいきそうなんですよねぇ。

もしかしたらせっかく上場してビジネス的にこれからと思っているミクシィにとって、これは破滅への一歩になる可能性があるんじゃないでしょうか。

まぁ、案外軽く消費されてポイッとなるのは「かの方」たちの方かもしれませんが。

2007年2月 8日 (木)

君はおむつをした40代の女性に襲われたことはあるか?!

これはなかなかに考えさせられる事件ですなぁ。

NASAのスペースシャトルに乗っていた宇宙飛行士の40代の女性が、同僚男性に恋心を寄せいていたけど、その男性は違う同僚の女性と恋仲だと思い、嫉妬心を抑えられずに遠路車を飛ばしてその女性を襲いに行った。その際、途中でトイレに行かなくていいようにとおむつをしていたという。

NASAに組みするエリートにして恋愛に置いては賢くあれないのかという思いと、40代はまだまだお盛んな年齢なんだなという感覚と、スペースシャトルに乗っていながらなに恋に現を抜かしてんだって突っ込みと、おむつは宇宙飛行士にとってはそれだけ履き慣れているものなんだなという再認識と。

それでも一番は、やはり恋愛感情ほど人を狂わすものはないんだなということで。

だからこそ普遍のテーマとして映画になり、歌になり、様々な書籍が出続けているんだなぁって。

で、実際にこのニュースというのは、笑い話としては語られるんでしょうが、どれだけの層にはある種の共感や意味や重さを感じさせる話となって伝わっているのかなとも。

自分としてはただの笑い話としてすませる人間より、これを滑稽さを見せながらもどこか切ないドラマに仕立てたり、本当に真に迫る映画を作ったりする人の方が、深い精神性を持っているんじゃないかなと思ったりします。

いや、本当に考えさせられるニュースでした。

2007年2月 7日 (水)

誰がためのバッシングなのかを推察する想像力を

またまた柳沢大臣が失言とのこと。

でも、今回については揚げ足取りの印象の方が強いのは、「フォローするつもりもないけど」と断りを入れたくなる人だけのことなのか。

「環境が整えば子供を産みたいと思う人は、できれば子供は2人欲しい。その人たちがその通りに産める環境が」という文脈の中での「健全である」発言なんじゃないかと。

いや、もうその流れが出来上がっている中でのこの発言だから、野党やマスコミは「待ってました」とばかりにオートマティックにバッシング行動に出ているんでしょうけど、そろそろこの失点をした人物への情け容赦ない袋叩きは考え直した方がいいと思うんですよね。

やがて自分の首を締めることになるというのは、直接的に自分がミスを犯したときの怖さへの想像力もそうなんだけど、反響を大袈裟にすることで余計な責任処理までしなくてはならず、関係者にも迷惑が掛かるし、ミスした人の立場によっては、社会全体がデメリットを背負うことになってしまう。

対立する立場の人が利するための、またおこぼれを期待できる立場の人のための、便乗商法ができる人のための、そんなバブル的なバッシングをするのではなく、社会システムで対処できるような方向に議論を持っていく必要があるんじゃないかなぁって。

そういう社会の風潮にしないと、「あるある」で納豆が店頭から姿を消すような視聴者もいなくならないし、温暖化問題で社会的に取り組む機運にもならないわけで。

環境問題で言えば、限られた資源であり、限りがある地球の容量を思うと、地球規模のサイクルを考えて補完し合うことに走らないとダメなんだと思うんですよねぇ。

そのためには許しあわないと。

松崎しげるの無免許にも、事故ったことは憎んでも、法改正を知らなかったってことには心の中では「まぁそういうことってあるよなぁ」と理解を示さないと。

雪が降らないことを、冬なのに暖かいことを、怖いと思わないと。

とか言ってみるのは誰でもできることなんですが。

2007年2月 3日 (土)

飛び降りた、それぞれの理由

鈴木君枝という呼び方のほうがしっくりくるのは、「ウンナンの世界征服宣言」で彼女に親しんだ記憶が強いせいなのか。

大杉と名字を変えた日テレの現役アナウンサーの自殺は、衝撃を持って受け止めるに十分なニュースでした。

出産後に病気で体調を崩し悩んでいたそうで、よほど苦しかったんだろうなと想像させます。

自分も病気や怪我で健康な時とは程遠い状態でいるときに、精神的にかなり消耗することがありました。

特に経験のない症状がある際は、生きることへの絶望感に近いものを覚えたり。

五体満足というのは放送禁止用語になっているそうですが、不満足な状態でいることのストレス、この状態をずっと付き合っていかないといけないのかという気持ちの上での重たさは、本当に辛いものがあるんですよね。

だから、周囲の支えが重要になってくるし、楽にしてあげるように持っていってやらないと、なかなか一人では保っていけないのかもと思ったり。

これはお医者さんにもアフターケアの面で大いに尽力して欲しいと考えます。

また、本日のニュースでは、いじめた側の生徒が自殺というものもあって。

最初は不可解だなと思ったんですが、この生徒は部活でいじめられていたという報告もあったそうで、改めて現在のいじめ事情の複雑さを思ったりします。

これが世の中を舐めきった系の奴らだと、同情の余地もないところなんですが。

このことでいじめる側への対応に及び腰になることはなく、広い情報収集からその生徒の素顔をあぶり出すことにも力を入れて欲しいと思います。

2007年1月16日 (火)

ペコちゃんの目にも涙

小さい頃は、外食と言えば不二家のレストランのことで、母親に連れて行ってもらうのを毎回楽しみにしていました。

キレイなおべべを着て、お子様ランチやハンバーグなんてのを食べるのが、本当に幸せで。

急にシュークリームを食べたくなったのは、不二家関連の報道の完全なる逆アナウンス効果だったりします。

もちろん、食べようと思っても不二家は店を閉めていて、違う会社の商品を口にすることになったんですが。

こういう不祥事隠しというのは繰り返しますね。

人間がそもそもそういう生きものである証とも思えるし、こんなことが起きること自体、慣れが人間を緩めていくことを端的に表しているとも言えて。

だから、他人事じゃないんです。

「雪印の教訓を生かしていない」とか言うけど、絶対に他の企業でも同じ間違いを現在進行形で犯しているはずなんです。

自分だって日常ですぐに手を抜き出すところがあって、歯医者には半年に一度は定期健診してもらっているんですが、毎回「もっとちゃんと磨くように」と注意されています。

見てもらってからしばらくは頑張るのですが、次第に惰性になってくんですよね。

だから、上にいる人間がどれだけ身を律するような方向に持っていけるか、自然とそうなる環境を作れるかが大切になってくるんです。

プロのスポーツチームでも、いいベテランがいると周囲が締まるんですよね。

ダメなチームは、必死に頑張っている選手がいても、「なにそんな頑張ってるんだよ」と冷ややかに見つめることすらあり。

流れやすきに流されず、自らを高く保つ人材を見抜き、そんな人材を起用し続ける文化がある会社が理想だし、サイクルが出来上がれば強いとは思うんですが、驕れる平家久しからずでずっと栄え続ける組織なんて絶対にないんですよねぇ。

2006年12月13日 (水)

命とゼロ円

去年も書いたかもしれませんが、この「今年を表す一文字」っていうのはナニ目線のものなんでしょう。

今年の「命」というのを見てすぐに思い出したのがTIMだっていうのは、芸人好きゆえか内Pファンゆえか。

もし「TIMイコール命」の年にこの一文字が選ばれてたら、年末年始の生番組でMCからこのネタを振られまくってたろうなぁ。

この文字が選ばれた理由が、ゆずじゃない悠仁さま誕生もありつつ、やはり今年後半になって頻発したいじめ自殺にあるのが確かなところで。

いつものように盛り上げるだけ盛り上げていまではすっかり忘れちゃったかのようなマスコミに、あの文部省に送りつけられた自殺予告のその後はどうなったんだろうと問うてみたいなと思うんですが、それでも色々と対策を取ろうと動きだした各方面の姿を見て、自殺くらいしないとなにも変わらないんだなと思ったんです。

「死んじゃ意味ない」とか「あなたが新でも何も変わらない」とか言うけど、もしこの自殺した子達がいじめに耐えたままでいたとして、なにがどう変わるというのかと。

不登校を選んだとして、ただの負け組としての責め苦だけを背負うしかないだけ。

こうやって自殺が連鎖したことで世間が気付き、政治も動き出した。連鎖しなければ、なにも変わらなかった。

ソフトバンクがゼロ円を打ち出して携帯電話業界を変えようとしたことが、逆に目をつけられて警告を受けたという。

もしおとなしい戦略を取っていたらこんなことにはならなかったけど、それだとおそらく誰からも注目されずに埋没するだけだったはず。

例え問題が潜在してても、それについての表立った動きをとらなければ誰もそれに目を向けないし、なにもないことにしてしてしまうんです。

だから、賛否があったとしても変えようとしないと、その意思表示を、伝わる手段でしないと、気付こうとしないのが人間なんだと思うんですよね。

2006年9月30日 (土)

トヨタもリコール

トヨタから、「リコールのお詫びとお知らせ」というハガキが届く。

ソニーも電池で世界的な回収に及んで大騒ぎなんだけど、トヨタも最近リコールが目に付いて。

会社のトップは「大企業病」を危惧していたけど、上の人間がどれだけ危機感を持っても、それが伝わらないのが大企業病のコワイところなんでしょうね。

あと、大量生産を効率的にやるためにすべての車種を同じ作業工程で作るため、ひとつの欠陥があるとそれが全商品が対象となるリスクもあるそうだし。

どれだけ巧妙な金を儲けるサイクルを作り出しても、必ず落とし穴があるもんなんだなと思わされます。

東京であった送電線事故とかもそうだけど、便利さにまい進することの陰の部分を強く感じるようになってきた、そんな2006年の秋でした。

というか、車修理に持ってくの面倒臭いなぁ。

2006年9月20日 (水)

本日は、痩せすぎモデル裁判を開廷します

スペインのマドリッドで、ファッションショーを前に出演予定のモデル5人が痩せすぎという理由で舞台に上がれなかったということが、物議を醸し出しているようで。

国の方から、拒食症を助長するからダメというお達しがあったそうです。

最初聞いた時は、「一般女性にとっては喜ばしいニュースなのかな」と思ったのですが、実際のところはどうなのかなって。

単純に、女性はこれで痩せることへの強迫観念からの解放を感じるのかなと考えるんですが、逆に痩せすぎず太り過ぎないちょうどいいスタイルの基準が難しいなんて論調も出たりして。

モデルやファッション業界的については、反発するのがスタンダードなのかなと思いました。

こちらは、美の基準は押し付けられるのではなく、自分たちの方から売り出すものだという自負があるはずだから。

実際にお上がファッションの流行を誘導しようとしても、そんなPTA的なのなんて願い下げだっていうのが一般の女性たちの感じ方だとは思いますし。

まぁ、クールビズとかクールウォムなんていうのがあったりはしましたが。

これが男側からの意見となりますとまた様々なものがあって、海外の男性の感性はあずかり知りませんし、例の韓国発のSEX教団の教祖のようなモデル大好きっ子を代表する立場にもありませんが、そんなトップシーンで活躍する一流モデルなんかを好きだなんて日本人男性、そんないないんじゃないかと思うんです。

自分が知ってる名前はナオミ・キャンベルなりクラウディア・シファーくらいなんですが、ああいう出来過ぎた存在感は近寄りづら過ぎなんですよね。

よくJリーガーでモデル好きっているけど、それも日本人の一般ファッション雑誌のモデルであって、それこそパリコレでバリバリやってるような人を落とそうなんて思わないんじゃないでしょうか。

だから、「モデルは痩せすぎだから健康的に太れ」なんて風潮になっても、そもそもが対象外なんで、特にそれでなにかが変わるわけではない。

試しに、女子高生や女子中学生を買春しているおっさんたちに、「もし、同じ値段で一流モデルを買えるとしたら、どっちに行く?」と質問してみたら、面白いんじゃないでしょうかね。

2006年9月16日 (土)

自分がオウムチルドレンだった可能性

麻原彰晃こと松本智津夫被告、てな言い方もあとは死刑執行までは聞くことがないし、聞くのはそれが最後になることが決定したようで。

あの事件からもう10年以上経つんですね。

当時の衝撃は9・11以前では最大級のもので、自分も色々と考えさせられました。

エリートが盲目的に「麻原こと松本」になびいて、反社会的行為に従っていくという構図に、別にエリートでもなんでもないのに自分ごとのような危機感を覚え、「このままじゃオレもオウムになってしまう」なんて一人で不安になっていた記憶があります。

あれから、様々な宗教的な団体が出てきては印象的なフレーズを駆使して社会問題化してきましたが、そのたびにいまの時代特有の闇的な言われ方をしてきたけど、宗教が民衆を操るなんて昔からあったし、いまは定着している宗教だって民から富の搾取なんて普通にしてきたことなんじゃないでしょうか。

若者が頼るものがないといって宗教に走るのが唯一の時代性で、オカルト的なものへの興味や幻想が商業的に消費された結果だと思うのですが、逆にここまでの一連の宗教的団体の作り上げたイメージで、現代の若者たちが逃げ場所を見つけるのに苦心している印象はあります。

よく「逃げずに現実と戦え」なんて言う人がいるけど、そんなの現実だけを真正面から受け止めていたら磨耗するだけだし、現実という名の妥協に汚染されていくだけだと思うんですよね。

逃げ場所にこもるのはよくないけど、逃げ場所がない人生は窮屈だし、豊かでもないんじゃないでしょうか。

だから、ただの娯楽をその担い手とするのはひとつの見方ですが、もっと合法的に「逃げ場所」と言えるものを用意するのも新しいビジネスになるのかなぁとか考えたりします。

ちなみに「麻原こと松本」似の友人がいます。さらにちなみに日本に不法入国した金正日の子供似の友人もいます。

2006年9月14日 (木)

ミラーマン・リターンズ

またも「植草容疑者」と呼ばれるような行為に走った植草一秀氏。

懲りないというより、押さえ切れないんでしょうね。下半身からの衝動に。

チカンなんて社会的地位があればあるほど、そのギャップであり人生の急降下具合が半端なくて、人の不幸が好きな人間には格好のネタになるわけで。

チカン行為について、「男は誰でも心によぎるもの」なんて言い分もあるようですが、格好をつけるようですがそんなことやりたいなんて一切思ったことがない自分としては、植草容疑者をまったくフォローする気はありません。

だけど、このままだとひたすら落ちぶれる一方なので、そこは是非「再チャレンジ支援」を掲げる安倍晋三センセイに救いの手を差し伸べてもらいたいところです。

2006年9月 8日 (金)

遺体は一部白骨化していた

山口の徳山工業高専の女子学生が殺された事件。

犯人と思われた男子学生が自殺していたという最悪の結果になりました。

これで女子学生が殺害された理由は想像するしかなくなったわけですが、あれこれ勝手に思われることは被害者、加害者どちらの家族にとっても辛いでしょうね。

結局、他人事に対しては人はどこまでも無責任になれるっていうことでもあるんですが、自分的にその無責任さというか鈍感さで気になったのが、自殺している姿で発見された男子学生の描写で、一部白骨化していたってところまで伝えていたこと。

まず、普通に気分が悪い様子じゃないですか。そして、女子学生は死んだ後でその存在が世間に知れたのと違い、男子学生は生きていること前提で伝えられ、実際につい最近まで生きていたんです。

それが、すでに白骨化していたというこの急変具合の怖さもあって。

ボーダフォン改めソフトバンクのCMで、黒人男性に体全体で接するように耳打ちする少女の様子にロリコン趣味を見て、それに抗議がないことに想像力が足りないなんて書いていた女性テレビ評論家がいたけど、この報道の仕方こそ想像力があればゾッとするわけで。

ダウンタウンの松本人志は被害者の映像を何度も流すことに、デリカシーがない的なことを言っていたけど、神経質に過剰に反応することと当たり前の感性で感じることの違いって、なんで生まれるんでしょうね。

結局、自分たちの縄張り意識なり既得権益死守で判断し、それと関係ないことには鈍感でいられる人たちがいるってことかなぁ。

表に出る声だけがすべてのことを反映しているわけではないんだけど、そうであるなら余計に声がデカイだけの主張に負けてはいけないんじゃないかなと思うわけです。

2006年9月 7日 (木)

ハッピーハッピーラッタッタ

子供が生まれることはそれ自体がめでたいことなんだけど、これが皇族のものともなると、さらに皇位継承者候補となると反響の規模が違ってくるわけで。

めでたいことだから別に腐すつもりはないんだけど、ひとつどうしても気になるのが町の声なり著名人のコメントがやたら堅苦しいということなんです。

それは空気を読めている人間がそういうモードでしゃべっているからでもあるんだけど、マスコミが祝いの言葉を求める相手を選んでいるという側面もあり。

今回だって、なにかある度にいくお約束の原宿や池袋の若者に聞きにいけよと。マンバメイクのギャルに聞けよと。

それこそワールドカップやオリンピックの時み