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2009年12月 2日 (水)

私をカイロプラクティックに連れてってって

この間、現場復帰した自民党の谷垣総裁さん。

自転車で転んだと聞いていたんですが、どうせ顔に傷がついて「恥ずかしいから」程度の雲隠れだと思っていたら、久しぶりに見た顔にビックリ。

モロに目のところをやっちゃってたんですねぇ。

どうやら、完全に顔面から突っ込んだ形のようで。

あの人はメガネをしているから、下手したら失明の危険すらあったのかなぁなんて想像します。

あれは、ビートたけしの復帰会見には遠く及ばないにしろ、なかなかにインパクトがある変化でした。

ところで、あれを見て微妙に見ておぎやはぎの矢作を連想したのは、自分だけなのでしょうか。

病んだ顔つきが矢作につながるってことなのか。

まぁ、傷や腫れは時間が経てばなんとか修復するのでしょうが、腰痛とか肩こりというのはなかなかに完治というのはなく。

前にも言ったとおりに、腰がクラッシャージョウになっているので、ネットで調べるにカイロプラクティックで直すといいというのを見て、これまで行っていたとこよりもより詳しい診断をしてくれる施設を探していたんです。

そんな時、たまたま入ったケーキ屋で、奇遇なことにカイロのチラシが置いてあったんですよね。

自宅からの距離的にもこれまでのとこよりもグッと近くなることもあって、割引券付きということもあり寄ってみたんですが。

そこは自宅の一室を施術ルームにしていたところで、やや胡散臭い男性が先生だったんですよね。

まぁまぁ、一回だけ体験してさようならでいいんだからと割り切って、説明を受けながら1時間ほどやってもたったところ。

これまで辛かった部分をちゃんと分かってくれて、その理由も説明してくれながらのものだったので、そんな悪くなかったんです。

話によると、肩こり痛みを感じてもいいくらいの状態なのにそれすらないのはヒドイということと、基本的に筋肉が堅くなっていると言われました。

あとは、カルシウム不足も指摘され、ウォーキングも勧められました。

なので、帰宅途中に早速薬局によって、サプリメントを購入しちゃったり。

いまは万歩計も検討中だし。

結果的には正解だったチョイスだったんですが、問題があるとしたらさも当然のように次回の予約の話になったこと。

そりゃ、一回こっきりでよくなるとは思ってないし、その先生もそうは言ってたんですが、普通は「どうしますか?」と聞いてからじゃないですか。

最初から2~3回は通ってみてもいいかも、くらいの気持ちはあったのですが、弱みを見せるとグイグイとスケジュールを組まれて、健康グッズもあれこれ買わされる危険性があるのかもと、少し警戒心も芽生えました。

通えば健康にいいんだろうけど、それが妥当な行為であり金額なのかを客観的に計る基準を知らないことがゆえに、悩ましい部分ではあります。

これは、時代が悪いっていうより、いつの時代にも商売人による引っ掛けなんてあっただろうと思うんだけど、「それを知らないでいられたかつてといまとではどちらが幸福なのだろう」というテーマでもあるのかもしれません。

って、あかん、もみ返しがツライ。。。

2009年8月28日 (金)

ストレージに体をやられる

この前、48人もの学生がハチに刺されたというニュースがありました。

それでいくつか思い出したことがあって、まず直近の話では職場のシルバーさんがその日こなくって、「どうしたんだ?」と思ったらハチに刺されたという連絡が。

そこで次の思い出したことが連動して、他のシルバーさんも夏前くらいにハチに刺されて一度休んでいるんですよね。

しかも、その人は去年の同じ時期にもハチに刺されていて、「恒例行事だな」なんて会話がなされていたりして。

休んだといっても、その次の日は普段と変わらない感じで仕事をしていて、だから今回のシルバーさんもたいしたことはないんだろうなぁなんて思っていたら。

出勤したその顔を見たら、人相が変わっているくらいに腫れ上がっていて、かなりな衝撃映像となっていたんです。

うちの父親も休みの日は農業とかやっているんですが、何度かハチに刺されたことがあり、この話題を家に持って帰ったら「鍛え方が違う」とか妙な自慢話をしてきたんですが、そこでさらに話をさかのぼるとうちの友人もハチに刺されたことがあったんです。

それも、電話で連絡を取ってから自分がそいつの家に車で着くわずかな時間の間に刺されていて、最初に打ち合わせした内容はすべて吹っ飛び、そのまま自分が病院まで乗せて行くという羽目になったんですよね。

その時に友人が医者から言われたって言っていたのが、「ハチに何度も刺されると体に毒が溜まって死ぬ」っていう話で、ここで父親の話に戻ると、その医者の話が間違っているのか、うちの父親が異常なのかって思ってしまうんですな。

で、母親と言っていたのが、「なんでも平穏無事に過ぎるのが一番だけど、せめてハチに刺されることなく死んでいきたいわなぁ」っていうことだったんですが。

これなら、まだそれほど大きな運を使わずにすませそうな被害だし。

なんてことを言っていると、もっと取り返しがつかないアンラッキーに見舞われるかもしれないんですが。

というか、それ以前に体が疲労とストレスでヤバイことになってきている気も。

ストレージっていう薬があって、これを飲むとおおまかに言えばストレスからくる症状を緩和するっていうものなんです。

最初はまったく視野に入ってこなかったんですが、雑誌でこの薬のCMに出ている小林麻央がインタビューに答えていて、「喉につかえのようなものを感じていたらそれもストレスが原因」と答えていたんです。

これが、見事に当てはまるんですよね。しかも、ずいぶん前からのことなんです。

慌ててってほどでもないけど、薬局に行ってこの薬を探し出し、さっそく飲むようにしたんですが、確かにこれによって喉のつかえのようなものはなくなっていったんです。

ですが。

それと引き換えに、全身が疲労感なのかストレスからくる重たさなのかに苛まれ、飲み始めて4日目くらいで「あかん。倒れるかも」というくらいまでになり、そこで薬を飲むことをやめてしまいました。

これって、なんだったんでしょうか。

単に自分の体に合わなかったのか、内に潜んでいたストレスがあぶりだされて、そこから回復に向かうという筋立てだったのか。

でも、ストレスってこれをすれば発散できるなんて確証がないから、どうしたもんかねぇと思い悩み、そこでまたストレスが溜まってしまうサイクルにいまいるところです。

2009年7月30日 (木)

「寝る」を考える

基本的に寝つきが悪いんです。

足がむずむずする症状が不眠の問題になっていますが、自分もむずむずとは言わないまでも、足がなにかだるいんです。

毎日のようにベッドに入ってから30分は格闘し、右向きになったり左向きになったり仰向けになったりうつ伏せになったりして、ちょっと寝れそうな雰囲気をつかんでから、リラックスすることに集中しないように集中して寝付くというのが日課になっております。

そんな繊細な睡眠導入なので、旅先では本当に寝られず、寝たとしても2時間くらいで目を覚ましてしまう調子。

うちの父親は反対にのび太くん並の寝つきの良さなので、ちょっとうらやましくも思いつつ、寝つきは遺伝しないのかという疑問も持ちつつ、なのです。

それでも、とりあえずは寝れてるからまだよかったんですが、この前は本当に寝付くことができず、深夜の2時・3時になっても「あかん、寝れん」ということに。

なにか眠たいんです。でも、寝れないんです。

ホットミルクがいいとか聞くし、寝酒は逆効果だとか色々言うけど、学者も太鼓判の確実な方法って存在しないのかいねぇと改めて思ったほどで。

というか、「寝るってなにかね」とも思ってしまい、よくよく考えると違いが分からないんですよね、起きている状態との違いが。

だって、「はい、いま寝た」という切り替えを自覚できず、起きて初めて「寝ていた」という結果論でのみ語れる状態なんです。

寝たいと思っても寝れないのに、寝ようと思わないのに寝ているというのも、ホントなにがなんだかで、起きている状態の延長線上と思えばいいのか、完全に違う領域の話だととらえればいいのかも分からない。

そして、寝る必要性っていうのも、医学的にはあるのでしょうが、きっと一般の人はほとんど知らないでいるし、本当に必要ならそれを仕事や学業より優先してもいいはずなのに、そこは「寝坊」だとか言って悪いこと扱いにされてしまうというのもどうにも。

前に「イッテQ!」でやっていたけど、キリンは10分やそこらの睡眠時間でいいらしいんだけど、じゃあ人間はなんで何時間も寝ないとダメなのかっていうのも釈然としないし。

まぁ、寝ている状態は好きだし、前にも書いたけど死ぬってことがずっと寝ているような感覚のままでいることなら、いますぐにでも死にたいほどなんだけど、これを当たり前のこと過ぎてなにも考えようともしないし、無知なままだっていうのは案外おかしなことだなぁと思ってしまったのでした。

できれば、コタツで横になってたら知らない間に寝ていて、ふと起きても別にやるべき用事もなく、またウトウトと2度寝をしていいなんてシチュエーションを、生きている間に何回もしたいものだなぁ。

自分の一番居心地がいい場所は「コタツの中」ですから。

あ、もちろんテレビ依存なので、「テレビを点けっぱなしの状態で」というエコじゃない条件をつけつつの。

2009年7月11日 (土)

やがて死にゆくあなたのために弐

弟夫妻に第一子が誕生して、もう2週間ってところか。

なんか、それ以来こちらの体調が悪いっていうのはどうしたものか。

別に、具体的に身を粉にしてバックアップしているわけでも、気をもんでしょうがないってわけでもないのに。

それとは関係ないときに、うちの親が言っていたのが「同じ親族が同時期に子供を生むと、両方とも健康でいられないと昔は言われていた」っていうことで、なんとなくその第一子にエネルギーを吸われているのかなぁなんて思ったり。

自分の中ではそれは元気玉現象のような感覚で、その赤ん坊が「オラに元気を」ってやっていて、当然のように「元気で健康にいて欲しい」と願っている親族は元気玉でいうところの両手を天に掲げている状態なわけで、グイグイとエネルギーが吸われているっていうイメージなんです。

うちの両親やもちろん弟夫婦なんかは、うれしさが勝ってダメージに鈍感なんだけど、それと比べたらまだ精神的距離がある自分なんかはバシバシその脱力を感じている、というような。

もちろん、こんなのは妄想の範囲なんだけど、でも具体的に言っても赤ん坊っていうのは周囲の人の元気を吸い取って成長していくものなんだろうなぁっていうのはあって、それは赤ん坊中心の生活をするから時間も労力も注いでいるからっていうのもあれば、赤ん坊ありきで自分の立ち位置を決めるから、精神構造から変わってしまうわけで、それが必然になってくるということもあって。

自分も、これは結構前に思ったことなんだけど、幼少の頃からあった建造物が壊されたり、反対に見慣れない建物ができるたびに、自分のための世界ではなくなっていっているという感覚があったのと同時に、これが当たり前の風景だと感じる新しい命たちにとっての世界になっていくんだと、新しい世代が主役だという認識で生きていくべきなんだって、そう悟った時期があったんです。

だから、老いて益々輝くとか言って、いつまでも若々しくあろうとする昨今の風潮というのは、いつまでも自分のために生きていこうとする姿勢っていうのは、どこかおかしい気がするし、その歪さは破綻を生むと思うんですよねぇ。

そして、老いていくものは、老いていくものなりの生き様っていうのがあって。

キャシー中島と勝野洋の娘が29歳の若さで急逝っていうのを聞いて、こちらにより自分のリアリティを見てしまったのは、その一端といっていいのか。

そこで思ったのは、「自分だっていつ死ぬか分からない」っていうことで、話を最初に戻してみればこの体調の悪さだって、もしかしたら気づかないうちにガンに犯されていることが原因となっているかもしれないし、これとは直接関係はないけど何百人に一人の病が知らずに進行していて、もう取り返しがつかない状態になっているかもしれないって。

それとも、このブログの投稿ボタンを押した瞬間にコトッと逝っちゃってるかもしれない。

ホント、年をとるってことは、なにかがあるたびに死がよぎるっていうことでもあるんです。

これもずいぶん以前に書いたことだけど、無事におじいちゃんと呼ばれる年まで生きながらえることができたとしても、70歳とか80歳の自分なんかはいつ心臓が急に止まるかも分からないし、夜に寝たらそのまま起きることがないかもしれない現実があるんですよね。

自分、そんな現実に日々さらされながら、平然と生きていられるのだろうかと。

どこかで発狂しかねないほど精神的に追い詰められはしないかと。

それとも、誰だって老いていくうちに死を受け入れられるようになるのかなぁ。

それこそ、子供ができ、孫ができることで引き継がれるものを実感し、安心安堵が自分自身の生を達観させるのかという。

うーん、これはこれで考えられない未来だねぇ。

なにより、自分に子供ができるっていうのは、ちょっと現実的に考えられないぞ、と。

2007年11月 9日 (金)

いま振り返る、ハゲとの戦いの歴史

フサフサ。

この言葉に敏感になってしまう人の悲哀といったら。

気にするひと目はひたすら痛く、言動からはアクティブさを欠くことに。

さりとて、カツラをかぶったとしてもいつバレるのかドキドキし、すでにバレているんじゃないかと不安に駆られる。

その弱みに付け込んだ発毛を謳う会社からは高額のお金を巻き上げられ。

ただ、それが本当に薄毛の状態なら必死になり、そこで少しでも効果を見られたと思えるのなら、気休めにはなるのでしょうが、そもそも薄毛とは言えないのに本人の思い込みで湯水のようにお金を使っていたとしたら。

頭髪専門の病院である城西クリニックの調査結果で、千人を越える患者のうち164人は施術する必要のない人だったことが分かったそうです。

特に若い男性ほど思い込みの傾向が強いようで、薄毛への恐怖感が強いそうなんですが。

いやね、自分もその口だからその心理はよく分かるんですが、少なくとも自分の場合はハゲることについての身に覚えがあるから、その兆候らしきものがあったことで苦悩してたわけで。

あんまり洗髪が好きじゃなく、髪の毛にも気を使ったことがないんですが、特に高校時代がひどくでフケだらけだったんですよね。

凄いのが自分では髪を何にも触ってないので、生え際のところにみっちりフケの塊がついていて、床屋さんに驚かれたこと。

それで高校を卒業する頃に、抜け毛の多さに気付きだし、これまでの自分のやってきたことを振り返ってゾッとしたわけなんですな。

育毛剤やシャンプーに金をかけ出したのはそれからで、発毛に関する色んな情報を探してはそれを試してみるの繰り返し。

塩で髪を洗ったこともあったなぁ。

それでも実感としてはハゲ出しているというものばかりで、アートネイチャーなんかにも相談をしにいったりして。

そうやって色んなところを巡った中で、今回の調査結果を発表したクリニックの関連病院を見つけて、そこで「大丈夫ですよ」と言ってもらって、そこで開発された専用のシャンプーとトリートメントをもらってなんとか心理的にも落ち着きを取り戻したわけです。

だから、若い人でも気にするのは分かるんですが、特に不衛生にしてきてないなら、過剰防衛にしかならないとも思うんですよね。その対策が逆効果になってる場合もあるだろうし。

そういう意味で、美容院で定期的に頭皮の健康状態をチェックするのが当たり前の環境って男にとっては必要なんじゃないかなと思うのです。

2007年9月24日 (月)

占いセプテンバー

ブログをやっていることがいい面となって表れることに、ブログのネタ探しで普段ならあまり興味がないことも積極的に関与しようとする意欲が生まれることなんですよね。

今回も、最初はどうしようかと思ったんだけど、ブログのネタになるかもと参加してみることにしました。

その初体験とは手相占い。

本を買う代わりに本の代金分の1050円で占ってくれるっていうのをやっていて、仕事や将来や性格などを占ってもらうことにしました。

先生は40代くらいの男性だったんですが、こういう人たちってガサツさがないですよね。

非常に優しい語り口で語りだしたんです。

曰く、「あなたは才能がある」「クリエイター向き」「いまくすぶっているのはもったいない」などなど。

絶賛とは言わないけど、えらく持ち上げてくれたわけなんです。「考えすぎるところはある」と、これは普段からよく言われることも言われて、そこに説得力を見ようとするのは、そこまでで言われたことがよかったからなんでしょうが。

でも、自分は占いとか信じない人間なので、若干引いた感じで聞いてたんですよね。

だからなのか、最後に「あなたのようなタイプは言われたことをそのまま鵜呑みにしないでしょうけど」みたいに言われてしまい、それは占いじゃなく反応を見て言ってるだろって思ったわけで。

そもそも、これだけ気持ちがよくなるようなこと言うのは、誰にだってそうなのかって部分も大きくて、それは占う先生にもよるんでしょうが、それが商売の肝なのかなとも思うんですよね。

それとも、安い商売で客も多いから、面倒臭くなってありがちなことを言ってただけかもしれまんせんが。

こういう見られ方に対し、最近では占いはインチキなものじゃなく、統計学的なものなんだなんて言い方も増えてきていて、だから説得力があるんだという主張もよく耳にします。

それはそれでいいんですが、今回占いを初体験して思ったのは、正しいことを言われるのもいいですが、褒められたり肯定されたりするのも占いが求められていることだし、これからも商売として成り立つ上で重要なんだろうなと思って。

結局、客は言われたいことがあって占われるんです。そこでツボをついてくれたら、金を払ってよかったと思うし、気持ちよく店を出られるんですな。

そして、そんな客というのは大体が行動の後押しをして欲しいという欲求が強い場合が多い。

だから、客が言われたいと思っていることを言ってやるというのは、もしかしたらちゃんとした効能のある仕事なのかもしれません。

こんな自分でも、あれだけいいことを言われたら悪い気はしなかったですし。

もちろん、依存しちゃったら本末転倒になっちゃうんですけどね。

2006年11月 9日 (木)

いじめちゃいや~ん

いまの社会を覆う息苦しさって、自分を好きでいるのが難しいからなのかなと思うんですな。

いや、いじめ問題についてまた色々と考えていたんですが、いじめる側の人たちもその類いなんじゃないかと思って。だから、他人にその鬱憤をぶつけたり、優越感でその代替にしたりしてるような。

ノリが悪いとか、空気を読めないとか、そんな要素を物凄く他人に求めたがる風潮も自分に自信がない表れであったり、そこに基準を置かないと安心できない弱さがある気がします。

他人の欠点をあげつらっていじめの理由にするのもそう。

大体が完璧な人間なんていないわけで、欠点があるから悪いなんて理論は成り立たないけど、そこで貶めないと優位に立てない心許なさあり。

そこには自分で自分の立ち位置を見つけられていない側面も垣間見させ。

また、欠点をあげつらうのにはお笑いブームの影響も感じさせます。

からかうことを「いじる」と言うらしいんですが、そんな小中高生が本当に面白い「いじり」をできるはずがなく、お笑い的にはあんたらがやっていることは寒いんだと指摘するのも、ひとつ有効な手段かもと思います。

テレビ等でのいじめ問題の特集を見ていても、暴力によるいじめはほぼないようで、ほとんどが言葉や態度によるものばかりなのが印象に残ります。

自分は、「ウザイ」「キモイ」または「ヤバイ」なんて言葉は絶対に使わないと決めているんですが、なんでかと言えばこれらの言葉はあまりに粗雑なんです。そして軽く使えすぎてしまうんです。

その言葉の容易さと持つ力、殺傷力というものもいまのいじめにおいては大きいのかなと。

オタクなりギャルなり、過剰に偏ることで自らの場所を見つけ、文化といえるほどのパワーを発揮することを見ると、いじめなどもエスカレートするのもそういうことなのかなと思わさせます。

「物質の時代から心の時代になる」といわれてしばらく経つけど、そうなる気配はほとんどなく、逆に金銭や物質的に勝てるだけ勝とうとする流れになってきています。

でも、きっとそうなるのは不安ゆえだとも思うんですよね。

だから、いくら「心が大事」といっても見えない心なんてものをどう目指せばいいのか分からないんだから、もっと記号としてどうあれば心が豊かで素晴らしいのかを、文部省的PTA的なアプローチではなく、サブカルチャー的な売り込みで見せていく必要があるんじゃないかなと考えたりするのです。