好きになることドットコム
「人を好きなったことがないだろ?」
ドラマなどで重要なセリフとして使われるフレーズ。
それに気づくことで、目覚めることでハッピーエンドに向かうのがパターンなんだけど、それほど人を好きになることはいいことなのかと。重要なことなのかと。
正直、人を好きになるってことが分からないというのか、どう理解すればいいのかがピンとこないんです。
自分はドラマの主人公タイプの人間ではないから、そのことを他人からズバリ指摘されてもなにも好転することもないんですが。
いや、平易な言い方をすれば胸がときめくことくらいはあるんです。
あるんですが、そういうのは本当の好きではないなんて区分のされ方をするのも、また定番じゃないですか。
錯覚だとか、ミーハーな気持ちでしかないとか。
好きになるきっかけの正解もよく分からなくて、外見っていうのはほぼNGワードになっているじゃないですか。
そう言うとしても、「性格がにじみ出ている」なんて注釈が必要になって。
じゃあ、性格の良し悪しで好きになるのかとなると、それもクエスチョンで。
色々な意見を総じてみるに、都合よくいい顔さえされればいいというような節がある。
他の部分では馴れ合えているかが大事で、その大方が悪い感情の共有であったり、俗っぽい発想のシンパシーだったりする。
当人たちにとってはそんな瞬間が日常で違和感を覚えないんだろうけど、他人が切り取ってみたらその人たちを性格がいいなんてとても思えないはずで。
性善説と性悪説というのがあって、人間の本質はどちらかなんて言うけど、人間はそれ以前の存在で、生きる上でその基準は左右され、環境によってもその偏りを許すことができる生きものだとは、かなり以前に書いたことがあるけど、それとは別に常日頃から悪意に蓋をした状態で生きているっていう気もしているんです。
それは、自分を守るため、自分を肯定するため、自分が楽になるために。
特に昨今が顕著だけど、内側と外側の使い分けで悪意をぶつけていいかどうかを判断する傾向があったり。
「好き」が分からない自分は基本、誰にとっても外側だから、それが見え隠れしていっそう人を好きになる理由すら分からなくなってしまい。
これは親だろうが友達だろうがなんだろうが、自分なんかはその悪意や都合のよさや人間のくだらなさに心底ウンザリすることもあるんですが、それすら受け止めてこそ「愛」になるのかと。
大方、プラマイの相殺すら成り立っていない互いの積み重ねの中に、安心を見つけた程度のことなのに。
そう。ここに「愛」なんて言葉が登場すると、さらにハードルがあがることになるんですよね。
恋愛映画やラブソングや愛にまつわる書籍が溢れかえるこの世の中で、愛こそ生きるすべてみたいな風潮があるけど、その愛の正体もこうなるとなにがなんだかで。
ようは、ダメな部分も許容して、よいところを深く見つめろってことなのか。
そこまでたどり着く境地があって、初めて人間は人間として肯定されるのかと。
でも、導入部分が本当の性格のよさというよりも、ルックスやコミュニケーション能力であるとして、それが不得手な人間、いまで言えばオタクのような人種はその一点でそもそも人間として脱落していると切り捨てていいってことなんでしょうかねぇ。
そうか。達観などの精神的成熟ではなく、表裏の使い分けなどテクニックの上達がうまいだけの人がそれで強気になれるものなのか。


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