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2009年4月29日 (水)

好きになることドットコム

「人を好きなったことがないだろ?」

ドラマなどで重要なセリフとして使われるフレーズ。

それに気づくことで、目覚めることでハッピーエンドに向かうのがパターンなんだけど、それほど人を好きになることはいいことなのかと。重要なことなのかと。

正直、人を好きになるってことが分からないというのか、どう理解すればいいのかがピンとこないんです。

自分はドラマの主人公タイプの人間ではないから、そのことを他人からズバリ指摘されてもなにも好転することもないんですが。

いや、平易な言い方をすれば胸がときめくことくらいはあるんです。

あるんですが、そういうのは本当の好きではないなんて区分のされ方をするのも、また定番じゃないですか。

錯覚だとか、ミーハーな気持ちでしかないとか。

好きになるきっかけの正解もよく分からなくて、外見っていうのはほぼNGワードになっているじゃないですか。

そう言うとしても、「性格がにじみ出ている」なんて注釈が必要になって。

じゃあ、性格の良し悪しで好きになるのかとなると、それもクエスチョンで。

色々な意見を総じてみるに、都合よくいい顔さえされればいいというような節がある。

他の部分では馴れ合えているかが大事で、その大方が悪い感情の共有であったり、俗っぽい発想のシンパシーだったりする。

当人たちにとってはそんな瞬間が日常で違和感を覚えないんだろうけど、他人が切り取ってみたらその人たちを性格がいいなんてとても思えないはずで。

性善説と性悪説というのがあって、人間の本質はどちらかなんて言うけど、人間はそれ以前の存在で、生きる上でその基準は左右され、環境によってもその偏りを許すことができる生きものだとは、かなり以前に書いたことがあるけど、それとは別に常日頃から悪意に蓋をした状態で生きているっていう気もしているんです。

それは、自分を守るため、自分を肯定するため、自分が楽になるために。

特に昨今が顕著だけど、内側と外側の使い分けで悪意をぶつけていいかどうかを判断する傾向があったり。

「好き」が分からない自分は基本、誰にとっても外側だから、それが見え隠れしていっそう人を好きになる理由すら分からなくなってしまい。

これは親だろうが友達だろうがなんだろうが、自分なんかはその悪意や都合のよさや人間のくだらなさに心底ウンザリすることもあるんですが、それすら受け止めてこそ「愛」になるのかと。

大方、プラマイの相殺すら成り立っていない互いの積み重ねの中に、安心を見つけた程度のことなのに。

そう。ここに「愛」なんて言葉が登場すると、さらにハードルがあがることになるんですよね。

恋愛映画やラブソングや愛にまつわる書籍が溢れかえるこの世の中で、愛こそ生きるすべてみたいな風潮があるけど、その愛の正体もこうなるとなにがなんだかで。

ようは、ダメな部分も許容して、よいところを深く見つめろってことなのか。

そこまでたどり着く境地があって、初めて人間は人間として肯定されるのかと。

でも、導入部分が本当の性格のよさというよりも、ルックスやコミュニケーション能力であるとして、それが不得手な人間、いまで言えばオタクのような人種はその一点でそもそも人間として脱落していると切り捨てていいってことなんでしょうかねぇ。

そうか。達観などの精神的成熟ではなく、表裏の使い分けなどテクニックの上達がうまいだけの人がそれで強気になれるものなのか。

2008年9月10日 (水)

女性って、女性ってさぁ

映画のキャンペーンという、主演や監督にとって最も辛い仕事があります。

地方を回って頭を下げて、愛想笑いを浮かべて、今後の仕事に何のプラスともならない人とからまなければらないという、言ってしまえば映画を作ったことへの罰ゲーム。

もちろん、それで映画がヒットすれば苦労した甲斐があったってことなんでしょうが、客が不入りだ赤字確実だなんてことが耳に入ってきたもんなら、「なんやったんや、あの苦労」とドッと疲労を感じることになるだろうあの荒行。

いや、ホント映画出て必死に演じただけで仕事としては完了じゃんって、思って当然だと思うんです。

それが、長時間の移動をした挙句におんなじ質問を何度もされて、多分それだけの拘束時間があるなら普段はもっとギャラがいいのにとグチグチと思いながら、なお笑顔が求められる。

映画って、特に金が掛かった分だけ宣伝でも頑張らないいけないから、難儀だなぁと思うわけなんです。

いや、別に今回書きたかったのはこんなことではなく、なんの映画だったか、その女優が誰だったかも忘れるような、そのランクの作品での、ほんの数分のインタビューで見たシーンのことでして。

多分、映画にちなんでの質問なんでしょうね、「あなたにとってやめられないことは?」みたいな問いがあったんです。

それに対して、主役級だろう女優さんは「恋愛」と答えたんですな。

ん、待てよと、思ったわけで。

それって、意識的にするって解釈できるじゃないですか。

恋愛って、そういうものなのかと。

もしかして、結果的に恋心が芽生えたなんて古くて、自らが積極的に相手を探して、付き合うという形とそれにともなく関係性や行為があれば、心は後から付いてくるのがイマドキなのでしょうか。

なにか、本末転倒といっては齟齬がありますが、目的のためには手段を選ばずなのか手段のためには目的を選ばずなのかの問題のような、どこかおかしな逆転がある気がするんですよね。

そして、それって明らかに自分のために恋愛を利用しているだけだとも。

単に、ファッションとして、対面や世間体のため、それとも不安感がゆえ、恋愛をしてないと格好がつかないという心理が、女性にはあるのかねぇと思ったり。

例えば、「男性にぶりっ子する女性が嫌い」なんてよく聞くところだけど、じゃあほとんどの女性は本音で生きているのかと言えば、甚だ怪しく。

もしそうなら、本音のぶっちゃけ具合が売りの「セックスアンドシティ」があれだけウケるのがおかしいわけだし。

周囲の目、特に同性の目を基準として、あとはいかにとおりがいい建て前になっているかどうかが女性の行動原理と思っては、大きな誤解があるのでしょうか。

2006年11月10日 (金)

女ロンリーマン

「NEWS ZERO」に川原亜矢子がレギュラー出演しているのを見て、彼女を起用している理由なんかを漠然と考えたりして。一体何を期待してのものなのかと。

女性はキレイと見るかもしれないけど、男側からするとそんな魅力的に感じないタイプなんですな。

ということは、同年代の女性層の共感を期待しているのかなぁとか。

そうなると、改めてこの感じ方の男女差とかってなんでこんなに大きいんだろうとも思ったりして。

ひとつ思うのは、男も女も異性に好かれたいのは同じなんだけど、女性は認められようと努力をしてもその成果がなかった場合、相手のせいにする傾向があるんですよね。対して男は客観性がないから一人相撲になりがちなところで。

渡辺淳一が雑誌のコラムで、「男は女に弱さを求めて、女はどちらにも逞しさを求めるからいまの恋愛格差がある」って書いていたけど、女性アイドルが子供であることを強いられるのもそのせいであり。

男アイドルはブランド化が進む一途で、それはジャニーズの戦略のせいでもあるんだけど、女性ファンはそれを安心して受け入れている。

それを思うと、女性アイドル市場は本当に自由競争だなとも思うんですが。

そういえば、伊藤由奈のニーズはどこにあるかも考えたことがあって、彼女を見て瀬戸カトリーヌを思い出してる自分なんかはその良さを理解できてないんだけど、女性からしたらあの顔つきだからこそ魅力を見出しているのかなとも思うんです。

顔という記号はそれだけで好き嫌いをはっきりさせるものがあり、少し前のCMで伊東美咲がボーダフォンからソフトバンクに変わったばかりの頃に、壁をぶち破って伊東が現れるってものがあったけど、あの顔つきなんかはまさに男的には作り物っぽくて、特に自分なんかはまさに伊東美咲がない要素が詰まっているなってくらいだったんですが、造形美として女性なんかは理想型なのかと想像し。

もちろん、男側も理想ばかり追っていては現実から置いてけぼりなので、妥協点を探ったりもするんですが、例えば自分なんかはベニーKのラップ担当じゃなくてボーカル担当の女性なんかは一番落としどころとしての見本にしたいところです。

あと、けちゃっぷmaniaのVo.のブサカワイイ感じも許容範囲だったり。

逆にYUIなんていうのはカワイイんだけど好みが分かれるんじゃないでしょうか。

あの能面さから発しているマグロっぽい、天然っぽい、総じてMっぽい感じが。

森永卓郎なんかも恋愛格差を語っているけど、男女とも新しい価値観で双方に魅力を見出す工夫が、そろそろ必要になってくるのかなとそう感じています。