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2009年12月25日 (金)

好きなアイドルランキング2009年12月版

iPodをシャッフルで聞いていたら、突然NOPLANの「ひとりぼっちのジングルベル」が流れてきた。

これは、iPodから自分に対する皮肉なんでしょうか。

そんな機能があったら、怒るというより優秀すぎて感心してしまうのですが。

さて、今回は半年に一度の企画となってきた「好きなアイドルランキング」をつづってみようかなと思います。

というか、確か去年もこの時期にこのネタを書いたような記憶が。

悪い意味で成長してないってことか。。。

去年書いた分で堀北真希ファンからの卒業を宣言し、半年前のものではおそらく引退するだろうと予感していた林未紀を1位に選んだのですが、この流れによって自分のアイドルへの熱情が枯渇しちゃったんですよね。

ミーハー心がまったく揺さぶられなくなったし、アイドルDVDもいっさい買わなくなってしまった。

そんな中で、アイドルについて考えることといったら「アイドルってなんなんだ?」という概念論であり、現状のアイドル産業に対する不満であり、無視しているものへの問題視であり、そして先細りしかない現状への不安であり。

つまり、もう誰もアイドルを信じていないんじゃないかって。応援している人もやっている本人も、「定型をこなしている」だけのことで、その行為そのものに没頭することや、ディティールを愛することにしか、その価値を見出していない。

でも、アイドルって職業以上の意味を持てるものだし、そうであって初めて肯定もされ、その存在証明ともなるんじゃないかって思うんですよね。

いまは、アキバ系アイドルはアキバ系アイドルファンが好きそうなスタイルを演じ、テレビなどで売れようとする自称アイドルは、その肩書きを利用するだけでほとんどは単なるタレントでしかなく、アイドルファン以外の同年代層にウケがいいキャラを作りこむだけ。

そこに欠落しているのは、もしかしたら本来的なイメージにあるような「子供からお年寄りまで愛される存在」という姿勢なんじゃないかって。

だから、これまでやってきたアイドルランキングからややマイナーチェンジする感覚で、今回のメンバーを選んで見ました。

なので、U-15との分離もやめました。

1位水本凛

いまテレビで見ることができる最もカワイイ子。これは、性的な目で見れないからこその邪念や躊躇を生まない肯定感でもあるのかなと。せつな的でしかない輝きを評価することには、自分の中でも賛否が交錯するんですが、長嶋茂雄だったりバルサだったりを好きだと言うくらいの、後ろめたさがない好意の感覚がこの順位を後押しするのです。

2位小池彩夢

王道アイドルのポテンシャルを持ち、それを装ってもなんの違和感もない15歳。いい子としての揺るぎなさをみんなで守ってあげたいです。

3位井上裕衣

名古屋テレビの新人女子アナ。もう女子アナへの興味はさっぱり失せたつもりだったんですが、この人のけがれのなさには軽く衝撃を受けました。ローカル局であることも利点で、このイメージを保ちながら長く活躍してもらいたいものです。

4位豊崎愛生

自分の中では声優の世代交代もテーマだったんですが、好きになろうと思った野中藍への思い入れが深まらず、かといって堀江由衣にもそろそろ限界を感じていた中、「ウミショー」でその声に興味を持った豊崎さんが、ソロデビューもともなってかなり「あり」な存在と育ってきました。ナチュラルさが魅力です。

5位北乃きい

メジャーなところで一番アイドル性を発揮できる稀有なタレント。かといって、アイドルアイドルしておらず、イマドキな気分もちゃんと表現できているのが可能性を感じさせるんですよねぇ。

6位南沢奈央

有力な次代のアイドル女優候補。この子も国民的アイドルたる器を持っているんですが、やや旧型の理想の娘像を背負っているのがネック。コアなファンには支持しやすいけど、時代性から破綻もしやすく、ファンの落胆も誘いやすいんですよね。

7位入来茉里

透明感があり、女性ウケの素養もあるんだけど、グランプリで足立梨花に負けたホリプロの子。活動が地味なんだけど、映画などでいい出会いがあったら引っ張りだこになれる素材と踏んでいます。

8位希月樹衣

レースクィーン兼グラビアアイドル。清潔感があって童顔で、アキバ界隈では間違いなく好まれる子だと思います。来年は事務所次第で雑誌のグラビアでお馴染みになれるはずです。

9位逢沢りな

女優として売り出す方針だったようだけど、どうにもパッとせずにグラビアなども始めた若手。川口春奈よりもヲタウケするはずだから、上手に売っていけばそれなりの知名度は得るはずです。ただ、名前がイマイチかなぁ。

10位多部未華子

自分的にはここら辺の順位がもっともしっくりくる田舎臭さがすばらしい女優さん。この子も映画女優をメインに、その地位をあげていく必要があるのでしょうな。

ちなみに11位以下は

11位伊藤綺夏

12位鎌田奈津美

13位岡本真也

14位矢神久美(SKE48)

15位保田真愛

16位村上友梨

17位渡辺青來

18位三澤紗千香

19位YU-KA(メアリーエンジェル)

20位高橋奈々(WECAN)

ある時期までは、自分なりに「この子は売れる」っていうのが分かったんですが、いまはもうなにも見えない、保障できない時代となってきました。

これからは、より運に偏ったブレイクか、事務所のゴリ推し頼みか、コアなファンによって生きながらえるかくらいしかないのでしょうが、本当にいい子はちゃんと売れ、生き残っていってもらいたいものです。

2009年12月18日 (金)

女性はフワフワしたがっている

で、結局ハイandマイティカラーさんたちの新Vo.は誰になったのでしょうか。

自分が疎いことに問題があるのかもしれませんが、まったく情報が耳に入ってこないのです。

それ以前に、彼ら自身がいまなにをしているのかもサッパリで、こうなってはドリカム中村という高物件を得たマーキーさんの一人勝ちということになるような。

これは不景気ゆえにいっそうそう思わせるのかもしれませんが、女性の社会進出が持てはやされた時代がウソのように、玉の輿的な結婚をすることが成功者みたいな風潮になってきているような気さえするのは自分だけでしょうか。

モー娘だって、いつのまにか結婚したメンバーばかりがのし上がってきているし。

なにが幸せかなんて分からないし、いまが幸せでもそれがずっと続くとも限らないのですが、周囲が持つイメージに沿ったものを得るにはより競争が激化してきているのでしょうかねぇ。

なのに、なぜかハイカラさんの話をして思い出したのが詩音という女性アーティストのことで、この人は麻薬をやってたとかで逮捕されたのを聞いて、ファンの子は「ショック」とか言ってたのですが、非モテの世界から眺めているとなんら違和感がない出来事で、「そりゃ、やってても不思議はないわな」てな感じだったんですよね。

この報道を聞いて、すぐに押尾学を連想したのは自分だけではないはずで、直接の関係はないのかもしれないけど、同じ環境を生きていたんだろうなぁとは用意に想像がついてしまい。

そして。

これを「ショック」と言っていたのが、ミクシィの日記とかで見るに女性が多かったことを思うと、押尾のそうだし、違う麻薬関係の事件で摘発された有名人もそうだけど、若い女性が好きだというタレントほど、いかにも「麻薬とかやっていそうなんだよねぇ」と思ってしまったんです。

総じて言えば、イケてる人たちというのか。

これはなんなんでしょうか。

前にも書いたと思うんですが、イケてないことの総本山であるヲタたちは、見るからに薬とかやってなさそうなんです。

この関係性たるや。

別に、クラブとか行ってたり、派手なメイクやファッションをしている人たちを、「お前らもやってるんだろ?」とか決め付けてやっても、オタクはキモイと差別された歴史を思えばなんら差し支えないんだけど、「そういう人たちはひとつ思うのは生きてて楽しいんだろうなぁ」ってことで、それはどこかでちゃんと夢を見られているんだろうなってことなんですな。

それによって、地に足が着かないほどフワフワできちゃうし、そうなりたいという願望があるとも。

だから、その延長線上に麻薬のような文字通りにフワフワできちゃう環境が存在して、バカになれるほど楽しい時間を過ごせる可能性が担保されているという。

自分がモテないのは、ルックスの問題やコミュニケーション能力の問題が大いにあるのでしょうが、もうひとつデカイのはそういうフワフワさせてくれないから、与える印象が現実的過ぎるからっていうのもあるんだろうなって、そう思ってしまうんです。

「つまらない」の枕詞がつくようなタイプの現実。

だから、「お前を一生幸せにする」と言っても、なんら説得力がない。

だけど、女性がより夢を見られるような人たちがそれを口にしたとして、実は「お前を“一瞬”幸せにする」でしかないっていうことは、その幻想の心地よさに負けてしまう現実でもあるんでしょうねぇ。

2009年12月14日 (月)

「内村さまぁ~ず」まかりとおる

信号待ちをしているときにイラッとするのは、原付バイクが左側をスッと通り過ぎて最前列に位置づけることなんです。

まず、単純にズルをするなと。車と一緒に並べよと。

そして、そりゃ性能的に車よりもスタートダッシュで早く抜け出せるんだろうけど、すぐに車が追いつくわけなんですよ。

そこで、信号待ちで原付に追い抜かれた車たちは、その原付を追い抜くという手間を取らないといけなくなるんですよね。

その際に対向車線と原付との間合いを計りながら、慎重な判断をいちいち迫られながら走らなければならないんです。

原付の人のちょっとした距離稼ぎのために、何人のドライバーがイヤな思いをしているのかっていう。

別にここでこんなこと言ってもなんの変化も起きないんでしょうけど、ストレス発散をかねて書いてみました。

まぁ、そんなこと言ったらブログのほとんどが何の影響力もないけど、自己満足のためにやってる行為でしかないってことなんでしょうけどね。

その「自己満足のためにやっている」みたいな宣言をしながらも、人気を博しているのが「内村さまぁ~ず」だっていうのは、ファンとしてはうれしい限りだったりして。

なんやかんやでDVDも売れているようだし、ここにきて色んな雑誌で取り上げられているんですよね。

いや、普通に凄いことなんですよ。

だって、インターネットでの配信が基本の番組で、不特定多数の人はまず見てないソフトなんですから。

それでも、根強いファンが積極的に視聴していて、ある雑誌のアンケートでは日本代表の玉田選手も代表合宿にもっていっているお笑いDVDとして紹介していたくらい。

いまでは地方局での深夜でもネットされだして、こちらの地域でもテレビ愛知が放送を開始してくれました。

いやぁ、ほほえましくて、なんの不快感もない心地よい時間が流れていますわ。

いまはほとんどの番組で裏の打算が見え隠れする中で、これだけそのまんまをてらいもなく見せてくれるのは、いさぎいいというよりも「バカなんじゃないの?」って感じなんですけど、そのバカをさらす勇気すらないのが昨今の風潮の中では、やはり貴重な存在だと言ってもいいんじゃないでしょうか。

時代の移り変わりが激しくなってきている現状、なにが無難かとか、なにが成功と言えるのかすら見えづらくなってきているけど、この番組は視聴者と一緒にだらだらと年を取っていってもらいたいものです。

かく言う自分も、DVDはまだ手を出していないので、いずれまとめて購入したいとは思っているのですが、これがなかなか先立つものがなくて、どうしても初回限定版とかを優先して買ってしまうんですよねぇ。

その次に、アニメのDVD-BOXとか買いたいし。

2009年12月13日 (日)

芸能界2世3世会を楽しもう

ネコジャンプの曲がなかなかに中毒性があって、頭の中でループしています。

バンコク発のアキバ系アイドルユニットだそうで、本人たちもかなりそっち系が好きらしく、まぁそれだけで悪い気はしないのですが、PVをチラッと見たらそれもかなり狙っていた作りになっていて、売り方さえ間違わなければHIMEKAよりはヲタウケするんじゃないでしょうか。

逆に、一時期韓国からもあれこれアイドルユニットが日本で売り出されたけど、あれらはいっさい心に響かなかったもんなぁ。

そんなかわいくないことはなかったし、プロとしてのパフォーマンス力は下手な日本のアイドルユニットよりも優れていたのに。

かと思ったら、ベッキー・クルーエルみたいなのは素人なのにがっちりとヲタ心をつかんだりしてるしという。

これはなんの問題なんでしょうか。

なんか、対等な関係よりも、もっと媚びてこいよっていうのがヲタの弱気さゆえの強気なのかなぁなんて想像するのですが、はたして。

そういう意味では、IMALUとか穂のかとかはまぁウケないだろうなぁ。

そんな、親の七光りだけでは難しいし心細いということからか、近頃タレントの2世3世だけが集う会が結成されたそうで。

そこには、関根麻里とか先述のIMALUとか、あと多岐川華子とかがメンバーとしているようですが、印象では割りと若い女性がメインなのかなぁっていう感じがしています。

しかし、基準がしっかりしているようで、何気に曖昧さも感じるのがこの集まりで、親が芸能人なら誰でもOKなのかいなぁっていうことなんです。

それは、女性だけじゃなくて男性もありなのかっていうことから、タレント活動をしてない人間も受け入れるのかということもあって。

また、親が自称タレントだけど世間的認知度はサッパリの場合はどうなるんだってことから、本人がタレントを自称しているけど認知度サッパリでも関係ないのかまで。

例えば、徳光和夫の息子なんて微妙じゃないのかいねぇと。

または、すでにおっさんな2世3世だっているわけで、それも扱いが難しいぞって。

さらに言えば、すでにビッグネームになっている2世3世もいるわけで、それも誘うの?っていう。

田村正和とかが加入したら、完全に田村正和を接待する会になっちゃうとすら。

それと、親同士が仲が悪いとか、仕事柄ライバル関係なんてことがあると、それはそれでなんとも言えない距離感ができちゃいそうだし、下手したら2世同士で恋愛に発展して破局なんてことがあると、それまた空気がおかしなことに。

まぁ、おそらく中心メンバーが自分たちの好みで、メンバーの受け入れを判断しちゃう程度のことなんだろうけど、これを芸能界的にニーズがある組織に発展させるなら、なんでもありにしちゃう方が引き出しを多く出来てよいんじゃないかい?って思ってしまうのでした。

っていうか、関西のお笑い界では2世とか多いから、すでにそんな集団が存在してそうなんだけどね。

2009年12月 1日 (火)

売れないアイドルは我慢比べが仕事と見つけたり

つけ麺って、ひよこみたいなものだなぁって思うんです。

あの、はじめて見たものを親と思うっていう現象の。

自分の体験だけで言うんですが、多くのケースで最初に食べた店のつけ麺を一番と考えて、そうじゃないところもおいしいとは思うんだけど「でも・・・」となりがちなんですな。

自分も、大垣の中村屋のつけ麺が最初だったので、そこの癖のある味が基準になっているので、他の店のものはやや物足りないって思ってしまうんです。

うちの弟さんは、晴レル屋のつけ麺が最強で、東京で最高峰と言われる六厘舎もそれと比べたらまだまだだっていうことです。

これがラーメンなら、あらゆる評価基準が存在して、それぞれの良さを認めることができるのですが、これってなんなんでしょうね。

さて。

ひさしぶりに見た人が変わっていたらビックリしますよねぇ。

それも、個人的な印象からマイナスな方向になっていたらショックとすら言えて。

つい最近見たショックと言える変化では、アイドルの西村みずほがやたらケバくなっていたことと、川上憲伸のハゲ方がそれにあたります。

なんだろう。

川上については、しょうがない問題でもあるからまだいいんですが、なんでアイドルってある時点からあんな方向に走るんだろうって思ってしまい。

これって、事務所への反抗なのか、単に求められる像への拒否なのか。

だとしても、本人に長期的展望や野心に肩を並べる戦略がない限り、自分で自分の足を引っ張っていることになるんですよね。

平田薫も、めっちゃ期待してたのにまったく同じ現象での変身を遂げてくれて、すっかりご無沙汰な存在となってしまいましたし、世間的にも名前を知らない人のままだしという。

小倉優子みたいに、売れてから茶髪にしてメイクも濃くしてなら通用することなのに、まだまだ駆け出しの立場でそうなるっていうのは、自覚が足りないとすら思ってしまうんですよねぇ。

かといって、若槻千夏みたいなことになっては、好き勝手にもほどがあるって話ともなるのですが。

自分らしさだったり、楽しく生きたいことありきだっていうのなら、アイドルをやってもむなしいだけだと思うんですけどね。

そんな気分の状態なので、来月あたりに更新予定の好きなアイドルランキングもガッツリとメンバーを入れ替えてみるつもりでいます。

アイドルDVDも買わなくなって久しいし、グラビアアイドル率はかなり減少するのかなぁ。

っていうか、林未紀ちゃんが西村みずほ的なことになってたら悲しいぞ。

2009年11月25日 (水)

観月ありさに剋目する

「夏のあらし」の潤ちゃんがカワイイんです。

なんの予備知識もなしに1stシリーズを見たとき、男の子という見せ方をしていたんだけど「実は女の子、って展開だったら楽しいだろうなぁ」と思ったんです。

いや、これがある時期までのアニメならそれが当然の展開だったんですが、いまは男の子にすら萌えを演出する風潮があるので、それだとちょっとなぁっていうのがあって。

結果は期待通りの「実は女の子」で、めでたしめでたしだったんですが、まぁそれだけで案外と物足りないままで終わっていったんですよね。

それが。

2ndシリーズ放送によって主人公の男の子は「実は女の子」を知らないという設定が存分に活かされていて、見ていてワキャワキャさせられるんです。

なんか、こういうベタなのが好きなもので。

これは、声優の小見川千明の演技にも魅力の一端があって、初々しさが発揮されていてよいんです。

彼女は声優デビューといえる「ソウルイーター」で棒読みとして批判されていたけど、自分はそうは思っていなくて、キャラの真っ直ぐさや素朴さが出ていていいなって思ってたんですよね。

そして、その思いはこの作品によってさらに強まり、あの演技はちゃんとした個性であり、武器なんだなって思うんですな。

問題は、ずっとその一本調子ではキャリアを積んでいけないってことで、幅を広げて行く必要があること。

だけど、オンリーワンになれるのなら、それを売りにやっていける選択肢もあるので、ようはなにに自分の価値を見出すのか、なにを目指して極めていこうとするのか次第なんでしょう。

その先達と言える鈴木真仁も変わらず女の子役をやってたりするから、妙にこなれることだけはしないでがんばってもらいたいものです。

芸能界は売れることも難しいけど、売れ続けることはもっと難しいんですから。

それで言えば、観月ありさって凄いんだなぁって思わされるんです。

この前放送された実写版の「サザエさん」だって数字が取れないこのご時世で視聴率20%を記録して、レギュラー化の話も出ているくらい。

自分は観月ありさをカワイイと思ったこともなければ、ファン心理をくすぐられたこともないのですが、反対に嫌いだと思ったこともないんですよね。

実際、いろんなアンケート結果でも、彼女の名前を上位に見かけることってまずないのですが、じゃあドラマで主役を張ることに違和感があるかといえばそうではなく、彼女がいることで一定の安定感が生まれる感覚すらあるんです。

これは、どんなからくりがあるのか分からないけど、凄いよなぁって。

大概が消費されちゃって、その存在に飽きるんです。

と同時に、似たことを求め続けられることで本人も飽きてきて、そこで大きな変化に走って失敗するという。

なのに、彼女は使い減りしないし、本人にもドタバタした感じが見受けられないこの不思議さ。

アイドルファンとして、ずいぶん前から理想だと思っていたのは榊原郁恵で、彼女のようなキャラやポジションになって行くことがアイドルとしてあるべきひとつの姿だというのが持論だったんですが、いま観月ありさももうひとつの道として考えるべきだなぁって思っています。

誰だって華やかさに憧れるし、チヤホヤされたいし、スポットライトを真ん中で浴びたいんでしょうけど、あくまでそんなのは後からやってくることで、まずは自分のラインを守って地道に歩いて行くことが正解なんだって、そう悟らされた次第です。

もっと戦略的に、全力ではそういうものを追わず、セーブしながらいくスマートさを優先すると言ってもいいけど。

だって、結婚したってビクともしないよ、この調子じゃ。また、結婚で失敗するようにも思えないし。

2009年11月22日 (日)

まっぴら麻央王

ちょい前に、なにかの記事で「ファイナルファンタジーの略し方に決着がついた」っていうのがありました。

なんでも、初代の製作スタッフが「当時からFFと呼んで欲しいと思っていた」と答えたとか。

自分みたいなほとんどファイナルファンタジーをやったことがない人間からしたら、「え、ずっとFFだと思ってたよ」ってことなんですが、どうやらコアなファンの間では「ファイファイ」という呼び方も存在していたようで。

「へぇ~」ってなものです。

というか、自分たちの子供時代は略すっていう習慣がなかったから、ファイナルファンタジーはファイナルファンタジーって呼んでいたし、ドラゴンクエストはドラゴンクエストって呼んでいたような。

そのときちょっと思ったのは、堀北真希ファンだったんですがメディアで「ほまき」という略し方を頻繁に使っていたんですが、ファンはそんな言い方をしたことがないんです。

でも、知らない人からしたら「ほまきって呼ばれてるんだぁ」っていう刷り込みができているのかもしれないって思ったことがあって、なんかそれと背中合わせなニュースだなぁって思ったもので。

世間の認識なんて言うほど客観性なんてないってことなんでしょうし、興味がないことはおおよそで把握しているってことなんでしょう。

そういう意味で、海老蔵と小林麻央の婚約というニュースを正しく受け取っている人は果たしてどれだけいるのだろうって思ってしまうんです。

というのも、このふたりには先入観ができあがってしまっていて、そこに食いついているファンもたくさんいてっていう構造があり、それをなんとなくで話題にする層からしたらちょっと半笑いで「あそう、おめでとうさん。でもねぇ」なスタンスになってくるんです。

ようするに、どうせ離婚するんでしょ?みたいな。

プレイボーイが我慢できるはずがないっていうのと、何も知らない女が幻想だけでついていこうとしているっていうのと。

だけど、ほとんどの人は二人の実像を知らず、イメージだけで判断しているんですよね。

だから、もしかしたら小林の方がガッツリと手綱をつかんだ放さないかもしれないし、海老蔵も初めての愛を小林で見たのかもしれない。

とかいいつつ、自分もそう長くは続かないだろなぁ派なんですけど。

もうひとつ、このニュースがやっかみの対象となるのは、「結局そこか」にあって、女はプレイボーイみたいなのが好きだっていうことであり、プレイボーイもああいうおとなしい感じの女性を最終的に選ぶんだっていうことであり。

で、小林麻央処女説にすがり付いていた男性ファンが最大の落胆を感じつつ。

まぁまぁ。

あれこれ考えつつも、ようはみんな例外なく恋愛するんだなっていうことで。

結婚しないまでも、恋愛したことがない芸能人なんて皆無なんだよねぇ、なんて当たり前過ぎる結論を持ったいいふうふの日でした。

2009年11月19日 (木)

本当の森繁久弥は何歳の時の森繁久弥なのかという問い

ユニコーンの「WAO!」がむごいことになっています。

最初に聞いたときから、「息が続かなねぇ♪」とかのくだりが悪い意味でくだらな過ぎて、なんでそんな笑いに走ったのかと嘆いたものですが、どうやら本人たちも、というか作って歌っている阿部義晴自身が苦労しているようで、フェスなどでこの曲を披露しているのをチラッと見たのですが、この箇所をCDどおりにはやっていないし、ライブDVDみたいな肩の力が抜けたパフォーマンスも出来ていないし、もう完全に力技だけで吹っ切ってみせる方向に走っているんです。

テンションだけでなんとなく「盛り上がってるパートだぜ」ぶっているけど、オーディエンスも雰囲気でイェーとか言っているけど、そこまで身の入ったリアクションではなく、自分なんかは見ていて冷や冷やする方が先立ってしまい。

レコーディングではそれが楽しかったというのは分かるんですが、また久しぶりに集まってのぎこちなさがなせた技だとも理解できるのですが、そこはキャリアのあるプロなんだから、それによってその後がどうなるかは分かっていて欲しかったなぁと思うのでした。

これが、おっさんからおじいさんと言えるまでのキャリアでやっているなら、一週回って面白いことになるんでしょうけど。

だって、森繁久弥はその圧倒的な存在感と背中合わせの、作為的ではないなんとも言えないオモシロさも醸し出していたわけだし。

「俺より先に逝きやがって」とあらゆる葬式に参加しては口にしていたのは、ある種鉄板ギャグだったとすら言えて。

その積み重ねを見せられると、「もしかしたらこの人は死なないんじゃないか」と錯覚させるほどの妖怪染みた揺るぎなさも持ち出すんですよね。

なので、死去の報を受けて妙な安堵感を覚えたのは、「やはり森繁さんも普通の人間だったのか」なんて気持ちがあったからなのかも。

だけど、亡くなってからテレビで見られる姿は、舞台「屋根の上のバイオリン弾き」ばかりだったのはちょっと違和感が強かったかなぁと。

確かに、キャリアとして象徴的なものなんでしょうが、それ一色としてしまっては逆に正確性を欠くことになるし、それすら通過しての老後があった現実を無視しているとも思ってしまうんです。

これは芸能人だからしょうがない部分もあるのでしょうが、誰もが印象的なシーンで記憶されがちだけど、死ぬ間際の姿こそその人自身であって、その人がたどり着いた境地だと思うべきなんじゃないかなぁって思うんですな。

だから、いい時期ばかりを知っている人よりも、死に際に接している人こそ本当に本人を知っているし、人生を付き合ってきたと言えるんじゃないかとも。

これは、俗に言う輝いていた時期がその人のすべてなのかという話ともなり。

逆に言えば、いい時ばかり、悪い時ばかりがスポットを当てられる風潮があるけど、人はもっともっと長いスパンで眺めてあげることが必要だと思うし、他者にはその寛容さを、当人にはそのゆったりとして把握やゆとりを持って生きていってもいいんじゃないかと思うのでした。

しかし、96歳で老衰っていうのは、納得する面と、「それで息絶えるのかぁ」っていう人間という生きものの単純な力強さへの期待を裏切る現実を面があるんですよねぇ。

老衰は110歳くらいにこそ待ち受ける力のつき方ちゃうのって。

ロシアのほうで125歳の女性が見つかったなんて報道があったけど、本当であって欲しいと思ってしまうのは、自分も年を取ってきたってことなのかなぁ。

2009年11月17日 (火)

小阪大魔王

なんだかんだ言いながら、ベッキー・クルーエルちゃんの「男女」で踊っているyoutubeを何回か見ちゃっています。

あれはねぇ、確かにかわいく感じるんですよ。ルックスはそれほどじゃないという認識をしている自分ですら。

これってなんなんでしょうか。

これって、一昔前なら「さんまのからくりTV」で流されるような、ちょっとオモシロ映像の扱いをされるものだったと思うんです。

外国人が日本の歌で一心不乱に踊っているっていうのは。

もしくは、ナゾの歌で踊る金髪女性というシュールな作品となっていたか。

それが、「この子カワイイ」で広まるという不思議さ。

うーん。

ひとつ言えるのは、ヲタ文化を共有しているというシンパシーがそこにあるっていうことでしょうか。

仲間意識が、存在しえた壁を取っ払わせたというのか。

その上で、おそらくよく分かっていないだろうってことに夢中である姿という要素と、ホームビデオで洗練されていないダンスを披露しているという親近感が相まって、かわいく思えているのではないかと。

これが、プロモーション目的がはっきりしていて、完成度が高い作品として出来上がっていたら、きっとこういう広がり方はしなかったと思うんです。

自覚的じゃないがゆえに、抵抗なく支持ができた土台がそこにあるという。

そして、こちらも相手が外国人だから、都合のいい想像で補える領域があるっていうのも、イメージの上ではプラスとなっていて。

かなり前にやっていたアニメで「天使になるもん」っていうのがあったと記憶しますが、ヒロインが天使だっていう設定に、「もうヲタにとって、カワイイと素直に思うには現実の女の子では無理になったんだ。天使くらい非現実的じゃないとダメなんだ」って思ったことがあったのですが、時代が進んでもその傾向は変わらずにあるんだなぁなんて思ってしまい。

イマドキの中学生事情は知らないけど、男子たちはちゃんと女子に幻想を抱けているのかとすら。

これは、小阪由佳が結婚引退だとか、個人ブログでぶっちゃけまくっているとか、いやあれはニセモノだとかいう話題を聞いてなおいっそうその思いを強めたもので、別に小坂由佳に幻想を抱いたこともなければ、このぶっちゃけ具合が本性だったとしても、そういう奴だろうなくらいは想像できていたからいいんです。

だけど、なんでこんなブログをやる必要があるんだとはどうしても思ってしまい。

これって、なんのためにやっているんだって。誰に対してやっているんだって。

別に一般の女性がやっている分には、なにも言うつもりはなくて「ご自由にどうぞ」ってことなんですが、すでにアイドルのイメージで売っておいてそこをひっくり返す行為をして、なにを得られるんだっていう話なんです。

そこに残っているのって、単なる自己顕示欲でしかなく、そこの裏に共感を期待する人間の原初的な願望があったとしても、そもそもの認知度がアイドルファンにしかないわけだから、それには無理があり。

結局、非モテにロリコンが多いっていうのは、恋愛の匂いを感じない方がいいっていうことがあってのことで、だからドンドンと対象が低年齢化していくんだなって思うんですな。

現実すら非現実的なんだから、非現実的に現実を見ようとするのもからくりとしては成り立っているし。

なので、未婚率が高まっているとか、出生率が低下する一方だとしても、政府がいくら子供手当てを厚くしても、ひっくり返らない問題が横たわり続けるんじゃないかなぁって思ってしまうんです。

2009年11月15日 (日)

大人っぽいの神隠し

なにかのランキングで「男からも好かれるイケメン」っていうのがあって、そこで福山雅治が1位になっていたのを見たんです。

自分もそんな嫌う理由はなくって、あの今田耕司がいい奴だって言っちゃう人柄から好きだと思ってもいいくらいなんですよね。

だけど、あまりに肯定的な印象ばかりだとひとつくらいは欠点をあげつらってやりたいと思ってしまい。

そこで、意図的に探し出したってわけではないんですが、割りと最初から思っていたことに改めてフィーチャーをしてみるとしたら、「福山雅治って歌、そんなうまくないよね」っていうのがあって。

というか、もっとこの声があちこちから聞こえてくるものと思ってたんですが、案外これについて誰もなにも言っていないのは不思議だとすら思ってたんです。

これが、桑田佳祐のような個性で聞かせるっていうのならまだ理解できるんですが、そういう感じも特になく、どちらかと言えば「いい声」って部分で解釈がすんでいる節すらあって。

なので、人間性はおいておいても、そういう評価がもっと表に出ててもいいんじゃないかなぁなんて。

まぁ、それを言ったところでもう40歳の男性が、それを発奮材料に劇的に上達するわけでもないんですけど。

ここで、ちょっと連想ゲームが自分の中で働いたのですが、Gacktもその口だなって思ったんです。

こっちはもう、どちらかといえば「Gacktだからこういうもの」という領域にあるし、ちょっと郷ひろみと似た存在になりつつある気すらしちゃうんですが。

そんな先日、年齢を公表したGacktさん。

37歳に来年なるっていうのは、特に年齢であれこれを持ったことがない自分には、「へぇ~」ですむ話なんですが、これが自分が10代だったら「そんな老けてたんだぁ」って思ったかもしれないし、古くから意識してた人なら「もっといってるかもと思ってた」となるのかもしれませんね。

だけど、おそらくイチローと同い年ってことを思うと、イチローもそうであるようにちょっと年齢の概念が変わってきていて、年相応がなくなってきていると思うんです。

芸人でも、昔はみんなおっさん臭かったけど、いまは30代でも若手と言われたり、格好でも若いままを保っている人がほとんどで、実際に年齢を感じさせないんですよね。

だけど、それって本当にそのままでいいのかなぁなんて思わされて。

ひとつ、そこで問題意識を喚起されるのは、大人がいなくなっているという感覚があるから。

「おっさん臭い」っていうのはいるんです。

だけど、「大人っぽい」がいなくなっている。

ダンディなんて形容が普通にあったけど、いまはなかなか成り立たないんですな。

これって、当人たちはそれで問題ないんでしょうけど、未来を目指す子供たちにとっては機能不全を起こしやすい現象のような気がして、ちゃんと順を追って成長できないんじゃないかって思ってしまうんですよね。

「ドラゴンボール」でサイヤ人は戦闘民族だから若い時代が長いなんて設定があったけど、それはそれが不自然だからこそ際立つ話となっていたんです。

なのに、それを現実でも目指そうとしてる不健全さがそこにはあって。

大人はやっぱり大人でいないと、そして大人として責任を背負っていかないと、人類というものが正しく巡っていかないと思うんですよねぇ。

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